4-5 ホンモノの永遠 【カトリック仙人天佑 視点】

文字数 1,437文字

 妻 柳生烏丸、私 天佑。二人抱きあって苦しみをわかちあって、涙もやっと止まって、互いの体温が暖かい。

 安らいだ心地の中、いまだに私は思考……思い続けていた。とりとめもなく、望むべき結論もなく。

 そうイエス様の教えじゃない、おかしいのは私たちのほうなんだ。無論、この身が鬼畜の所業を行なったわけではない、エセ神父でしかなかった悪鬼犯罪者と同様の罪を犯したわけでも、前教皇の枢機卿時代のように彼らを庇いその悪行を隠蔽したわけでもない。だとしても同様の因子、そんな(たね)は、人の属性をもつ限りにおいては我々の脳に肉体に確実に仕込まれている。

 ……原罪とは、このことをいうのだろうか。知恵の実を味わいし禁断に触れた宿業なのかなんなのか、そしてキリスト教徒からの視点、そんな歴史。(アダム)彼女(イブ)の引き起こした楽園追放からの苦難、イエス様への再臨に至るを待ち続ける今。

 『私たちはどこに向かうのだろう』と問われれば『遠くへと行くだろう』と答えるしかないだろう、そしてその果てに星の海へと漕ぎ出す船出、そんな機会は人類に訪れうるのだろうか。原罪の形かもしれぬ悪の種、そんなモノを抱えたままでその偉業に辿り着けることなどありえるのか、そしてそれが成されるとしても、それは審判の後か前か。我らキリスト教徒は、審判後のことを問うてはならない。いうなれば現代とは未だに続く七日目。八日目のことは『その日に目が醒めるまで』は理解認識の範疇にはない。

 神話の体系による(とき)と、地球物理に基盤を置く時間(じかん)は寄り添えるものではない。かといって前者を否定して『(ひと)の心』を保てるのだろうか?、だからといって後者を無視して『人間(にんげん)による文明』を維持できるのだろうか?。妻と私、我らはその二つの世界における(はざま)の存在だ。仙となることいわば『神話領域に身を浸す』ことで『物理現象としての生命』の規範からはみだして寿命の縛りを抜け出すこと。仙界の頂点たる太上老君などは不思議だろう、そのような形で『永遠』を得たはずの我らが『なぜキリスト教などにに救いを求めるのか』と。

 でも違う、違うんだ、私たちが得た程度の永久(とこしえ)はいわば『偽りの永遠』にすぎない、話に聞く西洋の吸血鬼 他者の血をすする化物(モンスター)『個体による地獄の顕現』のごとき『間違え汚れた永遠もどき』、そんな外道とは比べものにならぬほどに仙道は良識的な目的手順(アプローチ)ではあるが、どちらにせよニセモノだ。そして少なくとも我らにとっては。キリスト教徒にとってのホンモノは、キリスト教の信仰以外では得られない。ただそれだけのことだ。それだけのことなんですよ、老君。

(ぼう)っとしすぎだよ、カトリック仙人」

 そんな言葉の直後瞬間、 ドガグシャ!!という擬音語で表現したくなるような、そんな爆音が耳をつんざく。

 みれば、大きな鉄棒とそれに絡みつくなおも巨大な蛇の尾が、私たちを庇う形で。

「あーもう、惚けるのもいいかんげんにしてよね、まぁ静謐な気配のなか意識せずとも身体の中で疼く男女の劣情とか、じつに僕ごのみだけどさぁ」

  目の前、そこには私たちを庇った中性的な少年姿と、こちらを叩きつぶそうとした人間大なる猿仙の姿があった。もちろんのこと、この二人こそが、日本の大蛇妖ヤマタノオロチであり、我らの標的 斉天大聖 孫悟空に違いない。



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登場人物紹介

柳生烏丸(やぎゅう からすまる)


ヒロイン


柳生剣士でありながら女仙


キリスト教 正教会信徒


詳細は後日

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