4-18 役目の終わり (カトリック仙人 天祐視点)

文字数 2,052文字

 私個人の見解であり他宗教と簡単に比較できる話ではないが、『個』を救済する、そのことこそがキリスト教の特筆すべき精粋である。

 たとえば仏教の解脱。それは輪廻転生から抜け出し生まれ変わらなくなるわけだが、無へと消えてしまうわけではない。インドヨーロッパ語族に連なる根源の幻想『魂の海』。一人一人の魂はその海から派生した雨粒のようなモノ、いや一粒一粒の雹のようなものと言ったほうが良いのかもしれない。他者の魂混ざることのない凍った雫、それは我々一人一人の『個』だ。

 解脱に至ったその魂は消えるわけではなく魂の海に溶けてしまうということ。みんな全ての命と一体化するということ。それはどれほどの法悦であろうか。だがキリスト教の復活はその喜びを否定する。我々は信仰もって肉体をもった個として復活する。そんないづれきたる奇跡を信じる。

 キリスト教徒たる『私』は魂の海なる『私たち』にはならない。魂の海を拒絶し、隔絶した孤独なる雫でいること。どちらが上だとか下だとかそんな判断をする事柄ではないはずだ。恋愛によった言い方をするならば、好きだから一緒に溶けあいたいのか、好きだからこそ己ではない他者のままでいてほしいか、それだけの違いにすぎないのではないだろうか。

 戦いの場において褒められたものではない感慨にわずか浸っていると、黒焦げの右真中のさんから切実さを感じる声が上がった。

「満足も納得も得ることができた、だからもういい、僕のことはもういいから、烏丸をここに呼んでほしい……はやくっ!」

 死に瀕した者の訴えを聞くべく素早く周囲に視線を走らせようとしたが、それを上回る速さをもってこの場に駆けつけたるは私の想い人たる武娘仙 柳生烏丸。



 ほんのついさっきまで猿と蛇の化け物が絡み合う主戦場を遠巻きに眺めつつ、老君と色々意思疎通をしていたのであろう一見すると一人でぶつぶつと独り言にふけっていた様子から一転、右真中さんのこれから発する最後の指示を仰ぐべく彼の目の前に。


 彼女の戦いの場にいる自覚は十二分、いつでも敵に飛び掛かる用意をしつつ周囲に注意を張り巡らせつつ、いざという今この時に仲間のもとに馳せ参じるその意気や良し。

 この快活かつ俊敏な身のこなしに答えるかの如くヤマタノオロチの右真中が、最後の頼みとともに……

「僕は死ぬ。そしてこの身体、黒焦げの亡骸に手をつっこんで骨を、骨の剣をつかみとれ。スサノオに授けた八つ尾をより合わせた『草薙の剣』には届かぬ威容であろうけど受け渡す『蛇骨刀』、今この戦いのためだけに使いつぶせ!」

 ……最大の信頼をもって最高峰の武具を我らが女仙に託した。


 それに問いを返す烏丸さんは、

「貴方の絶命を待たずに今、体内から骨刀をもぎとって戦場に駆けて行っても構わないですか?」

 ニタァという擬音が聞こえてきそうな蛮性の溢れる笑顔とともに、

「よくぞ言った、それでこそ日本男子(にほんおのこ)ならずや日本女子(にほんめのこ)お前のもつ切り札と(・・・・・・・・・)この骨刀の二振りをもって、あの大猿を断ち割ってこい!」

と、景気よく己の身体からの骨のもぎとりを許可するヤマタノオロチ右真中。


「承知!!」

 その掛け声とともに黒焦げとはいえまだ生々しさの残る蛇体に女仙は腕を突っ込み、外界へと引きずり出すは、刃純白に煌めく蛇骨刀。

 その骨刀を右手に、そしていつのまにか左手に握られていた神威あらたかな宝刀が一振り。

 両手に二刀をもって柳生烏丸は後ろを振り返ることもせずに、大猿とヤマタノオロチが互いに潰しあっている戦場(いくさば)へと駆けていった。

「ああ身体はもうボロくず同然だ。さて、今ここで死ぬこととなる『僕という個』は君たちの言うところの天国とやらに行けるのかな?」

「それは……その判断は人たる者の限界を超えた領分ですので。ただただキリストに、我らが神にお祈りください」


「死ぬのが怖い。救ってください神様……こんなのでいいのかい」


「その真摯な言葉には嘘があると思えません。十分かと」

「じゃあ、さよなら……じゃないな、――またね、いつの日か」

「ええ、再見」


 再会を願う我ら中華の「さよなら」
 その言葉を私は返した。それが彼に聞こえたかどうかは分からない。なぜならヤマタノオロチの一尾たる右真中のさん、その身体はアッというまにグズグズと崩れていって、もうその瞳には意志が宿っているようには思えなかったからだ。


 そんな彼を見送ったことを最後に、今回の大猿 孫悟空こらしめの一件、私のできることの全てが終わったことが理解できた。もちろん傷ついた仲間を癒すための仙術は、常に万全を期して実践できるようにしておくが、もうそのくらいしかすることは残されてないだろう。


 あの大仙猿王、いやもはや日ノ本の独裁者がとり憑いた化け猿でしかないか……とにかくあの妖魔の絶命にわが想い人の刃は届くはず。

 そんな確信のもとに落ち着いた心、凪のように静かな精神、その落ち着きを自覚すると同時に鼻がツンとして、目に瞳に涙が溢れる。そして雫となるそれを、そのままにしておいた。



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登場人物紹介

柳生烏丸(やぎゅう からすまる)


ヒロイン


柳生剣士でありながら女仙


キリスト教 正教会信徒


詳細は後日

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