Quest23:妖蠅を討伐せよ その3
文字数 6,657文字
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楽しそうだな、と優はキッチンでタマネギを切りながらフランを盗み見た。
フランはハミングしながら野菜をリズミカルに切っていく。
あの後、優達は二手に分かれた。
優とフランは買い物に、グリンダは本屋に行った。
今は買い物、風呂の準備を終え、夕食を作っている最中だ。
「あたしの顔に何か付いてるのかい?」
フランは野菜を切る手を休め、優に視線を向けてきた。
「いえ、ただ……」
「ただ?」
「楽しそうでよかったと思って」
フランはふっと笑った。
「ま~た、その話かい? ったく、飽きないねぇ。そんなに気ばかり遣ってたら早く禿げるよ」
「……禿げたりしないと思いますよ」
優は前髪を摘まんだ。
そう言えば父方の親戚はハゲとまでは言わないが、髪の毛が薄い人が多かった。
しかし、母方の親戚は髪の毛がフサフサだったし、自分は母親似だ。
遺伝の法則に従えば優は禿げない――はずだ。
「禿げなければいいな~」
「軽口なんだからそんなに悩むんじゃないよ」
優が希望を口にすると、フランは困惑しているかのように眉根を寄せた。
「……けど、まあ、こういうのも悪かないね」
フランは囁くような声音で言って、野菜を鍋に入れて炒める。
ジュワッという音と共にごま油に似た独特の匂いが立ち込める。
「こういう生活の方が好きですか?」
「ま、悪かないさ」
フランは軽く肩を竦めた。
「悪くない、ですか?」
「あたしゃ荒れた生活を送ってたからね。やっぱり、不安に思っちまうし、素直に今の状況を受け容れられるってもんでもないんだよ」
「じゃあ、どんどん押し付けないとですね」
優は擦り寄ると、フランは仕方がないねぇと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「ふ、フランさん」
「ったく、アンタってヤツは」
こいつで我慢しときな、とフランは囁くような声音で言い、優の顎に優しく触れた。
「お邪魔だったかし、ら?」
「――ッ!」
グリンダの声に驚いたのか、フランは優を突き飛ばした。
「な、な、何だ、か、かえ、帰ってたのかい?」
「帰ってきたばかり、よ」
フランは声を上擦らせているが、グリンダはいつもと変わらぬ口調だ。
「しゅ、収穫があったみたいだね」
「以前から欲しかった本をようやく買えた、わ」
そう言って、グリンダは腕を上げた。
手には革紐が握られ、その先には革の装丁がされた分厚い本が5冊あった。
「へ~、いくらしたんだい?」
「すぐにお金のことを言、う」
「いくらしたんだい?」
グリンダは拗ねたように唇を尖らせたが、フランは何かを予感したらしく子どもに言い含めるように尋ねた。
「安かった、わ」
「それで、いくらだったんだい?」
フランが同じ質問を繰り返すと、グリンダはバツが悪そうに視線を逸らした。
悪戯を咎められた子どものようだ。
「……1万3000ルラ」
「馬鹿じゃないのかい!」
怒声が響き渡った。
「どうどうどう、話し合いましょうよ」
優はフランの前に回り込んで宥めた。
「馬鹿じゃない、わ。魔道を探求するために必要な本な、の」
「それに稼ぎを全部注ぎ込む馬鹿が何処にいるんだい!」
「全部じゃない、わ。333ルラ残したも、の」
「この――ッ!」
「フランさん! ストップストップ! 鎮まりたまえーッ!」
優はぶち切れたフランにしがみついて必死に宥めた。
「グリンダさん! 自分の部屋に戻って!」
「分かった、わ」
グリンダは小さく頷き、歩き出した。
しばらくして扉を開け閉めする音が響いた。
どうやら、部屋に避難できたようだ。
「……ユウ、放しな」
「も、もう少しこのままで」
クンカクンカしていると、ゴンッという音がした。
フランが肘を優の頭に振り下ろしたのだ。
痛い。
涙目になってしまうくらい痛い。
「殴るよ?」
「もう殴ったじゃないですか」
優は頭を押さえながらフランから離れた。
「ったく、アイツは無駄遣いばかりして」
「自分のお金なんだからいいじゃないですか」
「それでまた金を貸すのかい?」
フランは柳眉を逆立てて言った。
「場合によってはそれも止むなしです」
「どれだけ甘やかすつもりなんだい」
「甘やかしている訳じゃないんですけどね」
優は苦笑した。
借金で苦しんだフランには本に有り金の全てを注ぎ込むグリンダはさぞや破滅的に見えることだろう。
しかし、グリンダはグリンダなりに考えて行動しているのだから頭ごなしに叱りつけるのではなく事情を聞いてあげるべきではないだろうか。
「甘やかしてるんじゃないなら何なんだい? あたしらは冒険者だろ? 装備を新しくしたり、ケガをしたりした時のために金を貯めておくべきだろ?」
「じゃあ、怒ったりせずにフランさんの考えていることを伝えないと」
「こんなの常識だろ」
「フランさんにとっての常識で、グリンダさんの常識じゃないですよ」
優が指摘すると、フランは面白くなさそうにそっぽを向いた。
「……あたしが悪いってのかい?」
「2人とも悪くないですよ。ただ、2人とも自分の常識で話したり、行動したりしたからちょっとだけ擦れ違っちゃったんです」
だから、と優は続ける。
「もっと話をしましょう。僕らは違う人間なんだから分かり合えるように話し合いましょうよ」
「分かり合えなかったらどうするんだい?」
「分かり合えなくても喧嘩しなくて済む距離は掴めますよ、多分」
「多分かい」
フランは呆れたように言った。
「6歳も年下の子どもに期待しないで下さいよ」
もっと話をしましょうという意見が正しいのかさえ分からないのだ。
「子どもって自分で言うかねぇ」
「年下なのは事実ですよ」
フランはバツが悪そうに頭を掻いた。
「フランさん、料理を任せていいですか?」
「そりゃ構わないけど、用事でもあるのかい?」
「グリンダさんのフォローに決まってるじゃないですか」
「……悪いねぇ」
「僕達はチームでしょ?」
「まあ、そうだね」
子どもに仲裁されることに思う所があるのか、フランは複雑そうな顔をした。
「これも役割分担です」
優はフランのお尻を叩き、グリンダの部屋に向かった。
料理をしていたせいか、廊下は少し肌寒く感じられた。
もう少し大人になって欲しいな、と考えながらグリンダの部屋の前で立ち止まる。
扉をノックするが、反応はない。
喧嘩の仲裁でなければ帰ってしまうのだが、こういうことは時間を置けば置くほど拗れるものなのだ。
「……グリンダさん?」
扉を開けると、グリンダはベッドで本を読んでいた。
キャミソールとホットパンツに着替えている。
装備が脱ぎ散らかされているので、グリンダも怒っていたのかも知れない。
上手く仲裁できるかな、と優は溜息を吐いた。
部屋に入り、後ろ手に扉を閉めると、グリンダがこちらに視線を向けた。
脱ぎ散らかされた装備を拾い、ハンガーに掛ける。
「……貴方も文句を言いにきた、の?」
「話し合いにきたんですよ」
付き合いが長いからだろうか、グリンダは優とフランが同意見だと思っているようだ。
「隣に座りますよ?」
「構わない、わ」
優が隣に座ると、グリンダは少しだけ離れた。
これはベタベタしたくないという気持ちの表れだろう。
どんな風に切り出そうか悩んでいると、グリンダが口を開いた。
「……話さない、の?」
「どういう風に切り出そうか悩んでたんですけど、何にも思い付かないので、グリンダさんの気持ちを教えて下さい」
「私の気持ちなんて必要ないでしょ、う?」
「必要だし、大事ですよ」
予想外の答えだったのか、グリンダは驚いたように目を見開いた。
「私は何も感じていない、わ」
そう言って、本に視線を落とす。
いつも通りのように見えるが、不満そうに唇を尖らせている。
「フランさんに怒鳴られて、どう感じましたか?」
「……嫌な女だと思った、わ」
グリンダはボソボソと呟いた。
「それはどうして?」
「買った魔道書は魔道を探求する上で必要なものだも、の。新しい魔法を覚えれば冒険が楽になるのに分かってな、い」
「グリンダさんにとっては装備と同じ、いえ、それ以上の価値を持っているということだったんですね?」
「そう、よ。智は力な、り。決して盗めない武器、よ」
なるほど、と優は頷いた。
やはり、グリンダはグリンダなりにチームに貢献しようと考えていたのだ。
それなのに頭ごなしに叱られたんじゃ言い返したくもなるだろう。
「フランさんは……新しい装備を買ったり、ケガや病気で動けなくなったりした時のために貯金をして欲しかったみたいですよ」
「言ってくれないと分からない、わ」
グリンダは拗ねたように唇を尖らせている。
「フランさんもどうしてグリンダさんが本を買ったのか分からなかったんですよ」
「言った、わ」
「魔道を探求するために必要とは言ったけれど、冒険が楽になるとは言ってないですよ」
「……」
優が指摘すると、グリンダは押し黙った。
「常識だ、わ」
「分かってます。でも、フランさんにとっては常識じゃないんですよ」
「私が悪いと言いたい、の?」
「違います。2人とも悪くありません」
優はキッパリと言い切る。
「自分の常識に従って行動して判断したせいで擦れ違っちゃったんです」
「……そうかも知れない、わ」
グリンダの瞳には困惑と理解の色が混在していた。
「もっと話し合いましょう。自分の常識は正しいと思うんじゃなくて、意見が擦れ違ったら、どうして擦れ違ったのか話し合いましょうよ。僕達は違う人間だけれど……チームじゃないですか」
「そう、ね。ユウの言う通りだ、わ」
よかった、と優は胸を撫で下ろした。
フランさんも、グリンダさんも人間が出来ているのだな、と今更のように思う。
優は主観的に正しいと思えることを言っているが、子どもに自分の過ちを指摘されて否を認められる大人がどれほどいるだろうか。
「……偉そうなことを言ってごめんなさい」
「謝る必要はない、わ」
優ががっくりと頭を垂れると、グリンダは手を重ねてきた。
「あの、グリンダさん?」
「な、に?」
「僕の魔力が減っているんですけど?」
優のMPが減り、グリンダのMPが回復していく。
「手を握るだけでも回復するの、ね」
「そうみたいですね」
「試してみたい、わ」
キスをするつもりか、グリンダはゆっくりと顔を近づけてきた。
その時、扉が勢いよく開いた。
「飯だって言ってるだろ!」
フランの怒声が響き渡る。
グリンダは唇が触れるか触れないかの所で動きを止め、静かに立ち上がった。
「……フラン」
「何だい?」
フランは腕を組み、グリンダを睨め付けた。
話し合う重要性を理解してくれたと思っていたのだが、喧嘩腰だ。
「本は魔道を探求するだけではなく、新しい魔法を身に付けるために必要な、の。新しい魔法を身に付ければ冒険が楽になる、わ」
「金は装備を新調したり、ケガや病気になったりした時のために必要なんだよ。全部使っちまったらいざって時に対応できないだろ」
そう言って、グリンダとフランは睨み合った。
「理解し合えない、わ」
「話が通じないじゃないか」
2人は優に視線を向けた。
「自分の主張を押し通すんじゃなくて妥協点を探りましょうよ。収入の何分の一を本代に充てるとか、これくらい貯金するとか……」
優がアドバイスすると、2人は再び睨み合った。
「3分の2、よ」
「使っても半分だよ」
グリンダは縋るような目で優を見た。
「交渉して下さい、交渉。具体的な数字を出して有効性を説くんです」
「アンタはどっちの味方なんだい!」
「フランさんは経験です。今までの経験から貯金をするメリットを語って下さい」
2人は睨み合い、喧々囂々と議論を始めた。
「……長くなりそうなんで先に食べちゃいますね」
優は2人を横目に部屋から出た。
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夜、優は自分の部屋のベッドに横たわっていた。
2人の交渉は数時間に及び、先程ようやく静かになった所だ。
もう寝ようかなと考えたその時、扉を叩く音が聞こえた。
「……何かあったのかな?」
ベッドから下りて扉を開けると、グリンダが廊下に立っていた。
「交渉はどうでした?」
「収入の半分を研究に使うことになった、わ」
グリンダは少し不満げに言った。
「妥協点が見つかってよかったじゃないですか」
「そうかし、ら?」
やはり、グリンダは不満そうだ。
「じゃあ、お休みなさい」
「……待っ、て」
優が扉を閉めようとすると、グリンダは足で扉を押さえた。
「まだ何か?」
「一緒に寝ましょ、う」
「エッチなことありありですか?」
「……明日はダンジョンを探索するから控えて欲しいけれ、ど」
グリンダは恥ずかしそうに頬を朱に染めながら言った。
やや伏し目がちでモジモジと太股を摺り合わせている。
「貴方の好きにしていい、わ」
「よっしゃーーーっ!」
「あ゛?」
優が拳を突き上げると、向かいの扉が開いた。
あ゛? と恐ろしく不機嫌そうな声を出したのは当然のことながらフランである。
扉の隙間からこちらの様子を窺っている。
「え~、何処から聞いてました?」
「最初からだよ、最初から」
フランは言い含めるような低い声で言った。
「2人とも……明日はダンジョン探索だって分かってるんだろうね?」
「分かってる、わ」
そう言って、グリンダは優を押し退けて部屋に入ってきた。
「それ、じゃ」
「ちょいと待ちな!」
グリンダが手を振りながら扉を閉めようとすると、フランは自分の部屋から飛び出して扉を押さえた。
「ケガをする、わ」
「そりゃ、アンタが蹴ってるからだよ!」
足下を見ると、グリンダがフランの足をガンガン蹴っていた。
膠着状態は長く続かなかった。
当然である。
2人の体力値と筋力値は2倍以上の差があるのだ。
フランは扉の隙間から部屋に滑り込むと鬼のような形相でグリンダを睨んだ。
「やるなら相手になるよ」
「やらない、わ」
グリンダはベッドに上がると布団に潜り込んだ。
「寝る、わ」
「寝るわじゃない! ほら、さっさと出るんだよ!」
「布団が破けるから止めて下さい!」
優は布団で綱引きを始めた2人を止めた。
「アンタのせいで怒られたじゃないか!」
「貴方が布団を引っ張るから、よ」
「さっさと出な!」
「嫌、よ。今日はユウと一緒に寝ると決めた、の」
「サカりのついたアンタらが同じ布団に入って何もない訳ないだろ!」
そういうフランも猫のようだ。
「まあまあ、ここは3人で寝ればいいんじゃないですか? グリンダさんは僕と一緒に寝られるし、フランさんは僕らを監視できると」
優が軽い口調で提案すると、フランは鬼のような形相で睨み付けてきた。
「私は構わない、わ」
「チッ、隣でおっぱじめたらぶん殴ってやるからね。ほら、さっさとベッドに入りな!」
「え? いいんですか?」
「いいからベッドに入りな!」
フランは苛立たしげにベッドを指差した。
「……僕、この世界大好き」
「いらっしゃ、い」
優がそそくさとベッドに入ると、グリンダが優しく出迎えてくれた。
「もうちょい詰めな!」
フランがペシペシと優を叩きながら布団に入ってきた。
1人用のベッドに3人で横になっているので、身を寄せ合うような形になった。
「今度、お金を稼いだらキングサイズのベッドを買います」
「何を言ってるんだい!」
「いい考えだ、わ。1人ずつ魔力を補給するのは効率が悪いも、の」
「な、何を馬鹿なことを言ってるんだい!」
「照明を消しますよ。明かりよ」
優が呟くと、部屋は真っ暗になった。
絶対にキングサイズのベッドを買ってやる。
そう心に誓いながら目を閉じた。