3-5 「宗教と宗教」考(モスクにて②)【柳生烏丸 視点】

文字数 1,221文字

「そもそも根本として、イスラム教にしろキリスト教にしろ、その基盤の書なる一つととして旧約聖書がありますよね。そしてその貴き文書はヘブライの方々、一般的な言い方としてはユダヤ教の聖典でもある」

 差別的に『ユダヤ人』と呼称するアレな人々と距離をおくために『ヘブライ』という言い方を使っているのだろうな、と察せられた。私、柳生烏丸も言葉に過敏なほうだが、我が師 カトリック仙人 天佑も神経質なほどに気を使う。それでいて、昨今流行りの『政治的正しさ』のような息苦しさを感じないのは、飽くまで己自身(おのれじしん)を律するための気づかいだからであろう。

「ヘブライの民による始まりを持つ一神を信じる宗教同士どこが違うか、ざっくりと言ってしまえば……私たちにとっては、モーセよりイエス・キリストのほうが尊い。そしてそちらの見解の方が、より正しいと信じている。イスラムの教え元に生きている方々は、我らの救い主よりムハンマドさんの方を、とまぁそういう話ですね」

「だいたいの所は、私も理解しているのですが、信者の一部とはいえ、なぜいがみあうことが生じてしまうのか」

「教義的に相手を認められない理由としては、ぶっちゃけ成立した順番によるもの、という見解がありまして」

「というと」

 意外な言葉がでた。『順番』?、どういうことだろう。

「イスラム教は我らの教えを、教義的に容認できる余地があるのですよ。飽くまでムハンマドさんのコーランに至るまでの途中の段階の教えとして。そしてキリスト教もヘブライの信仰を認めることができます、つまりはイエス様に辿りつく過程と理解することによってです、成立が新しいほうが過去の伝統を、自己解釈とはいえ教義として許容できる。そんな構造を持っているのが、一神教系の宗教であります、ここまで聞けば……わかりますよね」

すこし時間をおいて、理解できた。

「逆にいえば、新しい信仰を教義的に認めるわけにいかないのが、それまでの教えということで……ああ構造的にそうなんだ」

 そうなのだ。我らにとっては旧約でも、ヘブライにとっては唯一なる契約の書。キリスト教徒にとっては旧約ももちろん聖書ではあるのだけれど、ユダヤ教にとって新約などありえない。そしてイエス様への信仰を持つ者にとっては、どれだけ道理があろうが豊かな知恵が書いてあろうと、コーランは聖典にはなりえないのだ。

 すこしクラクラした、これじゃあ相互理解なんてできないんじゃないかって思い込みそうになった。そんな絶望を師匠の暖かい声が引き止める。

「ですから、まず言っておいたでしょう。『互いに触れるべきでないところには触れない。相容れないものを抱えているのであれば互いに教義のことは口にしない』。……忘れたらダメですよ、共存はできます。宗教って譲り合えない教義だけで成立するものじゃなくて、もっと文化的に広がりがある、とても大きな存在ですからね」
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登場人物紹介

柳生烏丸(やぎゅう からすまる)


ヒロイン


柳生剣士でありながら女仙


キリスト教 正教会信徒


詳細は後日

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