Quest28:火焔羆を退治せよ【前編】
文字数 10,722文字
第7階層――3匹の迷宮蟻が1列になって近づいてくる。
フランは剣――サブ・ホイールを構えた。
その口元には獰猛な笑みが浮かんでいる。
「咆哮!」
フランが吠える。
空気がビリビリと震え、迷宮蟻が動きを止める。
「縮地!」
フランの姿が掻き消え、迷宮蟻の背後に現れる。
迷宮蟻は小刻みに震え、頭がポロリと落ちた。
迷宮蟻は頽れ、塵と化す。
「未完だけど、使えるじゃないか」
フランは魔晶石を拾いながら戻ってきた。
「調子に乗ると失敗する、わ」
「FPの残りには気を遣ってるよ。まだ60%以上あるじゃないか」
うんざりしたような口調でグリンダに答える。
「フランさんが飛ばしてるから心配しているんですよ」
この階層で4回迷宮蟻に遭遇し、4回とも咆哮と縮地のコンボで倒している。
お陰で走り回らずに済むようになったが、負担が偏りすぎているように思える。
「この先のことを考えたら武技で動きを止め、魔法でとどめを刺すって戦法でもいいと思うんですけど?」
「まあ、そうだね」
納得し切れていないのか、フランは眉根を寄せている。
「僕も新しく覚えた魔法を使いたくてウズウズしているので、気持ちは分かります」
「そうかい」
「今まで魔法を軸とした作戦だったので、武技を取得してようやく役に立てると張り切ってしまう気持ちも分かります」
「そ、そんなんじゃないよ!」
フランは声を荒らげて否定したが、恥ずかしいのか、耳まで真っ赤だ。
恐らく、杖の壊れたグリンダをカバーしようという意識も働いているに違いない。
グリンダは木製の杖を装備しているが、これだと射程などに影響が出るらしい。
「それで張り切っていたの、ね。素直に言ってくれれば良かったの、に」
「違うって言ってるだろ!」
グリンダは優しく微笑んだが、気持ちは伝わっていないようだ。
むしろ、フランの神経を逆撫でしただけのように見える。
その時、地図上に赤い三角形が表示された。
恐らく、妖蠅だろう。
「敵が高速で接近しています」
「大丈夫かい?」
ええ、とグリンダは頷いた。
赤い三角形はあっと言う間に接近し、目視で確認できる距離にまで迫っていた。
「妖蠅ですね」
「来る、わ」
妖蠅が高速で接近してくる。
目で追うだけで精一杯。
フランならまだしも、魔道士である優とグリンダには荷が重い相手だ。
妖蠅は高速で飛来し、バチッという音と共に地面に落下した。
グリンダの魔法――能動結界に激突したのだ。
コンビニに設置されている殺虫器を思い出す。
「術式選択、氷弾×10」
上を向き、ピクピクと痙攣する妖蠅に魔法を放つ。
妖蠅は一瞬にして氷の彫像と化し、すぐに崩れ始める。
「結界って割にえげつない威力だね。ぶつかった瞬間、火花が散ってたよ」
「だから、能動なの、よ」
グリンダは魔晶石を拾い上げ、フーッと息を吹きかけた。
そして、綺麗になった魔晶石をポーチにしまった。
チームを結成した当初ならば盗った盗らないの話になっただろうが、そんな話にはならない。
信頼関係が醸成されたこともあるが、懐具合に余裕があるからだ。
金銭的な余裕は精神的な余裕に繋がるのだ。
「……魔晶石の場所までもう少しですね」
「気を引き締めて行くよ」
「分かってる、わ」
フランが先頭に立ち、グリンダ、優の順で続く。
7階層ともなれば取りこぼしが増えるかと思ったのだが、あまり増えているような気がしない。
ダンジョンを真っ直ぐに進んだ突き当たりに魔晶石はあった。
青白い光がダンジョンを照らしている。
「へへ、この瞬間が堪らないねぇ」
「魔晶石以外の鉱石も欲しい、わ」
フランとグリンダは立ち止まり、モンスターの接近に備える。
優はリュックを下ろし、ナイフの柄で魔晶石を割る。
「あたしは魔晶石で十分だけどねぇ」
「実験用の素材が欲しいの、に」
グリンダは不満そうに唇を尖らせた。
大衆派を名乗っているものの、本当は求道派なのではないかと勘繰りたくなる。
それとも大衆派でも魔道士はこういうものなのか。
魔道士の知り合いはグリンダとシャーロッテしかいないので、どうにも判断しにくい。
「どうしたら他の鉱石を見つけられるのかし、ら?」
「魔力探知以外の魔法が必要なんじゃないですか?」
「その発想はなかった、わ」
グリンダはパチ、パチと目を瞬かせた。
「研究してみ、る」
「冒険者稼業と店の経営を優先しとくれよ」
「分かった、わ」
フランが釘を刺すと、グリンダは不満そうに唇を尖らせた。
「……終わりました」
優は魔晶石をしまい、リュックを背負う。
7階層をくまなく探索すればリュック一杯の魔晶石が集まるはずだ。
「ちょいと時間を掛けすぎたね。迷宮蟻のお出ましだよ」
フランが顎で指し示した先には3匹の迷宮蟻がいた。
「武技は温存、よ」
「咆哮と魔法のコンボでいきましょう」
「分かってるよ」
迷宮蟻が地面を蹴る。
個体は違っても戦術は共通している。
先頭が犠牲になることを容認した突撃だ。
「咆哮!」
「術式選択! 氷弾×10!」
フランが武技によって迷宮蟻の動きを止め、グリンダがすかさず魔法を放つ。
先頭の迷宮蟻が砕け、その陰から2匹目の迷宮蟻が姿を現す。
「術式選択! 氷弾×10!」
優の魔法が直撃、2匹目が氷の彫像と化す。
「武技はダメ、よ」
「分かってるよ!」
フランが飛び出すと、3匹目が姿を現す。
「Gyoooooooooooooo!」
「甘いんだよ!」
フランは鉤爪を盾――トライシクルで受け流し、体勢を大きく崩した迷宮蟻の首筋に剣を叩き込んだ。
迷宮蟻は前のめりに倒れ、地面に触れるやいなや塵と化した。
「ははっ、ちょろいちょろい」
そう言って、フランは剣を鞘に収めた。
「少し前までは逃げ回っていたの、に」
「あれは戦術だよ、戦術」
フランは顰めっ面で言った。
「ステータスも上がってますからね」
「そう、ね」
やはり、ステータス補正+10の効果は大きいようだ。
「次に行くよ、次に!」
「調子に乗りすぎ、ね」
グリンダは溜息交じりに言った。
その日は7階層の魔晶石を回収し、8階層に続く坂を発見した所で地上に戻った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「怒濤の快進撃って訳にゃいかないねぇ」
「リュックの大きさに限りがあるも、の」
フランは力なく頭を垂れ、グリンダはいつも通りに冒険者ギルドに入る。
「……受付に行ってきますね」
「待ちな」
優はフランに肩を掴まれて立ち止まった。
「どうかしたんですか?」
「迷宮蟻の魔晶石を渡してなかったよ」
「妖蠅の分、も」
フランとグリンダはポーチから魔晶石を取り出して優の手の平に置いた。
「これは魔晶炉に入れちゃいませんか?」
「取り敢えず、ユウが持っといてくれよ」
「それがいい、わ」
「分かりました」
気を遣ってくれてるのかな? と不審に思いながら魔晶石をポーチにしまう。
「あたしらはあっちで待ってるよ」
「今日は甘いものが食べたい、わ」
「念のために言っておくけど、割り勘だよ」
「分かっている、わ」
フランが歯を剥き出して言うと、グリンダは拗ねたように唇を尖らせた。
優は2人の遣り取りにほんわかしながら受付に向かった。
「いらっしゃいませ、冒険者ギルドにようこそ」
「こんにちわ」
優は頭を下げつつ、リュックをカウンターに置く。
エリーはリュックから魔晶石を取り出すと小さく溜息を吐いた。
溜息を吐くなんて珍しいこともあるものだ。
「どうかしたんですか?」
「いえ、何でもありません」
エリーは弱々しく微笑んだ。
ふと先日のことを思い出した。
あの時、彼女は冒険者の死に心を痛めていた。
「……亡くなっている方、多いんですか?」
「簡単な仕事を勧めているんですが、いきなり森に行く人が多くて」
エリーは再び溜息を吐いた。
気に病む必要はないと思うが、以前言っていたようになかなか割り切れないのだろう。
「はい、じゃあ、査定が終わったら呼びに行きますね」
「……よろしくお願いします」
エリーが沈んだ空気を吹き飛ばすように明るい声で言い、優は頭を下げてフランとグリンダのいるテーブル席に向かった。
「お疲れさん、ユウの豆茶は頼んでおいたよ」
「ありがとうございます」
優はグリンダの隣に座り、豆茶で喉を潤した。
「何かあったのかい?」
「駆け出し冒険者の死亡率が高すぎてエリーさんがへこんでます」
「悩んだって仕方がないだろうに」
にべもないとはこのことか。
フランは頬杖を突き、ぼやくように言った。
「悩むくらいなら新人教育を徹底すべき、ね」
グリンダはアイスを食べ、こめかみを押さえた。
「やるべきことが分かっているのにそれをしないのは怠惰というもの、よ」
「エリーさんに言っちゃダメですよ?」
「これでもTPOは弁えているつもり、よ」
グリンダはウェハースを食べ、幸せそうに口元を綻ばせた。
「で、ユウはどうするんだい?」
「何がですか?」
「駆け出し冒険者の件に決まってるだろ」
フランは会話の流れを読めと言わんばかりに顔を顰めた。
エリーのために、ひいては駆け出し冒険者のために何かをする気があるのか問いたいのだろう。
「……ボランティアはちょっと」
元の世界にいた頃はボランティアに対して憧れに近い感情を抱いていたが、そんな感情は薄れている。
この世界で自活するようになってお金や時間に対する感覚が変わったからだろう。
ボランティアをする人は凄いんだ、と感心させられる。
「フランさんが僕を邪険に扱ってたのって、こういうことだったんですね」
「ま、まあ、そういうことだよ」
フランは気まずそうに視線を逸らした。
「力や知恵を得るためには代償が必要だも、の。他人が代償を払って手に入れた力を無償で使おうとするのは虫がよすぎる、わ」
「そうですね」
優はグラスに手を伸ばすと、エリーがやって来た。
「査定が終了しました。5万ルラになります。3人で分けると――」
「1万6666ルラは個人口座、2ルラは共用口座でいいかい?」
フランがエリーの言葉を遮って言った。
「僕はそれでいいです」
「私もそれで構わない、わ」
「そういうことでよろしく」
「かしこまりました」
エリーは一礼すると受付に戻った。
「茶を飲み終えたら家に戻るかねぇ」
「バーミリオンさんの所に行きたい、わ。付き合っ、て」
グリンダは優の袖を掴んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
夕方、優達が店に戻ると、閉店と書かれたプレートがドアノブにぶら下がっていた。
「ただいま~」
「お帰りなさい、御主人様!」
優が店に入ると、ベスは駆け寄ってきて、くるりと尻尾を回した。
疲れているのか、普段に比べて動きが鈍い。
「あ~、疲れた」
「壊れた杖を取りに行ってくるから待って、て」
フランとグリンダは優の脇を擦り抜けていく。
スカーレットの姿は見えないが、夕食の準備をしているのだろう。
「ベスさん、ダブルワークがキツいんですか?」
「そんなことはないけど、どうして?」
ベスは小さく首を傾げた。
「尻尾の振りが今一つでした」
「そうかしら?」
ベスはお尻を突き出して、くるん、くるんと尻尾を回す。
思わず触りたくなる見事なお尻、もとい、尻尾である。
よくよく思い出してみると、女性冒険者は見事なプロポーションの者が多い。
多分、自然と体が鍛えられるのだろう。
「ダブルワークがキツいならグリンダの店1本にしてくれると嬉しいです」
「辞めろじゃないのね?」
「強要するのはちょっと」
ベスが冒険者として培った知識と経験は確かだし、腕の方もそれほど衰えていないだろう。
「う~ん、ホントにそういうんじゃないの。けど、うち1本にしてくれると嬉しいって言葉はありがたく受け取っておくわね」
「じゃあ、何か気になることでもあるんですか?」
う~ん、とベスは唸った。
「うちの宿に駆け出し冒険者が泊まってるのよ。これがどうしようもない子で、人がアドバイスしてあげてるのに言うことを聞かないの」
ベスはお手上げと言うように肩を竦めた。
「安宿に行った時に鉢合わせした人ですか?」
「まあ、そう」
ベスはバツが悪そうに頭を掻いた。
冒険者ギルドで彼の名前を聞いたような気がするのだが、何という名前だっただろう。
「その子が……リズって娘に入れ込んじゃって」
「何か問題でもあるんですか?」
「勇者様とか言われて、その気になってるみたいなのよね」
ますます何が問題なのか分からない。
優が分かっていないことに気付いたのか、ベスは苛立っているかのように眉根を寄せた。
「駆け出しが娼婦に入れ込んでどうするのよ、って話」
「ああ、なるほど」
「分かってないって顔ね」
ベスは不満そうに唇を尖らせた。
仰る通り、何処が問題なのか分からない。
もちろん、娼婦を買うことが倫理的に好ましくないのは分かる。
娼婦に入れ込んで身を持ち崩すことが好ましくないことも分かる。
だが、それも含めて彼の決断なのだから尊重すべきだと思う。
まあ、優は周囲に自重を促されながらフランに干渉したが。
「若者がダメな方に進むのを食い止めたいという気持ちは分かりました」
「どうしたらいいかしら?」
「ベスさんがしたいようにすればいいと思います」
放っておけばいいんじゃないですか? という言葉をぐっと堪える。
相談の体裁を取っているが、ベスは後押しが欲しいのだ。
放っておけばいいなんて台詞を口にすれば機嫌が悪くなるのは目に見えている。
「余計なお世話って言われないかしら?」
「今更って気はしますけど」
アドバイスをしている時点で余計な世話を焼いているのだ。
今更、遠慮してどうすると言うのか。
「僕はフランさんに自分の都合をガンガン押し付けましたよ」
「そこまでするつもりはないのよね」
「結局の所、本人次第なんですからアドバイスしたり、ちょこっと便宜を図ってあげたりするくらいで十分なんじゃないですか?」
「それもそうね。ちょっと難しく考えすぎてたみたい」
ありがと、とベスはスカートを摘まんで礼を言った。
グリンダが壊れた杖を持って戻ってきたのはそんな時である。
「お待た、せ。行きま、しょ」
「は、はい!」
グリンダが目の前を通り過ぎ、優は慌てて後を追った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
優達が店に入ると、バーミリオンはカウンターで分厚い革の装丁の本を読んでいた。
老眼なのか、メガネを掛けている。
「坊主、今日は何のようだ?」
バーミリオンは本を閉じ、ギロリとこちらを睨み付けた。
これもツンデレの一環だと思えば悪くない。
「グリンダさんの杖が壊れたので、修理できるのか確認に来ました」
「見せてみろ」
「グリンダさん?」
「……は、い」
優はグリンダに渡された杖をバーミリオンに差し出した。
「これは俺が作った杖の中でも出来がいいんだが、何をすればこんな風に壊せるんだ?」
「よろし、く」
グリンダは優の肩を指で突き、ボソボソと呟いた。
「村を泥沼と土壁で囲んだんです」
「地形操作の魔法か。魔力の許容量を超えちまったんだな」
バーミリオンは悔しげに呻いた。
自分の杖が使用者の力量について行けなかったことにプライドを傷付けられたようだ。
「直せますか?」
「直せるが、また同じことが起きちまうぞ。この際、新調したらどうだ?」
「気に入っていたのだけ、ど」
「俺は使用者に寄り添えるものをと思って武器を作ってる。その武器が使用者の足を引っ張っちまうんじゃ本末転倒だ。だから、こいつはここまでなんだよ」
バーミリオンは愛おしそうに壊れた杖を撫でた。
「どうしますか?」
「下取りはしてもらえるのかし、ら?」
「台無しですね」
優が言うと、グリンダは不思議そうに首を傾げた。
「大した額にゃならねぇぞ」
「それで構わない、わ」
バーミリオンは小さく溜息を吐いた。
「……新調か」
優は小さく呟き、壁に飾られた武器を見つめた。
その中には杖もあるが、壊れた杖よりも高品質な物はない気がする。
「坊主、気になる杖があったか?」
「どれもこの杖には及びませんね」
ほぅ、とバーミリオンは感嘆の声を漏らした。
「大した眼力だ。冒険者なんざ辞めて、武器商人になった方がいいんじゃねぇか?」
「武器の善し悪しが分かる程度じゃ無理ですよ」
優は苦笑した。
商人になるためには目利きだけではなく、知識と交渉力も必要だろう。
「そりゃそうだな」
ガハハッ、とバーミリオンは豪快に笑った。
「もっといい杖はないんですか?」
「少し待ってろ」
バーミリオンは工房に消え、長細い箱を持って戻ってきた。
恐らく、この中に杖が入っているのだろう。
「早く開け、て」
「そう急かすな」
バーミリオンが蓋を開け、優は大きく目を見開いた。
箱に収められていたのは金属で補強された木の杖だった。
木の部分は驚くほど白く、金属部分は白銀、いや、わずかに青みがかっている。
金属の表面には電子回路を思わせる紋様が彫られ、鉤爪状になった先端部分には漆黒の球体が嵌まっている。
「……触って、も?」
「ああ、構わねぇ」
グリンダは遠慮なく杖を握り、具合を試すように構える。
こんな乱暴に使われると考えていなかったのか、バーミリオンは目を白黒させている。
「き、木の部分はシルバー・オークで作った」
「シルバー・オーク?」
「地神に創造されたと言われる大樹だ。魔力の伝導率がすこぶるいい」
優が鸚鵡返しに尋ねると、バーミリオンはチラチラと杖を見ながら答えた。
「金属部分は魔法銀とも違うように見えますが?」
「そこは
「オリハルコン!?」
「や、やけに食いつきがいいな」
思わず叫ぶと、バーミリオンはびっくりしたように後退った。
「オリハルコンですよ、オリハルコン!」
「滅多に流れてくるもんじゃねぇけどよ」
訳が分からないと言わんばかりの態度だ。
「オリハルコンとアダマンタイトは男のロマンですよ」
「ロマンって言われてもな」
バーミリオンはボリボリと頭を掻いた。
「もしかして、オリハルコンやアダマンタイトってそんなに珍しくないんですか?」
「滅多に流れてくるもんじゃねぇけど、全く流れてこねぇってもんでもねぇよ」
「また、微妙な表現を……」
優は小さく呻いた。
どうやら、オリハルコンやアダマンタイトは稀少なものの、流通しているようだ。
「流通してるって聞くと、ありがたみが薄れますね」
「俺にとっちゃ普通の素材なんだがなぁ」
バーミリオンは頭を掻き、ぼやくように言った。
「それで、どうするんだ?」
「頂く、わ」
グリンダは自分の物だと言わんばかりに杖を抱き締める。
「代金は自分で払って下さいよ?」
「え?」
「自分でお金を稼げるようになったんだから当たり前じゃないですか」
「……」
グリンダはふて腐れたように唇を尖らせた。
「そんな顔をしてもダメです」
「共有口座か、ら」
「ダメです」
「……分かった、わ」
即答すると、グリンダは渋々という感じで頷いた。
「いくらかし、ら?」
「杖を下取りして……1万ルラだな」
「高い、わ」
「不満なら他所に行きな」
取りつく島もないとはこのことか。
まあ、これだけの杖を値切ろうとするグリンダの方が間違っているのだが。
「……買う、わ」
グリンダは財布から金貨を取り出し、カウンターに置いた。
「どうして、そんなに持ち歩いているんですか?」
「本を買うつもりだったの、よ」
「収入の半分までって約束しませんでしたっけ?」
「個人口座には75万ルラ以上残っている、わ」
どうやら、財産の半分まで本代――研究に費やしていいと思っているようだ。
「いざという時のために倹約を忘れないで下さいね?」
「今がその時、よ」
人生で1度は言ってみたい台詞だが、このタイミングで言っていいのだろうか。
バーミリオンは金貨を数え、カウンターの下に放った。
ガシャンという物々しい音が響く。
ぞんざいにお金を扱っているように見えたが、カウンターの下には金庫が隠されているようだ。
「これで取引成立だ。その杖はおめぇのもんだ」
ええ、とグリンダは大事そうに杖を抱き締めた。
「帰りま、しょ」
「分かりました」
優はグリンダに手を引かれて歩き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
優達が家に帰ると、食欲をそそる匂いが鼻腔を刺激した。
「ただい、ま」
「帰りました~」
「お帰りなさい。お客さんがリビングで待ってるわよ」
玄関で靴を脱いでいると、スカーレットがダイニングから顔を出して言った。
「お客さん?」
「冒険者ギルドの受付嬢よ」
そう言ってくれればいいのに、と心の中でぼやきながらリビングに入る。
フランとエリーが向かい合うように座っていた。
「エリーさん、お疲れ様です」
「ユウ君、お帰りなさい」
「ナイスタイミングだよ」
フランがソファーの端に寄り、優は中央に座った。
さらにグリンダが隙間を埋めるように座った。
少し狭く感じたので前に出ると、グリンダが領地を広げた。
あまりに露骨な侵略だが、文句は口にしない。
「どうかしたんですか?」
「実は……皆さんに折り入って相談があるんです」
「そんなもったいぶらずに火焔羆の討伐を依頼しに来たって言えばいいじゃないか」
「くっ、こういうことは段取りが大事なんです」
フランが言うと、エリーはムッとしたように顔を顰めた。
「今日は皆さんに火焔羆の討伐をお願いしたくて来ました」
「そう言えば掲示板に貼り出されてましたね」
ダンジョンを探索した方がお金になるので、言われるまで忘れていたが――。
「他の冒険者は?」
「今、ベテラン冒険者はゴブリンが大量発生した件の後始末で出払っているんです」
そうだっただろうか? と優は内心首を傾げた。
確かに人気はなかったが、ベテラン冒険者が全員出払っていたようには見えなかった。
「エリー、正直にベテラン連中に断られたって言いないよ」
「……実はそうなんです」
エリーは深々と溜息を吐いた。
「ま、火焔羆は近隣で最強のモンスターだからねぇ。しかも、手負いで人間の味まで覚えてるときてる。普通は断るさ」
「手負い? 人間の味を覚えてる?」
「駆け出しが冒険者ギルドを通さずに討伐に行って返り討ちに遭ったんだよ」
「……なるほど」
冒険者ギルドを通さなくても倒せば討伐報酬をもらえると考えたのだろう。
自業自得と言えば自業自得である。
まあ、要するに危険なモンスターを退治したいが、引き受けてくれる冒険者がいないので、交渉の余地のある優達の所に来たということだろう。
「で、どうするんだい?」
「僕は引き受けてもいいと思いますよ」
他の冒険者が断っているくらいだから引き受けるメリットはないのだろう。
だが、ここれ冒険者ギルドに恩を売っておくのも悪くない。
「流石、ユウ君です!」
嬉しそうなエリーの姿に罪悪感を刺激される。
「悪ぶるのは止めた方がいい、わ。向いていないも、の」
「そうですか?」
「そう、よ。フラン、よろしく頼むわ、ね」
「あたしは向いてるってのかい!?」
グリンダが視線を送り、フランは声を荒らげた。
「貴方向けの案件、よ」
「ったく、アンタもユウの陰に隠れてないで交渉ごとの一つもこなしてみなよ」
「適材適所、よ」
チッ、とフランは舌打ちした。
「で、アンタはどう思うんだい?」
「そう、ね。引き受けてもいいと思う、わ。新しい魔法を試してみたい、し」
「仕方がない。引き受けるか」
フランは小さく溜息を吐いた。
「ありがとうございます」
「報酬の話がまだだよ。いくら払えるんだい?」
「……1万ルラです」
「1万ルラ?」
エリーが申し訳なさそうに言い、フランは顔を顰めた。
言い方も『1万ルラァ?』である。
あんまりと言えばあんまりな態度だ。
「人間の味を覚えた火炎羆と戦おうってんだよ? もう少し色を付けてくれてもバチは当たらないだろ?」
「冒険者ギルドとしてはこれが精一杯です」
エリーは呻くように言った。
「他にも雇う冒険者がいるので、これ以上は出せません」
「だったら、そいつらに頼みなよ」
「まだまだ駆け出しの冒険者なんです」
「へ~、誰だい?」
「メアリさんとアンさん、ボニーさんです」
「ったく、あの3人……いや、あの娘は、かね?」
今度はフランが呻く番だった。
「どうして、その3人なんだい?」
「狩人が必要だったんです」
「納得したよ。あたしらが断ったら3人でってことかい?」
「ギルドはそこまで無謀じゃありませんよ。他の冒険者チームと組んでもらうことになります」
「他って言ってもベテランはいないんだろ」
「……」
エリーは無言だ。
優達が依頼を断れば駆け出しが投入されるということだろう。
「引き受けて頂けますか?」
「はいはい、分かったよ」
フランは何処か投げやりな口調だった。
自分達が引き受けなければ駆け出しが投入されると分かったからこその態度だ。
「最近のフランさんは交渉が楽で助かります」
「生活に余裕ができて角が取れたの、よ」
「好きに言っとくれ。アンタらに何を言われてもあたしは平気だよ」
そう言って、フランは優を抱き寄せた。