1-1 アカン。意識したくはないのに【やぎゅう からすまる 師匠を気にする】

文字数 2,653文字


 ここは飯屋。向かい合わせで座り、大粒しじみの酒蒸しをほおばっている我らこそが、この近所で銅像にもなっている英雄譚の敵役、封じられし八岐大蛇(ヤマタノオロチ)をクリスチャンへと回心させにやって来た中華仙界からの使者。

「ああ、美味しい。四つ足であるなら∵卓子(テーブル)以外はなんであろうと調理して見せようという気概こそが中華料理の深奥であるかもしれませんが、水産物や海産物をここまで旨くできる日本料理も、なんと素晴らしい文化であることか」

 他文化への敬意を素直の言葉にのせる。そんな彼こそが、キリスト教の真髄(しんずい)を学ぶために、これなる非才の師匠にしたるが、カトリック仙人こと天佑(テンユウ)どのである。

 私と縁のある土地、柳生庄(やぎゅうしょう)にて人界(じんかい)に姿を現せし我ら。電車等を利用して色々な人間とすれ違ったが、二人の旅の目的に気づいた者など、果たしていただろうか。そんな人物がいるわけがない。いや、いたとしたらそれは……そいつは人ではないということ。

 もはや何者かがわいてきたとしても、おかしくはなかろう。かの大猿王、斉天大聖 孫悟空ならば、この動き、察していても不思議ではなかろう。それにしたって……

 朗らかな笑みが浮かぶ幸せそうな顔、その全体から人の良さがにじみ出るよう。我が師を見ていると、心中から毒気が浄化されていき、なんだか私でも『善人』になれるような、そんな錯覚をしてしまいそうで、

『アヤツはそんな男だ。凶暴さなどは基本なく、キリスト教徒でありながら仙人などをやっておるゆえ、どうしたって思想は雑食性をおび、なんだかんだで甘い考えが大好きだ。完全に(しつけ)てしまうことができないあたりも白鼻芯、あの獣と一緒だぁな。食肉目ジャコウネコ科ハクシビン属は、白鼻芯(ハクビシン)のみで構成される。同類がいないことも含め、天佑という存在は実に母親 玉面公主から色々なものを受けついでおるよ』

 こう話してくれたのは、天佑どのに会う直前に太上老君。そしてその日のうちに私は、カトリック仙人たる彼に弟子入りしたわけである。なるほどねぇ、ハクシビンという獣に近い男性か、なるほど。
(西洋学問による動物分類を把握してるあたり、あの方はホントウに油断ならない)

 ちなみに最近は外来種のこともあるのだが、あの動物は本来私の国の生き物ではない。そのあたりで大陸と島国の常識がごっちゃになってしまうことは、ままあることなのだが、向こうの狢(むじな)がこちらの狸(たぬき)。向こうで狸と書けばハクビシン。

 牛の魔王と玉面狸の妖、その息子でもある仙人が天佑どの。狸という漢字から、大権現神君(だいごんげんしんくん)徳川家康様(とくがわいえやすさま)と印象をともにする可愛いクマドリイヌ科の、ポンポコなタヌキという生き物を浮かべるのは日本人としてしかたがないのは、そうなのだけど。

 師匠となった天佑どのの、本来は家畜であった魔王な父と、森の獣たる母。

 ああ、どうしても目蓋に浮かぶのは我が両親。理想の当主であろうと奮闘した男と、実質その妾にしかなれなかった女。私の出生と重ねてしまう。妾という言葉は嫌いだ、あまりに女を莫迦にしている。愛人という呼び方もろくなもんじゃない、あれほど妻に対して無礼な名称もなかろう。

 だから、だからどうしたって刀術で超えてしまいたくて、なんだかんだで父親が大事にしてた武の道に邁進して、その果てに得たものは……。私はあの男を見返したかったのだろうか?

「よくありませんよ」

 声をかけられたことは本当に良いことだった。それなしで間合いに侵入された場合、その身体を地べたに押さえつけていたかもしれない。

 そして気づけば、近づいてくる手のひら。見つめる私に、心底から……であろう、心溶かすよな微笑を返す天佑どのの眉は、整えているわけでもないのに細くて優美。そして見惚れてていた私を無視するように、けっして触れることなくこのオデコを通りすぎた彼の指は、あろうことか最後の一瞬、わずか、ほんのかすかに、この丸っこい眉をなでた。

 なに?……この気持ちよさわ!

「烏丸どの、眉間にうかぶ怒りじわは避けねば。仙としても、女性として美しさのためにも」

 パチパチ火花が舞うがごときに、胸中で感情が弾ける。熱い。

「う、うわぁ、あ、やめ。そういうことは、不意打ちは、やりすぎじゃないかと」

「ああ、すいません。驚かせましたね。でも気にしないで、それこそ主に誓いましょう。
 私は許可を与えられないかぎり、絶対に、貴女(あなた)の肌には触れません」

 無自覚なのか確信犯なのか。それこそ、どちらにもとれる顔で再度魅力的にニッコリと。

 大して美形というわけでもなく、身長も大きくない人。でも私も小柄なほうだから、そんなことは気にならなくて……って私はなにを考えているんだ。ヤバイ。

 こういうことの免疫のない、この柳生烏丸でもわかる。目の前の男性は、最近の意味でも昔からの言い方でも『ヤバイ』。ヤバすぎるといってもいいかもしれない、かなり『アカン』なにものかだ。

 そのあと一言も話せなくなった。気まずいくせにどうしたって気持ちよい心地、そんな中でさえ、駅前のこの食事処でだされる料理の味の豊かさは、とどまるところをしらず、食欲も……それ以外もどんどん満たされていって、逆に渇いていくようにも思えて。

 なんだか頭は混乱していくばかりであって、さらには店を立ち去るとき、これまでの長い人生のなかでも初めて味わう気持ちに、今、酔っていることを理解してしまった。そういうももなのか、なぜか泣き出したくなって、それでいて幸せで。だけど、そんなこんなを顔にだすわけにもいかず、もう前途多難どころの話じゃなくて。

 良かった、今現在は繋がってなくて、ホントウに良かった。

 我が主イイスス・ハリストス様に願う。開祖 剣聖上泉伊勢守信綱(けんせいかみいずみいせのもりのぶつな)から始まる新陰流の心法をもって、女人たるこの柳生烏丸に、こちらの戦いにも勝利を。新たに来るこの経験(するかもしれない)から、この精神を守りたまえ。ぜひとも!神様、なんかいい感じに仕上げてください。


◉ 注 イイスス・ハリストス 正教会でいうところのイエス・キリスト
   ちなみにキリストは『救世主』という意味
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登場人物紹介

柳生烏丸(やぎゅう からすまる)


ヒロイン


柳生剣士でありながら女仙


キリスト教 正教会信徒


詳細は後日

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