第十七曲 小さな白鳥たちの踊り (3) ★BGM付
文字数 3,149文字
シナモン、クローブ、オレンジピール。グリューヴァインの香りをかぐと、ああ
子どもたち向けにわかりやすく楽器を紹介するコーナーが大好評でした。メンバーがそれぞれちょっとずつソロを聴かせてくれたのです。フルートのフランツが「
みんな、本当に、お疲れさま。
と、ねぎらうつもりで花束とワインを用意させて、ぼく自身はそっと帰ろうと思っていたのに、ヨーゼフが両腕をひろげて近づいてきて、思いっきりハグされました。「確保!」何なんだ。学校の練習室に打楽器を戻すからいっしょに来てと言われてついていったら、足を踏み入れたとたんにクラッカーが鳴って、テープと紙吹雪。
「おかえり、ペーチャ!」
長机を並べた上に、パーティの飾りつけが。だめだよ、こんなこと……泣いちゃうじゃないか。
オデットのヴァイオリンとデジレのオーボエを両方失ったのは、アンサンブルには致命的なダメージだったのに、誰もぼくを責めないのです。それどころか、こんな。暖かく。ありがとう、みんな。本当に。わざわざぼくの苦手なマジパンてんこ盛りのケーキありがとう、覚えててくれたんだね、よけいなこと。だいたいこれ、なんのお祝い? え、ぼくをなぐさめる会? そんな、かんべんして、一度にダブル失恋なんてレアなケースものすごくはずかしいんだから。ああそうか、けっきょくいじられているのか。
「ようするにペーチャがいい男すぎて罪だったってだけだな」
「そゆこと」頼むよー。
「ペーチャの苦しい立場もわかる、うん。おれだって白鳥姫と黒王子のどっち取るって言われたら選べないさ」
「あんたには二百年待っててもそういうシチュエーション来ないから」
にぎやか。ディーディーの話題も出ました。授業はふつうにしているけれど、『白鳥の湖』蘇演プロジェクトが開店休業状態なのだそうです。やっぱりへんだよね。みんな手持ちぶさたなのでした。まあ気長に待つよ、そう言ったのはヨーゼフだったかな。『くるみ割り』やってしまったから、次は『眠れる森の美女』の抜粋でやろうか、ミニコンサート? いいね!
「『眠れる森』といえば、ペーチャ知ってる? オーロラが」とエーリカ。
「やめて」オーロラの悲鳴。
「なになに」
「フランス語」
「やーん!」オーロラ、テーブルに突っ伏しています。かわいい。
「めちゃくちゃがんばって、手紙出したの」
「本当? すごい!」
「もう二通? 三通?」
「やめてやめてやめてやめて」
「デジレ、ラインからも抜けちゃうし、メルアドも削除しちゃうし」ファニイが悲しそうに言いました。「連絡の取りようがないじゃない。もう郵便しかなかったわけだけど、それ実行したオーロラ、わたしはえらいと思う」みんな口々に賛成しました。
「なんて書いたの?」ふつう訊くかそれ、バスティアン。
「なんにも書いてない。難しいこと書けないもん」とオーロラ。
「『これはペンです』とか?」
「ばか」バスティアン、あいかわらずエーリカにはたかれています。
「『お元気ですか。こちらは寒くなりました』とか、それくらい」とオーロラ。「たぶんすごいまちがってる。もうやだ」スマフォをいじって、「これ見て」
画像、愛くるしいお嬢さま。復活祭のお祝いの、チョコレートで作ったうさぎさんみたいな。着こなしも完璧。ロイヤルブルーのサテンが濃い肌に映えています。
「まさか、これ?」
「そう、彼のフィアンセ」うわー残酷。完全無欠のカップル。性格もいいって彼言ってたし。みんなの口からもため息がもれました。
「あんまりかわいすぎて、憎む気にもなれない。いいの、わたし。そういうんじゃないから」オーロラ、本当にいい子だね。「黄葉の写真、撮って、送ったの。忘れないでとかそういうんじゃないから。ただ、楽しかったなと思って。あのね、じつは、彼のソロ、こっそり録音してたんだけど」ああだめだ、もう泣いてる。「聴けないの。まだ聴いてない」
クララが彼女の頭を抱きかかえて、よしよしとさすっています。
「そうだね。『眠れる森』からも『白鳥』からも、いったん離れようか」とマクシミリアン。優しい。「何か別のをやろう」
「聞いて」オーロラを抱いたまま、クララが。「提案、ヴァイオリン
「あれオケ大編成じゃない」
「編曲なんとかならない、ペーチャ?」
「待って。ソロ誰?」けげんそうな顔をしたフランツが、いっせいにみんなに小突かれています。「え、誰? クララ?」
「あたし? まさか! 姫。当然」
「うそ、帰ってくるの? 聞いてない」だよね。ぼくも聞いてません。
「決まったわけじゃないけど」「あれは帰ってくるな、ぜったい」「そうそう」
「無理でしょベルリン」爆笑が起きました。「だって授業たぶん定刻に始まるよ?」
そこか?!
「ベルリン選んだ段階で無理でしょ。もうペーチャへの当てつけ以外の何ものでもない」
「朝起きられないくせに」
「彼女が遅刻しなかったことって一度でもある?」
「ぼくらの中でも規格外の野生児なのにね。意地はって」
「たぶん本人がいちばん後悔してる」
「時間の問題?」
「だな」
「だからみんなで練習しておこうよ。あ、ペーチャも再トライする? トライアングル」
盛りあがっています。もはやぼくそっちのけ。笑いすぎて、ちょっと疲れました。端の席に移動。水が飲みたいな。と、思っていたら、ファニイがマグふたつに炭酸水を入れて運んできてくれました。どうして?! 彼女にはいつも驚かされます。にこにこして、自分も飲んでる。
「ペーチャ」
「うん?」
「もう帰る?」
「そろそろ」
「じゃ、いそいで言うね」そう言ったわりには、目を伏せて黙っています。息も止めて。その息を、ふっと吐きました。
★BGM:
「ミルリトン(葦笛)の踊り」かわいい!
https://www.youtube.com/watch?v=UywZRJzki8c
「花のワルツ」ヒロインと王子が子役のまま座っているというちょっと変わった演出(バランシン版)だけど、花のワルツ単品としてはぼくの一推し。ここもソロは砂糖菓子さんです。
https://www.youtube.com/watch?v=LKcZL8q1eBw
そしてヴァイオリン協奏曲(第一楽章)。画質は荒いけれど、やっぱりこのかたの演奏で。
https://www.youtube.com/watch?v=-I5qh7c0QL0&list=RDgLUjfG77JAs&index=4