3-7 「宗教と宗教」考(モスクにて④)【柳生烏丸 視点】
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それから天佑さんは反イスラーム主義の一つ一つを、どれだけ荒唐無稽な思いこみが前提になっているのか、欧米のアカン人々によるオリエントやアジアへの偏見に満ちた見解が土台になっているのか、そんなアレコレを丁寧に解説してくれた。
「世界史的に見て、
こういう言い方ばかりに注目すると、過激な人に思えるかもしれないけど、とどのつまりは人間関係の基本基礎『みんな仲良くしましょうね』と主張してるだけなので穏やかな人なんだろうなぁ、と感じとることは容易い。ときおり『弱いものイジメ系』に対する苛烈さが浮かび上がる以外は、終始、その表情は柔らかなままなのも、その裏づけ。
だがイキナリ、その朗らかさが崩れた。白い陶器にヒビが入るかのごとくに、唐突に。
「反イスラムの連中がつかうのにムハンマドさんと結婚したアイーシャさんとのことを問題にする向きがありまして、彼女が少女時代に結婚したんですが、成長するまでムハンマドさんが手を出すわけないじゃないですか」
なにか突然ぎこちない。どうしたというんだろう。
「いやですよね、不必要に人を疑うヤカラ。彼らの、その疑いには自らの願望がにじみ出ることがある。いや人と他人の心は互いに鏡、私の心にも他人が映ってるし、私を観る他人の心にも私が映っている」
どうしたんだろう、もう完全に持ち直したみたいだが、先ほどは明らかに様子が口調がオカシかった。なんだろう、少しだけナニカこの胸に残った。
……そんなことはない。そんなことがあるわけがない。
「そのような心の動き、西洋始まりの心理学では基礎の基本として『投影』といいますね。烏丸さん、あなたの国では思春期のうちに学ぶ言葉だそうですね、日本の教育は実に豊かだ」
改めて会話に集中。褒めてもらうのは嬉しいのだけど五教科偏重や、保健体育を変な風に茶化す風潮とか……まぁいいや、話に水はさすまい。その代わりとして弟子の立場から質問を挟みこむ。
「でも先生、それは馬鹿というほうが馬鹿、『馬鹿というほうが馬鹿』というほうも重ねて馬鹿といってるから馬鹿、っていう果てのない不毛な、ただ互いの認識の否定しあう意味のない螺旋に落ち込みませんか?」