3-10 「宗教と宗教」考(モスクにて⑦)【柳生烏丸 視点】

文字数 1,811文字

ちょっとの間キョトンとした様子、その後に、すこしあわてたような様子でヤマタノオロチさんは、さらに問うた。

「え、神と悪魔の戦いじゃないの、そっちの世界観って。ルシュフェルさんだかサタンさんだかと延々と戦い続けてきたのがキリスト教いうところの神なんでしょ」

「あーそういう誤解してる人も多いんですけどねぇ。どう説明すればいいのか、たとえば全てが神の決めた通りだという予定説の見解にたてば、たとえ誰がどんな反抗をみせたところで主たる神の『計画通り』って話になります」

「なにもかもが運命しだいってのは気に入らないけどね」

「まぁそこは他の考えもあるということで、ではもっと普遍的な見解としては、主は自らが創り上げた全てを愛しております、そして万物の、この世の全ての親のような存在であるわけですよ、造物主なので。たとえば悪魔祓い(エクソシスト)は、ひたすらに悪魔に憑依された者を救うことが目的であって、その取り憑いた悪を討ち滅ぼす意志も力も持ちません。神の言葉を伝えるとは、そういうことです。守ることこそが役割です」

「悪を滅ぼす気はないってこと?」

「悪も善なんですよ。こういう言い方では矛盾を抱えがちなのでもっと言葉を重ねると、悪は悪であっても善のとりうる一つの可能性というか、悪とて善が変容したナニカなのです。神は全てをつくり、その全て皆を良しとしたのですから。。世界を作りながら、何度も何度も『神は見て、良しとされた』と、繰り返し繰り返し、旧約聖書 創世記にて述べられております」

「悪なのに、否定され踏みにじられる存在として規定されてはいない……のかい?」

さっきからオロチさんの質問に的確に答えて行く、学校の先生みたいな老師状態の天佑さんである。

「善悪二元論じゃないんですよ、キリスト教は。二元になっちゃうと、その時点でグノーシスっぽくなっちゃうというか、初期キリスト教は異端としてそういう考えを退けてます。どういえばいいんですかねぇ、神という一元から全てが流出しているので、じつは徹底的な一元論がキリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教の基本世界観であるはずで」

「あー、今は世界の仕組み系のそれは聞きたいと思わないかな、悪魔とかに話を戻してほしい」

いつのまにか聞き入ってる白蛇は、赤い目でカトリック仙人をじっと見ている。

「あ、えーと、では。……人の両脇で天使と悪魔が争ってるだけというか、基本、我らの絶対なる神に対抗可能な存在なんていないわけで、そんな存在が人を愛しておられるのが救いなわけでして。そして善しか成せない天使、悪しか成せない悪魔と、どちらかを選べる人、そろいもそろって、釈迦ではなく、創造主たる神の手のひらの上とでも申しますか、悪のうちにさえ善を見出そうとするわけですから、皆良い人に違いないとかいう、甘っちょろい性善説ともまた違うと思うのですよね。かといって悪を悪としてそのままにしておいて良いとしても外れてしまうでしょうし、いろいろ難しいですよ」

「日本の悪をなす化物を荒神として(まつ)りあげるのとも重ならないよね、いうならば『許す』ことで対応するのかな」

その質問は、どこか優しい口調でなされた。

「そうそう、いいとこつきますね。新約聖書のイエス様のなされたことを読めば一目瞭然ですね。『許し』こそが肝要なんですね。だからといって何者も甘やかすだけではロクなことにならないのは明白なので、まぁ色いろありますわなぁ。私ぐらいの見解ではどんなに考えても考えても結局は煮詰まるばかりというか。たとえば『悪、そしてその罪と罰と許し』なんてテーマ、それこそ神学書が何冊も書けちゃう議題ですので、まっ今回のところは、こんなんで勘弁してもらえませんか」

「……納得した」

おや意外なほどに素直な、というか続く沈黙が、なにかすごく神妙な感じが漂った。そしてつい、その白蛇の小さな赤い目を除いていると、そっぽを向くような感じで、

「じゃあもう黙るよ、剣士女仙、こちらを覗きこんでるような場合かい、男ってのはほんとどうしようもないよ、女房としての警戒心くらいもちたまえ、では天佑くん、僕はもうひっこむから、女に囲まれた男性仙人としての愉悦に浸るがいいさ」

ヤマタノオロチが化身した白蛇は、そんな悪態をつきながら、物言わぬ腕輪へと戻っていった。
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登場人物紹介

柳生烏丸(やぎゅう からすまる)


ヒロイン


柳生剣士でありながら女仙


キリスト教 正教会信徒


詳細は後日

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