第十一曲 パ・ド・トロワ、イントラーダ(序奏)(1) ★BGM付
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ひどいよファニイ。冗談きつい。
いや、でも、もしかして、練習に行くのかな。でも早すぎないか。いや早くないか。ああもう精神衛生に悪い。ばかじゃないのか。ばかです。という回転をエンドレスにやっていたら、ベンノが満面の笑みで現れました。五線譜に走り書きのメモ。父娘で同じ趣味か。
「『白鳥』のアンサンブルの練習を、今日から始めることになりました。何人集まってくれるかまだわからないけど、毎日四時から練習室を取っています。二階の奥です。お時間あったら見にきてください。通過時刻八時五十六分。
追伸。帰りはたぶん八時くらいに通ります、夜の。オディールより」
ファニイが新しく届けてくれた『白鳥の湖』の楽譜。ちょっとした衝撃でした。
つづきがあったのです。
組曲の最終曲が、終わりではなかったのです。バレエ全体の総譜では第二十八曲と、第二十九曲(これが本当の最終曲)の冒頭部分を継ぎ合わせたものでした。終わったと思っていた箇所で、どうやらやっと王子が到着するらしいのです。なんだそれ。いきなりシャープがすべて落ちて転調、
何がどうだと言うんだ。悲劇か喜劇か、ますますわからなくなりました。楽譜にていねいに当たれば聞こえてくるはずだとロットバルトは言ったけど、聞こえてこない。いや、聞こえてきすぎるのです、情報量が多すぎる。どっちもあり得る、大団円も、破局も。
ふと思いついて、バレエ音楽『ジゼル』のレコードをかけてみました。針を落とすときの、ぷつ、という音が好きです。——『ジゼル』のお話。村娘ジゼルは恋人アルブレヒトと幸せいっぱいだったが、じつは彼は身分をかくした伯爵で、婚約者までいたのだった。事実を知ったジゼルは狂乱して死に、ウィリという呪いの精霊になって毎晩踊りつづけなければならなくなる。人間がこのウィリたちの踊りを見てしまうと、引きこまれて踊らされ、踊り疲れて死んでしまうのだ。ジゼルの墓参りに来たアルブレヒトも、ウィリになったジゼルと踊らされて死のきわまで追いこまれる。でも、ジゼルは愛する彼をどうしても殺せなくて、ひとりで朝もやの中に消えていく。
これもまた男がカスな話なのですが、とりあえずそれはおいといて。
やっぱりそうかと思いました。『ジゼル』の音楽を聞いただけでは、このストーリーがあまり想像できないのです。音楽と物語が、たいしてリンクしていない。踊りやすさが優先されているのだろうな。たぶん、当時はこっちがふつうだった。『ジゼル』の初演は一八四一年だけど、決定版ができていくのは一八八四年以降だというから、びっくり、『白鳥の湖』とほぼ同時期、いや『白鳥』の初演一八七七年よりむしろ後じゃないか。こないだぼくがさんざんつまずいたワルツ、三拍子の中にきゅうに二拍子が乱入してくる、あんな複雑なリズムは『ジゼル』には出てきません。もちろん、もっと複雑すぎてけが人まで出たという伝説のストラヴィンスキー『春の祭典』にくらべたらおとなしいものだけど、『春の祭典』の初演は一九一一年で、『白鳥』より三十年以上も後なんだから。チャイコフスキーの同時代の人たちが『白鳥』に拒否反応をしめして当然だったかも。『白鳥』の音楽は当時としては複雑すぎて、踊りづらかった。それに、音楽がおしゃべりすぎ。物語を語りすぎている。
そういうことか。踊りのBGMを作るのではなくて、この音楽を、踊れと。チャイコフスキーさん、意外に強気。あの、白髪に白いひげの端正な、それこそ白鳥の王さまみたいな肖像写真からは想像できません。強気で、自信作だったから、否定されたときのショックも大きかったのでしょうね。わかる気がする。
とにかく、『白鳥』の最終曲が何を言っているのか、もう少し聞いてみようと思います。午後は予定がつまってしまっているので、今日はここまで。
★こんな親切な映像がありました!「新国立劇場バレエ団 3分でわかる『ジゼル』」
https://www.youtube.com/watch?v=Ls8ot4F-cRo
「3分でわかる『白鳥の湖』」もあったけど、こちらはおすすめではないです。
ネタバレじゃなくて逆。やっぱり3分じゃわからないよ、この話(笑)。