第54話 お手伝いナビ。
文字数 3,940文字
コンコン。
幸福な朝を迎え服を着ていると、扉を叩く音がした。
扉を開け表れたのは風の化身、ナビだった。
室内でも風に吹かれているように揺れる、長くたゆやかな髪。
おだやかな物腰。
しっとりとした雰囲気は、まるでここの女将さんのようだけど、露出の少ない服から見える肌や顔が緑色なのが人間ではないことを示している。
両手を前に重ね、深々と頭をさげるナビ。
右腕の色だけが体と比べて薄い。
膝をつき、目線の高さを合わせてしゃべるナビ。
言葉をうまくみつけられない私に、優しい笑顔で答えてくれる。
「あなたは役割を放棄した」イトラが私に言った言葉だ。
そんなつもりはなかった…そうかどうかも、今の狭い主観の私にはわからないが、そう責められても仕方ない行動だ。
ひんやりとした肌触りだが、その向こうには暖かな心が感じ取れた。
私はずっと私だけど、他の人々と同じように、経過によって記憶が薄れる。
それは私が今、人としての形をしているのが原因だ。
強烈な出来事や経験は憶えているが、例えば最初に人に転生して、何を食べたかとか、どこを根城にしたかは忘れてしまった。
神だった頃の話となると、さらに困難で、吸収できる情報量も、観える範囲も器が違う。
人が、どれだけ時が経とうと、自分を人だと疑わぬのと同じよう。
私も私が神だと知っている。
だけど、それぐらいのもので、あの時どう感じていたかとか、どう思っていたかなど思い出せようもない。
そもそもの器が違うのだから。
今の器で知れたとしても、溢れるか壊れるだけだろう。
人の私では。
それだけ聞くと、味気なく、無頓着な存在に思える。一応世界の一番最初。始まりの始まりから存在したはずなのに。
そんな不愛想な奴が、こんなごっちゃごっちゃな世界。
美味しいものや、美味しいものや、こんな強烈なタチみたいな存在を生みだせた大本なのだろうか?
私が「居た」のがたぶん137憶年まえぐらい。
40億年まえぐらいにイトラを呼び、ヤウもできた。
地水火風の化身が生まれたのが、35億年前ぐらい…。
もうそれは実際の記憶というより、物語として覚えている。
絵本読んだ、書物で勉強したに近い覚え方…。もっと正確にいうと、夢で見たできごとを、繰り返し
その形じゃないと、今の私では溢れてしまうのだろう。
不思議な。不思議な感覚だ。目の前にいる、私なんかより遥かにしっかりしてそうなこの女性。風の化身ナビが。
なんなら今敵対している、あのすっごく強いイトラも。私に近寄るために、私が興味を持った人の形に模ったと言われた。
私。私はず~っと私だけど。地上に降りてからの600年間で、13度…いや14度形を変えている。
でもそれは全部人としての姿かたち。137億年前は…神だった頃の私はどんな形をしてたのだろう?
ナビから奪い返すように、タチが私を抱きさらう。
今の私のサイズだと、タチの体にすっぽり収まる。
そうだ。なにがどうであれ、今の私に大切なのは、この温もりと思い。
そのためだけに、ここまで来たのだ。
タチが私の鼻をツンとつつく。
神よりも、化身よりも、自信と確信に満ちて生きる人間が。
風の化身ナビ。彼女の育て護ったこの大陸が、タチやタチのご先祖様。おいしい山羊ミルクの食べ物などを育んだ。
なんだろう、うまく言葉にできないが、ナビのこの懐の深さが、私を支え助けてくれてたのかもしれない。
何時からか、何処からか…。
バキバキバキ!!!
感慨に浸り始めたその時、階下から激しい破裂音がした。
張り上げられた声はズーミちゃんのもの、先ほどの破裂音はユニちゃんの歯ぎしりだろう。
ナビへの想いにいっぱいになっていた私に、タチがちょっかい…胸を触ったのを感じ取られたか…。
久しぶりだなこの感じ。そういう感じで主張されるこの感じ。
なににせよ、昨夜タチの部屋に連れ込まれたから、みんなをだいぶ待たせていたようだ。
そうそう、気になっていたのだ。ナビのエプロン姿。
昨晩もそうだったけど、まるで給仕係のようなそのいでたち。
実際、各テーブルにお酒運んだりしてたし。
答えになっているようで、答えになっていないタチの返事に私は言葉を繰り返す。
助力をもらった方が、どこまでも連れない返事。あとでちょっと叱っておこうかな。
神としてじゃなく、人として。
バキバキバキ!
もう聞きなれ始めた怒りの音が近づいて来た。
ズーミちゃんを噛んでこの音って、それもう貫通してるよね?
そんな恐ろしい想像を掻き立てられながら、私達は階段を下りて行った。