0 ある老人と孫悟空のことを話す。あと柳生女剣士が可愛い【カトリック仙人 天佑】

文字数 12,771文字

「ワシはのぅ、けっこう長い間な、天界でフラフラしとるが……イエス・キリストとかいう(ひげ)のはやした神格(しんかく)なんぞに出会ったことはないぞ。(うわさ)を聞いたことぐらいはあるがな」

 私の名は天佑(テンユウ)という。
 そして目の前の玉座(ぎょくざ)に座るは長く白い顎鬚(あごひげ)をたくわえた老人であり、その瞳、興味深そうに輝く光を(とも)したまま、どことなくとぼけた風。そして彼の言葉に、ハッキリとした口調で答えを返してみる。

「それはそうでありましょう。私が信仰を(ささ)げている『彼』は『(ちが)う』のですから。あなた様はいわば Chinese deity。イングランドの言葉でいえば『彼』こそがGOD。deity 神格でしかない存在とは根本から違うし、我らが(こし)を落ちつけている、このような天界(てんかい)なんぞにおられるはずがない。なによりも尊く高く隔絶(かくぜつ)した場所から、人と世を愛しておられるゆえに」

「……なんぞ、ねぇ。はっ、いうにことかいて『このような天界なんぞ』とは。ようも大言をかますものじゃ。ワシの座っている下で、モーモーいっとった奴の息子が、なんとまぁ(えら)そうに」

「魔王にまで()ちた親父(おやじ)のことを言われると、こちらも立つ瀬がありませんね」

「こちらも、そんなことを()し返したいわけではないさ。オヌシが洗礼(せんれい)という儀式(ぎしき)(のぞ)んでから……もうそうな、長い時を()たことじゃわい。わしの目の前に立てる存在でありながらクリスチャン、(おのれ)(めずら)しさを自覚(じかく)せぇよ。そのような立場で日々つらいことも多かったじゃろ。異文化の宗教への帰依(きえ)、その決断(けつだん)後悔(こうかい)をしたことが一度たりともなかったと言えるのかい。中華世界、他に例のない形の召還術師(しょうかんじゅつし)(くつが)しの天佑(テンユウ)』よぃ」

「キリスト教を()える信仰(しんこう)(かたち)などなく、それゆえ、()やみなどは一切(いっさい)ありません」

「だって天佑(テンユウ)、オヌシは『仙人(せんにん)』じゃあないか」

 そう私は、かなりの前から仙人と()っている。

 『仙人』
 平等に個人を救済(きゅうさい)するため、肉体(にくたい) (こころ)ともに(ぞく)超越(ちょうえつ)を目指す在り方。野蛮な生贄(いけにえ)の儀式などに頼った古代の邪教(じゃきょう)とは一線を画す、尊き求道(きゅうどう)の果て。その末席に『天佑』と言う名、確かに世界に(しる)されているだろう。とはいえ、非才(ひさい)なることは仕方なし。ほぼ独力(どくりき)でしか天界に存在することができない、この存在は、いわば小身(しょうしん)でしかない。

 目の前、中華文化最高位(ちゅうかぶんかさいこうい)なる神格の名声雷名(めいせいらいめい)()すれば、吹けば飛ぶよな卑仙(ひせん)(わたし)だ。
 そうであれど我が方寸(ほうすん)、胸のうちの信仰こそが、この身を高みに押しあげるに違いなく。

「カトリックの仙人がいたって、おかしなことはないでしょう」

「そーなのか。そーゆうものかのう。
 こちらがかまわんでも、そちらの教会とやらが良い顔せんのではないか」

「別に。人界(じんかい)で顔を合わせる神父様(しんぷさま)に、いらないことを話す必要などありませんから」

「じゃがのぅ……ワシにはどうにも西洋人諸々(せいようじんもろもろ)、あやつらがイマイチ信用できぬところがあるわい。中華本土(ちゅうかほんど)をアヘンづけにしたり、我らが人民(じんみん)を『いえろぅもんきぃ』とかいって喜ぶヤカラも消えたわけではなかろ。どうしたって警戒(けいかい)はしてしまうさ、そういう歴史が(たし)かにある、が、ゆえにな」

「私の解釈(かいしゃく)ですが……本来なら『白光(びゃっこう)』だと思うのです」

 一瞬だけの、いぶかしげな顔。その後、彼の瞳に奇知(きち)に満ちた光が宿(やど)る。こんなやりとりは前にもあった。つまりこれからこの老人は、こちらの饒舌(じょうぜつ)をうながしてくれるということ。

「またかよ天佑(テンユウ)。オヌシの悪い(くせ)じゃ。思考の過程をすっとばし、まず口にするのは結論近(けつろんちか)く。その独特な答え方な。最初から話してみ、いったいなにを伝えたいのかい」

 では一席(いっせき)
 かの東国での『寄席(よせせき)』。楽しく愉快(ゆかい)に笑いを(さそ)う、あの話芸(わげい)を思いながら。

「いえ、キリスト教は長い歴史の中『白』という色をひたすらに神聖視(しんせいし)してきた歴史があるのです、が……どこかの莫迦(ばか)が、そのイメージと(はだ)の色を重ねてしまったみたいで」

「あほらしいのぅ。日の光を()びやすい土地に住み続ければ、子孫の体色(たいしょく)()くなるのは自然(しぜん)であろうに」

「最も主イエス・キリストに愛された、
自称(じしょう)する高弟(こうてい)十二使徒(じゅうにしと)の一人ヨハネ様による福音書(ふくいんしょ)いわく
 『この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に(かがや)いている』
 この美しい文言(もんごん)から想像(そうぞう)してみてください、
夜空に光る星、その美しき白光(びゃっこう)が目に()かびませんか」

【ヨハネによる福音書(ふくいんしょ) 1-4 1-5より】

「ああなるほどな、(やみ)に飲み込まれまいとする(ほし)、かくのごときに命は輝く。その象徴(しょうちょう)たる光、その色が、あやつらの(はだ)の色と混同(こんどう)されて、ワシらの土地の人民への(さげす)みにまで()ちてしまった、と。『いえろぅ』とかいう言葉自体(ことばじたい)が、あまり良い印象(いんしょう)ではないとも聞くの」

古今東西(ここんとうざい)(はだ)の白い女性が美人だなんて嗜好(しこう)もありますが、もともと日の下で肉体労働(にくたいろうどう)しないですむ、お嬢様(じょうさま)姫様(おひめさま)対する(あこが)れでしょう。土地によっては静脈(じょうみゃく)()けてみえるほど肌が白いゆえに、貴族階級(きぞくかいきゅう)の人物をBluebloodと呼ぶ向きもある」

大道廃(たいどうすた)れて仁義(じんぎ)あり……というのもチョイ違う気がするが、本質(ほんしつ)より遠ざかりゆくのも人の(いとな)み、その姿(すがた)その(おろ)かさ、その()(よう)は東も西も同じというところか」

「我らが(きゅう)たる聖典(せいてん)旧約聖書(きゅうやくせいしょ)にも歌われているのですが
『エルサレムの(むすめ)たちよ、わたしは黒いけれども美しい。
 わたしが日に焼けているがために、日がわたしを焼いたがために、
 わたしを見つめてはならない』♪
()ずかしがっている様子(ようす)(じつ)可愛(かわい)らしいですね」

【雅歌 1-5より1-6より】

「まっとうなことを伝えようとしていただけなのに、いつのまにやら、そもそもの意味(いみ)意図(いと)が失われていく、真実(しんじつ)風化(ふうか)とでもいうのかの。悲しいことじゃて。中華の大陸も、かつての調和(ちょうわ)を取り戻せるのは、いつになることやら」

「まぁ海外の奴隷(どれい)が必要となった頃に、広まった蔑視感情(べっしかんじょう)かもしれませんよ。
 つまりは差別心が自然にわいたわけではなく、金を(かせ)ぐために世の風潮(ふうちょう)を変えたやつがいたかもしれません。そんなヤカラがいたとしたら、はたして地獄(じごく)行きから(のが)れられるかどうか。『人間には(やさ)しくしなきゃいけないから、大切(たいせつ)にしたくないやつは(ひと)ではない』なんて邪悪(じゃあく)。どの段階で devil 、悪魔(あくま)(そそのか)されたのだろう。自らの(とおと)さを否定しているも同じ、主から特別と看做(かんぱ)された人を、動物と同じに見る暴挙(ぼうきょ)。だいたい西洋人がもともと住んでいた土地には『(さる)』などいないのですよ」

「猿……か。ああ、呼び出した理由(りゆう)を思い出したわ。いかんのう、オヌシのおしゃべりに引きずられたわけでもあるが、年をとり()ぎるとなにごとも、思い出すのに(ほね)()れることじゃて」

 猿という動物の名で思い出すことのできる、私を()びつけた理由。
 頭に浮かぶは、鮮烈(せんれつ)なる稀代(きだい)の暴れ者。東アジア台湾(たいわん)にて『斉天大聖(せいてんたいせい)』という号で信仰を集めた勇名(ゆうめい)。私のごとき小身(しょうしん)とは、(くら)べることさえ(おそ)れ多く感じるほどの、大身(たいしん)(きわ)みたる(きわ)み。

「あのもしかして、孫行者(そんぎょうじゃ)がなにか」

「そうじゃ天佑(テンユウ)。オヌシ……悟空(ごくう)のやつを、チョイとこらしめてはくれんかのぅ」

 斉天大聖(せいてんたいせい) 孫悟空(そんごくう)
 私の父親 牛魔王(ぎゅうまおう)とかつて友人(ゆうじん)だったこともある(せん)。かの西遊記(さいゆうき)に名高き、強大無比(きょうだいむひ)なること限りない、人の(はる)か上に到達(とうたつ)した大猿王である。

 知ってる。こういうことをムチャぶりっていうのだ。
 しかもこれは半端(はんぱ)のないやつに(ちが)いなく、

無理(むり)を言わないでほしい』
 ……そのように言葉(ことば)にしてしまうのをグッとこらえて、とりあえず話を聞いてみる。

「いったいなにごとでありましょう。かの玄奘三蔵法師(げんじょうさんぞうほうし)天竺(てんじく)まで辿(たど)()いた結果(けっか)、あの(あば)れん(ぼう)も、少しは大人(おとな)しくなったはずなのでは」

 あれほどに(ごう)なる(さる)、その(こころ)(しん)(しん)から打ち負かしたるは釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)しかない。その存在こそが悟りによって人々に救いをもたらす仏、かの目覚めたる者 ゴータマ・ブッダ。そして孫悟空という名の大仙は、封じられた五行山から玄奘(げんじょう)という一人の僧に助けられ心服。天界の誰もがホゥと(むね)()で下ろした一件であった。そして天竺(てんじく)インドへと旅立(たびだ)った彼らが一行(いっこう)業績(ぎょうせき)は、中華仏教(ちゅうかぶっきょう)の段階をかなり上昇(じょうしょう)させたという。

「いやどうもな、最近のアヤツ……悟空の “ 存在(そんざい)()らぎ ” が止まらなくての」

「”存在の揺らぎ”。ということは東の国のアレ、あの物語(ものがたり)ですか」

「そうじゃの。同じ『名』をもつ個性的(こせいてき)かつ魅力的(みりょくてき)主人公(しゅじんこう)が、世界中で受けいれられてしまい、『孫悟空(そんごくう)』の字面(じづら)をみてまず(おも)()かぶ姿(すがた)、最近では、かの西遊記(さいゆうき)(うた)われた斉天大聖(せいてんたいせい)とも(かぎ)らぬようじゃ」

「あそこまで秀逸(しゅういつ)な絵物語が世に伝播(でんぱ)してしまえば、そうなるのも道理(どうり)。なるほどなるほど、では天界の大身たる住民(じゅうみん)が増えてしまう事態(じたい)もありうる、ということでしょうか」

「絵物語より伝播(でんぱ)したる新しき幻想(げんそう)が、ここにまでやって来るかどうかは、分からぬのぅ。じゃがな、どうなったとしても(おさ)まりがきかぬのは、かの石猿(いしざる)よ。『孫悟空』という名に集まる力が二分(にぶん)されてしまうわけであるから、そりゃきつかろうな。そのためかのぅ。近ごろのアヤツは、どうにもおかしい。見ていて不安(ふあん)になる」

「しかも、かの新しき『孫悟空』のほうが、孫行者よりよほど『(くう)』を(さと)っていますな」

「じゃの。ワシも読ませてもらったが、あの話の(えが)き手は(たい)したもの。ここまでの(しつ)、そして(めい)との親和(しんわ)(せい)(かんが)えれば、このまま()()がれた場合(ばあい)……あとそう100、150の年を()えたあたりで、西遊記のほうではなく、新参者(しんざんもの)のほうが『大源(たいげん)』に、なんてことになったとしても、おかしくはないわな」

「アナタの使う『大源』という言葉、深層心理(しんそうしんり)範囲(はんい)西洋系学問用語(せいようけいがくもんようご)を使えばユング()でいうところの『元型』と同じ系統(けいとう)というか。いえ、私の宗派(そうは)も彼らの動きは警戒(けいかい)しているのですが、エラノス会議(かいぎ)は、どうも見過(みす)ごせないというか」

「話がずれておる、ずれておるぞ天佑(テンユウ)。そんな(こま)かい事情(じじょう)は知らんがな。
 まぁどちらにしろ、『孫悟空』という信仰(しんこう)の『変容(へんよう)喪失(そうしつ)』といったところか」

「いえ、この場合『増補(ぞうほ)とそれにともなう損失(そんしつ)』というほうが良いのかもしれませんね」

「そうじゃなぁ、(われ)らが存在(そんざい)する(かたち)とはそのようなもの。たとえ”()い”のだとしても、(たし)かな実体(じったい)をもたぬ姿(すがた)であろうと……”()る”とするならば”()る”」

 そう。”在る”とするゆえに……”無い”ことはない、そう”(のぞ)まれるもの”
 目の前に()えるdeity 神格(しんかく)そんな存在(そんざい)。ソレが、私に言葉(ことば)()げかけ(つづ)ける。

「”在る”と(しん)じてもらえるのであれば、そこを基点(きてん)として(ちから)(あつ)まってくる。それを(かん)じとる人々(ひとびと)、その日常(にちじょう)日々(ひび)(おも)いに()()うことで、実在(じつざい)そのものにはなれずとも、それに(かぎ)りなく(ちか)づける。それこそ『()りがい』のある(ことわり)ではあるのだが、じつにめんどうくさく、うんざりすることもしばしばじゃて。天佑(テンユウ)正直(しょうじき)にいわしてもらえばな……」

 一瞬(いっしゅん)言葉(ことば)()めたとき、老人(ろうじん)表情(ひょうじょう)数多様々(あまたさまざま)感情(かんじょう)(うごめ)いているような、

 「……オヌシの信仰(しんこう)する(しゅ)イエス・キリストとやらが、うらやましくてしかたがない」



 ()づいたときには、老爺(ろうや)はペロりと(した)をだし、茶目(ちゃめ)っけのあふれる顔に(もど)っていた。

 この狸爺(たぬきじじい)め(私がこの言葉をつかうのもどうかと思うが)。
 とぼけたふりをして、キリスト教の信仰対象(しんこうたいしょう)、我らの『天主(てんしゅ)』が、(ほか)のどのような神格(しんかく)とも(ちが)隔絶(かくぜつ)された(しん)なる存在だということを完全(かんぜん)把握(はあく)している(ふう)にみえる。油断(ゆだん)ならないな。

 そう。我々(われわれ)信仰対象(しんこうたいしょう)(だん)じて deity 神格(しんかく)などではないのだ。(しん)なる存在(そんざい)

 そして、私が今観(いまみ)認識(にんしき)しているこの老体(ろうたい)こそが太清太上老君。仙人(せんにん)への(みち)(ひら)老荘思想(ろうそうしそう)、その根源(こんげん)の書を(しる)したる老子(ろうし)というヒト、そんな(かれ)が信仰を集めた姿である。高次(こうじ)とさえ(ひょう)してよいほどの存在強度(そんざいきょうど)喝采(かっさい)すべき尊崇(そんすう)集中(しゅうちゅう)する『()』といっていい存在(そんざい)。この老人(ろうじん)は『世界の特注(とくちゅう)』ともいえる『(おう)になりえない(おう)』。中華文化世界(ちゅうかぶんかせかい)(たたず)み続ける、別格(べっかく)(なか)別格(べっかく)

 であればこそ、(ため)してみる価値(かち)があるか。
 海老(えび)(たい)()るという言葉もあるが、(くさ)(くき)にて果たして大鵬(たいほう)射落(いお)とせるだろうか? ()(しゅ)イエス・キリストよ、どうか御照覧(ごしょうらん)あれ。

「ええ。私たちの信仰対象(しんこうたいしょう)、その神秘(しんぴ)なる真実(しんじつ)()らぐことなどありえない。
 どうですか老君(ろうくん)(みずか)らを仮初(かりそめ)の存在だと自覚(じかく)できているのであれば、我らと信仰をともにする道を(えら)びませぬか。主の力はそれこそ広大無辺(こうだいむへん)、Chinese deity 中華神格首魁(ちゅうかしんかくしゅかい)、代表たる成員(せいいん)とまでいえる貴方(あなた)であれ、確実(かくじつ)(すく)いは(もたら)されるに(ちが)いない、と私は(しん)じていますが」

「……なめるなよ、(うし)(たぬき)の子せがれめが」

 きづけば、(ゆか)にはいつくばっていた。
 なにかとてつもないものに、押さえつけられている。
 首筋から背、そして下腹にいたるまで息苦(いきぐる)しい感覚が這いまわる。

 冷たい悪寒(おかん)に心ざわつき、気脈(きみゃく)がぐずぐずと腐敗(ふはい)していくような痛み。
 このままでは、もしかしたら、わたしは、しんでしまう……かもしれない。

「確かに道教は宗教否定のヤカラによって、中華本土では壊滅的(かいめつてき)な被害をうけた。だが(タオ)を見出し書き記したる『老子道徳経』五千数百文字、その価値と高み、お前らが奉ずる真なる聖典(せいてん)にさえヒケをとるものではないはず。ワシにもそのくらいの自負(じふ)はある。(おの)が信仰を至高と看做(みな)のは別にかまわんが、自分自身の格ぐらいはちゃんと把握(はあく)しとけよ。クソでももらすか、この豎子(じゅし)めが……」

 静かで優しげで、おぞましきほどに恐ろしい老人の声。この身心胆(みしんたん)が芯より冷えきっていく脅威(きょうい)。だが……結果なめられすぎても困るな、勇を振り絞る。謝ることもせずに、ただひたすらに言葉をつむぎ続けることを良しとしよう。たとえ最悪の事態が起こったとしても、結局は主イエス・キリストがこの身を守りたまう。この認識こそが無敵に通じる。

「いえ私個人は、我らの聖典以外の価値も認める立場ですので。
 というかローマ以来、旧約聖書(きゅうやくせいしょ)新約聖書(しんやくせいしょ)によらぬ知恵の是非(ぜひ)に関しては、論を繰り返し続けていまして。アレクサンドリアの図書館を焼き払ったキリスト教徒たちに関しては、個人的に心痛めることしきりで」

「あーあー。統一中華たる王朝の初め、秦の始皇帝が儒者を埋め書を焼いたこともあったのう。まったく、どこの土地どの時代にもいるヤカラじゃい、本を燃やすヤツはいずれ人さえ壊す、なぜなら書とはしょせん紙と(すみ)のシミでしかなく、奴らが本当に消し去りたいのは、頭蓋(ずがい)の中身に刻まれた思考思想に他ならぬでな。
 ……とまぁ、うまく話をそらされてことでもあるし、先ほどの不遜(ふそん)はこれ以上とがめまい。気にすることなどないぞ。『猫に爪があることも忘れるな』それだけのことよ」

 スースゥーと、そよ風を感じるがごとくに、いつもの状態へと身体が回復してゆく。まるで聖水で清められたときに、心に()き起こる安らぎさえ想わせる今の状態。きつくお仕置(しお)きをされた後に(いや)されているわけだが、さて老君、どこまで本気なのだろう。

 彼の()(よう)(じつ)飄々(ひょうひょう)としている。
『つかみどころは無いのだが、それでいて理解のきざはしは(とら)らえやすい』というか。

「で、話題(わだい)をかの石猿のことに戻してと……悟空のことなんじゃがな」

孫行者(そんぎょうじゃ)ですね、彼はいったい何をやらかしたんですか」

「そのな。アヤツはキリスト教の教会、イスラム教のモスクを破壊しまくっておる」

「はぁ!?」

 瞬間(しゅんかん)、冷たい怒り。背骨に染み渡るかのごとき殺意が()き上がり、理性で抑制(よくせい)し、深呼吸、調息(ちょうそく)。鼻から吸い、鼻から吐き……。身体感覚幻想(しんたいかんかくげんそう)においてはカカトにて呼吸。
 ……おちつけ……おちつけ。

「知ってのとおりワシのような神格同士(しんかくどうし)や、オヌシみたいな仙人どもの(あらし)いは、人界(じんかい)にも影響(えいきょう)を与える。多少時系列(たしょうじけいれつ)混乱(こんらん)は生じるが(たが)いが(たが)いに合わせあう。(かがみ)(ぞう)が重なっていくようにな。人界(じんかい)仙界(せんかい)天界(てんかい)冥界(めいかい)、他の文化圏(ぶんかけん)も入れれば数多(あまた)の世界があろう。争いも含めたソレらの交流により、領域同士(りょういきどうし)相互(そうご)に変わりゆく、このような性質をもつのが、ワシの見定めるところの『宇宙』じゃ」

「ええ。ですので今聞いた『孫行者が教会やモスクを破壊してしまった』という事態(じたい)も、天界のでの彼の()がままが人界に影響を与えてしまったとか、そういう……」

「それがな……どうやら違うようなのじゃよ。アヤツめ、わざわざ人界に顕現(けんげん)して、かの斉天大聖(せいてんたいせい) 孫悟空(そんごくう)だけの武装である如意棒(にょいぼう)をもってして、キリスト教イスラム教両信徒の()まり()を壊しておるようでの」

「そんなバカな。そのような直接の実力行使なぞ不可能だ。幻想(げんそう)陸続(りくつづ)きの古代ならいざしらず、神仙(しんせん)形而上(けいじじょう)の存在と大多数に思われている時代、そんなことできるわけが……」

「やつが信仰の場を破壊するのは、戦乱が激しくて、いくらでもごまかしがきく国において。もはや10や20の数でなく、そのやりかたは実に巧妙(こうみょう)。まさに悟空の猿知恵」

 さすがにこれは(ゆる)せることではなかった。
 信仰者としてもそうであるし、敬虔(けいけん)な信徒にとっての(いこ)いの場を、
『みんなのたいせつなばしょ』『かけがえのないところ』
 そういうところを、嬉々(きき)として破壊するヤカラの胸のうちには、どんなやつであろうといつだって、(どろ)ついた邪悪(じゃあく)を感じるがゆえに。

 ……孫行者が喜びをもって行動しているかどうかは、まだ未知数(みちすう)ではあるが。

「ご依頼(いらい)(けん)承知(しょうち)したく思います」

 己知らずに自然とでた声。はっきりとした発音。そこに戸惑(とまど)いなどはみられない。 
 『この身を超えた無茶ぶりに真摯(しんし)にとりくむこと』を思考を経ずに承諾。そう、回心をしてから何度も経験している。この晴れやかな胸の感覚こそが『主の導き』に違いない。

「そういうと思ったわい。モチはモチ屋。お前らの信仰対象を蔑ろにする仙の不祥事(ふしょうじ)には、その主に仕えしカトリック仙人をぶつけるのが一番じゃろうて。まぁ自覚はあるじゃろうが天佑、今のオマエ一人では力不足であるでな、供する者を用意しておいた」

 老君が私の視線を促すように、後ろを向く。
 その先に現れたるは、私より一回りほどの小柄な女体。細い腕の先、(てのひら)に握られた、(さや)に包まれし剣は美麗(びれい)……いいや形状(けいじょう)から(さっ)するに片刃のようであるから、(かたな)か。

 距離を置きつつ正面からこちらを見つめる視線、とても心地よく、それを辿ることで(うかが)うことのできる(うるお)った(ひとみ)は、(つや)弾力(だんりょく)を感じさせる(まつげ)にてパッチリと(いろど)られている。ともすれば(こわ)さが伝わってくるほどに(すご)みのある真顔(まがお)でありながら、少し()いめの眉毛(まゆげ)はどこか丸っぽく(ととの)えられており、こちらの心を(やわ)らかく(なご)ませてくれる。

 豊かな御髪(みぐし)と暗き色彩の装束(しょうぞく)によって、全身が漆黒(しっこく)に染め上げられているかのよう。動きやすいように(はだ)露出(ろしゅつ)している箇所(かしょ)もチラホラ、それでいてその色気(いろけ)は、上品な形で(おさ)えられており調和(ちょうわ)に満ちている。そして仙の端くれであっても一目で理解できること……この女性はハンパなく強い剣士だ。

 これは話に聞くニンジャ。いや、そうではない。彼女は多分、

「まさか彼女は東の国に住まうという極上(ごくじょう)の戦士、かのサムライでありますか!?」

 すこしだけ顔をしかめた後、はっきり明確(めいかく)朗々(ろうろう)と、彼女はこちらに(うった)えかける。

(あるじ)どの、その言い方はやめてほしい。公家(くげ)どもの(かたわら)に『さぶらう』という屈辱的(くつじょくてき)歴史状況(れきしじょうきょう)から派生(はせい)した『(さむらい)』などという名に浪漫(ろまん)を感じられるのは(はなは)不快(ふかい)。この柳生烏丸(やぎゅうからすまる)、何者であるかと問われれば(つね)に『武士(ぶし)』という言葉で答えたい」

 ほほぅ。そのような歴史的事情が。
 げに恐ろしくは、真実の風化と歴史の変遷(へんせん)ということか。

「それは申し訳ない、まさかアノ言葉にそのような背景が」

 素直に謝ると、逆に向こうのほうこそ居心地が悪そうで。

「あ、いえ、まさか謝罪が頂けるとも思ってなくて、すいません神経質だとも思うのですが。どうしても……どうしても気になってしまい、武士に憧れている人物であればあるほど、当時の侮蔑的(ぶべつてき)な言いように感動しているのが、悩ましくて、あ、それで、」

 必要以上に、あたふたしている様子に、こちらの胸のうちは温かくなるばかり。
 攻撃は得意そうだが、防御はカラっきしに下手とみた。無論、武術以外の分野のことだ。

「何度も何度も実感をすることしきりですが『知らない』とはかくも恐ろしい。烏丸殿は武士であると心に刻みましょう。それの代わりに……というわけでもないのですが一つお願いがあります。私を主(あるじ)と呼ぶのは控えてください。我が信仰対象も同じ字で、(しゅ)呼称(こしょう)されることが多く、どうしても不遜(ふそん)と感じてしまうので」

 老君が私に向かってオヌシ、オヌシ呼びかけるのは日常化した嫌がらせ……まではいかなくても軽いイタズラみたいなもので。ヌシとは、それこそ主と同じ文字を使うのであるから。そうなのだ私も彼女と同じで、言葉の細かな色々が気になる(たち)である。

 この提案に対する反応。黒塗れた瞳の光。溢れてくる強い意志。まるで金剛石(ダイヤモンド)。触ることのできない輝きは、ふれたくなるほどに綺麗(きれい)で。

 この人物は東の果ての国、日本という名の土地に生まれし『武士』という存在でありながら、まちがいなく仙人でもある。どのような経緯(けいい)で、老君の隣に立てるほどの縁を積み上げたのだろうか。今はまだ理解できるはずもないが、とても興味深い。

「これは失礼をば。感服いたしました、貴方は、なんと敬虔(けいけん)な信徒であることか。同じ信仰を持つ者同士でありながら、この気づかいのなさは酷かった。ああ、なんてことか、自らの不明を恥じ入るばかり」

 男性話者と判別されそうな言葉を駆使しているわりには、口調と音声自体は実に女らしく、柔らかき美しさ。艶やかで麗しい響きに満ちていて、こちらから微笑を返すのにも抵抗がいらない。

 ……それはそうと、聞き捨てることが決してできない、そんな台詞が、

「同じ信仰ですと?」

「そうです、私もキリスト教徒ではあるのです。カトリックではなく正教徒なのですが」

 普遍(ふへん)なるを自認するカトリック。正統(せいとう)たるを(みずか)らとするオーソドックス、正教徒。

 そうして彼女は胸元をゴソゴソ。そして首からかけていた十字架、正教徒が祈りを捧げる木製の八端十字架(はったんじゅうじか)を大事な宝玉(ほうぎょく)を見せるかのごとくに、こちらに示してくれた。

「これは嬉しいことには違いないのですが、少しお話を聞いてもよろしいか東の果ての方よ。なんでまた、東欧や露西亜に広がりし東方のキリスト教とサムラ……いいえ、武士たらんとする貴女との間に縁が?」

「はっはっはっ。長くなりますので、詳しいことはまた機会があるときに。ただ一言ですますならば『薩長憎し憎しと思っていたら、いつのまにかに』とでもいいますか」

「あー、ペリーとかいう米国人が恫喝外交(どうかつがいこう)しにやってきてから、そちらのお国では色いろありましたからねぇ。国内の黄金、そのかなりが海外に流出してしまったそうで」

 わずかばかりに顔が曇るが、どんな感情が表れても彼女の美しさには、いささかも陰げりは見られない。目の前に立ってくれた女性が言葉を紡ぐ、ゆっくりと、それでいてハッキリとした口調で。

「これから話すことは個人的に気にしていることなのですが、お許しください。それこそ薩長流(さっちょうなが)れの政府のしたことではありますが、我ら和人(わじん)とそちら漢人(かんじん)、中華大陸にて戦火を交えることとなり……とても残念な結果に。こちらの言い分も多々ありますが、一部とはいえ色々やらかしたヤカラがいることは事実に違いなくて、」

「やめませんか。100年たっていないのです。あの大戦、どこの地域の人間であろうと冷静公平(れいせいこうへい)に論ずる状況には、まだ早い。今はまだ専門家に任すのを良しとしましょう。常に私たちに必要なのは、互いの文化に敬意を持ち続けること。仲良くするに越したことはなく警戒(けいかい)するにしたって『相手の美点を知ることが大切』ということこそが、変わらないナニカだ」

 烏丸殿の表情が明るく、(うるわ)しく輝いた。
 ぱぁっ!という擬音(ぎおん)が響き渡るごとくに。

「話が分かる方で嬉しい。その通り『バカにする』という行為こそが侮りに繋がり、それは私たちを勝利から遠ざける。愚かなことです、敬意を忘れるべき状況などは(まれ)なことなのに」

 とたんに満面の笑み、にこやかさわやか。なんというか、その幸せそうな様子に少しだけ物足りなさを感じてしまって、和気藹々とした空気もよいが、すこし刺激を楽しみたくなったきたわけで。けっして、イジメたいわけではない。うん、私に加虐趣味(かぎゃくしゅみ)はないはず。

「……ほほぅ次は勝つ、と」

 こんな答え方を試してみたところ、ピリっとした空気を少しだけ。一瞬だけ(ほう)けたあと、かえってきた表情こそは不敵(ふてき)。『挑戦うけた!』と顔に書いてあるよう。
 お、これは予想を超えるほどに良い展開。

「いえいえいえ、共存共栄こそがアジアの花でありましょう。ではありますが、もはや盟主とかいう考えは古いと思えて。中華思想も行き過ぎると……まぁ、なんですし」

 のってきやがった。話にもならない差別者でもなく、(こび)を売るだけの恥知らずでもない。せっかくのマトモな日本人(リーベンレン)。ならばこんな会話も楽しめるに違いない。
 ちょっとした遊戯(ゆうぎ)なり。

「世界の中心たる(はな)という自覚を永続させたい、とまでは思ってません。が、漢字を見れば自明のように東アジア文化の根本基盤としての矜持(きょうじ)は、なかなか消えるものでなく。日本正教会の聖書は、それこそ漢文の素養にあふれた素晴らしい訳であったはず」

「当然のことながら、聖ニコライ訳の新約聖書は私も愛読しております。ですがまぁ、始まりはどうであろうと、より大事なのは到達点。特に武と禅に関しては、こちらもなかなかに……また最近の、絵物語を中心にした文化の隆盛には止まるところがなく、」

「その若者文化に対して敬意を払わない、かたい人々も多いと聞きます。法から外れた低い賃金でしか評価できない状況もあり、我ら漢人、そこに注目することもしきりで……」

 いまの彼女の顔は、(やぶ)にらみのまま、それでいて口元の笑みは豪放なまでに魅惑的。
 強者の雰囲気を漂わせながらの、生意気な可愛らしくさ……良いな良いな。

「おおーい、そこらへんにしとけ。心の底からの笑顔同士で本気で火花を散らしあうでない。互いに楽しんでるだけなのは理解しとるが、太上老君(たいじょうろうくん)たる、この身からみてみれば『ちっちゃいのぅ』としか思えんでな。あー嫌じゃ嫌じゃ遠ざかりたい、俗世(ぞくせ)(くだ)らぬ」

 じいさんからの邪魔が……老君であれどこんな時は、じいさん呼ばわりしたくなる。
 まぁ趣味の悪い楽しみであることは間違いなく、ハマる前にこの会合を本題に。

「では老君、まずは『私に日本に行け』と、つまりは……そういうことでしょうか」

「そうじゃな天佑。オヌシがオヌシの価値を最も示せるのは召還術であろう」

「つまり中華大陸の伝説の数々には、私はまだ触れられないという話ですな」

「まぁな、かの斉天大聖 孫悟空を相手どるのであれば、相当な大伝説となった存在でなくては対抗さえできまい。ヤツラにオヌシが術をかけるのは認められぬよ。万が一成功しでもしたら、たまったものではないわ。悪逆なる存在だとしても大身なるモノ、異文化にむざむざと引き渡したくはない」

「許可がでれば、饕餮(とうてつ)女禍(じょか)であろうとも(くつがえ)してみせましょう」

「はっはっは。あながち大言にならぬかもしれぬのが『覆しの天佑』、オヌシの怖さよ。正妻である羅刹女(らせつにょ)ではなく(めかけ)玉面公主(ぎょくめんこうしゅ)の子とはいえ、さすが牛魔王(ぎゅうまおう)の息子じゃわい」

「……挑発してますか?」

 必要もないのに家庭の事情に立ち入ってくるのは、さすがに誰であろうと失礼だ。

「あ、すまんの。調子に乗りすぎたわい。ま、挑発であったとしても、オヌシはそれに乗るような男ではあるまい。ケンカを売るのであれば勝てる算段(さんだん)を組み立ててから。そういう所が評価されて、ここに呼び出されたんだと思っとけ。あとキリスト教徒というのもデカいでな」

「……それはどういう」

『キリスト教徒というのもデカいでな』。なにかこれは重要な案件のような気がする。

「まだ内緒じゃ。そして己でその実態に気づいたときは、もはやあえて語る必要もなし」

 会話の流れが止まった。そして好機きたれり、とでも言った様子で話に入ってきたるは柳生烏丸(やぎゅうからすまる)。老君による今回の依頼は、斉天大聖孫悟空の討伐にさえ発展する可能性もある。武人としての興奮を隠しきれないようにみえた。やたらに可愛いなこの女性……たぶん戦場では違うのだろうけど。

天佑(テンユウ)どの、これから貴方の前に立つ存在は日本の大妖怪……いいえ、ちがいますな。そんな生易しいものじゃあない。純然たる荒神なるモノ、怪物の極致、かの素戔嗚尊(スサノオ)が倒したるウワバミ。
 そう、かの大怪異の名こそ『八岐大蛇(ヤマタノオロチ)』。かの魔性を我らの下僕とすべく、カトリック仙人たるその身を我が国へと、私、柳生烏丸(やぎゅうからすまる)が案内いたしましょう」

 そう。カトリック仙人こと私、天佑は、回心(かいしん)させたモノを召還(しょうかん)することができる。
 たとえその存在が、人の属性をもちえぬ化物(けもの)だとしても……だ。
 
 キリスト教をキリスト教たらしめる教理(きょうり)三位一体(さんみいったい)
 そう、イエス・キリストとは『万軍(ばんぐん)(しゅ)』の御名(みな)でもある。
 
 それこそ我らの天主とは、勝利をもたらせしGOD OF GOD。
 神を遥かに超えている神、それこそが真実であるがゆえに。


 でも違うんだ烏丸殿(からすまるどの)
 そうじゃない、そうじゃないんだ。
 私たちが見下ろしては駄目(だめ)なんだよ。

「下僕なんかではありません。我らの教えこそが『平等』という理念を広める神秘なのですから。どんな立場であろうとも信徒の間に上下はありません。中心に位置するのが尊き教皇様(きょうこうさま)という話。であるからには、引き降ろすわけでなくその大蛇妖(だいじゃよう)が『私を通じて主の意志に従う』ようになるということ」

「キリスト教徒以外は、平等に扱ってはもらえんのかのぅ」

 茶目っ気たっぷりに、じいさんが茶々いれた。だが他信徒や信心が無い人が気になるところではあろう。キリスト教徒の答えるべき問いかもしれぬ。

「キリスト教徒にはキリストの救いが、道教には道教の救い、無論仏教には仏教の、イスラム教にはアッラーの。ただ、それだけのこと。『善きサマリア人』の教えは大切な真理の一つなのです。神父様に聞かれたら怒られるかもしれませんが、無神論とて何かを(つか)みえるかもしれない」

 きっちりと説明できたと満足し気がゆるむ。
 そんなところに大声で呼びかけられて仰天(ぎょうてん)

「師匠!」

「へ、烏丸殿どういたしましたか」

「柳生烏丸。ぜひとも天佑殿の弟子にしていただきたく」

 ビックリ。でも嬉しい。

「つまり正教会からカトリックへと、宗派変えをしていただけるのですか」

 ああ。今日、この人物の素晴らしさについては何度も理解を重ねたが、じつに素晴らしい。なんて……どこまでも可愛らしい、愛おしい女性なんだろう。

「あ、それはないです。この身こそ絶対に正教徒。
 キリスト教全般としての師となっていただきたく」

 「チッ」

 あ、いかん。露骨な舌打ちが出た。その結果、顔面蒼白状態の烏丸殿が、が、が。

「す、すいません天佑殿。それこそ上とか下とかじゃなくて、そんなんじゃなくて」

 今現在、彼女の凛とした姿は望むべくもなく。今にも泣きだしてしまいそう。うわぁ、どうしよう。なんてことだ、男がどうしたってかかえてしまう淡い期待、そんなフワフワ綺羅綺羅した望み、そんな未来も無残に吹き飛んでしまったのかも。なにやってんだよ、なにやってんだよカトリック仙人。

「今こそ宗教否定論者の言葉を使うべきかの、『内ゲバ』こそが酷くなるものよ」

 うぎゃあ、老君に一本とられたどころの話でなく。
 でも、瞳に涙を溜める烏丸どのの姿は、可憐であり美麗。
 感情が動き続ける今。しばらくは、頭の混乱に身を任せよう。

 ああ我が求道。
 キリスト教への信仰と共にある、久遠にへと続く旅路。
 いまだに一里塚さえ越えられていないようだ。
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登場人物紹介

柳生烏丸(やぎゅう からすまる)


ヒロイン


柳生剣士でありながら女仙


キリスト教 正教会信徒


詳細は後日

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