Quest16:ダンジョン探索の準備を整えよ
文字数 7,002文字
◆◇◆◇◆◇◆◇
優とフランはいよいよダンジョンに挑むことになったのだが――。
「では、こちらの文章を読んで署名して下さい」
エリーは細かな文字で埋め尽くされた書類を差し出してきた。
フランは文章を読まずに署名をしていた。
「……きちんと規約を読みましょうよ」
「あたしは何度も目を通してるんだからいいんだよ」
うっかり他人を信じたせいで村娘から奴隷に転落したくせにこの警戒心のなさは何なのだろうか。
僕がしっかりしなくては、と優は規約に目を通す。
ダンジョンコアを破壊してはならないとか、ダンジョンで採集した魔晶石、鉱石、その他は冒険者ギルドが買い取るとか、ダンジョン内で冒険者の遺体を発見した時は認識票を持ってくることとか、書いてある。
「どうしても売りたくなかったらどうするんですか?」
「ギルドに報告してくれれば構いません。何でもかんでもこちらの言い分を通そうとしたらやる気に影響しますから」
ただし、とエリーは人差し指を立てた。
「ダンジョンコアの破壊だけは絶対に止めて下さい」
「街が滅びたんでしたっけ?」
「そうです。今の人間種には鉱山を開発してもそれを維持するだけの力がありません。特に街は魔晶石に依存している部分が大きいので、ダンジョンがなくなれば数千、数万の人々が死ぬことになります」
エリーは凄むように身を乗り出した。
「もし、ダンジョンコアを破壊したら?」
「死刑です」
エリーはニッコリと笑った。
「いえ、私刑になる方が早いかも知れません。もし、運よく逃げ果せたとしても大量虐殺者の汚名を生涯背負って、人生の裏街道を突き進むことになります」
「まあ、それくらいはされますよね」
優は書類に自分の名前を書き、エリーに渡した。
「はい、確かに頂きました。明日の朝までには通行証を用意しておきますので、出発前にギルドに寄って下さいね」
「よろしくお願いします」
一礼して立ち上がると、エリーが口を開いた。
「ユウ君、初めての探索で緊張するのは分かりますが、無茶をしちゃダメですよ。ダメだと思ったら逃げて下さい。約束ですよ?」
「約束します」
優は即答した。
この世界に来た初日に死にそうな目に遭っているのだ。
安全マージンをたっぷり取り、ダメだと感じる前に逃げ出すつもりだ。
「フランさん、ユウ君のことをお願いします」
「言われなくてもキチンと守ってやるさ。行くよ、ユウ」
優はフランに促されて歩き始めた。
この後はグリンダの店に寄って探索に必要なマジックアイテムを購入するつもりだ。
マジックアイテムを購入した後は安宿で2日分の食料を譲ってもらい、フランと打ち合わせした後で早めに休息を取る。
そんなことを考えていると、腕に軽い衝撃が走った。
メアリが優の腕にしがみついてきたのだ。
「ユウ!」
「……メアリさん」
名前を呼ぶと、メアリは不満そうに唇を尖らせた。
「私もユウって呼んでるから、メアリでいいよ」
「あ、うん、メアリ」
改めて名前を呼ぶと、メアリは優から離れて恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「名前で呼んでもらうのって照れるね」
「そ、そうだね」
ふと視線を感じて振り向くと、フランが苦虫をダース単位で噛み潰したような表情で仁王立ちしていた。
怖い。
これほどの恐怖はオーガと対峙した時でさえ感じなかった。
思わず脱糞してしまいそうだ。
しかし、メアリはフランのことなどお構いなしに優に擦り寄ってきた。
彼女のハートは鋼で出来ているのかも知れない。
「ユウは凄いな。冒険者になってから1ヶ月かそこらでダンジョンを探索するんだもん」
「偶々だよ」
「そんなことないよ。ユウの実力だよ」
実力の部分がやけに印象的だった。
そう言われてみると自分には実力があるのではないかという気がしてくる。
「……私もダンジョンに行きたいな」
「行けばいいんじゃない? 申請すればただで入れるんだし」
むー、とメアリは拗ねたように唇を尖らせた。
どうやら、選択肢を間違えてしまったらしい。
右クリック、右クリック、クイックロード、クイックロード――心の中でマウスを操作してもセーブデータは表示されない。
当たり前だ。
ゲームっぽい要素があるとは言え、この世界はノーセーブ、ワントライが基本なのだ。
「ユウ、そんなのに構うんじゃないよ」
「フランさん、そういう言い方はないと思います」
牽制しているつもりなのか、フランは優を抱き寄せた。
輝く指輪を見て、メアリの顔が強張る。
フランは勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「私はユウと話してたんですけどぉ?」
「そうかい? じゃあ、ダンジョンから戻ってきてからにしとくれ。これからあたしらは探索の準備をしなきゃならないんだ」
行くよ、とフランは優の肩を抱いて歩き始めた。
「……自分は何もしてないくせに偉そうに」
メアリの声が背後から響き、フランの手に力がこもる。
フランを見上げたが、涼しい顔をしている。
フランは優の肩を抱いたままギルドを出て――この前と同じようにしばらく歩いた所で手を放すと塀に蹴りを入れた。
「カーッ、ムカつくガキだね! 親の顔が見てみたいよ!」
フランが蹴りを入れるたびに塀の一部がパラパラと落ちてくる。
「ガキのくせに色目を使いやがって、そんな前だか、後ろだか分からないものを押し付けられて誰が喜ぶってんだい!」
僕が喜んでました、と心の中で告白する。
心の声は素晴らしい。
誰にも聞こえず、誰も傷付けることがないのだから。
「ユウ! アンタもアンタだよ! 優しい顔をするからガキがつけあがるんだよ!」
「……は、はぁ」
「その返事は何だい! もっと毅然とした態度を取りな!」
フランさんみたいに生きられたら楽だろうな~、と思うが、そんな風に生きられなかったから今の自分があるのだ。
今の優にできることは毅然とフランに物申すことではなく、這いつくばって嵐が過ぎるのを待つことだけだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
今日も今日とて魔道士ギルドには煙が立ち込めている。
妙に落ち着く匂いだが、主成分が何なのか非常に気になる。
麻薬の類ではないと思いたいが、妙に気怠そうなグリンダを見ているとダウナー系のドラッグではないかという不安が湧き上がってくる。
「いらっしゃ、い。今日はどんな用件かし、ら?」
「ダンジョンに潜ることになってね。その買い出しだよ」
「予算はどれくら、い?」
グリンダは読んでいた魔道書を閉じ、カウンターに身を乗り出した。
いや、胸をカウンターに載せたと言うべきか。
何故、彼女が着ている服はピッチリとしているのだろう。
もう少し余裕があれば山頂を拝むことができるかも知れないのに。
「6800ルラです」
「
「回帰?」
「指定の場所に転移できる魔法のこと、よ」
「じゃあ、それ……」
「ちょいと待ちな」
フランが割って入り、優の言葉を遮る。
「何か問題で、も?」
「使用回数と金額を言ってないだろ」
「そう、ね。うっかりしていた、わ。使用回数は1度、値段は1000ルラ、よ」
「じゃあ、それをください」
「アンタは何を考えてるんだい?」
「1000ルラで命を拾えるなら安いもんじゃないですか」
1度しか使えなくても絶体絶命のピンチ――モンスターに包囲されたり、強いモンスターに追い詰められたりしている状況から抜け出せるのならば安いものだ。
しかし、フランはそう考えていないらしく渋い顔をしている。
「毎度あ、り」
優が2000ルラ渡すと、グリンダは銀指輪を2つ取り出した。
「起動詞はジョア・ヌック・ラック、よ」
「どういう意味ですか?」
「意味はない、わ。意味のある単語だと誤って起動してしまう恐れがあるから無意味な言葉を使った、の」
なるほど、と優は指輪を填めた。
流石はマジックアイテムと言うべきか、指に填めた次の瞬間、ピッタリのサイズに変わった。
「はい、フランさんの分です」
「……」
フランは指輪を受け取ると自分の指に填めた。
「焼夷、電撃、氷結、閃光のマジックアイテムをおくれ」
「合わせて2000ルラ、よ」
フランが目配せしてきたので、グリンダに代金を渡す。
すると、カウンターの下から赤、緑、青、白のビー玉のような物を取り出した。
「結構、高いんですね」
「高い上に使い捨てときてるから嫌になるよ、まったく」
フランは溜息を吐き、マジックアイテムをポーチに入れた。
「
「でも、お高いんでしょ?」
「1本500ルラ、よ。飲んでも、振りかけても効果がある、わ」
流石、マジックアイテムだ。
飲んでも、振りかけても効果がある傷薬とはデタラメもいい所だ。
「封を開けなければ薬効は1年持続するわ」
「じゃあ、できるだけ製造年月日が新しいヤツを4本ください」
面倒だったのか、グリンダは水薬の入った籠をカウンターに置いた。
栄養ドリンクのような瓶に日付の書かれた紙が貼ってある。
1つ1つ手に取り、製造年月日の新しいものを選ぶ。
2本を自分のポーチに、残る2本をフランに渡す。
「
「神殿のポーションは高いんだよ。その分、効果は高いけどね」
「だから、魔道士ギルドが安い水薬を作ったの、よ」
それで
その間にグリンダは下位治癒水薬の入った籠をカウンターの下に戻した。
「
「フランさん、必要ですか?」
「対毒薬と対麻痺薬なら1本ずつ持ってるよ」
「対麻痺薬を1本ください」
「……ちょっと試したいことがあるのだけれ、ど」
「何をですか?」
グリンダは杖を手に取り、呪文を詠唱し始めた。
「天壌無窮なるアペイロンよ、照らせ照らせ光明の如く、我を照らす光となれ! 顕現せよ、光明(ライティング)!」
「ぎゃぁぁぁぁっ! 目が、目がぁぁぁぁ!」
杖の先端が閃光を放ち、優は網膜を焼かれる痛みにのたうち回った。
「天壌無窮なるアペイロンよ、誘え誘え砂男の如く、彼の者を深き眠りに誘え! 睡眠!」
急激な眠気が押し寄せ、優の意識は闇に呑まれた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
営業時間外ということもあり、安宿の食堂にいるのは優、フラン、巨乳ウェイトレスの3人だけだ。
優はテーブルを挟んでフランと向き合っていた。
「うう、酷いや」
「あたしに言われてもねぇ」
フランはボリボリと頭を掻いた。
「けど、新しい魔法とスキルを習得できたんだ。それでよしとしな」
「……そうですけど」
優は認識票を見つめた。
タカナシ ユウ
Lv:2 体力:** 筋力:2 敏捷:4 魔力:**
魔法:仮想詠唱、魔弾、炎弾、氷弾、泥沼、水生成、地図作成、反響定位、敵探知
魔力探知(マナ・サーチ)
スキル:ヒモ、意思疎通【人間種限定】、言語理解【神代文字、共通語】、
毒無効、眩耀無効、麻痺無効
新しいスキルは眩耀無効と麻痺無効だ。
眩耀とは聞き慣れない言葉だが、要するに目眩ましのことらしい。
魔法は魔力探知だ。
魔力を探知できるようになる魔法だが、これはグリンダのオリジナル魔法らしい。
と言うのも魔道士は魔力を探知できるため、こんな魔法は必要ないそうだ。
グリンダは優のような促成魔道士を量産するつもりなのだろうか。
「いや、それにしてもグリンダが
ハッハッハッ~! とフランは笑った。
きっと、優がビクビクする姿を笑いながら見ていたに違いない。
「グリンダもやり過ぎたと思ったのか、魔力探知をプレゼントしてくれたって訳さ」
「そう思うんなら人体実験は止めて欲しいです」
魔道士には目的のために手段を正当化する人間しかいないのだろうか。
だとしたら、優が魔道士になるのは無理だ。
「さて、冗談はここまでにして……ダンジョン探索の計画を煮詰めようか。あたしが前衛、ユウが後衛だ、以上!」
「大雑把すぎますよ!」
せめて、基本方針を決めて欲しい。
「じゃ、ちょいと細かく言うよ。あたしらの基本方針は命大事に、だ。戦闘が終わるたびに互いの状況を確認して、水薬を1本使ったら引き上げる。はぐれた時は帰還のマジックアイテムを使う。これでどうだい?」
「いいと思います」
最初の発言は一体なんだったのだろう。
「……あ」
「何か気になることがあったかい?」
「上層階にはどんなモンスターがいるのか教えて欲しいんです。 あ、あとできれば弱点も」
「そうだね。あたしが知っているのは――」
フランは腕を組み、ゆっくりと説明を始めた。
その日は食堂の席が客で埋まるまで作戦会議を続けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……よし、ギルドマスターの署名があるな。行っていいぞ」
フランが通行証を見せると、衛兵は素直に道を譲った。
何か問題が起きるのではないかと心配していたのだが、杞憂に過ぎなかったようだ。
驚くほどスムーズな出だしだ。
冒険者ギルドでも順番待ちをすることなく、許可証をもらえた。
「ユウ、行くよ」
「はい、フランさん」
優はフランの後を追い、円筒状の建物――城砦の中を進む。
光が見える。
城砦から出ると、この世界に来た時と同じようにダンジョンの入口はぽっかりと口を開けて待っていた。
「ユウ、魔法を」
「術式選択、地図作成、反響定位、敵探知」
魔法が起動し、地図が視界に表示される。黄色の三角形は表示されない。
ダンジョンには敵探知が通じないのか、とドキドキしながら坂道を下りていく。
突然、黄色の三角形が表示された。
優はホッと息を吐き、あることに気付いた。
まだダンジョンに入ったばかりなのに地図の何割かが埋まっているのだ。
「フランさん?」
「ああ、地図のことだろ」
フランは思案するように腕を組んだ。
「アンタが歩いた場所にしちゃ広すぎる。ってことはあたしが過去に歩いた場所が表示されてるってことだ」
「地図の縮尺を変えますね」
フランは優が地図の縮尺を変えている間も油断なく槍を構えている。
ダンジョンではモンスターが湧いて出る。
その時、すぐに息の根を止めるためだ。
「見た所、3割くらい埋まってますね」
「どうして、3割って分かるんだい?」
「そりゃ、分かりますよ。ダンジョンとそうでない空間は色が違いますから」
ダンジョンの未探索部分は藍色、ダンジョン周辺は黒く表示されている。
「ああ、確かに色が違うね。それにしても7割もあるのかい」
「どうしますか?」
「第1階層は流して行こうと思ってたんだけど、未探索の領域が7割もあると知っちまうとね」
フランは歯切れが悪い。
ダンジョンの上層は同業者によって荒らされている。
それが彼女の認識だったはずだが、未探索の領域が7割もあるとは考えていなかっただろう。
もし、彼女だけではなく、他の冒険者も3割程度しか探索をせずに下の階層に移動していたのならば儲けるチャンスは残っている。
「魔力探知で魔力の分布状況を確認するのはどうでしょう?」
「荒らされていない領域とそうでない領域をどう見分けるんだい?」
「それは簡単ですよ」
ほら、と優は天井を指差した。
そこには根元からへし折られた魔晶石がある。
これは推測に過ぎないが、破損した魔晶石と完全なそれでは魔力量に変化があるのではないだろうか。
う~ん、とフランは唸った。
1階層の魔力分布を調べるためには少なくない魔力――総量の1割を消費する。
そこまでして魔力の分布状況を確認する必要があるのか悩んでいるのだろう。
ダンジョン初挑戦の優はフランに従うのみである。
「幸い、ここは入口だ。魔力が回復するまで地上に戻れば大丈夫かね……よし、やっとくれ!」
「術式選択! 魔力探知×100!」
MPが89%まで低下し、地図が薄い水色に染まる。
ダンジョンの9割ほどが薄い水色だが、残る1割は濃い水色だ。
と言っても1割の領域がそのまま残っているのではなく、気象レーダーのようにモザイク状になっている。
「1カ所だけ大きいのがあるね」
入口の反対側――文字通り、ダンジョンの端に濃い水色の領域が残っていた。
それだけで濃い水色の領域の半分を占めるだろうか
「どうしますか?」
「もちろん、行くさ。けど、その前に休憩だよ」
フランは坂道を登り始めた。