第69話 火と犬。
文字数 4,987文字
火の化身アチャは、強かった。
光の化身イトラに選ばれ、力を与えられたポチですら
当然といえば当然の話だ。神に与えられた「源」の力を持ち、世界にある4つの大陸の内一つを司る「化身様」人間が敵うはずがない。
土の化身ダッドにしたって、ポチが圧倒できたのはあくまでそれが「一部」だったから。今この場にいる
そんなこと、ストレも初めから知っていた。
だけど、自分より遥かに強いポチの力を見て、一部とはいえ化身を圧倒する姿を見て、勇気づけられたのも事実なのだ…直後に、こんな一方的な事態に追い込まれるとは思いもよらなかった。
ストレは体の痛みで声を漏らす。
アチャとの戦いが始まってからまだ10分と立っていまい。
左腕と両太ももに軽度の火傷と切り傷、先程喰らった攻撃で頭部を打ち付け足元もおぼつかず――しかし、補助行動が主な彼女より、直接対峙しているポチのダメージはより深刻だった。
千切れた右腕を咥え、くぐもった声で、元気よく吠える。
既にこれで3度めの裂断だ。
持ち前の回復能力でどうにか保たせているが、今までの負傷、常人ならば百回は死ねる量を貰っている。
右腕が2回・左腕が1回切り離され、その度戦いの流れは止まったが、アチャは追撃をしなかった。
意地悪い笑顔を浮かべ、挑発的に両手を叩くアチャ。
彼は実力差を見せつけ、残虐な遊びとしてこの場を楽しんでいた。
今ポチが咥えている腕も、アチャがちぎり取り投げ返してきたのだ。
犬に枝を投げて遊ぶように。
それでもポチは
なったところでどうにかなるとは、ストレも思っていないだろう。
しかし、残酷な光景をこのまま繰り返すわけにもいかない、彼は仲間だ。
先程まで、ただただ前進を続けるポチに合わせて、攻撃を重ね補助することに思考が精一杯だった。
強大な敵との戦いに勝つために。
だが、負った怪我と見せつけられた戦力差のせいで、体が自由に動かず脳みそは、どう生き延びるかしか考えられない。
ただただ前進するポチを見て、ただただ退路を探し出そうとするストレ。
アチャに立ち向かう気持ちなど、とっくに消えていた。自分より遥かに強い犬がこれ見よがしに「わからされ」続けているのだから。
絶望的状況で逃げの思考に引き込まれていたストレに向かい、体半分を黒ずませ、焼け焦げた匂いをただよわせて。
今度の攻撃も、火の化身にやすやすと受け流されたのだ。
ストレがポチからの提案をすぐに否定できなかったのは、生き延びたいという怯えからではない。
頭を巡る逃亡計画は、初めから「2人で。」が絶対条件。
言葉に詰まった理由は、ただポチの顔に見とれてしまったからだ。
ポチの半分焦げた顔がみるみる元の肌に戻っていく、驚くべき再生力だが、異様なのはソコでは無い。
ナナ達と二手に別れ、馬を駆けてからずっと…彼はずっと笑っていた。
今こんな状況でも、なおのこと嬉しそうに、心の底から楽しそうに。
突然、人語をしゃべり始めたポチ。
彼の感情がわからず戸惑うストレ。ポチはタチがこの場に居なくても楽しそうだった。
打開する作があるとも、生き延びるすべがあるとも思えない。
もう二度と、愛しのご主人さまに会えないかもしれないと言うのに、ポチは楽しそうだった。
一度口を開いたら
自らの中から何かが溢れさせるように、大きく口を開き、ポチはこの場に居ない誰かに向かってしゃべり続けた。
天を仰ぐ。
そのままの行為を、そのままの姿でポチはした。
犬として。
全身で喜びを表現しながら、体の一部を猛らせたポチ。
なだめようとするストレの言葉は、もちろん彼の耳に届いていない。
アチャは苛つきながらポチを罵倒した。
戦い始めてからずっと、アチャはどんな攻撃を受けようとも、薄ら笑いを浮かべていたのに。
今までにない怒りの感情が表に出る。
大きく吠えて、ポチは走った。
まるで自らの意思ではなく、誰かの力で動かされているような、不自然で突飛な動きで。
バチン!
黒々としたポチの剣が、アチャの右手と交差する。
今までと同じ、その先にまで刃は届かない。
はずだった。
ありえない軌道でポチの刃が剣筋を引き、アチャの体に黒い傷がつく。
人間のえがけない、アチャの予想外の
ポチの込めすぎた力で
自らの力だけではなく、誰かの力で作り出した攻撃が。
予想外の攻撃をくらい多少のダメージを負ったものの、アチャは怯むことなく反撃する。
ポチの体に燃える拳がめり込み、胴にめり込んだ。
腕一本。きれいにアチャの右腕がポチを貫く。
問に答えることなく、怒りと同じく熱量を上げるアチャ。
ポチの再生能力と、火の化身の燃える体がつながって黒い煙を異音と共に発生させる。
望んだ返事を貰えなかったポチは、胴を燃える腕に貫かれたまま、楽しそうにストレの方へと顔だけ向ける。
とても、異様な光景がそこには広がっていた。
完全にどうかしている瞳をまっすぐと向けられ、唖然とするしかないストレ。
この状況でも、自身の中に湧き上がる衝動に身を
ゴン!
アチャは苛立ちを増し、怒りに任せてポチに頭突きを加えた。
体に食い込んだ黒い刃をものともせず、貫いた腕を軽くねじり、ポチに痛みを与えてどちらが上かをわからせようと。
ポチも負けずと、重なり合った額を押し返し、額からも黒い煙をあげさせた。
バコン!!
合わさった頭を大きくそらし、もう一撃とポチの頭に頭突きを見舞うアチャ。
バゴン!!
貰った一撃で火だるまになった頭を、アチャ以上に大きくそらし、ギラつく瞳で頭突きを返すポチ。
幾度かそんな応酬を見せられたストレが、つながった2人の間を綺麗に槍で切り分けた。
最上段。熱と衝撃でとろけたチーズみたいに糸引く2人の額。
中段。黒い刃を握りしめたポチの腕と胴を貫くアチャの腕それぞれ一本。
下段。なんかポチ助の猛っていたアレ。
まとめて綺麗に一撃で。
1つになりかけた2人を見事に区別した。
目の離せない攻防…
頭突きが繰り出されるたび、グロテスクが加速していたし、立ち込める臭いも煙も増していた。
ストレは、切り落としてしまったポチの腕を拾い、ポチにくっつけようとする。
切り口に近寄ると人の焦げた臭いが増すのだろう、口元を覆い顔を紫色に染まっていく。
仲間ではあるが、同類と見られるのは心底嫌そうで、ストレは慌てて言い訳を考える。
飛んだ腕を拾う時、再び距離は広がり、男たちの熱は少し冷めたようだが状況に変わりはない。
互いに切り落とされた腕をつなげ、敵として再び正面から向き合う。
ポチに当てられたのか、アチャまでもが犬のように天を仰ぎ力強く吠えた。
ゆっくりと落とした顔には、小馬鹿にした笑みはなく闘志に満ちた炎が宿る。
簡単に男たちの火は付き直した。
主人への想いと、力への渇望で。
ズンズンと、互いに大股で歩み寄り、再び額を打ち合わせる気の犬と化身。
これから見せられる光景に
見下しではない、軽蔑の色で空気を揺らすアチャと理解に喜ぶポチ。
そして、ずっとナニかが気になっている様子で落ち着きのないストレ。
もう一歩、あと一歩というところでストレの余りに悲痛な叫び。
指差された先に落っこちているのは、ポチのつけ忘れられた「猛り」。
それに気づいた2人の歩みが止まった――。
わけではなかった。
空が輝いたのだ。大きく白く。
アチャが呆けた顔で空を見る。
釣られてポチとストレも空を見る。
その時、丁度、ヤウの手により光の化身がこの世から失われた。