第十曲 テンポ・ディ・ヴァルス(白鳥たちの)(2) ★BGM付
文字数 1,501文字
「ピアノ、もういいの?」
「お聞きだったんですか」
「めずらしいと思って、チャイコフスキーの『舟歌』」
「ああ、あれ。六月の曲でしょう、連作『四季』の。だからなんとなく」
「前は、センチメンタルだって言ってたのに」
「やっと良さがわかったんです。というか、センチメンタルとロマンチックのちがいがわかったということかな。ぼくも大人になったんですよ」
いまの笑うところですよ、母上。何きゅうに、目に涙を浮かべたりなさってるんですか。え、いやだなまさか、お気づきなんですか、ぼくの——朝帰り。それはちょっとかんべんしてほしいな! ぼくはここでも完敗なのか?
そのことにはふれず、母上はかるくせきばらいをすると、思いがけない話を始められました。
「音楽院の生徒さんたちから、とても素敵なお申し出があったのよ。あなたは、オルガンとピアノの曲をお勉強しているのだとばかり思っていたら、オーケストラなのですってね」
「ええ。ちゃんとお話ししていなかったかな、すみません」
「いいのよ。それで先週、弦楽の編曲を聞かせていただいたのね」
「そうなんです」
「素敵なお嬢さまたちのようね」
「ええ、たまたま四人とも女性でした」ここで顔を赤らめるほど、ぼくももう子どもではありませんよ、母上。「あの四人なら、まとめて妃にするのもやぶさかではありません」
「おやめなさい」よかった、笑ってくれた。
「お会いになったんですか?」
「いいえ、書類が来ただけよ。それがね、少しずつ人数を増やして、小編成でもオーケストラで試奏してみたいのですって。この夏に、気軽なコンサート形式で発表してみたいから、野外の会場を使わせてほしいという許可願い」
「いいですね!」
「そしてね、あなたにもかかわってほしいというのよ、ジークフリート。あなたの名前が入ったら、きっと人も集まるだろうって。わたくしはとてもいい考えだと思うのだけど、どうかしら?」
奇跡、という文字が脳裏にひらめきました。オデットに会える。
「前から思っていたの、ひとりで弾く楽器もいいけれど、他の人たちと合わせてみたら、あなたもきっと楽しくなるのではないかしら」もちろんですよ!「あなたは学校というものに行っていないでしょう、授業もずっと先生と一対一で、お友だちともひととおりしかつきあわないし。本当なら遊びたいさかりに、わたくしが公の場に引っぱり出してしまったから。ごめんなさいね」
「そんなふうにお思いだったんですか。ちがいますよ。当然の義務だし、そもそもぼくが変わり者すぎて、友だちを作るのがへたなだけです」親はありがたい。胸が痛みました。
「せっかくのお話だから、お受けしたらどうかと思うのだけれど?」
「願ってもないです。ぼくも嬉しい。さっそく返事を、ああ、ぼくが自分でします」
母上、何も、泣くことはないでしょう。そんなにお子ちゃまだと思われていたなんて、本当がっかりです。だいたい、なんだか今日、いつにもましておきれいなんですが、気のせい? 息子としては、おだやかではありません。また盗撮とかされてたらどうするよ。
★BGM:『四季』より「舟歌(六月)」
https://www.youtube.com/watch?v=uJt9JjDXywQ
↑背景が六月じゃないのはなぜ(笑)。アルバム全体のジャケットなのでしょうね。