Quest22:水薬を作成せよ【後編】
文字数 5,932文字
◆◇◆◇◆◇◆◇
「術式選択、岩弾×10」
グリンダが魔法を放つ。
杖の先端から放たれた10発の岩弾が川に水を飲みに来た一角兎に直撃した。
黄色の三角形が一瞬で地図上から消えた。
優は周囲にモンスターがいないことを確認しながら一角兎に歩み寄り、顔を顰めた。
まるでボロ雑巾のようだ。
角と骨は砕け、毛皮は血に染まっている。
胸を開くと、砕けた魔晶石が出てきた。
魔晶石を回収し、フランとグリンダの下に戻る。
「……スプラッタです」
「言いたいことはよく分かるよ。グリンダ、モンスターを倒す時に火と土の魔法は禁止だ」
「分かった、わ」
グリンダは杖を持ち直し、小さく頷いた。
「どうして、岩弾を使うんですか?」
「岩弾が一番殺傷力に優れているから、よ」
そりゃそうだ、と優は頷いた。
炎弾は熱、氷弾は冷気による攻撃だが、岩弾は質量による攻撃だ。
「僕に習得させる魔法に岩弾を選ばなかった理由はなんでしょう?」
「……」
グリンダはパチ、パチと目を瞬かせた。
「……副次効果に重きを置いたのよ」
ちょっと苦しい理由だ。
「ある魔道士に僕が習得した魔法は使えないって言われたんですけど?」
「……系統の違う魔法を使えるか試したかった、の。あの時は研究のことしか考えていなかったか、ら」
グリンダは少し間を置いて答えた。
「まあ、過ぎたことはいいだろ? で、調子はどうだい?」
「魔力値とMPが大幅に増加してる、わ」
3人で視界の隅の表示されているグリンダのMPを確認する。
「MPは99%ですから、僕が×10を使った時と同じですね」
「とんでもないねぇ」
フランは呆れたように言った。
優と同じように魔法が使えるようになったことは歓迎すべき事態だが、それにしても増加しすぎだ。
「体調はどうだい?」
「変わりない、わ」
「僕もです」
優は自分のMPを確認する。
99%と表示されているので、グリンダに魔力を吸い取られている訳ではないようだ。
フランは思案するように手で口元を覆う。
「何か気になることでもあるんですか?」
「あたしゃ魔法の素人だからね」
他にも見落としがないか不安なのだろう。
確かに優とグリンダが同じことをできる前提で行動し、違っていたら足下を掬われかねない。
「……」
グリンダが無言で手を上げた。
「何だい?」
「負荷を変えてみたい、の」
「具体的には?」
「私が地図作成、反響定位、敵探知を使ってみる、わ」
ユウ、とフランが目配せする。
「分かりました。地図作成、反響定位、敵探知停止」
「術式選択、地図作成、反響定位、敵探知」
視界から地図が消え、すぐに再表示される。
優のMPが100%に回復し、その代わりにグリンダのMPが98%、いや、97,96、95――と下降していく。
「グリンダ!」
「分かってる、わ。地図作成、反響定位、敵探知停止」
90%で下降が止まる。
「術式選択、地図作成、反響定位、敵探知」
優はすぐに魔法を起動させた。
「どういうことだい?」
「私の回復量はユウに及ばないということ、よ」
グリンダのMPを見るが、90%で止まったままだ。
「ってことは地図作成、反響定位、敵探知はユウに任せなきゃならないね」
「他にも試したいことがある、わ」
そう言って、グリンダは優の手を握った。
「何をやってるんだい?」
「実験、よ」
グリンダは深呼吸を繰り返し、いきなりキスしてきた。
唇を触れ合わせるだけではないヤツだ。
「何をやってるんだい!」
フランが優とグリンダを引き離した。
「……実験、よ」
「キスが実験なら何でも実験になっちまうよ!」
「MPを見、て」
左上を見ると、グリンダのMPが92%まで回復していた。
一方、優のMPは97%まで下がっている。
「粘膜接触によって魔力を吸収できることが実証された、わ」
「××××の加護って、僕のメリットないですね」
フランが怪我をした時は傷を治すためにガンガン魔力を消費したし、今回は魔力を奪われてしまった。
「粘膜接触で魔力を供給できるんなら――」
「それは非常手段、よ」
グリンダがフランの言葉を遮った。
グッドジョブだ。
魔力タンク扱いされて、ご褒美はキスだけなんてあんまりだ。
「どういうことだい?」
「ステータスが上がって違和感はな、い?」
「ないね。前より調子がいいくらいだよ」
フランは手を握ったり、開いたりする。
「貴方の場合、ユウが感覚を調整してくれていると思うの、よ」
「そうかも知れないね」
「感覚が狂ってしまうかも知れないから、定期的に抱かれることをお勧めする、わ。けど、キスだけで済ませるつもりなら構わない、わ。その分、私が――」
「あん?」
「何でもない、わ」
フランが柳眉を逆立てると、グリンダは視線を逸らした。
「で、薬草は何処にあるんだい?」
「ここに生えている、わ」
グリンダはしゃがみ込むと川沿いの砂地に生えている草を根っこから引き抜いた。
根は白く、瘤状になっている。
「手伝いましょうか?」
「毒草と見分けるのが難しいから1人でやる、わ」
「じゃあ、リュックを」
優はリュックを下ろして地面に置いた。
グリンダは黙々と草を引き抜き、リュックに詰め込んでいく。
「今日も金になりそうにないねぇ」
「水薬を売ればすぐに元を取れますよ」
「あたしらは冒険もしなきゃならないんだよ? 自分の都合で開けたり閉めたりする店に来る客なんていやしないよ」
確かにその通りだ。
いくら安くても営業日が不定期な店を贔屓にしてくれる客は多くないだろう。
「従業員を雇わないといけませんね」
「はぁ、金ばっかり出てくね」
フランは深々と溜息を吐いた。
「どうやって、信用できる従業員を雇うかも問題ですけどね」
「そんなツテはないよ」
そう言って、再び溜息を吐く。
「何処かの店に買い上げてもらうのはどうでしょう?」
「それはグリンダが承知しないだろ」
いきなり手詰まりになってしまった。
「……いいアイディアが出るまで保留にしましょう」
「ま、すぐに店を出さなきゃならない訳じゃないからね」
フランは軽く肩を竦めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
夕方、優達は冒険者ギルドに寄らずに家に帰った。
薬草採取が目的だったので、魔晶石と素材がそれほど集まらなかったのだ。
優が扉を開けると、カランコロンという音が響いた。
水分が染みてきているのか、背中が冷たい。
「これで水薬が何本作れるんですか?」
「10本くらい、よ」
優が薬草でパンパンに膨らんだリュックをカウンターに置くと、グリンダはそれを手に倉庫に向かった。
彼女がドアノブに触れるか触れないかの所でフランが口を開いた。
「水薬を作るのは着替えてからにしな!」
「分かった、わ」
グリンダは倉庫の前にリュックを置き、自分の部屋に向かった。
「ユウは風呂の準備をしとくれ。マントは……干しときゃ乾くか」
「フランさんはどうするんですか?」
「あたしは着替えて夕飯の準備だよ。手伝ってくれるんなら大歓迎だけど、先に風呂に入っちまいな」
フランは優の肩を叩くと歩き出した。
やや遅れて浴室に向かう。
洗面所に入り、マントを洗濯台に干す。
背中を濡らしていたのは単なる水だったらしく、殆ど汚れていない。
これなら洗濯は必要ないだろう。
「術式選択、水生成×100」
浴室の扉を開け、魔法を放つ。
水柱が立ち、バスタブが水で満たされる。
マジックアイテムと魔法のどちらを使うか少しだけ迷い、節約を優先する。
「術式選択、炎弾」
手を水につけて魔法を放つ。
ジュッという音と共に湯気が立ち上る。
適温になるまで同じことを繰り返す。
「えっと、服は部屋か」
洗面所から出ると、キャミソールとホットパンツ姿のグリンダと出くわした。
水薬を作ることしか考えていないのか、優を一顧だにせずに倉庫に消える。
「……仕方がないか」
感謝の言葉が欲しかったが、その道馬鹿と言えばいいのか、グリンダはフランと違うベクトルのダメ人間なのだ。
優は自分の部屋に行き、タンスから下着を取り出す。
着替えを持って部屋から出ると、今度はフランと出くわした。
黒いズボンと白いシャツを着ている。
「今から風呂かい?」
はい、と優は白いシャツの胸元を見ながら答えた。
透けてブラジャーが見えている。
こちらの意図に気付いたのか、フランは深い溜息を吐いた。
「胸ならナマで見てるだろ?」
「ブラジャーは別腹です」
「ったく、男ってヤツは」
恥じらってくれるとポイントが高かったのだが、呆れられてしまった。
「ところで、明日はどうするんだい?」
「リーダーはフランさんですよ?」
「だから、聞いてるんだよ」
優が問い返すと、フランは溜息交じりに言った。
リーダーとして優の意見を聞きたいということか。
「僕はそろそろダンジョンに潜っておきたいですね」
「まあ、確かに」
フランは頷いた。
グリンダが戦力になることは分かったので、役割分担や連携を確かめておきたい。
それに何年か遊んで暮らせるだけの金を稼いだとは言え、ここ数日は出費するばかりで金を稼げていない。
金が減っていくのも、冒険者ギルドで嗤われるのも結構なストレスだ。
嗤われるだけならまだしも舐められるのは困る。
気分を切り替える意味でダンジョンに潜りたいというのが優の偽らざる本音だが、フランが別のことをしたいと言うのなら譲歩するつもりだ。
「じゃ、明日はダンジョンに潜るかね」
「ありがとうございます」
「別に礼を言うことじゃないさ。あたしは大きく稼いで……まあ、大きく稼げなくてもギルドのヤツらを黙らせてやりたくてね」
フランは不愉快そうに顔を顰めた。
「あれ?」
「どうしたんだい?」
「いつ、グリンダさんに希望を聞いたんですか?」
フランは部屋から出てきたばかりだ。
時間的にグリンダと打ち合わせができたとは思えないのだが――。
「アイツにゃ聞いちゃいないよ」
「どうしてですか?」
「アイツに聞いたら一日中倉庫に籠もってるって言うに決まってるだろ。だから、あたしは聞かなかったんだよ」
「……それは」
酷いですよ、と言おうとして口を噤む。
フランが怖かったからではなく、グリンダなら言いそうだと納得してしまったのだ。
「確かに言いそうですね」
「だろ? 機材を見るアイツの目を覚えてるかい? 子どもみたいに目をキラキラさせちゃって、絶対に夕食は要らないって言い出すよ」
そうだっただろうか? と優は首を傾げた。
いつもと変わりなかったような気がするのだが、付き合いの長いフランが言うのならそうなのだろう。
「いくら何でも夕食時には――」
「甘い。夕食時になっても出てきやしないよ。それであたしが呼びに言ったら夕食は要らないって言うね、絶対だ」
フランは優の言葉を遮り、まことしやかに言った。
「あの、グリンダさんは大人ですし」
「じゃあ、賭けるかい?」
「嫌です」
思わず即答する。
「ほら、ユウだって分かってるじゃないか。それに分かるんだよ。アイツはまともそうに見えるけど、あたしとは方向性の違うダメ人間なんだよ」
へ~、と優は感嘆の声を漏らした。
まさか、フランが自分と同じ結論に達しているとは思わなかったのだ。
「ま、グリンダの件はいいから、ちゃっちゃと風呂に入ってきな」
「分かりました」
優は風呂に向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、優はベッドで目を覚ました。
残念ながら今日は1人だ。
目を覚ますと愛する人が隣で眠っているという状況を知ってしまったからか妙に寂しく感じられる。
しかし、落胆はしていない。
フランとグリンダは少なからず好意を持ってくれているはずだ。
2人に気持ちが通じれば3人一緒に目を覚ますことも可能なはずだ。
「あ~、よく寝た」
優はベッドから下りて体を伸ばした。
「……それにしても」
フランさんの言う通りだったな、と苦笑する。
昨夜、グリンダは夕食時になっても倉庫から出てこようとしなかった。
呼びに言ったら夕食はいらないと言い出す始末だ。
もっとも、その主張はフランには通じず、倉庫から引き摺り出されたのだが。
その後、グリンダは夕食を無言で、しかも、飲むように胃に収めてダイニングから出て行った。
「は?」
優は思わず声を上げた。グリンダのMPが10%を切っていたのだ。
ここまで消耗するなんて何をしたのだろうか。
「グリンダさん!」
廊下に飛び出してグリンダの部屋の扉を叩くが、いくら待っても返事がない。
意を決して扉を開けると、そこには誰もいなかった。
「……ユウ」
背後から声を掛けられて振り向くと、そこにはエプロン姿のフランが立っていた。
「朝っぱらから何を騒いでるんだい?」
「グリンダさんのMPが10%を切っていて、部屋にいないんですよ」
「ああ、そのことかい」
フランは長い溜息を吐いた。
「アイツなら倉庫でぶっ倒れてるよ」
「何があったんですか?」
「加護を授かって魔力値が上がっただろ?」
「……まさか」
いや、案の定と言うべきかも知れない。
「今までできなかった実験ができるようになったってんで徹夜で実験してたんだと。ったく、呆れるほどの魔法馬鹿だよ」
「せめて、部屋に戻ればいいのに」
「言ったろ、魔法馬鹿だって」
その道馬鹿にも程がある。
「実験を控えるように言わないとダメですね」
「もう言っておいたよ。次に同じことをしたら家を追い出して、ユウともやらせてやらないって言ったら素直に頷いたよ。実験できなくなるのがよっぽど嫌みたいだね」
「それはどうなんでしょう?」
実験をするための便利なアイテム扱いされているようで少しへこむ。
「それはそれとして今日はどうしますか?」
「2人でダンジョンに潜りたい所だけど、それで回ると思われても困るからね。今日はオフだよ。ったく、今日は1日嫌味を言い倒してやる」
フランは柳眉を逆立てて言った。