第十七曲 小さな白鳥たちの踊り (3) ★BGM付

文字数 3,149文字

 けっきょくアンサンブルに参加する時間は取れなくて、ミニコンサートにはお客として聴きに行きました。聖トーマス教会、ちょっと寒かった。でも暖かな、豊かなひとときでした。親子連れ対象にするって名案だったよ、オーロラ、グッジョブ。みんなにウールのひざ掛けをくばって(こころよく貸してくださったゲオルク神父さまに感謝)、大人にはグリューヴァイン(スパイス入り温ぶどう酒)、子どもにはベースを赤ワインからぶどうジュースに替えたプンシュ。マリンバのフロリーナのお父さんが酒屋さんで、格安で提供してくれたそうです。入場も飲み物も無料にして、寄付だけ募ったら、びっくりするほど集まって少し黒字になってしまったんだって。よかったね!
 シナモン、クローブ、オレンジピール。グリューヴァインの香りをかぐと、ああ待降節(アドヴェント)だなとしみじみ思います。クリスマスを——光の訪れを、待ち望む日々。
 子どもたち向けにわかりやすく楽器を紹介するコーナーが大好評でした。メンバーがそれぞれちょっとずつソロを聴かせてくれたのです。フルートのフランツが「葦笛(ミルリトン)の踊り」——じつは葦笛ではなくて、アーモンド味のタルトらしいです。そうだよね。不思議に思ってたんだ、お菓子やお茶の踊りの中になぜ葦笛がまぎれているのか。とにかく、フランツが「ミルリトンの踊り」をフルートで吹いたら、ぼくのとなりに座っていた若いお母さんのひざの上で、赤ちゃんが踊りだしてしまって、どよめきが起こりました。かわいい! フィナーレはもちろん、「花のワルツ」でした。
 みんな、本当に、お疲れさま。
 と、ねぎらうつもりで花束とワインを用意させて、ぼく自身はそっと帰ろうと思っていたのに、ヨーゼフが両腕をひろげて近づいてきて、思いっきりハグされました。「確保!」何なんだ。学校の練習室に打楽器を戻すからいっしょに来てと言われてついていったら、足を踏み入れたとたんにクラッカーが鳴って、テープと紙吹雪。
「おかえり、ペーチャ!」
 長机を並べた上に、パーティの飾りつけが。だめだよ、こんなこと……泣いちゃうじゃないか。
 オデットのヴァイオリンとデジレのオーボエを両方失ったのは、アンサンブルには致命的なダメージだったのに、誰もぼくを責めないのです。それどころか、こんな。暖かく。ありがとう、みんな。本当に。わざわざぼくの苦手なマジパンてんこ盛りのケーキありがとう、覚えててくれたんだね、よけいなこと。だいたいこれ、なんのお祝い? え、ぼくをなぐさめる会? そんな、かんべんして、一度にダブル失恋なんてレアなケースものすごくはずかしいんだから。ああそうか、けっきょくいじられているのか。
「ようするにペーチャがいい男すぎて罪だったってだけだな」
「そゆこと」頼むよー。
「ペーチャの苦しい立場もわかる、うん。おれだって白鳥姫と黒王子のどっち取るって言われたら選べないさ」
「あんたには二百年待っててもそういうシチュエーション来ないから」
 にぎやか。ディーディーの話題も出ました。授業はふつうにしているけれど、『白鳥の湖』蘇演プロジェクトが開店休業状態なのだそうです。やっぱりへんだよね。みんな手持ちぶさたなのでした。まあ気長に待つよ、そう言ったのはヨーゼフだったかな。『くるみ割り』やってしまったから、次は『眠れる森の美女』の抜粋でやろうか、ミニコンサート? いいね!
「『眠れる森』といえば、ペーチャ知ってる? オーロラが」とエーリカ。
「やめて」オーロラの悲鳴。
「なになに」
「フランス語」
「やーん!」オーロラ、テーブルに突っ伏しています。かわいい。
「めちゃくちゃがんばって、手紙出したの」
「本当? すごい!」
「もう二通? 三通?」
「やめてやめてやめてやめて」
「デジレ、ラインからも抜けちゃうし、メルアドも削除しちゃうし」ファニイが悲しそうに言いました。「連絡の取りようがないじゃない。もう郵便しかなかったわけだけど、それ実行したオーロラ、わたしはえらいと思う」みんな口々に賛成しました。
「なんて書いたの?」ふつう訊くかそれ、バスティアン。
「なんにも書いてない。難しいこと書けないもん」とオーロラ。
「『これはペンです』とか?」
「ばか」バスティアン、あいかわらずエーリカにはたかれています。
「『お元気ですか。こちらは寒くなりました』とか、それくらい」とオーロラ。「たぶんすごいまちがってる。もうやだ」スマフォをいじって、「これ見て」
 画像、愛くるしいお嬢さま。復活祭のお祝いの、チョコレートで作ったうさぎさんみたいな。着こなしも完璧。ロイヤルブルーのサテンが濃い肌に映えています。
「まさか、これ?」
「そう、彼のフィアンセ」うわー残酷。完全無欠のカップル。性格もいいって彼言ってたし。みんなの口からもため息がもれました。
「あんまりかわいすぎて、憎む気にもなれない。いいの、わたし。そういうんじゃないから」オーロラ、本当にいい子だね。「黄葉の写真、撮って、送ったの。忘れないでとかそういうんじゃないから。ただ、楽しかったなと思って。あのね、じつは、彼のソロ、こっそり録音してたんだけど」ああだめだ、もう泣いてる。「聴けないの。まだ聴いてない」
 クララが彼女の頭を抱きかかえて、よしよしとさすっています。
「そうだね。『眠れる森』からも『白鳥』からも、いったん離れようか」とマクシミリアン。優しい。「何か別のをやろう」
「聞いて」オーロラを抱いたまま、クララが。「提案、ヴァイオリン協奏曲(コンチェルト)。もちろんチャイコの」
「あれオケ大編成じゃない」
「編曲なんとかならない、ペーチャ?」
「待って。ソロ誰?」けげんそうな顔をしたフランツが、いっせいにみんなに小突かれています。「え、誰? クララ?」
「あたし? まさか! 姫。当然」
「うそ、帰ってくるの? 聞いてない」だよね。ぼくも聞いてません。
「決まったわけじゃないけど」「あれは帰ってくるな、ぜったい」「そうそう」
「無理でしょベルリン」爆笑が起きました。「だって授業たぶん定刻に始まるよ?」
 そこか?!
「ベルリン選んだ段階で無理でしょ。もうペーチャへの当てつけ以外の何ものでもない」
「朝起きられないくせに」
「彼女が遅刻しなかったことって一度でもある?」
「ぼくらの中でも規格外の野生児なのにね。意地はって」
「たぶん本人がいちばん後悔してる」
「時間の問題?」
「だな」
「だからみんなで練習しておこうよ。あ、ペーチャも再トライする? トライアングル」
 盛りあがっています。もはやぼくそっちのけ。笑いすぎて、ちょっと疲れました。端の席に移動。水が飲みたいな。と、思っていたら、ファニイがマグふたつに炭酸水を入れて運んできてくれました。どうして?! 彼女にはいつも驚かされます。にこにこして、自分も飲んでる。
「ペーチャ」
「うん?」
「もう帰る?」
「そろそろ」
「じゃ、いそいで言うね」そう言ったわりには、目を伏せて黙っています。息も止めて。その息を、ふっと吐きました。


★BGM:
「ミルリトン(葦笛)の踊り」かわいい!
https://www.youtube.com/watch?v=UywZRJzki8c
「花のワルツ」ヒロインと王子が子役のまま座っているというちょっと変わった演出(バランシン版)だけど、花のワルツ単品としてはぼくの一推し。ここもソロは砂糖菓子さんです。
https://www.youtube.com/watch?v=LKcZL8q1eBw
そしてヴァイオリン協奏曲(第一楽章)。画質は荒いけれど、やっぱりこのかたの演奏で。
https://www.youtube.com/watch?v=-I5qh7c0QL0&list=RDgLUjfG77JAs&index=4
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ジークフリート(愛称シギイ、ペーチャ、ミーメ)   

・この物語の語り手。バイエルン(南ドイツ語圏)地方に位置する小国の王太子。ひとりっ子。
・長身。髪は赤みがかった金茶色(母似)。
・読書魔でハイパー記憶力の持ち主。
・父の死(14歳)以降、公務のため学校には通わず、家庭教師から授業を受けている。

・ピアノが得意。とくに即興と伴奏。

・趣味はバードウォッチング。とくに渓流の小鳥を偏愛。

・自己評価が極端に低く、本人はコミュ障だと思って悩んでいるが、じっさいは聞き上手で愛されキャラ。
・一方的に恋されることが多く、人間関係に対して臆病になっている。
・涙もろい。

オデット(愛称オディール)

 

・伯爵家の出身だが、8歳で母を亡くし、父ディートリヒに連れられて欧州各地を転々として育つ。ひとりっ子。

・黒髪、目は濃いブルー。

・ヴァイオリンの腕前はソリスト級。水泳も得意。
・叔父のテオドール※と仲がよく、彼所有のヴァイオリンの名器を借りて使用している。 ※番外編に登場

・服はほとんどが白か黒の二択。
・親しい人の前ではのびのびとふるまう反面、極端な人見知りで、外では別人のように不愛想。

・夢中になると前後を見失いがち(自覚あり)。

・初恋の相手は愛犬のティート※(ゴールデンレトリバー)だった。 ※番外編に登場

ロットバルト(本名ディートリヒ、愛称ディーディー)


・教会音楽家(キルヒェンムジカー)。音楽全般に天才的な才能。楽器はパイプオルガンとピアノ。指揮、編曲もこなし、歌も歌える(バリトン)。

・紫がかった黒髪と黒目。

・幻の名作『白鳥の湖』の復曲にとり憑かれている。

・伯爵家の当主だったが、妻に先立たれてから弟テオドール※に家督を譲り、欧州各地を気ままに転々として暮らす。音楽教師と調律の仕事で生計を立てている、ように見えるが、じつは経済観念にとぼしく家計はつねに赤字で、弟からの仕送りに頼っている。 ※番外編に登場
・ひとり娘のオデットを溺愛。ジークフリートにも父親的な愛情を抱き、二人の結婚を画策する。

・つねに他人の予想のななめ上を行く言動で周囲を驚かせる。

・女にもてすぎるため過去にいろいろやらかしてきているらしい。

・思わせぶりな発言が多いわりに、本人はストレート(ヘテロ)。とはいえ、性の多様性を当然のこととして受け入れている、いわゆる「アライ」。

ファニイ   


・オデットの友人。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はチェロ。

・大柄で色白、明るい茶の髪と目。

・服はピンクや花柄が好き。
・弟が一人いる(作中には登場せず)。
・おおらかで愛情深く、安定した性格。こまやかな気配りができる一方で、かばんの中でよく失くし物をする。

ベンノ


・ジークフリートの侍従で友人。

・事故に遭って失語症をわずらい発話ができないが、持ち前の明るく機敏な性格で、仕事も日常生活もふつうにこなしている。

・灰緑色がかった金髪(ドイツ系に多い)。
・姉が一人いる(作中には登場せず)。
・つねにジークフリートに付き添い支えるうち、その間に出会ったファニイにひと目惚れ(したらしい)。

オーロラ   


・オデットの友人。クララの姉。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はヴィオラ。

・ウェーブのかかった明るい栗色の髪。瞳に金の斑点がある。

・きれいな色が大好きでつい派手な服を選びがち。クラスメートたちから「せっかく美人なのに趣味が残念な子」と思われている。

・性格はおっとりしていて、ジークフリート以上の泣き虫。不器用でおひとよし。

・留学生としてやってきたデジレにひと目惚れ(したらしい)。

クララ    


・オデットの友人。オーロラの妹。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はヴァイオリン。オデットたちと組んでいるカルテットでは第二ヴァイオリンを担当。

・黒に近い栗色の髪と目。ボーイッシュなショートカット。

・デニムを偏愛。冬でもショートパンツにブーツで、スカートは持っていない。
・姉のオーロラとは正反対の活発な性格。情にもろく、落ちこんでいる人(とくに男)を見ると放っておけない。

デジレ    


・アフリカ大陸に位置する小国の王子。兄が一人、姉が一人、妹が二人いる(作中には登場せず)。

・おしのびでオデットたちの音楽院に留学してきている。

・長身。ジークフリートより背が高い。

・ジークフリートをしのぐ音楽の才能の持ち主。アンサンブルでの担当はオーボエだが、鍵盤楽器も得意。

・美男美女か、または超絶美男美女のどちらかしか出てこないこの物語の中でも、主人公と並ぶ美貌の持ち主。肌は褐色。
・祖国の公用語はフランス語。その他、多言語に長け、ジークフリートと同じレベルで議論できる唯一のクラスメート。
・料理も得意。味付けは濃いめ(スパイスも多め)が好き。
・物欲がないように見えるが、じつはお洒落をしつくした末のミニマリスト。

・洗練された紳士である一方、激しいものを内面に秘めていて、ジークフリートを戸惑わせる。

マリウス


・国立バレエ学校の教師。ソリストの才能に恵まれるも、祖国に戻って子どもたちの指導に専念。とくに弟フリーディの教育に力を注いでいる。
・パリでの修行中に知り合ったピアニストのクローディアと恋愛結婚。まだ新婚で子どもはいない。
・髪と目はどちらもセピア色。

クローディア


・マリウスの妻。バレエの伴奏ピアニスト(コレペティートル)として夫を支える。
・マリウスが帰国する際、いったん別れるが、あきらめきれずに追いかけてきて結ばれる(作中には言及なし)。
・フランス系とドイツ系のハーフ。バイリンガル。
・赤毛でメガネ美人。

フリーディ(本名フリーデマン)


・フルネームはフリーデマン(=自由人)・フォーゲル(=鳥)。名前からして踊るために生まれてきたような少年。
・ダンスに類まれな才能を持つ、百光年に一人の逸材。
・兄マリウスとは十四歳違い。幼い頃、彼に憧れてスタジオに通ううち、自然とダンサーをめざすようになる。
・明るい金髪、灰緑色の目。実兄のマリウスより、血のつながりのないジークフリートに似ている。
・アイデアに富み、つぎつぎと斬新な提案を繰り出しては周囲を驚かせる。
・清浄無垢な風貌を持ちながら、中身はいたってふつうの元気な中二男子。
・現シュトゥットガルトバレエ団のプリンシパルである天才ダンサー、フリーデマン・フォーゲル氏に似てはいますが、別人です。あんな誠実でまじめな貴公子ではありません(笑)。

王妃(本名はそのうち出てきます)


・ジークフリートの母。王太子である息子を摂政として支える。息子を溺愛しているが、全体にも気配りのきく、バランスの取れた賢夫人。

・小柄で色白。赤みがかった金髪(息子と同じ)。中年になったいまも絶世の美女。

・チェロとピアノを少々たしなむ。

・兄と弟が一人ずついる(作中には登場せず)。

・天真爛漫で明るく、ひじょうに安定した性格で、周囲にとって「錨」のような存在。

・その一方、おちゃめで天然。つぎつぎと無邪気な発言を繰り出しては周囲(おもに息子)を驚かせる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み