0 ある老人と孫悟空のことを話す。あと柳生女剣士が可愛い【カトリック仙人 天佑】
文字数 12,771文字
「ワシはのぅ、けっこう長い間な、天界でフラフラしとるが……イエス・キリストとかいう髭 のはやした神格 なんぞに出会ったことはないぞ。噂 を聞いたことぐらいはあるがな」
私の名は天佑 という。
そして目の前の玉座 に座るは長く白い顎鬚 をたくわえた老人であり、その瞳、興味深そうに輝く光を灯 したまま、どことなくとぼけた風。そして彼の言葉に、ハッキリとした口調で答えを返してみる。
「それはそうでありましょう。私が信仰を捧 げている『彼』は『違 う』のですから。あなた様はいわば Chinese deity。イングランドの言葉でいえば『彼』こそがGOD。deity 神格でしかない存在とは根本から違うし、我らが腰 を落ちつけている、このような天界 なんぞにおられるはずがない。なによりも尊く高く隔絶 した場所から、人と世を愛しておられるゆえに」
「……なんぞ、ねぇ。はっ、いうにことかいて『このような天界なんぞ』とは。ようも大言をかますものじゃ。ワシの座っている下で、モーモーいっとった奴の息子が、なんとまぁ偉 そうに」
「魔王にまで堕 ちた親父 のことを言われると、こちらも立つ瀬がありませんね」
「こちらも、そんなことを蒸 し返したいわけではないさ。オヌシが洗礼 という儀式 に臨 んでから……もうそうな、長い時を経 たことじゃわい。わしの目の前に立てる存在でありながらクリスチャン、己 の珍 しさを自覚 せぇよ。そのような立場で日々つらいことも多かったじゃろ。異文化の宗教への帰依 、その決断 に後悔 をしたことが一度たりともなかったと言えるのかい。中華世界、他に例のない形の召還術師 『覆 しの天佑 』よぃ」
「キリスト教を超 える信仰 の形 などなく、それゆえ、悔 やみなどは一切 ありません」
「だって天佑 、オヌシは『仙人 』じゃあないか」
そう私は、かなりの前から仙人と成 っている。
『仙人』
平等に個人を救済 するため、肉体 心 ともに俗 の超越 を目指す在り方。野蛮な生贄 の儀式などに頼った古代の邪教 とは一線を画す、尊き求道 の果て。その末席に『天佑』と言う名、確かに世界に記 されているだろう。とはいえ、非才 なることは仕方なし。ほぼ独力 でしか天界に存在することができない、この存在は、いわば小身 でしかない。
目の前、中華文化最高位 なる神格の名声雷名 に比 すれば、吹けば飛ぶよな卑仙 が私 だ。
そうであれど我が方寸 、胸のうちの信仰こそが、この身を高みに押しあげるに違いなく。
「カトリックの仙人がいたって、おかしなことはないでしょう」
「そーなのか。そーゆうものかのう。
こちらがかまわんでも、そちらの教会とやらが良い顔せんのではないか」
「別に。人界 で顔を合わせる神父様 に、いらないことを話す必要などありませんから」
「じゃがのぅ……ワシにはどうにも西洋人諸々 、あやつらがイマイチ信用できぬところがあるわい。中華本土 をアヘンづけにしたり、我らが人民 を『いえろぅもんきぃ』とかいって喜ぶヤカラも消えたわけではなかろ。どうしたって警戒 はしてしまうさ、そういう歴史が確 かにある、が、ゆえにな」
「私の解釈 ですが……本来なら『白光 』だと思うのです」
一瞬だけの、いぶかしげな顔。その後、彼の瞳に奇知 に満ちた光が宿 る。こんなやりとりは前にもあった。つまりこれからこの老人は、こちらの饒舌 をうながしてくれるということ。
「またかよ天佑 。オヌシの悪い癖 じゃ。思考の過程をすっとばし、まず口にするのは結論近 く。その独特な答え方な。最初から話してみ、いったいなにを伝えたいのかい」
では一席 。
かの東国での『寄席 』。楽しく愉快 に笑いを誘 う、あの話芸 を思いながら。
「いえ、キリスト教は長い歴史の中『白』という色をひたすらに神聖視 してきた歴史があるのです、が……どこかの莫迦 が、そのイメージと肌 の色を重ねてしまったみたいで」
「あほらしいのぅ。日の光を浴 びやすい土地に住み続ければ、子孫の体色 が濃 くなるのは自然 であろうに」
「最も主イエス・キリストに愛された、
と自称 する高弟 、十二使徒 の一人ヨハネ様による福音書 いわく
『この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝 いている』
この美しい文言 から想像 してみてください、
夜空に光る星、その美しき白光 が目に浮 かびませんか」
【ヨハネによる福音書 1-4 1-5より】
「ああなるほどな、闇 に飲み込まれまいとする星 、かくのごときに命は輝く。その象徴 たる光、その色が、あやつらの肌 の色と混同 されて、ワシらの土地の人民への蔑 みにまで堕 ちてしまった、と。『いえろぅ』とかいう言葉自体 が、あまり良い印象 ではないとも聞くの」
「古今東西 、肌 の白い女性が美人だなんて嗜好 もありますが、もともと日の下で肉体労働 しないですむ、お嬢様 お姫様 対する憧 れでしょう。土地によっては静脈 が透 けてみえるほど肌が白いゆえに、貴族階級 の人物をBluebloodと呼ぶ向きもある」
「大道廃 れて仁義 あり……というのもチョイ違う気がするが、本質 より遠ざかりゆくのも人の営 み、その姿 その愚 かさ、その在 り様 は東も西も同じというところか」
「我らが旧 たる聖典 、旧約聖書 にも歌われているのですが
『エルサレムの娘 たちよ、わたしは黒いけれども美しい。
わたしが日に焼けているがために、日がわたしを焼いたがために、
わたしを見つめてはならない』♪
恥 ずかしがっている様子 が実 に可愛 らしいですね」
【雅歌 1-5より1-6より】
「まっとうなことを伝えようとしていただけなのに、いつのまにやら、そもそもの意味 や意図 が失われていく、真実 の風化 とでもいうのかの。悲しいことじゃて。中華の大陸も、かつての調和 を取り戻せるのは、いつになることやら」
「まぁ海外の奴隷 が必要となった頃に、広まった蔑視感情 かもしれませんよ。
つまりは差別心が自然にわいたわけではなく、金を稼 ぐために世の風潮 を変えたやつがいたかもしれません。そんなヤカラがいたとしたら、はたして地獄 行きから逃 れられるかどうか。『人間には優 しくしなきゃいけないから、大切 にしたくないやつは人 ではない』なんて邪悪 。どの段階で devil 、悪魔 に唆 されたのだろう。自らの尊 さを否定しているも同じ、主から特別と看做 された人を、動物と同じに見る暴挙 。だいたい西洋人がもともと住んでいた土地には『猿 』などいないのですよ」
「猿……か。ああ、呼び出した理由 を思い出したわ。いかんのう、オヌシのおしゃべりに引きずられたわけでもあるが、年をとり過 ぎるとなにごとも、思い出すのに骨 が折 れることじゃて」
猿という動物の名で思い出すことのできる、私を呼 びつけた理由。
頭に浮かぶは、鮮烈 なる稀代 の暴れ者。東アジア台湾 にて『斉天大聖 』という号で信仰を集めた勇名 。私のごとき小身 とは、比 べることさえ恐 れ多く感じるほどの、大身 の極 みたる極 み。
「あのもしかして、孫行者 がなにか」
「そうじゃ天佑 。オヌシ……悟空 のやつを、チョイとこらしめてはくれんかのぅ」
斉天大聖 孫悟空
私の父親牛魔王 とかつて友人 だったこともある仙 。かの西遊記 に名高き、強大無比 なること限りない、人の遥 か上に到達 した大猿王である。
知ってる。こういうことをムチャぶりっていうのだ。
しかもこれは半端 のないやつに違 いなく、
『無理 を言わないでほしい』
……そのように言葉 にしてしまうのをグッとこらえて、とりあえず話を聞いてみる。
「いったいなにごとでありましょう。かの玄奘三蔵法師 と天竺 まで辿 り着 いた結果 、あの暴 れん坊 も、少しは大人 しくなったはずなのでは」
あれほどに剛 なる猿 、その心 に真 に芯 から打ち負かしたるは釈迦牟尼如来 しかない。その存在こそが悟りによって人々に救いをもたらす仏、かの目覚めたる者 ゴータマ・ブッダ。そして孫悟空という名の大仙は、封じられた五行山から玄奘 という一人の僧に助けられ心服。天界の誰もがホゥと胸 を撫 で下ろした一件であった。そして天竺 インドへと旅立 った彼らが一行 の業績 は、中華仏教 の段階をかなり上昇 させたという。
「いやどうもな、最近のアヤツ……悟空の “存在 の揺 らぎ ” が止まらなくての」
「”存在の揺らぎ”。ということは東の国のアレ、あの物語 ですか」
「そうじゃの。同じ『名』をもつ個性的 かつ魅力的 な主人公 が、世界中で受けいれられてしまい、『孫悟空 』の字面 をみてまず想 い浮 かぶ姿 、最近では、かの西遊記 で詠 われた斉天大聖 とも限 らぬようじゃ」
「あそこまで秀逸 な絵物語が世に伝播 してしまえば、そうなるのも道理 。なるほどなるほど、では天界の大身たる住民 が増えてしまう事態 もありうる、ということでしょうか」
「絵物語より伝播 したる新しき幻想 が、ここにまでやって来るかどうかは、分からぬのぅ。じゃがな、どうなったとしても収 まりがきかぬのは、かの石猿 よ。『孫悟空』という名に集まる力が二分 されてしまうわけであるから、そりゃきつかろうな。そのためかのぅ。近ごろのアヤツは、どうにもおかしい。見ていて不安 になる」
「しかも、かの新しき『孫悟空』のほうが、孫行者よりよほど『空 』を悟 っていますな」
「じゃの。ワシも読ませてもらったが、あの話の描 き手は大 したもの。ここまでの質 、そして銘 との親和 性 を考 えれば、このまま読 み継 がれた場合 ……あとそう100、150の年を越 えたあたりで、西遊記のほうではなく、新参者 のほうが『大源 』に、なんてことになったとしても、おかしくはないわな」
「アナタの使う『大源』という言葉、深層心理 の範囲 で西洋系学問用語 を使えばユング派 でいうところの『元型』と同じ系統 というか。いえ、私の宗派 も彼らの動きは警戒 しているのですが、エラノス会議 は、どうも見過 ごせないというか」
「話がずれておる、ずれておるぞ天佑 。そんな細 かい事情 は知らんがな。
まぁどちらにしろ、『孫悟空』という信仰 の『変容 と喪失 』といったところか」
「いえ、この場合『増補 とそれにともなう損失 』というほうが良いのかもしれませんね」
「そうじゃなぁ、我 らが存在 する形 とはそのようなもの。たとえ”無 い”のだとしても、確 かな実体 をもたぬ姿 であろうと……”在 る”とするならば”在 る”」
そう。”在る”とするゆえに……”無い”ことはない、そう”望 まれるもの”
目の前に観 えるdeity 神格 そんな存在 。ソレが、私に言葉 を投 げかけ続 ける。
「”在る”と信 じてもらえるのであれば、そこを基点 として力 も集 まってくる。それを感 じとる人々 、その日常 や日々 の想 いに寄 り添 うことで、実在 そのものにはなれずとも、それに限 りなく近 づける。それこそ『在 りがい』のある理 ではあるのだが、じつにめんどうくさく、うんざりすることもしばしばじゃて。天佑 、正直 にいわしてもらえばな……」
一瞬 。言葉 を溜 めたとき、老人 の表情 、数多様々 な感情 が蠢 いているような、
「……オヌシの信仰 する主 イエス・キリストとやらが、うらやましくてしかたがない」
気 づいたときには、老爺 はペロりと舌 をだし、茶目 っけのあふれる顔に戻 っていた。
この狸爺 め(私がこの言葉をつかうのもどうかと思うが)。
とぼけたふりをして、キリスト教の信仰対象 、我らの『天主 』が、他 のどのような神格 とも違 う隔絶 された真 なる存在だということを完全 に把握 している風 にみえる。油断 ならないな。
そう。我々 の信仰対象 は断 じて deity 神格 などではないのだ。真 なる存在 。
そして、私が今観 て認識 しているこの老体 こそが太清太上老君。仙人 への道 を開 く老荘思想 、その根源 の書を記 したる老子 というヒト、そんな彼 が信仰を集めた姿である。高次 とさえ評 してよいほどの存在強度 。喝采 すべき尊崇 が集中 する『場 』といっていい存在 。この老人 は『世界の特注 』ともいえる『王 になりえない王 』。中華文化世界 に佇 み続ける、別格 の中 の別格 。
であればこそ、試 してみる価値 があるか。
海老 で鯛 を釣 るという言葉もあるが、草 の茎 にて果たして大鵬 を射落 とせるだろうか? 我 が主 イエス・キリストよ、どうか御照覧 あれ。
「ええ。私たちの信仰対象 、その神秘 なる真実 が揺 らぐことなどありえない。
どうですか老君 、自 らを仮初 の存在だと自覚 できているのであれば、我らと信仰をともにする道を選 びませぬか。主の力はそれこそ広大無辺 、Chinese deity 中華神格首魁 、代表たる成員 とまでいえる貴方 であれ、確実 に救 いは齎 されるに違 いない、と私は信 じていますが」
「……なめるなよ、牛 と狸 の子せがれめが」
きづけば、床 にはいつくばっていた。
なにかとてつもないものに、押さえつけられている。
首筋から背、そして下腹にいたるまで息苦 しい感覚が這いまわる。
冷たい悪寒 に心ざわつき、気脈 がぐずぐずと腐敗 していくような痛み。
このままでは、もしかしたら、わたしは、しんでしまう……かもしれない。
「確かに道教は宗教否定のヤカラによって、中華本土では壊滅的 な被害をうけた。だが道 を見出し書き記したる『老子道徳経』五千数百文字、その価値と高み、お前らが奉ずる真なる聖典 にさえヒケをとるものではないはず。ワシにもそのくらいの自負 はある。己 が信仰を至高と看做 のは別にかまわんが、自分自身の格ぐらいはちゃんと把握 しとけよ。クソでももらすか、この豎子 めが……」
静かで優しげで、おぞましきほどに恐ろしい老人の声。この身心胆 が芯より冷えきっていく脅威 。だが……結果なめられすぎても困るな、勇を振り絞る。謝ることもせずに、ただひたすらに言葉をつむぎ続けることを良しとしよう。たとえ最悪の事態が起こったとしても、結局は主イエス・キリストがこの身を守りたまう。この認識こそが無敵に通じる。
「いえ私個人は、我らの聖典以外の価値も認める立場ですので。
というかローマ以来、旧約聖書 、新約聖書 によらぬ知恵の是非 に関しては、論を繰り返し続けていまして。アレクサンドリアの図書館を焼き払ったキリスト教徒たちに関しては、個人的に心痛めることしきりで」
「あーあー。統一中華たる王朝の初め、秦の始皇帝が儒者を埋め書を焼いたこともあったのう。まったく、どこの土地どの時代にもいるヤカラじゃい、本を燃やすヤツはいずれ人さえ壊す、なぜなら書とはしょせん紙と墨 のシミでしかなく、奴らが本当に消し去りたいのは、頭蓋 の中身に刻まれた思考思想に他ならぬでな。
……とまぁ、うまく話をそらされてことでもあるし、先ほどの不遜 はこれ以上とがめまい。気にすることなどないぞ。『猫に爪があることも忘れるな』それだけのことよ」
スースゥーと、そよ風を感じるがごとくに、いつもの状態へと身体が回復してゆく。まるで聖水で清められたときに、心に沸 き起こる安らぎさえ想わせる今の状態。きつくお仕置 きをされた後に癒 されているわけだが、さて老君、どこまで本気なのだろう。
彼の在 り様 。実 に飄々 としている。
『つかみどころは無いのだが、それでいて理解のきざはしは捕 らえやすい』というか。
「で、話題 をかの石猿のことに戻してと……悟空のことなんじゃがな」
「孫行者 ですね、彼はいったい何をやらかしたんですか」
「そのな。アヤツはキリスト教の教会、イスラム教のモスクを破壊しまくっておる」
「はぁ!?」
瞬間 、冷たい怒り。背骨に染み渡るかのごとき殺意が湧 き上がり、理性で抑制 し、深呼吸、調息 。鼻から吸い、鼻から吐き……。身体感覚幻想 においてはカカトにて呼吸。
……おちつけ……おちつけ。
「知ってのとおりワシのような神格同士 や、オヌシみたいな仙人どもの争 いは、人界 にも影響 を与える。多少時系列 の混乱 は生じるが互 いが互 いに合わせあう。鏡 の像 が重なっていくようにな。人界 、仙界 、天界 、冥界 、他の文化圏 も入れれば数多 の世界があろう。争いも含めたソレらの交流により、領域同士 が相互 に変わりゆく、このような性質をもつのが、ワシの見定めるところの『宇宙』じゃ」
「ええ。ですので今聞いた『孫行者が教会やモスクを破壊してしまった』という事態 も、天界のでの彼の我 がままが人界に影響を与えてしまったとか、そういう……」
「それがな……どうやら違うようなのじゃよ。アヤツめ、わざわざ人界に顕現 して、かの斉天大聖 孫悟空 だけの武装である如意棒 をもってして、キリスト教イスラム教両信徒の溜 まり場 を壊しておるようでの」
「そんなバカな。そのような直接の実力行使なぞ不可能だ。幻想 と陸続 きの古代ならいざしらず、神仙 が形而上 の存在と大多数に思われている時代、そんなことできるわけが……」
「やつが信仰の場を破壊するのは、戦乱が激しくて、いくらでもごまかしがきく国において。もはや10や20の数でなく、そのやりかたは実に巧妙 。まさに悟空の猿知恵」
さすがにこれは許 せることではなかった。
信仰者としてもそうであるし、敬虔 な信徒にとっての憩 いの場を、
『みんなのたいせつなばしょ』『かけがえのないところ』
そういうところを、嬉々 として破壊するヤカラの胸のうちには、どんなやつであろうといつだって、泥 ついた邪悪 を感じるがゆえに。
……孫行者が喜びをもって行動しているかどうかは、まだ未知数 ではあるが。
「ご依頼 の件 、承知 したく思います」
己知らずに自然とでた声。はっきりとした発音。そこに戸惑 いなどはみられない。
『この身を超えた無茶ぶりに真摯 にとりくむこと』を思考を経ずに承諾。そう、回心をしてから何度も経験している。この晴れやかな胸の感覚こそが『主の導き』に違いない。
「そういうと思ったわい。モチはモチ屋。お前らの信仰対象を蔑ろにする仙の不祥事 には、その主に仕えしカトリック仙人をぶつけるのが一番じゃろうて。まぁ自覚はあるじゃろうが天佑、今のオマエ一人では力不足であるでな、供する者を用意しておいた」
老君が私の視線を促すように、後ろを向く。
その先に現れたるは、私より一回りほどの小柄な女体。細い腕の先、掌 に握られた、鞘 に包まれし剣は美麗 ……いいや形状 から察 するに片刃のようであるから、刀 か。
距離を置きつつ正面からこちらを見つめる視線、とても心地よく、それを辿ることで窺 うことのできる潤 った瞳 は、艶 と弾力 を感じさせる睫 にてパッチリと彩 られている。ともすれば怖 さが伝わってくるほどに凄 みのある真顔 でありながら、少し濃 いめの眉毛 はどこか丸っぽく整 えられており、こちらの心を柔 らかく和 ませてくれる。
豊かな御髪 と暗き色彩の装束 によって、全身が漆黒 に染め上げられているかのよう。動きやすいように肌 が露出 している箇所 もチラホラ、それでいてその色気 は、上品な形で抑 えられており調和 に満ちている。そして仙の端くれであっても一目で理解できること……この女性はハンパなく強い剣士だ。
これは話に聞くニンジャ。いや、そうではない。彼女は多分、
「まさか彼女は東の国に住まうという極上 の戦士、かのサムライでありますか!?」
すこしだけ顔をしかめた後、はっきり明確 に朗々 と、彼女はこちらに訴 えかける。
「主 どの、その言い方はやめてほしい。公家 どもの傍 に『さぶらう』という屈辱的 な歴史状況 から派生 した『侍 』などという名に浪漫 を感じられるのは甚 だ不快 。この柳生烏丸 、何者であるかと問われれば常 に『武士 』という言葉で答えたい」
ほほぅ。そのような歴史的事情が。
げに恐ろしくは、真実の風化と歴史の変遷 ということか。
「それは申し訳ない、まさかアノ言葉にそのような背景が」
素直に謝ると、逆に向こうのほうこそ居心地が悪そうで。
「あ、いえ、まさか謝罪が頂けるとも思ってなくて、すいません神経質だとも思うのですが。どうしても……どうしても気になってしまい、武士に憧れている人物であればあるほど、当時の侮蔑的 な言いように感動しているのが、悩ましくて、あ、それで、」
必要以上に、あたふたしている様子に、こちらの胸のうちは温かくなるばかり。
攻撃は得意そうだが、防御はカラっきしに下手とみた。無論、武術以外の分野のことだ。
「何度も何度も実感をすることしきりですが『知らない』とはかくも恐ろしい。烏丸殿は武士であると心に刻みましょう。それの代わりに……というわけでもないのですが一つお願いがあります。私を主(あるじ)と呼ぶのは控えてください。我が信仰対象も同じ字で、主 と呼称 されることが多く、どうしても不遜 と感じてしまうので」
老君が私に向かってオヌシ、オヌシ呼びかけるのは日常化した嫌がらせ……まではいかなくても軽いイタズラみたいなもので。ヌシとは、それこそ主と同じ文字を使うのであるから。そうなのだ私も彼女と同じで、言葉の細かな色々が気になる質 である。
この提案に対する反応。黒塗れた瞳の光。溢れてくる強い意志。まるで金剛石 。触ることのできない輝きは、ふれたくなるほどに綺麗 で。
この人物は東の果ての国、日本という名の土地に生まれし『武士』という存在でありながら、まちがいなく仙人でもある。どのような経緯 で、老君の隣に立てるほどの縁を積み上げたのだろうか。今はまだ理解できるはずもないが、とても興味深い。
「これは失礼をば。感服いたしました、貴方は、なんと敬虔 な信徒であることか。同じ信仰を持つ者同士でありながら、この気づかいのなさは酷かった。ああ、なんてことか、自らの不明を恥じ入るばかり」
男性話者と判別されそうな言葉を駆使しているわりには、口調と音声自体は実に女らしく、柔らかき美しさ。艶やかで麗しい響きに満ちていて、こちらから微笑を返すのにも抵抗がいらない。
……それはそうと、聞き捨てることが決してできない、そんな台詞が、
「同じ信仰ですと?」
「そうです、私もキリスト教徒ではあるのです。カトリックではなく正教徒なのですが」
普遍 なるを自認するカトリック。正統 たるを自 らとするオーソドックス、正教徒。
そうして彼女は胸元をゴソゴソ。そして首からかけていた十字架、正教徒が祈りを捧げる木製の八端十字架 を大事な宝玉 を見せるかのごとくに、こちらに示してくれた。
「これは嬉しいことには違いないのですが、少しお話を聞いてもよろしいか東の果ての方よ。なんでまた、東欧や露西亜に広がりし東方のキリスト教とサムラ……いいえ、武士たらんとする貴女との間に縁が?」
「はっはっはっ。長くなりますので、詳しいことはまた機会があるときに。ただ一言ですますならば『薩長憎し憎しと思っていたら、いつのまにかに』とでもいいますか」
「あー、ペリーとかいう米国人が恫喝外交 しにやってきてから、そちらのお国では色いろありましたからねぇ。国内の黄金、そのかなりが海外に流出してしまったそうで」
わずかばかりに顔が曇るが、どんな感情が表れても彼女の美しさには、いささかも陰げりは見られない。目の前に立ってくれた女性が言葉を紡ぐ、ゆっくりと、それでいてハッキリとした口調で。
「これから話すことは個人的に気にしていることなのですが、お許しください。それこそ薩長流 れの政府のしたことではありますが、我ら和人 とそちら漢人 、中華大陸にて戦火を交えることとなり……とても残念な結果に。こちらの言い分も多々ありますが、一部とはいえ色々やらかしたヤカラがいることは事実に違いなくて、」
「やめませんか。100年たっていないのです。あの大戦、どこの地域の人間であろうと冷静公平 に論ずる状況には、まだ早い。今はまだ専門家に任すのを良しとしましょう。常に私たちに必要なのは、互いの文化に敬意を持ち続けること。仲良くするに越したことはなく警戒 するにしたって『相手の美点を知ることが大切』ということこそが、変わらないナニカだ」
烏丸殿の表情が明るく、麗 しく輝いた。
ぱぁっ!という擬音 が響き渡るごとくに。
「話が分かる方で嬉しい。その通り『バカにする』という行為こそが侮りに繋がり、それは私たちを勝利から遠ざける。愚かなことです、敬意を忘れるべき状況などは稀 なことなのに」
とたんに満面の笑み、にこやかさわやか。なんというか、その幸せそうな様子に少しだけ物足りなさを感じてしまって、和気藹々とした空気もよいが、すこし刺激を楽しみたくなったきたわけで。けっして、イジメたいわけではない。うん、私に加虐趣味 はないはず。
「……ほほぅ次は勝つ、と」
こんな答え方を試してみたところ、ピリっとした空気を少しだけ。一瞬だけ呆 けたあと、かえってきた表情こそは不敵 。『挑戦うけた!』と顔に書いてあるよう。
お、これは予想を超えるほどに良い展開。
「いえいえいえ、共存共栄こそがアジアの花でありましょう。ではありますが、もはや盟主とかいう考えは古いと思えて。中華思想も行き過ぎると……まぁ、なんですし」
のってきやがった。話にもならない差別者でもなく、媚 を売るだけの恥知らずでもない。せっかくのマトモな日本人 。ならばこんな会話も楽しめるに違いない。
ちょっとした遊戯 なり。
「世界の中心たる華 という自覚を永続させたい、とまでは思ってません。が、漢字を見れば自明のように東アジア文化の根本基盤としての矜持 は、なかなか消えるものでなく。日本正教会の聖書は、それこそ漢文の素養にあふれた素晴らしい訳であったはず」
「当然のことながら、聖ニコライ訳の新約聖書は私も愛読しております。ですがまぁ、始まりはどうであろうと、より大事なのは到達点。特に武と禅に関しては、こちらもなかなかに……また最近の、絵物語を中心にした文化の隆盛には止まるところがなく、」
「その若者文化に対して敬意を払わない、かたい人々も多いと聞きます。法から外れた低い賃金でしか評価できない状況もあり、我ら漢人、そこに注目することもしきりで……」
いまの彼女の顔は、藪 にらみのまま、それでいて口元の笑みは豪放なまでに魅惑的。
強者の雰囲気を漂わせながらの、生意気な可愛らしくさ……良いな良いな。
「おおーい、そこらへんにしとけ。心の底からの笑顔同士で本気で火花を散らしあうでない。互いに楽しんでるだけなのは理解しとるが、太上老君 たる、この身からみてみれば『ちっちゃいのぅ』としか思えんでな。あー嫌じゃ嫌じゃ遠ざかりたい、俗世 は下 らぬ」
じいさんからの邪魔が……老君であれどこんな時は、じいさん呼ばわりしたくなる。
まぁ趣味の悪い楽しみであることは間違いなく、ハマる前にこの会合を本題に。
「では老君、まずは『私に日本に行け』と、つまりは……そういうことでしょうか」
「そうじゃな天佑。オヌシがオヌシの価値を最も示せるのは召還術であろう」
「つまり中華大陸の伝説の数々には、私はまだ触れられないという話ですな」
「まぁな、かの斉天大聖 孫悟空を相手どるのであれば、相当な大伝説となった存在でなくては対抗さえできまい。ヤツラにオヌシが術をかけるのは認められぬよ。万が一成功しでもしたら、たまったものではないわ。悪逆なる存在だとしても大身なるモノ、異文化にむざむざと引き渡したくはない」
「許可がでれば、饕餮 、女禍 であろうとも覆 してみせましょう」
「はっはっは。あながち大言にならぬかもしれぬのが『覆しの天佑』、オヌシの怖さよ。正妻である羅刹女 ではなく妾 の玉面公主 の子とはいえ、さすが牛魔王 の息子じゃわい」
「……挑発してますか?」
必要もないのに家庭の事情に立ち入ってくるのは、さすがに誰であろうと失礼だ。
「あ、すまんの。調子に乗りすぎたわい。ま、挑発であったとしても、オヌシはそれに乗るような男ではあるまい。ケンカを売るのであれば勝てる算段 を組み立ててから。そういう所が評価されて、ここに呼び出されたんだと思っとけ。あとキリスト教徒というのもデカいでな」
「……それはどういう」
『キリスト教徒というのもデカいでな』。なにかこれは重要な案件のような気がする。
「まだ内緒じゃ。そして己でその実態に気づいたときは、もはやあえて語る必要もなし」
会話の流れが止まった。そして好機きたれり、とでも言った様子で話に入ってきたるは柳生烏丸 。老君による今回の依頼は、斉天大聖孫悟空の討伐にさえ発展する可能性もある。武人としての興奮を隠しきれないようにみえた。やたらに可愛いなこの女性……たぶん戦場では違うのだろうけど。
「天佑 どの、これから貴方の前に立つ存在は日本の大妖怪……いいえ、ちがいますな。そんな生易しいものじゃあない。純然たる荒神なるモノ、怪物の極致、かの素戔嗚尊 が倒したるウワバミ。
そう、かの大怪異の名こそ『八岐大蛇 』。かの魔性を我らの下僕とすべく、カトリック仙人たるその身を我が国へと、私、柳生烏丸 が案内いたしましょう」
そう。カトリック仙人こと私、天佑は、回心 させたモノを召還 することができる。
たとえその存在が、人の属性をもちえぬ化物 だとしても……だ。
キリスト教をキリスト教たらしめる教理 、三位一体 。
そう、イエス・キリストとは『万軍 の主 』の御名 でもある。
それこそ我らの天主とは、勝利をもたらせしGOD OF GOD。
神を遥かに超えている神、それこそが真実であるがゆえに。
でも違うんだ烏丸殿 。
そうじゃない、そうじゃないんだ。
私たちが見下ろしては駄目 なんだよ。
「下僕なんかではありません。我らの教えこそが『平等』という理念を広める神秘なのですから。どんな立場であろうとも信徒の間に上下はありません。中心に位置するのが尊き教皇様 という話。であるからには、引き降ろすわけでなくその大蛇妖 が『私を通じて主の意志に従う』ようになるということ」
「キリスト教徒以外は、平等に扱ってはもらえんのかのぅ」
茶目っ気たっぷりに、じいさんが茶々いれた。だが他信徒や信心が無い人が気になるところではあろう。キリスト教徒の答えるべき問いかもしれぬ。
「キリスト教徒にはキリストの救いが、道教には道教の救い、無論仏教には仏教の、イスラム教にはアッラーの。ただ、それだけのこと。『善きサマリア人』の教えは大切な真理の一つなのです。神父様に聞かれたら怒られるかもしれませんが、無神論とて何かを掴 みえるかもしれない」
きっちりと説明できたと満足し気がゆるむ。
そんなところに大声で呼びかけられて仰天 。
「師匠!」
「へ、烏丸殿どういたしましたか」
「柳生烏丸。ぜひとも天佑殿の弟子にしていただきたく」
ビックリ。でも嬉しい。
「つまり正教会からカトリックへと、宗派変えをしていただけるのですか」
ああ。今日、この人物の素晴らしさについては何度も理解を重ねたが、じつに素晴らしい。なんて……どこまでも可愛らしい、愛おしい女性なんだろう。
「あ、それはないです。この身こそ絶対に正教徒。
キリスト教全般としての師となっていただきたく」
「チッ」
あ、いかん。露骨な舌打ちが出た。その結果、顔面蒼白状態の烏丸殿が、が、が。
「す、すいません天佑殿。それこそ上とか下とかじゃなくて、そんなんじゃなくて」
今現在、彼女の凛とした姿は望むべくもなく。今にも泣きだしてしまいそう。うわぁ、どうしよう。なんてことだ、男がどうしたってかかえてしまう淡い期待、そんなフワフワ綺羅綺羅した望み、そんな未来も無残に吹き飛んでしまったのかも。なにやってんだよ、なにやってんだよカトリック仙人。
「今こそ宗教否定論者の言葉を使うべきかの、『内ゲバ』こそが酷くなるものよ」
うぎゃあ、老君に一本とられたどころの話でなく。
でも、瞳に涙を溜める烏丸どのの姿は、可憐であり美麗。
感情が動き続ける今。しばらくは、頭の混乱に身を任せよう。
ああ我が求道。
キリスト教への信仰と共にある、久遠にへと続く旅路。
いまだに一里塚さえ越えられていないようだ。
私の名は
そして目の前の
「それはそうでありましょう。私が信仰を
「……なんぞ、ねぇ。はっ、いうにことかいて『このような天界なんぞ』とは。ようも大言をかますものじゃ。ワシの座っている下で、モーモーいっとった奴の息子が、なんとまぁ
「魔王にまで
「こちらも、そんなことを
「キリスト教を
「だって
そう私は、かなりの前から仙人と
『仙人』
平等に個人を
目の前、
そうであれど我が
「カトリックの仙人がいたって、おかしなことはないでしょう」
「そーなのか。そーゆうものかのう。
こちらがかまわんでも、そちらの教会とやらが良い顔せんのではないか」
「別に。
「じゃがのぅ……ワシにはどうにも
「私の
一瞬だけの、いぶかしげな顔。その後、彼の瞳に
「またかよ
では
かの東国での『
「いえ、キリスト教は長い歴史の中『白』という色をひたすらに
「あほらしいのぅ。日の光を
「最も主イエス・キリストに愛された、
と
『この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に
この美しい
夜空に光る星、その美しき
【ヨハネによる
「ああなるほどな、
「
「
「我らが
『エルサレムの
わたしが日に焼けているがために、日がわたしを焼いたがために、
わたしを見つめてはならない』♪
【雅歌 1-5より1-6より】
「まっとうなことを伝えようとしていただけなのに、いつのまにやら、そもそもの
「まぁ海外の
つまりは差別心が自然にわいたわけではなく、金を
「猿……か。ああ、呼び出した
猿という動物の名で思い出すことのできる、私を
頭に浮かぶは、
「あのもしかして、
「そうじゃ
私の父親
知ってる。こういうことをムチャぶりっていうのだ。
しかもこれは
『
……そのように
「いったいなにごとでありましょう。かの
あれほどに
「いやどうもな、最近のアヤツ……悟空の “
「”存在の揺らぎ”。ということは東の国のアレ、あの
「そうじゃの。同じ『名』をもつ
「あそこまで
「絵物語より
「しかも、かの新しき『孫悟空』のほうが、孫行者よりよほど『
「じゃの。ワシも読ませてもらったが、あの話の
「アナタの使う『大源』という言葉、
「話がずれておる、ずれておるぞ
まぁどちらにしろ、『孫悟空』という
「いえ、この場合『
「そうじゃなぁ、
そう。”在る”とするゆえに……”無い”ことはない、そう”
目の前に
「”在る”と
「……オヌシの
この
とぼけたふりをして、キリスト教の
そう。
そして、私が
であればこそ、
「ええ。私たちの
どうですか
「……なめるなよ、
きづけば、
なにかとてつもないものに、押さえつけられている。
首筋から背、そして下腹にいたるまで
冷たい
このままでは、もしかしたら、わたしは、しんでしまう……かもしれない。
「確かに道教は宗教否定のヤカラによって、中華本土では
静かで優しげで、おぞましきほどに恐ろしい老人の声。この
「いえ私個人は、我らの聖典以外の価値も認める立場ですので。
というかローマ以来、
「あーあー。統一中華たる王朝の初め、秦の始皇帝が儒者を埋め書を焼いたこともあったのう。まったく、どこの土地どの時代にもいるヤカラじゃい、本を燃やすヤツはいずれ人さえ壊す、なぜなら書とはしょせん紙と
……とまぁ、うまく話をそらされてことでもあるし、先ほどの
スースゥーと、そよ風を感じるがごとくに、いつもの状態へと身体が回復してゆく。まるで聖水で清められたときに、心に
彼の
『つかみどころは無いのだが、それでいて理解のきざはしは
「で、
「
「そのな。アヤツはキリスト教の教会、イスラム教のモスクを破壊しまくっておる」
「はぁ!?」
……おちつけ……おちつけ。
「知ってのとおりワシのような
「ええ。ですので今聞いた『孫行者が教会やモスクを破壊してしまった』という
「それがな……どうやら違うようなのじゃよ。アヤツめ、わざわざ人界に
「そんなバカな。そのような直接の実力行使なぞ不可能だ。
「やつが信仰の場を破壊するのは、戦乱が激しくて、いくらでもごまかしがきく国において。もはや10や20の数でなく、そのやりかたは実に
さすがにこれは
信仰者としてもそうであるし、
『みんなのたいせつなばしょ』『かけがえのないところ』
そういうところを、
……孫行者が喜びをもって行動しているかどうかは、まだ
「ご
己知らずに自然とでた声。はっきりとした発音。そこに
『この身を超えた無茶ぶりに
「そういうと思ったわい。モチはモチ屋。お前らの信仰対象を蔑ろにする仙の
老君が私の視線を促すように、後ろを向く。
その先に現れたるは、私より一回りほどの小柄な女体。細い腕の先、
距離を置きつつ正面からこちらを見つめる視線、とても心地よく、それを辿ることで
豊かな
これは話に聞くニンジャ。いや、そうではない。彼女は多分、
「まさか彼女は東の国に住まうという
すこしだけ顔をしかめた後、はっきり
「
ほほぅ。そのような歴史的事情が。
げに恐ろしくは、真実の風化と歴史の
「それは申し訳ない、まさかアノ言葉にそのような背景が」
素直に謝ると、逆に向こうのほうこそ居心地が悪そうで。
「あ、いえ、まさか謝罪が頂けるとも思ってなくて、すいません神経質だとも思うのですが。どうしても……どうしても気になってしまい、武士に憧れている人物であればあるほど、当時の
必要以上に、あたふたしている様子に、こちらの胸のうちは温かくなるばかり。
攻撃は得意そうだが、防御はカラっきしに下手とみた。無論、武術以外の分野のことだ。
「何度も何度も実感をすることしきりですが『知らない』とはかくも恐ろしい。烏丸殿は武士であると心に刻みましょう。それの代わりに……というわけでもないのですが一つお願いがあります。私を主(あるじ)と呼ぶのは控えてください。我が信仰対象も同じ字で、
老君が私に向かってオヌシ、オヌシ呼びかけるのは日常化した嫌がらせ……まではいかなくても軽いイタズラみたいなもので。ヌシとは、それこそ主と同じ文字を使うのであるから。そうなのだ私も彼女と同じで、言葉の細かな色々が気になる
この提案に対する反応。黒塗れた瞳の光。溢れてくる強い意志。まるで
この人物は東の果ての国、日本という名の土地に生まれし『武士』という存在でありながら、まちがいなく仙人でもある。どのような
「これは失礼をば。感服いたしました、貴方は、なんと
男性話者と判別されそうな言葉を駆使しているわりには、口調と音声自体は実に女らしく、柔らかき美しさ。艶やかで麗しい響きに満ちていて、こちらから微笑を返すのにも抵抗がいらない。
……それはそうと、聞き捨てることが決してできない、そんな台詞が、
「同じ信仰ですと?」
「そうです、私もキリスト教徒ではあるのです。カトリックではなく正教徒なのですが」
そうして彼女は胸元をゴソゴソ。そして首からかけていた十字架、正教徒が祈りを捧げる木製の
「これは嬉しいことには違いないのですが、少しお話を聞いてもよろしいか東の果ての方よ。なんでまた、東欧や露西亜に広がりし東方のキリスト教とサムラ……いいえ、武士たらんとする貴女との間に縁が?」
「はっはっはっ。長くなりますので、詳しいことはまた機会があるときに。ただ一言ですますならば『薩長憎し憎しと思っていたら、いつのまにかに』とでもいいますか」
「あー、ペリーとかいう米国人が
わずかばかりに顔が曇るが、どんな感情が表れても彼女の美しさには、いささかも陰げりは見られない。目の前に立ってくれた女性が言葉を紡ぐ、ゆっくりと、それでいてハッキリとした口調で。
「これから話すことは個人的に気にしていることなのですが、お許しください。それこそ
「やめませんか。100年たっていないのです。あの大戦、どこの地域の人間であろうと
烏丸殿の表情が明るく、
ぱぁっ!という
「話が分かる方で嬉しい。その通り『バカにする』という行為こそが侮りに繋がり、それは私たちを勝利から遠ざける。愚かなことです、敬意を忘れるべき状況などは
とたんに満面の笑み、にこやかさわやか。なんというか、その幸せそうな様子に少しだけ物足りなさを感じてしまって、和気藹々とした空気もよいが、すこし刺激を楽しみたくなったきたわけで。けっして、イジメたいわけではない。うん、私に
「……ほほぅ次は勝つ、と」
こんな答え方を試してみたところ、ピリっとした空気を少しだけ。一瞬だけ
お、これは予想を超えるほどに良い展開。
「いえいえいえ、共存共栄こそがアジアの花でありましょう。ではありますが、もはや盟主とかいう考えは古いと思えて。中華思想も行き過ぎると……まぁ、なんですし」
のってきやがった。話にもならない差別者でもなく、
ちょっとした
「世界の中心たる
「当然のことながら、聖ニコライ訳の新約聖書は私も愛読しております。ですがまぁ、始まりはどうであろうと、より大事なのは到達点。特に武と禅に関しては、こちらもなかなかに……また最近の、絵物語を中心にした文化の隆盛には止まるところがなく、」
「その若者文化に対して敬意を払わない、かたい人々も多いと聞きます。法から外れた低い賃金でしか評価できない状況もあり、我ら漢人、そこに注目することもしきりで……」
いまの彼女の顔は、
強者の雰囲気を漂わせながらの、生意気な可愛らしくさ……良いな良いな。
「おおーい、そこらへんにしとけ。心の底からの笑顔同士で本気で火花を散らしあうでない。互いに楽しんでるだけなのは理解しとるが、
じいさんからの邪魔が……老君であれどこんな時は、じいさん呼ばわりしたくなる。
まぁ趣味の悪い楽しみであることは間違いなく、ハマる前にこの会合を本題に。
「では老君、まずは『私に日本に行け』と、つまりは……そういうことでしょうか」
「そうじゃな天佑。オヌシがオヌシの価値を最も示せるのは召還術であろう」
「つまり中華大陸の伝説の数々には、私はまだ触れられないという話ですな」
「まぁな、かの斉天大聖 孫悟空を相手どるのであれば、相当な大伝説となった存在でなくては対抗さえできまい。ヤツラにオヌシが術をかけるのは認められぬよ。万が一成功しでもしたら、たまったものではないわ。悪逆なる存在だとしても大身なるモノ、異文化にむざむざと引き渡したくはない」
「許可がでれば、
「はっはっは。あながち大言にならぬかもしれぬのが『覆しの天佑』、オヌシの怖さよ。正妻である
「……挑発してますか?」
必要もないのに家庭の事情に立ち入ってくるのは、さすがに誰であろうと失礼だ。
「あ、すまんの。調子に乗りすぎたわい。ま、挑発であったとしても、オヌシはそれに乗るような男ではあるまい。ケンカを売るのであれば勝てる
「……それはどういう」
『キリスト教徒というのもデカいでな』。なにかこれは重要な案件のような気がする。
「まだ内緒じゃ。そして己でその実態に気づいたときは、もはやあえて語る必要もなし」
会話の流れが止まった。そして好機きたれり、とでも言った様子で話に入ってきたるは
「
そう、かの大怪異の名こそ『
そう。カトリック仙人こと私、天佑は、
たとえその存在が、人の属性をもちえぬ
キリスト教をキリスト教たらしめる
そう、イエス・キリストとは『
それこそ我らの天主とは、勝利をもたらせしGOD OF GOD。
神を遥かに超えている神、それこそが真実であるがゆえに。
でも違うんだ
そうじゃない、そうじゃないんだ。
私たちが見下ろしては
「下僕なんかではありません。我らの教えこそが『平等』という理念を広める神秘なのですから。どんな立場であろうとも信徒の間に上下はありません。中心に位置するのが尊き
「キリスト教徒以外は、平等に扱ってはもらえんのかのぅ」
茶目っ気たっぷりに、じいさんが茶々いれた。だが他信徒や信心が無い人が気になるところではあろう。キリスト教徒の答えるべき問いかもしれぬ。
「キリスト教徒にはキリストの救いが、道教には道教の救い、無論仏教には仏教の、イスラム教にはアッラーの。ただ、それだけのこと。『善きサマリア人』の教えは大切な真理の一つなのです。神父様に聞かれたら怒られるかもしれませんが、無神論とて何かを
きっちりと説明できたと満足し気がゆるむ。
そんなところに大声で呼びかけられて
「師匠!」
「へ、烏丸殿どういたしましたか」
「柳生烏丸。ぜひとも天佑殿の弟子にしていただきたく」
ビックリ。でも嬉しい。
「つまり正教会からカトリックへと、宗派変えをしていただけるのですか」
ああ。今日、この人物の素晴らしさについては何度も理解を重ねたが、じつに素晴らしい。なんて……どこまでも可愛らしい、愛おしい女性なんだろう。
「あ、それはないです。この身こそ絶対に正教徒。
キリスト教全般としての師となっていただきたく」
「チッ」
あ、いかん。露骨な舌打ちが出た。その結果、顔面蒼白状態の烏丸殿が、が、が。
「す、すいません天佑殿。それこそ上とか下とかじゃなくて、そんなんじゃなくて」
今現在、彼女の凛とした姿は望むべくもなく。今にも泣きだしてしまいそう。うわぁ、どうしよう。なんてことだ、男がどうしたってかかえてしまう淡い期待、そんなフワフワ綺羅綺羅した望み、そんな未来も無残に吹き飛んでしまったのかも。なにやってんだよ、なにやってんだよカトリック仙人。
「今こそ宗教否定論者の言葉を使うべきかの、『内ゲバ』こそが酷くなるものよ」
うぎゃあ、老君に一本とられたどころの話でなく。
でも、瞳に涙を溜める烏丸どのの姿は、可憐であり美麗。
感情が動き続ける今。しばらくは、頭の混乱に身を任せよう。
ああ我が求道。
キリスト教への信仰と共にある、久遠にへと続く旅路。
いまだに一里塚さえ越えられていないようだ。