第二十曲 情景(アレグロ・アジタート、コン・パッシオーネ)(3)
文字数 1,943文字
それ、すごくいいかもしれない。もともとは大人のために書かれた作品だけど、思いきって一度まっさらに戻して、子どもたちに踊ってもらったら。ロットバルトも大喜びしています。
学校の見学に招待されたので、彼と二人で行ってきました。スタジオに入って、まず、一面の鏡張りに驚きました。そういうものだと知識として知ってはいたけれど、じっさいに見ると圧倒されます。つまり、ぼくはいままで他人の視線にはさんざんさらされてきたわけだけど、そのぼくでさえ、自分自身の視線にたえずさらされるなどという経験は初めてだから。かなり、来ます。わりといたたまれないです。照れる。だけど生徒さんたちはみんな平気で、元気に跳ねまわってるんだよね。それだけでも尊敬。
かつてバレエは王侯貴族のたしなみだったそうで、チャイコフスキーさんも少しは踊れたのだとか。うらやましい。ぼくはさすがに観る専門です。子どもたち、めちゃくちゃかわいい。五、六歳クラスの子たちがぱあっと駆けよってきて、ちっちゃな手でぼくにさわりまくりました。「ほんものだ」「ほんものだ」だって。おいおい、さわると病気が治るっていうスペインの神秘のマリアさま像じゃないぞ、ぼくは。ひとりがディーディーをしげしげ見て「だれ」と言いはなったときは、ぼくら爆笑でした。どこから説明したらいいだろうね。だめだよディーディー、「ほんもののロットバルトだぞー」なんておどかしちゃ。そこの小さいふたりなんか本気でおびえはじめてるじゃないか。
指導者のお二人と握手しました。振付のマリウス・フォーゲル氏と、夫人でピアノ伴奏担当のクローディアさん。二人ともまだお若い。三十前なのだそう。でもフォーゲル先生は、ソリストの道をきわめるより子どもたちの指導に当たりたいと思って、フランスから帰国したばかりなのだそうです。
「フォーゲル先生はおやめください。どうかマリウスと」
「ではマリウス」
ディーディーの送ってあった楽譜に、お二人とも感嘆しています。よくぞここまで再生したと。ただ、いきなり全曲は無理なので、やはり抜粋で構成してはどうかと。そもそも、子どもたちの男女比、圧倒的に女の子が多いから、男女ペアの舞踏会の再現はむずかしいと。湖のほとりで白鳥たちが踊る曲を中心にプログラムを組んではどうかと。方向性が定まってきました。
「この《小さな白鳥の踊り》なんてどうでしょうか」
「いいですね。ひよこ、ぴったりかも」
「あ、でも、考えたら白鳥のひよこって、みにくいあひるの子?」クローディアの発見に笑いが起きました。
「それはこまるな、ちがう話になっちゃう。ちびだけどいちおう白いという設定では?」
「もちろんそれで」
魔王ロットバルトは誰が?と尋ねたら、もちろんぼくがとマリウス。きゅうにすごく嬉しそうなので笑ってしまいます。やっぱり自分も踊りたいんだね。かんじんの白鳥と黒鳥と王子は、最年長、十四、五歳のクラスからの抜擢で、これもキャスティングはもうほぼ確定なのだとか。
「ふたごがいるんですよ」
「白鳥姫と黒鳥姫? すごい!」
しかも美少女。ビアンカとメラニー。ふたりともすでにやる気まんまんで、稽古着もそれぞれ白と黒のレオタードとチュチュを着ています。並んで、クローディアの弾くテーマに合わせて、つまさきで立って腕をひらひら上下してくれました、本当に鳥みたい! だけど——
「どうなさいました?」他の三人がけげんそうにぼくを見つめています。
「いえ、なんというか」何だろう、この違和感。もしかしたら——「もしかしたら、逆じゃないですか?」
「逆?」
「いま、ビアンカちゃんが白鳥で、メラニーちゃんが黒鳥でしょう。逆にしては?」
本人たちもふくめて全員が、あっけにとられていました。ぼくとしては、なぜ誰もいままで疑わなかったのか、そのほうが不思議だった。たんなる初対面の直感といえばそれまでですが、どう見ても、はつらつとしたビアンカちゃんが黒鳥で、はかなげな雰囲気のメラニーちゃんのほうが白鳥じゃないかと思ったのです。レオタードはその場では脱げないので、ふたりは練習用のチュチュだけ交換しました。ふたりとも白と黒のツートンカラーになっちゃってかわいい。ぼくは後日、いつも姉さんのひきたて役だったというメラニーちゃんからこっそり大感謝を受けることになるのですが、それはまだ先の話です。