第二十一曲 テンポ・ディ・ポラッカ(ポロネーズ)あるいは乾杯の踊り (3)
文字数 1,755文字
オデットはファニイの友だちだから、ファニイの聴衆の中に彼女がいても怪しまれる理由はないのだけど、聖ウルスラというロココ調のきれいな教会にクープラン(という人)の「テネブレ」(という曲)を聴きに行ったとき、思いきってぼくの隣に座ってもらいました。ぼくたちも緊張したけど、周りがもっと緊張していた。でも、いいやと思って。母上、これでもう、ぼくのお妃候補のフェイク報道は画策なさらなくていいですよ。
ずっと手を握っていました。
聖木曜日、聖金曜日と、夜のミサにも国外からの旅行者の参列が増えるので、ぼくは大聖堂には行けないのが常です。王宮内の礼拝堂で、ディーディーが奏楽をつとめてくれました。礼拝堂のオルガンは小さめなのですが、プリンシパルと呼ばれる標準のパイプの音色がばつぐんに澄んでいて、なかなかの名器です。ディーディー自身も大聖堂で弾いているときよりくつろいで、穏やかに見えます。というか、最近ディーディー、少し雰囲気が変わりました。笑顔が多めになったよ。ふふ。
聖土曜日から復活の主日にかけて、徹夜祭でした。
さすがに、手は握っていないです。ミサなので。
正しい祈りかた、というのがあるのかどうか、ぼくにはわかりません。ただ、こうしてたくさんのろうそくが灯された中でおおぜいの人たちとともに祈っていると、ぼくらもろうそくと同じで、ひとりひとりが、心の芯を少しずつ焼きながら、そっと小さな炎を上げているようなものかもしれないと思えてきます。
日が、長くなってきました。
スイセンが咲きはじめました。世界に、色が、戻って来つつあります。
できるだけ多くの時間を、オデットと過ごすようにしています。これから先、どれだけの時間をともに過ごすようになるのかは、まだわかりません。ただ、いまの時点でたしかに言えるのは、ぼくは、ひとりでいるときより彼女といるときのほうが、ぼくらしくいられるような気がする、ということです。
ピョートル・イリイチ、あなたにお願いがあります。
ぼくを、ゆるしてはくれないでしょうか。
ぼくは、生きていってはいけないでしょうか。湖底に沈められる前に、ほんの短い間、この地上での幸福にあずかってはいけないでしょうか。だってあなたもご存知でしょう、この地上。なかなか美しいんです。これで。
あなたご自身がそうです。あなたは幸せになってもよかった。ご自分を追いこんで、自分で自分を罰さなくてもよかったんだ。愛の対象の性別をしぼりきることができない、それだけで、あなたがあそこまでおのれを呪いぬかないでくれていたら。「ノーマルになるにはどうすればいい?」そんな悲痛な走り書きが残っているそうですね。
ノーマルって、何でしょうか。
もしもぼくが、このまま、オデット一人を生涯愛していけたら、ぼくは、ノーマルでしょうか。それとも、ぼくは危ういぼくのままでしょうか。あなたはどうしても、あなたの中のジークフリートをゆるせませんか。彼は、死なせてしまった白鳥のなきがらを腕に、永遠に泣きつづけなければならないでしょうか。
あなたの台本があなたを断罪し、あなたの音楽が、それでも、世界を祝福してやまないとき、ぼくらは、どちらを信じればいいですか。音楽ではないのですか。あなたは、何よりもまず、音楽家だったのではないのですか。
ハッピーエンドでは、いけませんか。ピョートル・イリイチ。
あなたが、ぼくらをゆるしてください。どうか、あなたが、あなた自身を、ゆるしてください……
★BGM:J. S. バッハ「無伴奏チェロ組曲」第2番(ニ短調)
https://www.youtube.com/watch?v=iGFvt0AhteE