4-17 去り際の問答(カトリック仙人 天祐視点)

文字数 1,852文字

 一つの蛇体を失った状態、八(や)マタではなく七(なな)マタのオロチの怪物が、その右端の鎌首を中心にして大猿を圧倒している。その隙をついて、私は姑獲鳥のアンナさんを呼び出しながら、本体から抜け落ちた蛇の頭のほうに駆け寄った。

どうか『右真中』さん……無事でいてください。

 アンナさんは私の仲間となってから、主に治療を担当することが多い。ウブメが持つもともとの強い母性を変容させて、癒しの力へと活かしている形だ。その彼女が今にも泣き出してしまいそうな声を上げる。

「……いやぁ、ダメよこんなの。手のほどこしようがない、これじゃもうどうしようもない」

 カトリック仙人たる私も、悲憤に塗れそうなほどに感情を崩しそうになる。それを押しとどめたのは、ガラガラに掠れている音ではあるものの口調はどこか能天気な呼びかけ。そう『右真中』さんからの語りかけだった。

「まぁまぁそんなに深刻にならないで。我は大蛇妖の片割れだよ。本体が完全に滅ぼされないかぎりは何度でも蘇る属性があるのさ」

 大きい弾力のある長い丸太が、巨人の手で引きちぎられたかのようで。その先にある蛇頭の瞳だけが綺羅綺羅と輝き、口からはみ出た二股に分かれた舌だけが瑞々しい。あとの他の部分はほぼ黒焦げだった。

「今のこの身体が死ぬなんてことは、我らにしてみりゃ脱皮みたいなものなんだよ」

 そうなのだ。そもそも古代の俗信俗説において『蛇』は「永遠」……というか「死なない」ということの象徴であったのだ。自然状態で脱皮することを観察された手足のない細長い爬虫類は、古い身体を脱ぎ捨てることによって「死なない」と人に誤解され、それは各種の伝説と結びついた。最も古いとされるメソポタミア神話でも、英雄ギルガメシュから不老不死の薬草を奪った者こそが蛇である、と言い伝えられているぐらいだ。

「この身体もこの意識もあと10分15分もせずに消えてしまうけど、二三日すればまたピョコンと同じ記憶を持つ蛇首が生えてくるから、ほら姑獲鳥のアンナも泣かなくていいから。いや、泣かすは鳴かすで女の声、喜悦の響きを聴きたかったなぁ、ことが終わったら新しく再生した我『右真中』とどうかな、一夜、いやいや三日も十日も愛欲にまみれてみないかい」

 男性性の象徴たる形態を持つゆえの『蛇』、その本領がだだもれの言葉でアンナさんを赤面させようと試みているに違いないが、彼女はついに泣き出してしまった。嗚咽が止まらないほどに激しく絶望的な嘆き。

「あれあれ脈があると思ったんだけど、この反応は……フラれてしまいましたかな我は?」

 ズタボロになった自身の肉体ことなど見向きもせずに、おどけた調子を続ける彼『右真中』であったが、しばらくアンナさんの涙が止まることはないであろう。

 それはそうだ。あたりまえだ。

 なぜなら『右真中』さんは、無理につよがっているのだから。

 私でさえそのことに気づくのだから、想いを寄せていたアンナさんは癒しようがないほどに悲哀に満ちた心持であろう。

「『右真中』さん、あなたと同じ存在がまた再生される。それは分かりました。それでも……それでも途方がないほどに怖いはずだ」

このセリフを聞いた彼、そのとき『右真中』のさんの瞳の奥がブルりと震えた。

言葉を続ける。

「記憶を受け継いだ個体がまた生み出されるとしても、今ここで、今確かにここに生きている貴方自身そのものは消えてしまうのだから。代わりが生まれるとしても、いまここでこの意識を抱えている、かけがえのない貴方は死んでしまうんです。人であろうと仙であろうと妖魔であろうと命あるものの運命、さだめはいずれ死すること。亡き者となることが恐ろしいから、貴方は私たちの信仰に心をよせてくれたのではないですか?」

 なにか悟ったような気づいたような反応を返しながら、炭黒ずんだ死にかけの彼。
 そんな蛇が言葉を紡ぐ。

「……そっか。この不快感は『こわい』って気持ちかぁ。うわ、そうだったんだ……いやほんとあたりまえのことでも、他者から指摘されなきゃなかなかわかんないもんだね」

「キリスト教は個人……『個』こそを救う宗教です。新しく生まれる貴方ではない、いままでに死んでしまった貴方でもない。今この場所 私の目の前にいる、ここにしかいない『貴方そのもの』は最後の審判が始まるときに必ず蘇る。
 そのことは保証できます。一クリスチャンでしかない私でも、信仰を同じくしてくれた貴方に対してはそう断言できますので」


 
※続く

※再開します、二週間以内に次を投稿したいです
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登場人物紹介

柳生烏丸(やぎゅう からすまる)


ヒロイン


柳生剣士でありながら女仙


キリスト教 正教会信徒


詳細は後日

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