第四曲 チャルダーシュ・前半(モデラート・アッサイ)(1) ★BGM付
文字数 2,183文字
なぜ、こんな曲を?
十分前までは、二階の
「そんなにレパートリーないから適当でいい?」と言われ、おまかせしますと答えて、一階に降りました。いろいろな音のデモンストレーションをしてもらう程度のつもりだったのです。本当は正面のまん中で聴きたかったけれど遠慮して、少し脇に座りました。それが二分前。
流れ出した音。息が止まりました。
暖かい。
アダージオ。しっかりと支えるバスに(足鍵盤)、どうしたの?と静かに尋ねるようなテノールとアルトが乗って(この二声を左手で取っていました)、右手の旋律は、ただひたすら、何かを訴えるような。ときどき高く昇ろうとして、あきらめて、戻ってきてしまうような。それを中低音が、包みこんでいくのです。暖かい光に満ちた長調なのですが、ときおり差しはさまれる不協和音が、えぐるようで、
泣いている。もう、涙も出ないのだけれど。そんな音。
こんなことってありますか。こんな——反則でしょう、これ。はめられたと思いました。いやだこんなの。泣かされてたまるか——
さらにゆっくりとテンポが落ちて、ねじ切るような不協和音が来たとき、ああ、終わるのだなと思いました。この苦しみも思い出も哀しみも、あと二小節くらいで終わる。そのとおりになりました。すべてが、温かな和音にとけて。
はめられた。みごとに。
動けませんでした。
「どうした」
「なんでもありません。感動しただけです」
「感動するとそうなるのか、きみは」
「たまに」
そばに来てほしくなかったのですが、立場が逆だったら、来ないわけにいかないよなとも思いました。
「なんていう曲ですか?」
「バッハのコラール。BWV622」(※1)
「お葬式の曲?」
「いや、聖週間(※2)の曲だけど」
「埋葬?」
「キリストのなきがらを十字架から下ろす」
「ああ」
この、ああ、で、やっと息がつけて、ぼくは起き上がりました。動転している彼の顔を見るのはちょっと面白かったけど、その十倍以上、はずかしかった。いやだな、せめて目をぬぐうところは見ないでほしい。
「そんなに感動してもらえるとは思わなかったんだが」
「感動しやすい体質なので」
何か言わないといけないような気がしました。本当は何も言わなくてもよかったのに。たぶん、言いたかったのはぼくなのでしょう。
「小さいとき、五歳くらいかな。行方不明になったと思われて、大騒動になりかけたことがあったんです」
「へえ?」
「あやうく警察が総動員というか。庭のすみにいただけなのに」
「なんでまた」
「雨上がりで、葉っぱにたくさん雨粒が乗ってて、それを一粒ずつ見てました」
「へえ……」
「一粒の中に、庭の木が全部映ってるじゃないですか。すごいと思ったんです。指で、となりの粒とつなげると、合わさって大きい粒になる。そこにまた庭が全部映る。そうやって遊んでいたら、大きくなりすぎた水滴が、つーっと葉っぱから落ちちゃったんですね」
「ああ」
「一瞬で、消えてしまったので」
「うん」
「なんてことをしてしまったんだろうと」
「ああ。うん」
「そんな曲でした、いまのは」
沈黙。
「手ごわいね、きみは。いろんな意味で」
「え?」
「それでそんなに泣く?」
言うなら、あまり親しくならないうちのほうがいいという計算があったかもしれません。それならあきれられて疎遠になっても、失うものが少なくてすむ。
それとも、魔がさした、のかもしれません。
あいつ悪魔かも。ロットバルト。
★BGM:J.S.バッハ「人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」BWV622
めちゃくちゃ怖そうな題ですが(笑)、優しくて温かい曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=a-Y0fbSCSpE
※1 BWVは、ヨハン・セバスティアン・バッハの作品目録番号のことです。(Bach-Werke-Verzeichnis)
※2 復活祭の前の一週間を、聖週間といいます。キリストがエルサレムで受けた受難を記念する行事が日曜、水・木・金・土曜とつづく特別な週で、奏されるミサ曲も沈痛なものが多いです。そのぶん、最後の復活の日曜日の明るさが心にしみます。