Quest18:ルートを選択せよ フラン or エドワード【中編】
文字数 5,203文字
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、優は1人で冒険者ギルドに向かった。
フランが朝になっても戻って来なかったので、情報を集めようと思ったのだ。
ギルドに入ると、エリーが依頼書片手に歩み寄ってきた。
「ユウ君、昨日は大変でしたね」
「ご迷惑をお掛けして、すみません」
「気にしなくてもいいんですよ、あれくらい日常茶飯事ですから」
優が頭を下げると、エリーは優を慰めるように言った。
「フランさんは来てないですか?」
「何かあったんですか?」
「……昨日から宿に戻っていなくて」
優は大きな溜息を吐いた。
巨乳ウェイトレスは放っておけばいいと言ったが、心配で仕方がない。
「子どもじゃないんだからすぐに帰ってきますよ」
心配じゃないんですか? と喉元まで迫り上がった言葉を辛うじて呑み込む。
フランは一人前の冒険者なのだ。
「ユウ君、指名の依頼が来ているんですけど、大丈夫ですか?」
「……はい」
優はエリーから依頼書を受け取った。
仕事の内容はゴキブリ退治だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
夕方、優は冒険者ギルドに依頼の達成を報告し、その足で魔道士ギルドに向かった。
頭がボーッとするが、必死に自分を奮い立たせる。
現在のMPは5%――いつもなら10%前後残っているのだが、今日は魔法の無駄打ちが多かった。
それを除けば無難に仕事をこなせたと思う。
作業手順にミスはなかったし、ゴキブリの大群を見ても不思議なくらい落ち着いて対処できた。
「……はぁ」
優は深々と溜息を吐いた。
ほんの数%の差に過ぎないが、誤差と断じるには大きく、フランの不在を意識してしまう。
「……楽しくなかったな」
楽しいか、楽しくないかで仕事をするのは間違っていると思うが、フランと仕事をしたり、冒険をしたりするのは楽しかった。
「……翻訳の仕事に来ました」
「いらっしゃ、い」
魔道士ギルドに入ると、グリンダはカウンターで魔道書を読んでいた。
相変わらず、煙が漂っている。
最近は気にすることもなくなったが、今日に限っては疲弊していた心が癒やされていくようでありがたい。
優はグリンダの隣に座り、カウンターの下から翻訳途中の魔道書を取り出した。
翻訳を再開するために本を開くと、グリンダが横から手を伸ばして閉じてしまった。
「今日はいい、わ。とても疲れているようだ、し」
「すみません。この埋め合わせは必ずしますから」
「ちょっと待って、て」
そう言って、グリンダは奥の部屋に行ってしまった。
ほどなくして不思議な臭い――刺激臭が漂ってくる。
嫌な予感しかしない。
逃げ出すべきか悩んでいると、グリンダがカップを持って戻ってきた。
「飲ん、で」
そう言って、濃緑色の液体が入ったカップをカウンターに置いた。
「……」
視界が涙で滲んだ。
グリンダの優しさに心を打たれたからではなく、カップから立ち上る刺激臭に眼球を刺激されたからだ。
嫌な予感が的中した。
やはり、逃げるべきだったのだ。
「今日は何の実験ですか?」
グリンダはパチ、パチと目を瞬かせた。
「疲れているようだったか、ら。悲しい、わ」
「……ありがとうございます」
優は震える手でカップを口元に運んだ。
ゲホ、ゲホと咳き込む。
目の痛みは耐え難いほど強まっている。
意を決して――それこそ、死ぬつもりで濃緑色の液体を飲み干し、空になったカップをテーブルに置く。
「あ、意外に――げはぁぁぁぁッ!」
あ、熱い! と喉を押さえ、のたうち回った。
胃から立ち上る臭気が鼻粘膜を刺激し、自身の呼吸が眼球を痛めつける。
この味を何に喩えればいいのか。
確かに飲んだのに的確な表現が出てこない。
もどかしさに喉を掻き毟る。
もどかしい、もどかしい、もどかしくて堪らない。
それでも、この暴力的で冒涜的な味を伝えるために口を開く。
「き、きて、キテハーッ!」
優は天に向かって叫び、ガックリと項垂れた。
「美味しかっ、た?」
「異界の神と対話するにはいいかも知れません。まあ、対話した瞬間に正気を失うことになるかも知れませんが」
優は認識票を取り出し、スキルの欄を確認した。
タカナシ ユウ
Lv:3 体力:** 筋力:3 敏捷:4 魔力:**
魔法:仮想詠唱、魔弾、炎弾、氷弾、泥沼、水生成、地図作成、反響定位、敵探知、
魔力探知
スキル:意思疎通【人間種限定】、言語理解【神代文字、共通語】、ヒモ、
毒無効、麻痺無効、眩耀無効、混乱無効
「混乱無効がスキルに追加されてるんですけど!」
「危険な薬草は入れなかった、わ。普通の薬草だけ、よ」
普通の薬草だけであんなものを作れるのだろうか。
「それで……何かあった、の?」
「分かるんですか?」
「顔が真っ白だも、の。相談に乗るくらいならできるわ、よ」
グリンダは優雅に脚を組んだ。
「……実は、フランさんを怒らせてしまって」
「詳しく話し、て」
優はフランを怒らせるまでの経緯を詳しく説明した。
「そう、ね」
グリンダは太股を支えに頬杖を突いた。
「それはフランの問題、よ。貴方が気にすることじゃない、わ」
「皆、フランさんに冷たくないですか?」
「他人事だも、の」
グリンダの口調は素っ気ない。
「不幸な過去を背負っているのは知ってる、わ。それが原因で他人を信じられなくなっていること、も」
「そこまで知っていて、どうして……」
「他人事だから、よ。私は他人の人生を背負えるほど余裕がある訳じゃないも、の」
それと、とグリンダは続ける。
「自分にできないことを他人に求めちゃだめ、よ」
心臓を鷲掴みにされたような気分とはこのことだろう。
自分は何かしただろうか。
何もしていない。
フランを捜そうとさえしなかった。
誰もそれを指摘しなかったのは他人を背負う覚悟と余裕がないと見抜かれていたからだろう。
自分が何もしていないくせに他人にそれを求めるのは筋違いだ。
「……僕はどうしたいんだろ?」
優は小さく呟いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
魔道士ギルドを出る頃には夜になっていた。
夕食を一緒にどうかと誘われたが、これは丁重に断った。
危険な薬草は入れなかった薬湯でさえ混乱無効のスキルを習得できたのだ。
即死耐性か、即死無効のスキルを習得するまでは誘いに乗らない方がいい。
「……でも、少しは効いたのかな?」
MPは30%程度だ。
いつもより心なしか回復が早いような気がする。
まあ、単なる思い込みかも知れないが。
優は細い路地を通り、安宿に向かう。
人気がなくなり、闇が濃くなっていく。
それなのにさほど恐怖を感じないのは魔法のお陰だ。
安宿まであと少しという所で前方に人影が見えた。
ズル、ズルと足を引き摺るようにして歩いている。
普段ならば気にも留めずに追い抜いていただろう。
だが、今回は違う。
その人物が朱色のマントを羽織っていたからだ。
朱色の――火鼠の革で作ったマントだった。
「フランさん!」
疲れた体に鞭打ち、その人物の前に回り込む。
予想通りというべきか、その人物はフランだった。
しかし、その姿はたった1日しか過ぎていないのに憐れなほど薄汚れていた。
全身が土に塗れ、マントに穴が空いている。
「……ああ、ユウか」
「何があったんですか?」
「火焔羆と戦ってたんだよ」
こんなのと戦ったら死んじまうよ、と言っていたのはフランだ。
それなのにどうして1人で戦ったりするのか。
「どうして、そんなことを? 死にたいんですか?」
「アンタなんかいなくたって、あたしはやっていけるんだ」
訳が分からなかった。
どうして、そんな自殺するような真似をするのか。
当て付けにしたって酷すぎる。
ああ、違う。
フランは優に裏切られると思っているのだ。
だから、自分から優を切り捨てようとしている。
火焔羆退治は自分に言い訳するための儀式だ。
こんなに強いモンスターを倒せたんだから1人で大丈夫だ、と。
「ほら、そこを退きな」
フランは優を押し退けようとし、その場に膝を突いた。
血の臭いが鼻を突く。
理由など考えるまでもない。怪我をしているのだ。
「――ッ!」
優は力尽くでフランのマントを引き剥がし、思わず息を呑んだ。
脇腹が抉れている。
革鎧のお陰か、単に運がよかったのか、内臓が露出するほどではない。
自分のポーチから水薬を取り出して傷に振りかける。
煙がシュー、シューとを立てて上がり、抉れた箇所が早送りを見ているように再生を始める。
さらにもう1本水薬を取り出して傷に振りかける。濃度を増した煙が視界を覆う。
「……お願い、治って」
優は祈るような気持ちで煙が消えるのを待った。
煙が消え、胸を撫で下ろす。
傷跡は残ったものの、傷は塞がってくれた。
「立てますか?」
「1人で歩けるよ」
フランは優の手を払い除けて歩き出したが、水薬は出血のフォローをしてくれないのか、あるいは緊張の糸が途切れたのか、10歩と離れない内に蹲ってしまった。
「……フランさん」
「1人で歩ける」
「歩けてないじゃないですか」
優はフランに肩を貸して――傍からは腋に頭を突っ込んでいるようにしか見えないかもしれないが――歩き始めた。
安宿の食堂に入ると、客の視線が集中した。
手伝ってくれる人はいなかったが、邪魔をする人もいなかった。
「フランさん、あと少しですからね」
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるよ」
階段を上がり、薄暗い通路を抜け、フランが借りている部屋に入る。
「あとは1人で歩けるよ」
フランは優から離れ、先程よりはしっかりした足取りでベッドに向かった。
出血の影響で頭がボーッとしているのか、ベッドの傍らに立ち、鎧を脱ぎ始めた。
鎧が音を立てて床に落ちる。
その音を聞いて我に返り、慌てて後ろを向く。
扉が閉まっていないことに気付き、やはり、慌てて扉を閉める。
背後から布の擦れる音が聞こえてくる。
「あ、ぼ、僕は部屋に戻ってますから」
「……ちょいと待ちな」
優はドアノブに手を伸ばしたが、扉を開けることはできなかった。
背後からフランに手首を掴まれたからだ。
「あたしがどんな格好をしているのか分かるかい?」
「分かりません」
「生まれたままの格好さ」
優は混乱の極みにあった。
どうやら、薬物による混乱はスキルで無効化できても、内的要因による混乱は無効化できないようだ。
首筋に吹きかけられる吐息や背中に押し当てられる胸の感触が思考力をガリガリと削り取っていく。
優を切り捨てるために火焔羆を倒したのに、こんなことをする理由が分からない。
お金のために優を繋ぎ止めようと思い直したのだろうか。
「久しぶりだけど、スッキリさせてやるよ。な~に、金を取ろうとは思わないし、引き止めようともしやしないよ。後腐れなくやらせてやる」
「どうして、こんなことを?」
「どうしても何もあたしは初めからこういう女さ。失望しただろ?」
それは違う。
初めて出会った時は利己的な女だと思ったが、深く付き合ってみれば意外にまともな感性の持ち主だった。
酷い生活を送り、人間不信に陥り、人間関係が壊れる前に壊そうとする。
だとしたら、何のためにこんなことをしているのか。
答えは他ならぬフランの口から発せられていた。
彼女は失望して欲しいのだ。
失望されたくて、こんなことをしている。
もし、優がエドワードのチームに加わることを選べば、フランは自分が劣っているから選ばれなかったと考えるはずだ。
優が家族を捜すためにエドワードを選んだと言っても、フランは2年に及ぶ酷い生活が原因かも知れないと考える。
かも知れない――その曖昧さが彼女を苦しめる。
彼女は過去を乗り越えていない。
その傷は今も塞がることなく、ふとした切っ掛けで痛み出す。
曖昧なままにして痛みを持続させるか、はっきりさせて痛みの元を絶つのか。
彼女は後者を選んだ。
もちろん、それは彼女にとっての『はっきり』であって、優にとっての『はっきり』ではない。
結局、自分が納得できる理由が欲しいだけなのだ。
ようやくフランの心に触れることができたのに興奮していた。
「元気そうだねぇ。これなら楽しめるよ」
フランの手が移動し――。