第58話 チ。
文字数 4,526文字
一日中、好き勝手遊び倒され、次の夜を迎えた。
殴られた痛みや、与えられた快楽への反応じゃない言葉をやっとしゃべる。
優しく撫でられる頭の感触に、傷ついて。
腫れぼったい顔の痛みなんかより、遥かに刺さる痛み。
オレにだって意思はあると発したくなったから。
恐怖におののくだけの、動物ではないんだと…。
口に溜まった血を、折れた歯と共に吐き出し、しゃべる。
真っ黒だった世界は、今は真っ赤に染まっている。
何かしゃべりたかったが、話題なんてひとつも持っていない。
だから結局、情けなさと恥ずかしさを重ね塗るような、独白。
血と骨意外に、唯一吐き出せる「お話」を口にした。
タチは食後のデザートが届けられたみたいに、嬉しそうに眼を細めた。
頭を撫でられるのを嫌がる俺を、決して逃さず。
優しく、優しく、俺に弱さと情けなさを思い知らせるように撫で続ける。
言葉にすればするほど惨めさが加速する。
でも、もう今更だろう。今までのコトだって、ついさっきまでだって、こんな有様だ。
恐怖と快楽に怯え、叫んだあとに、気取ってもしょうがない。
折れたあばらがビキビキと繋がっていくのを感じる。
この程度の痛みでは、なんとも思わない。
今味わっている、手玉にとられた状態…優しさという名の屈辱より。
彼女の理屈はわからないが、彼女の気持ちはなんとなくわかる。
俺を相手するのが楽しかった。というそのままの本音が。
彼女の体に抱き着く。
別に、もう、いいだろう。
情けなさなんて、今更。
ひとつ前の世界。オレにとっての元の世界。現実の価値観。
神様が「やめた」して、消えてしまった「世界創生の奇跡」
つじつま合わせで、増殖した世界の一つ。
0が1へとどうにかしてなろうと、増え続ける可能性。
そう聞かされても、オレにとってはあそこが元で、中心だった。
たぶん、俺の能力、話術じゃ説明しきれない。
俺の中の常識、人間としてあるべき姿。
倫理とか道徳とかの人として守るべき尊厳。
彼女には伝えたい気持ちと、聞いて欲しい思いが沸く。
世界が違う。ただそれだけの事だが、こうして会話ができる以上わかって欲しい気持ちがある。
元の世界の、しかも文脈の多い話を続けたものか、少し迷ったが、興味深そうに耳を傾けるタチに判断は任せることした。
拷問の様に頭も撫で続けられることだし、こちらも好きに続けよう。
ここはあなたの居場所じゃありませんよ。
そう言われているような気がする、数々の宣伝広告。
そんな教科書みたいな事、言われなくたってわかっているのに。
どこへ逃げてもヤツラは見せつけて来た。
ずっと自分勝手に生きて来たであろうタチには「何を下らないコトにウジウジと…」そう思われているのかもしれない。
でも、それでも俺は、俺にとっての世界。元居た世界を基準で考えてしまう。
いったい。この転生した世界で、なにを俺は独白しているのだろう。
前も含め、全てが幻のような気がする。
全て、なにもかもが夢で、何もなかったかのように終われればいいのに。と。
突然。タチが俺を突き放し、地に放りやる。
彼女にとってはあまりに絵空事で、つまらない話だったかもしれない。
言われるがまま、仁王立ちになった彼女の前に、膝をつく。2人とも素っ裸で。
この一日で思い知らされているのだ、体も心も、俺は彼女より劣っていると。
抵抗するつもりなんてない。言われるがままに…。
初めて会った時は、敵で、次に会った時も敵。今回は…なんなのだろう?
裸で膝まずく姿は滑稽だろうが、妙に馴染む。
全うでバランスの取れた、支え合う存在など不在の、人未満の俺には。
なぜだろう、命令口調で発せられる彼女の言葉に、俺の心の穴から、高揚が沸き這い寄った。
たぶん、躾けられてしまったのだ。一晩で。
上から叩きつけられる視線と言葉が心地よく感じる。
面を上げることもなく、先ほど以上に頭を下げ尋ねる。
俺に、俺に必要なモノ。
何にもなくなって、何にも湧き出ないこの俺に。
なんでもいい。欲しいのだ、すがれるモノが。
その言葉を与えられたとき。
完全に人として終わったのを感じた。
体が喜びに、いきり立っていたから。
心が幸福に満ちていたから。
投げつけられる言葉の圧に、立てていた膝も崩れ落ち、顔面が地面にこすり付く。
吸い込むだけのはずだった穴から、喜びがとめどなくあふれ出る。
そんなわけないのに、俺はもっとまっとうで、強くなりたかった人間だったのに。
そうか。望むものを間違っていたのか、焦がれるものを違っていたのか。
元の世界、いや俺の価値観では悪しきモノ。
間違って、可笑しくて、ダメなもの。
それこそが…。
穴の底から声がでた。誰かの声が。俺の声が。
ご主人様に分かってほしくて、許可もなく顔を上げ。
体が勝手に水分を放出する。
泣くとはこんなにも気持ちがいいコトだと初めて教えてもらった。
これがオレの涙なのだ。
いきり立ち震える心と体。これがオレの愚かしさなのだ。
主人のタメに消費しよう。俺の持ち合わせを全て。
主人と主人の愛するものの役に立つタメに。
背後からのストレの慌てた声で我に返る。
そうだ今はダッドの元へ、2人で馬を駆けていた。
広がる大草原と、定期的な
ついつい思い出に浸ってしまった。
そのせいで、体が少々元気になって…後ろにしがみ付くストレには悪い感触を与えてしまったかもしれない。
でも、あぁ。もう全ていいのだ。
主人への感謝と、世界への喜びを一吠えする。
心地よい。全てが心地よい。
体を打つ風も、軽蔑の視線も。全てを愛せる。
ご主人様のポチである俺は。
他人からすれば、きっとおかしな事になっているのだろう。
「変わり過ぎだろう…」そう呟く、真人間が正しいのだろう。
だがいいのだ。
オレは今喜びに満ちているのだから。