第二十一曲 テンポ・ディ・ポラッカ(ポロネーズ)あるいは乾杯の踊り (4) 

文字数 2,532文字

 ぶじに復活の主日を祝い終えて、その次の週末が今日。ぼくらの本番です。
『白鳥の湖』、本邦、いや世界初演。子どもバレエ版。
 このオペラハウスは五百席くらいで小さいのですが、二十世紀のはじめに火事で焼け落ちてしまったのを、少しずつ再建してもう一度使えるようにしたものです。赤いびろうどのカーテンの一部が、だまし絵(トロンプ・ルイユ)で壁に描いてあるところがご愛敬です。
 いま本番中はぼくらオケピ(オーケストラピット)にいるから舞台が見えません。そんなぼくらのために、子どもたちが一昨日、クローディアのピアノ伴奏でゲネプロ(ゲネラル・プローベ)をして見せてくれました。本番の衣装をつけて本番どおりに踊るリハーサルです。《小さな白鳥の踊り》、真っ白ふわふわのスカートをはいたひよこクラスの子たちが一列に並んで、足をちょっと出したり引っこめたり、頭をかしげたり、くるっと回ったりするだけで、もうぼくら拍手喝采でした。中にひとりだけ男の子がいたのは、あれは将来の王子さま候補だな。
 主役の三人はさすがです。白鳥姫と黒鳥姫と王子、このひと月での成長に目を見はりました。フリーディはあの斬新なエンディングを大胆にもマリウスに提案して、叱られ、ぼくの部屋に来てしょんぼりしていたのですが(マリウスは稽古場ではおそろしく厳しいらしいのです)、そのわりにはあっさり立ち直って、ゲネプロでは黒鳥のビアンカに翻弄され、白鳥のメラニーに愛想をつかされるダメ王子を熱演して、ほとんどギャグぎりぎりのラインを突っ走っていました。——いま本番の舞台、まさにそのあたりです。客席が沸いてる。どうやら彼、かっこよくなりすぎてしまう自分にたえられないようです。二枚目あるある。
 マリウスもなんのかの言って弟の発想力には一目置いていて、魔王はちゃんと王子を頭上高く抱え上げてさらっていくことになりました。そこへ白鳥が追いすがって王子の命乞いをします。そこまでの展開は納得なんです。だけど、黒鳥まで駆けつけてきていっしょになって嘆願するって、それどうなの?? たしかにオディールって王子をだました後はどこ行っちゃうのって話ではあるんだけど。で、まあ、

愛の力に負けた魔王ロットバルトは舞台上でのたうちまわって死ぬし、ラストは白鳥と黒鳥と王子のパ・ド・トロワ(三人の踊り)になってめでたしめでたし。って何その、両手に花の大逆転。フリーディ、そんなのゆるされるのロード・ヒカルゲンジだけだよ? チャイコさんも草葉の陰でさぞびっくりなさっているにちがいありません。
 それにしても、クローディア、かっこよかったな。稽古伴奏ピアニスト(コレペティートル)って憧れてしまいます。影の立役者、みんなを支える屋台骨。フリーディ的に言えば、オケ全部をひとりでやってしまってるわけです。なのに、こうして本番には姿を表さないいさぎよさ。ここだけの話ですが、ぼく、たぶん向いてると思います、コレペティートル。ぼくも王室離脱してコレペティートルになったら、けっこうそれで食べていけるんじゃないかと思うんだけど。やっぱりデジレ、うらやましいな。いま真剣な顔でオーボエのソロ吹いてます。
 指揮はディーディー。この公演のための編曲を始めて、ためしに連弾してもらったときのことを思い出します。たまにはぼくが第二ピアノ(セコンド)でどうですか、と言ってやりました。椅子をぽんぽんと叩いて、ここへ座れと。ああ、快感。と思ったのに、すなおに座るんだもの。それ面白くない。最近、面白くないです。
「きみを面白がらせるために存在しているわけじゃない」
「ちがったんですか?」
ホ長調(エードゥア)だな」無視かー。「ポロネーズね。テンポこのくらい?」指を小さく指揮棒のように振っています。
「もうちょっと速いほうが、たぶん」
「強気だね」
「練習してきました」
「ずるいじゃないか、こっちは初見なのに」
「お返しです」
「何だこの編曲、第一ピアノ(プリモ)が異様に濃い。ずるいぞ」
「お返しです」
 ターンタ、タ・タ、タカタカ、という、それだけで華やかなポロネーズのリズム。冒頭、王子の誕生日祝いの宴で、みんなが乾杯する曲です。本来なら男女同数でペアを組んで豪華な衣装を披露する場面だろうけど、無理なので、今回はこれをフィナーレに持ってきて、ちび白鳥たち全員で銀紙を貼った紙コップを持って踊ることになりました。
「全幕上演できるの、いつの日ですかね」楽譜を閉じながら、なにげなく言ったことを思い出します。
「さあ」とディーディー。ふっと目をそらせて、「そのころおれはもういないな」
 なにそれ。「どういう意味ですか」
「きみらにまかせるってことだ」
 心臓がきゅうにしめつけられて、苦しくなりました。
「答えになってません。どういう意味? またどこかへ行ってしまうんですか?」
「いや、まあ、そのうち言わなきゃならないと思っていたんだが」
 何、そのさりげない感じ。いやだ。何。
「じつは」
「じらさないで」
「ずっと黙っていてすまなかった。その……、ちょっと、持病が判明してだな」
 ああ、そんな。
「いったん発症してしまったとなると、もう治らないと、医者に言われた」
 そんな。そんな。
「だから、残された時間を、こうして大切に」
「やめてください! 言わないで」
 立ちあがっていました。ぼくは一度、父を亡くしています。一度は耐えましたが、二度は無理です。
 あのときの彼の、驚いた顔。一生忘れません。一生ゆるさない。
「ごめん。まさか、そこまで」
「何が」
「病名まだ言ってないぞ」
「聞きたくない!」
「花粉症だ」
 えっ……?
「いやー今年はきつい」ポケットからハンカチを出して、くしゃみ。「一昨年までなんともなかったんだが、これ一度発症しちゃうと治らないんだってな」
 おい。
「おれも歳だなあと思ってさ。老い先短いなと。まあ、余命あと四十年ってとこかな」
 おいおいおい!!!!!


★BGM:『白鳥の湖』第一幕より「乾杯の踊り」
意外に映像が上がってなかったのですが、これマリインスキーのゲネプロだそうです。指示の声が入っていたりして、かえって貴重かも? ベンノのかわりに宮廷道化くんが活躍する振付です。
https://www.youtube.com/watch?v=kkLDcKOzOc8
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登場人物紹介

ジークフリート(愛称シギイ、ペーチャ、ミーメ)   

・この物語の語り手。バイエルン(南ドイツ語圏)地方に位置する小国の王太子。ひとりっ子。
・長身。髪は赤みがかった金茶色(母似)。
・読書魔でハイパー記憶力の持ち主。
・父の死(14歳)以降、公務のため学校には通わず、家庭教師から授業を受けている。

・ピアノが得意。とくに即興と伴奏。

・趣味はバードウォッチング。とくに渓流の小鳥を偏愛。

・自己評価が極端に低く、本人はコミュ障だと思って悩んでいるが、じっさいは聞き上手で愛されキャラ。
・一方的に恋されることが多く、人間関係に対して臆病になっている。
・涙もろい。

オデット(愛称オディール)

 

・伯爵家の出身だが、8歳で母を亡くし、父ディートリヒに連れられて欧州各地を転々として育つ。ひとりっ子。

・黒髪、目は濃いブルー。

・ヴァイオリンの腕前はソリスト級。水泳も得意。
・叔父のテオドール※と仲がよく、彼所有のヴァイオリンの名器を借りて使用している。 ※番外編に登場

・服はほとんどが白か黒の二択。
・親しい人の前ではのびのびとふるまう反面、極端な人見知りで、外では別人のように不愛想。

・夢中になると前後を見失いがち(自覚あり)。

・初恋の相手は愛犬のティート※(ゴールデンレトリバー)だった。 ※番外編に登場

ロットバルト(本名ディートリヒ、愛称ディーディー)


・教会音楽家(キルヒェンムジカー)。音楽全般に天才的な才能。楽器はパイプオルガンとピアノ。指揮、編曲もこなし、歌も歌える(バリトン)。

・紫がかった黒髪と黒目。

・幻の名作『白鳥の湖』の復曲にとり憑かれている。

・伯爵家の当主だったが、妻に先立たれてから弟テオドール※に家督を譲り、欧州各地を気ままに転々として暮らす。音楽教師と調律の仕事で生計を立てている、ように見えるが、じつは経済観念にとぼしく家計はつねに赤字で、弟からの仕送りに頼っている。 ※番外編に登場
・ひとり娘のオデットを溺愛。ジークフリートにも父親的な愛情を抱き、二人の結婚を画策する。

・つねに他人の予想のななめ上を行く言動で周囲を驚かせる。

・女にもてすぎるため過去にいろいろやらかしてきているらしい。

・思わせぶりな発言が多いわりに、本人はストレート(ヘテロ)。とはいえ、性の多様性を当然のこととして受け入れている、いわゆる「アライ」。

ファニイ   


・オデットの友人。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はチェロ。

・大柄で色白、明るい茶の髪と目。

・服はピンクや花柄が好き。
・弟が一人いる(作中には登場せず)。
・おおらかで愛情深く、安定した性格。こまやかな気配りができる一方で、かばんの中でよく失くし物をする。

ベンノ


・ジークフリートの侍従で友人。

・事故に遭って失語症をわずらい発話ができないが、持ち前の明るく機敏な性格で、仕事も日常生活もふつうにこなしている。

・灰緑色がかった金髪(ドイツ系に多い)。
・姉が一人いる(作中には登場せず)。
・つねにジークフリートに付き添い支えるうち、その間に出会ったファニイにひと目惚れ(したらしい)。

オーロラ   


・オデットの友人。クララの姉。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はヴィオラ。

・ウェーブのかかった明るい栗色の髪。瞳に金の斑点がある。

・きれいな色が大好きでつい派手な服を選びがち。クラスメートたちから「せっかく美人なのに趣味が残念な子」と思われている。

・性格はおっとりしていて、ジークフリート以上の泣き虫。不器用でおひとよし。

・留学生としてやってきたデジレにひと目惚れ(したらしい)。

クララ    


・オデットの友人。オーロラの妹。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はヴァイオリン。オデットたちと組んでいるカルテットでは第二ヴァイオリンを担当。

・黒に近い栗色の髪と目。ボーイッシュなショートカット。

・デニムを偏愛。冬でもショートパンツにブーツで、スカートは持っていない。
・姉のオーロラとは正反対の活発な性格。情にもろく、落ちこんでいる人(とくに男)を見ると放っておけない。

デジレ    


・アフリカ大陸に位置する小国の王子。兄が一人、姉が一人、妹が二人いる(作中には登場せず)。

・おしのびでオデットたちの音楽院に留学してきている。

・長身。ジークフリートより背が高い。

・ジークフリートをしのぐ音楽の才能の持ち主。アンサンブルでの担当はオーボエだが、鍵盤楽器も得意。

・美男美女か、または超絶美男美女のどちらかしか出てこないこの物語の中でも、主人公と並ぶ美貌の持ち主。肌は褐色。
・祖国の公用語はフランス語。その他、多言語に長け、ジークフリートと同じレベルで議論できる唯一のクラスメート。
・料理も得意。味付けは濃いめ(スパイスも多め)が好き。
・物欲がないように見えるが、じつはお洒落をしつくした末のミニマリスト。

・洗練された紳士である一方、激しいものを内面に秘めていて、ジークフリートを戸惑わせる。

マリウス


・国立バレエ学校の教師。ソリストの才能に恵まれるも、祖国に戻って子どもたちの指導に専念。とくに弟フリーディの教育に力を注いでいる。
・パリでの修行中に知り合ったピアニストのクローディアと恋愛結婚。まだ新婚で子どもはいない。
・髪と目はどちらもセピア色。

クローディア


・マリウスの妻。バレエの伴奏ピアニスト(コレペティートル)として夫を支える。
・マリウスが帰国する際、いったん別れるが、あきらめきれずに追いかけてきて結ばれる(作中には言及なし)。
・フランス系とドイツ系のハーフ。バイリンガル。
・赤毛でメガネ美人。

フリーディ(本名フリーデマン)


・フルネームはフリーデマン(=自由人)・フォーゲル(=鳥)。名前からして踊るために生まれてきたような少年。
・ダンスに類まれな才能を持つ、百光年に一人の逸材。
・兄マリウスとは十四歳違い。幼い頃、彼に憧れてスタジオに通ううち、自然とダンサーをめざすようになる。
・明るい金髪、灰緑色の目。実兄のマリウスより、血のつながりのないジークフリートに似ている。
・アイデアに富み、つぎつぎと斬新な提案を繰り出しては周囲を驚かせる。
・清浄無垢な風貌を持ちながら、中身はいたってふつうの元気な中二男子。
・現シュトゥットガルトバレエ団のプリンシパルである天才ダンサー、フリーデマン・フォーゲル氏に似てはいますが、別人です。あんな誠実でまじめな貴公子ではありません(笑)。

王妃(本名はそのうち出てきます)


・ジークフリートの母。王太子である息子を摂政として支える。息子を溺愛しているが、全体にも気配りのきく、バランスの取れた賢夫人。

・小柄で色白。赤みがかった金髪(息子と同じ)。中年になったいまも絶世の美女。

・チェロとピアノを少々たしなむ。

・兄と弟が一人ずついる(作中には登場せず)。

・天真爛漫で明るく、ひじょうに安定した性格で、周囲にとって「錨」のような存在。

・その一方、おちゃめで天然。つぎつぎと無邪気な発言を繰り出しては周囲(おもに息子)を驚かせる。

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