第二十一曲 テンポ・ディ・ポラッカ(ポロネーズ)あるいは乾杯の踊り (2)

文字数 2,352文字

 今回はぼくが中央駅(ハウプトバーンホフ)で待たされる役でした。列車の到着が八分くらい遅れて、その八分がわりとかるく地獄でした。もう待つの限界だったから。これがベルリンやヤーパンだったら四十秒以上遅れることはないらしいけど、バイエルンだからね。とにかく、外で会うと彼女はかなりの確率でぶっきらぼうバージョンだから、気まずいなと。第一声、何と言ったらいいんだろうと。ガン無視してすどおりされた場合どうしようと。いちおう厚着して顔も隠してきた(見送ってくれたベンノの顔にありありと「巻きすぎでは?」って書いてあった)けど、待って!とか叫んでいるところをパパラッチされたらみっともなさ無限大だなと。どうしよう。という回転をエンドレスにやっていたら、なんかすごく、かわいい人が降りてきて、なにそれツインテールなんてしたことなかったじゃない? 目のブルーに合わせてブルーのリボンしてるの? そのままベンチに押し倒されて、ちょっと待ってここ人目もあるから!
「あたしおなかすいた」
「おなかすいたの」
「うん」
「何か食べに行く?」
「パン買う」
「パン?」
「ブレッツェル」
 駅のベーカリーでバター付きブレッツェルを買いました。もっちりした生地を棒状にしてくるっと結び目の形にした、あのパンです。横にスライスして切れ目を入れて、バターをはさみこんで、つぶ塩がまぶしてあれば完璧。それがブレッツェルです(アメリカの元大統領がのどにつまらせたっていう焼き菓子とはぜんぜん別物だからね)。あと、売店で、しぼりたてオレンジジュースを買いました。空のプラスチックボトルを買って、半分に切ったオレンジが大量に投げこんであるしぼり機のスイッチを押して、流れ出す果汁をボトルに詰めるのです。で、駅のベンチで食べるのかなと思ったら、きゅうに赤くなって、ホテルの部屋に持っていって食べるって言うから、ホテルどこって訊いたら駅前のエーデルホーフホテルって言うから荷物持っていってあげようかって訊いたらお願いって言うからついていってあげました。受付でコートを脱いだら、真っ白でふわふわのセーターだった。ちょっとサイズ大きめ? カウンターでペンを持ってチェックインのサインしてるけど、袖口が手の甲にかかって、書きにくそうに何度も引っぱってる。まさか、もしかして、これがかの有名な、モエソデ(萌え袖)ってやつ?! ネックの開きも大きくて、片方の肩、素肌が出かかってて、なにそれこんなおしゃれどこで覚えてきたの、いやベルリンか当然。
 エーデルホーフはコンパクトなシティホテルだったけど、部屋にはお茶の用意が充実していて、ぼくらは、どうにも気まずくて、お湯を沸かしたりしました。ぼくの好きなレモン入りハーブティーのティーバッグがあったので、これおいしいよねと言ったら、彼女もうんと言いました。性能のいいポットで、お湯は瞬時に湧いてしまって、彼女はレモンハーブティーを淹れて、ぼくが、おなか、すいてるんでしょと言ったらうんと言うから、食べたらと言ったら、うんと言って、ブレッツェルをぽきんと割って、あげると言うから、ありがとうと言ってぼくも食べました。
「シギイ」と言って、抱きついてきたから、ぼくも思いきり抱きしめました。柔らかい。
「会いたかった」
「ぼくもだよ」
 そのまましばらくじっとしていました。キス、するのかなと思ったら、ぱっと離れて、ソファに座ってしまった。
「あのね」うつむいて、りんごみたいな真っ赤なほっぺたになっています。「あのね、知ってる?」
「何?」
「聞いたんだけど、ハワイの人たちって、口で話して、伝えきれないことは、踊るんだって」
「踊るの」
「うん、フラダンス。踊りで伝えるの」
「そうなんだ。素敵だね」
「鳥みたいでしょ」
「鳥? ああ、タンチョウヅルか」
「あと、ゴクラクチョウ?」
「ああ、いるね、踊りすぎてなんか謎の未確認物体みたいになっちゃう子たち」ふたりで笑いました。
「だからね、あたしも考えてきたの。振り付け」
「え?」踊るオデットなんて初めてです。
「電車の中で考えてきたの、こんなの」
 いきなり歌いだしました。は? 何? え、うそ、それ《白鳥のテーマ》のつもり? くるっと回って手をぽんぽんとたたいて、なにそれ、ヤーパンのボン踊り(ダンス)
「終わり」
「はい?」
 度肝を、ぬかれました。知らなかった。オデット、きみ、まさか——まさか——踊りのセンス、ゼロだったんだ。
「白鳥がおうちに帰ってきて嬉しいの踊り」
「嬉しいの踊りなの」かわいい。
「うん。でね、でね、これが二番」
「一番と同じじゃない」
「二番は黒鳥なの」
「どうちがうの?」
「同じ」
 意味不明——
「あと見て見て」今度はセーターを脱ぎだしました。というか、うそだろ、セーターもその下もまとめて一気につるんと脱いだよ?!「これね、新しいブラ。買ったの。ショーツもおそろい。ここ見て、ちっちゃいスズランがついてるのね」
「どこ?」
「ここ」
 オディール!!
 あのね、なんでスズランかっていうと、チャイコフスキーさんね、一時期ガーデニングに熱中して、あの、スズランをたくさん植えて楽しんでたんだって、スズラン、って、素敵よね、ちっちゃくて、いい匂い、彼らしくて、あっ、……
 

★スペシャル動画:黒い極楽鳥の踊り
https://www.youtube.com/watch?v=rX40mBb8bkU
踊るのオスですけどね。涙ぐましい。身につまされる……(笑)。

★そういえば《黒鳥のグラン・フェッテ》(片脚で立ったまま32回転する超絶技巧のやつ)、載せてなかった。ついでにここに載せちゃいます。これなんかどうですか? 黒鳥も王子も完璧すぎて怖いです(笑)。
https://www.youtube.com/watch?v=XfmSv0z205s
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登場人物紹介

ジークフリート(愛称シギイ、ペーチャ、ミーメ)   

・この物語の語り手。バイエルン(南ドイツ語圏)地方に位置する小国の王太子。ひとりっ子。
・長身。髪は赤みがかった金茶色(母似)。
・読書魔でハイパー記憶力の持ち主。
・父の死(14歳)以降、公務のため学校には通わず、家庭教師から授業を受けている。

・ピアノが得意。とくに即興と伴奏。

・趣味はバードウォッチング。とくに渓流の小鳥を偏愛。

・自己評価が極端に低く、本人はコミュ障だと思って悩んでいるが、じっさいは聞き上手で愛されキャラ。
・一方的に恋されることが多く、人間関係に対して臆病になっている。
・涙もろい。

オデット(愛称オディール)

 

・伯爵家の出身だが、8歳で母を亡くし、父ディートリヒに連れられて欧州各地を転々として育つ。ひとりっ子。

・黒髪、目は濃いブルー。

・ヴァイオリンの腕前はソリスト級。水泳も得意。
・叔父のテオドール※と仲がよく、彼所有のヴァイオリンの名器を借りて使用している。 ※番外編に登場

・服はほとんどが白か黒の二択。
・親しい人の前ではのびのびとふるまう反面、極端な人見知りで、外では別人のように不愛想。

・夢中になると前後を見失いがち(自覚あり)。

・初恋の相手は愛犬のティート※(ゴールデンレトリバー)だった。 ※番外編に登場

ロットバルト(本名ディートリヒ、愛称ディーディー)


・教会音楽家(キルヒェンムジカー)。音楽全般に天才的な才能。楽器はパイプオルガンとピアノ。指揮、編曲もこなし、歌も歌える(バリトン)。

・紫がかった黒髪と黒目。

・幻の名作『白鳥の湖』の復曲にとり憑かれている。

・伯爵家の当主だったが、妻に先立たれてから弟テオドール※に家督を譲り、欧州各地を気ままに転々として暮らす。音楽教師と調律の仕事で生計を立てている、ように見えるが、じつは経済観念にとぼしく家計はつねに赤字で、弟からの仕送りに頼っている。 ※番外編に登場
・ひとり娘のオデットを溺愛。ジークフリートにも父親的な愛情を抱き、二人の結婚を画策する。

・つねに他人の予想のななめ上を行く言動で周囲を驚かせる。

・女にもてすぎるため過去にいろいろやらかしてきているらしい。

・思わせぶりな発言が多いわりに、本人はストレート(ヘテロ)。とはいえ、性の多様性を当然のこととして受け入れている、いわゆる「アライ」。

ファニイ   


・オデットの友人。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はチェロ。

・大柄で色白、明るい茶の髪と目。

・服はピンクや花柄が好き。
・弟が一人いる(作中には登場せず)。
・おおらかで愛情深く、安定した性格。こまやかな気配りができる一方で、かばんの中でよく失くし物をする。

ベンノ


・ジークフリートの侍従で友人。

・事故に遭って失語症をわずらい発話ができないが、持ち前の明るく機敏な性格で、仕事も日常生活もふつうにこなしている。

・灰緑色がかった金髪(ドイツ系に多い)。
・姉が一人いる(作中には登場せず)。
・つねにジークフリートに付き添い支えるうち、その間に出会ったファニイにひと目惚れ(したらしい)。

オーロラ   


・オデットの友人。クララの姉。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はヴィオラ。

・ウェーブのかかった明るい栗色の髪。瞳に金の斑点がある。

・きれいな色が大好きでつい派手な服を選びがち。クラスメートたちから「せっかく美人なのに趣味が残念な子」と思われている。

・性格はおっとりしていて、ジークフリート以上の泣き虫。不器用でおひとよし。

・留学生としてやってきたデジレにひと目惚れ(したらしい)。

クララ    


・オデットの友人。オーロラの妹。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はヴァイオリン。オデットたちと組んでいるカルテットでは第二ヴァイオリンを担当。

・黒に近い栗色の髪と目。ボーイッシュなショートカット。

・デニムを偏愛。冬でもショートパンツにブーツで、スカートは持っていない。
・姉のオーロラとは正反対の活発な性格。情にもろく、落ちこんでいる人(とくに男)を見ると放っておけない。

デジレ    


・アフリカ大陸に位置する小国の王子。兄が一人、姉が一人、妹が二人いる(作中には登場せず)。

・おしのびでオデットたちの音楽院に留学してきている。

・長身。ジークフリートより背が高い。

・ジークフリートをしのぐ音楽の才能の持ち主。アンサンブルでの担当はオーボエだが、鍵盤楽器も得意。

・美男美女か、または超絶美男美女のどちらかしか出てこないこの物語の中でも、主人公と並ぶ美貌の持ち主。肌は褐色。
・祖国の公用語はフランス語。その他、多言語に長け、ジークフリートと同じレベルで議論できる唯一のクラスメート。
・料理も得意。味付けは濃いめ(スパイスも多め)が好き。
・物欲がないように見えるが、じつはお洒落をしつくした末のミニマリスト。

・洗練された紳士である一方、激しいものを内面に秘めていて、ジークフリートを戸惑わせる。

マリウス


・国立バレエ学校の教師。ソリストの才能に恵まれるも、祖国に戻って子どもたちの指導に専念。とくに弟フリーディの教育に力を注いでいる。
・パリでの修行中に知り合ったピアニストのクローディアと恋愛結婚。まだ新婚で子どもはいない。
・髪と目はどちらもセピア色。

クローディア


・マリウスの妻。バレエの伴奏ピアニスト(コレペティートル)として夫を支える。
・マリウスが帰国する際、いったん別れるが、あきらめきれずに追いかけてきて結ばれる(作中には言及なし)。
・フランス系とドイツ系のハーフ。バイリンガル。
・赤毛でメガネ美人。

フリーディ(本名フリーデマン)


・フルネームはフリーデマン(=自由人)・フォーゲル(=鳥)。名前からして踊るために生まれてきたような少年。
・ダンスに類まれな才能を持つ、百光年に一人の逸材。
・兄マリウスとは十四歳違い。幼い頃、彼に憧れてスタジオに通ううち、自然とダンサーをめざすようになる。
・明るい金髪、灰緑色の目。実兄のマリウスより、血のつながりのないジークフリートに似ている。
・アイデアに富み、つぎつぎと斬新な提案を繰り出しては周囲を驚かせる。
・清浄無垢な風貌を持ちながら、中身はいたってふつうの元気な中二男子。
・現シュトゥットガルトバレエ団のプリンシパルである天才ダンサー、フリーデマン・フォーゲル氏に似てはいますが、別人です。あんな誠実でまじめな貴公子ではありません(笑)。

王妃(本名はそのうち出てきます)


・ジークフリートの母。王太子である息子を摂政として支える。息子を溺愛しているが、全体にも気配りのきく、バランスの取れた賢夫人。

・小柄で色白。赤みがかった金髪(息子と同じ)。中年になったいまも絶世の美女。

・チェロとピアノを少々たしなむ。

・兄と弟が一人ずついる(作中には登場せず)。

・天真爛漫で明るく、ひじょうに安定した性格で、周囲にとって「錨」のような存在。

・その一方、おちゃめで天然。つぎつぎと無邪気な発言を繰り出しては周囲(おもに息子)を驚かせる。

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