第七曲 四羽の白鳥の踊り (2) ★BGM付

文字数 2,520文字

 ぼくが部屋に入っていくと、もう全員がそろっていて、ぱっと立って挨拶してくれました。ひとりずつと握手。開口一番、もうご体調はいいんですか、心配しました、と本当に心配そうに言ってくれて、なんて感じのいい子だろうと思ったのは、チェロのファニイです。手もどこもふっくらとして肌がきれいで、焼き立ての白パンのような女の子。泣けるくらい助かりました。ヴィオラのオーロラと第二ヴァイオリンのクララは一歳ちがいの姉妹だそうで、二人ともかっちりした手なのが、ああ弦楽器の人たちなんだなと思わせられました。顔立ちは似ているのに服の趣味が正反対で、目が痛くなるような原色のワンピースとデニムのショートパンツが並んでいます。いつもの侍者室がぱっと華やいでいるのはいいけれど、この子たちの自宅のクローゼットはすごいことになっているにちがいありません。
 そして彼女。第一ヴァイオリン。なぜか今日は黒ずくめ、黒シャツに黒の大きなスカート。それに何、この、そっけない態度。
「オデットです」
 えっ。「オデット?」
「そう」
 クララとオーロラがくすくす、しのび笑いを始め、ファニイがたしなめるような目を向けました。「いいじゃない、白鳥姫、似合ってるんだから。いちいちからかわないの」
「父が趣味でつけた名前なので。あたしのせいじゃありません」なんでこんなにぶっきらぼうなんだろう。いや、訊きたいのはそこじゃない。オディールって言ったよね、こないだは——
 ふと、背筋が寒くなりました。まさか、別人?
「さっさと始めません?」
 ぼくが椅子から立ちあがって、本当に申し訳なかったと言ったら、オデット以外の三人に寄ってたかって座らされました。
 弦楽四重奏(カルテット)と聞いていたけれど、じっさいにはロットバルトがピアノで加わってピアノ五重奏(クインテット)でした(彼の本名がフォン・ディースカウだということも初めて知りました。ファーストネームはディートリヒだって)。連弾ピアノの四手を単純に四人に割りふったのではなく、オーケストラ譜からも音を取って補って。「まにあわせ仕事で申し訳ない」と彼に謙遜されたけれど、ぼくにはすばらしい体験でした。女の子たち四人、上手かった。四人とも、音が太いのです、女性なのに。「なのに」というのは失礼だな。じつを言うと、ヴァイオリンはいままであまり好きではありませんでした、神経質でとがったイメージがあって。でも、こういうふうに厚みのある音で弾いてもらうと、弦楽器は本当に人間の声に近いのですね。ワルツのぼくが拍を取るのに苦労したところも、四人の息がぴったり合っていてさすがだった。
 いいなあ。こういうふうに、人と合わせられるって。
 いちばん心を揺さぶられたのは、例の、恋人同士が対話する第四曲でした。グラン・アダージオ。第一ヴァイオリンが上の声、チェロが下の声を受け持って、あとの二人がピチカートで支えて。正直に「ちょっと泣きそうになりました」と言ったら、わっと笑われてしまいました。
「とてもよかったですよ。胸が痛くなるようでした」
「こういう、切ない恋のご経験が?」クララがするどく突っこんできて、すかさずファニイに後ろからはたかれています。ぼくとしては、苦笑するしかなく。
「いえ、未知の領域ですけど」
「うそでしょー」
「本当です」
 ただひとつ残念だったのは、第五曲まではすばらしく仕上がっていたのに、かんじんの第六曲が、こう言うと失礼だけど、あまりまとまっていなかったことでした。彼女たちもまだ手探り状態らしく、それぞれに不満そうでした。弾き終わった瞬間、いっせいにしゃべり始めたのです。
「だからこれは、やっぱり二人で死ぬんだと思うよ?」
「死なないって。ちゃんと結ばれたじゃない、なんでわかんないの」
「女のほうだけ死ぬんじゃない?」
「男が残るの? やだ、そんなのかわいそうすぎる。男の人のほうが弱いよ。うちのおじいちゃんなんか、おばあちゃんが死んだらすぐ死んじゃって」
「あんたのおじいちゃんおばあちゃん関係ない」
 にぎやか。ロットバルトをふりむくと、肩をすくめています。やっぱりけっきょくそこなのですね。正解がない。ということは、どう解釈してもいいということなのだろうか。
 しばらくくつろいで雑談していて、知ったのは。学校というものに通っていないぼくの認識不足だったのですが。本来なら今月は音大の期末試験がすんで、そろそろみんな帰省したいところを、この弦楽をぼくに聴かせるために、帰らないで待っていてくれたのだそうです。青くなりました。なんという申し訳ないことを! あらためて平謝り。いまさら仮病だったとは口が裂けても言えません。
 もう一度それぞれと握手を交わして、また呼んでくださいね、などと言いながら彼女たちは出ていったわけですが、扉の向こう、廊下での会話が、まる()こえで。
「ねーねーねーねーあれぜったい本物だよね!!」
「なんで、どうして? 先生どこで王室とつながってるの?」
「知らない」
「握手、握手してもらった! もうあたし手洗わないっ」
「ばか」
「なにあれ『未知の領域ですけど』ってかわいいいい」
 恐るべし。
 ロットバルトは聞こえないふりでもう仕事にかかっていて、でもその背中が笑いをかみころしているようでもあり、しまった、ぼくはこいつにも怒っていたんだったと思い出したけれど後の祭りで、だいたいぼくはこの二週間、怒っていたんだろうか。あれは怒りだったんだろうか。音楽を聞かせてもらったいまは、よけいなものが洗われたというか、あきらめたというか、痛みのようなものだけが残っています——もう、もとには戻れないんだという。こんなふうに他人とかかわりたくはなかったのに。彼女たち、四人とも女性の編成でよかったです。もしあのデュエットのチェロを、彼女の相手役を、男が弾いていたらと想像しただけで、こうして身が切られるようです。ぼくはもうだめかもしれない。白と黒。本当に同一人物だったのだろうか。でも、別人とも、思えませんでした。


★BGM:「四羽の白鳥の踊り」弦楽四重奏バージョン(まさかあるとは!笑)
https://www.youtube.com/watch?v=G7Lh1LlE0Cc
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登場人物紹介

ジークフリート(愛称シギイ、ペーチャ、ミーメ)   

・この物語の語り手。バイエルン(南ドイツ語圏)地方に位置する小国の王太子。ひとりっ子。
・長身。髪は赤みがかった金茶色(母似)。
・読書魔でハイパー記憶力の持ち主。
・父の死(14歳)以降、公務のため学校には通わず、家庭教師から授業を受けている。

・ピアノが得意。とくに即興と伴奏。

・趣味はバードウォッチング。とくに渓流の小鳥を偏愛。

・自己評価が極端に低く、本人はコミュ障だと思って悩んでいるが、じっさいは聞き上手で愛されキャラ。
・一方的に恋されることが多く、人間関係に対して臆病になっている。
・涙もろい。

オデット(愛称オディール)

 

・伯爵家の出身だが、8歳で母を亡くし、父ディートリヒに連れられて欧州各地を転々として育つ。ひとりっ子。

・黒髪、目は濃いブルー。

・ヴァイオリンの腕前はソリスト級。水泳も得意。
・叔父のテオドール※と仲がよく、彼所有のヴァイオリンの名器を借りて使用している。 ※番外編に登場

・服はほとんどが白か黒の二択。
・親しい人の前ではのびのびとふるまう反面、極端な人見知りで、外では別人のように不愛想。

・夢中になると前後を見失いがち(自覚あり)。

・初恋の相手は愛犬のティート※(ゴールデンレトリバー)だった。 ※番外編に登場

ロットバルト(本名ディートリヒ、愛称ディーディー)


・教会音楽家(キルヒェンムジカー)。音楽全般に天才的な才能。楽器はパイプオルガンとピアノ。指揮、編曲もこなし、歌も歌える(バリトン)。

・紫がかった黒髪と黒目。

・幻の名作『白鳥の湖』の復曲にとり憑かれている。

・伯爵家の当主だったが、妻に先立たれてから弟テオドール※に家督を譲り、欧州各地を気ままに転々として暮らす。音楽教師と調律の仕事で生計を立てている、ように見えるが、じつは経済観念にとぼしく家計はつねに赤字で、弟からの仕送りに頼っている。 ※番外編に登場
・ひとり娘のオデットを溺愛。ジークフリートにも父親的な愛情を抱き、二人の結婚を画策する。

・つねに他人の予想のななめ上を行く言動で周囲を驚かせる。

・女にもてすぎるため過去にいろいろやらかしてきているらしい。

・思わせぶりな発言が多いわりに、本人はストレート(ヘテロ)。とはいえ、性の多様性を当然のこととして受け入れている、いわゆる「アライ」。

ファニイ   


・オデットの友人。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はチェロ。

・大柄で色白、明るい茶の髪と目。

・服はピンクや花柄が好き。
・弟が一人いる(作中には登場せず)。
・おおらかで愛情深く、安定した性格。こまやかな気配りができる一方で、かばんの中でよく失くし物をする。

ベンノ


・ジークフリートの侍従で友人。

・事故に遭って失語症をわずらい発話ができないが、持ち前の明るく機敏な性格で、仕事も日常生活もふつうにこなしている。

・灰緑色がかった金髪(ドイツ系に多い)。
・姉が一人いる(作中には登場せず)。
・つねにジークフリートに付き添い支えるうち、その間に出会ったファニイにひと目惚れ(したらしい)。

オーロラ   


・オデットの友人。クララの姉。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はヴィオラ。

・ウェーブのかかった明るい栗色の髪。瞳に金の斑点がある。

・きれいな色が大好きでつい派手な服を選びがち。クラスメートたちから「せっかく美人なのに趣味が残念な子」と思われている。

・性格はおっとりしていて、ジークフリート以上の泣き虫。不器用でおひとよし。

・留学生としてやってきたデジレにひと目惚れ(したらしい)。

クララ    


・オデットの友人。オーロラの妹。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はヴァイオリン。オデットたちと組んでいるカルテットでは第二ヴァイオリンを担当。

・黒に近い栗色の髪と目。ボーイッシュなショートカット。

・デニムを偏愛。冬でもショートパンツにブーツで、スカートは持っていない。
・姉のオーロラとは正反対の活発な性格。情にもろく、落ちこんでいる人(とくに男)を見ると放っておけない。

デジレ    


・アフリカ大陸に位置する小国の王子。兄が一人、姉が一人、妹が二人いる(作中には登場せず)。

・おしのびでオデットたちの音楽院に留学してきている。

・長身。ジークフリートより背が高い。

・ジークフリートをしのぐ音楽の才能の持ち主。アンサンブルでの担当はオーボエだが、鍵盤楽器も得意。

・美男美女か、または超絶美男美女のどちらかしか出てこないこの物語の中でも、主人公と並ぶ美貌の持ち主。肌は褐色。
・祖国の公用語はフランス語。その他、多言語に長け、ジークフリートと同じレベルで議論できる唯一のクラスメート。
・料理も得意。味付けは濃いめ(スパイスも多め)が好き。
・物欲がないように見えるが、じつはお洒落をしつくした末のミニマリスト。

・洗練された紳士である一方、激しいものを内面に秘めていて、ジークフリートを戸惑わせる。

マリウス


・国立バレエ学校の教師。ソリストの才能に恵まれるも、祖国に戻って子どもたちの指導に専念。とくに弟フリーディの教育に力を注いでいる。
・パリでの修行中に知り合ったピアニストのクローディアと恋愛結婚。まだ新婚で子どもはいない。
・髪と目はどちらもセピア色。

クローディア


・マリウスの妻。バレエの伴奏ピアニスト(コレペティートル)として夫を支える。
・マリウスが帰国する際、いったん別れるが、あきらめきれずに追いかけてきて結ばれる(作中には言及なし)。
・フランス系とドイツ系のハーフ。バイリンガル。
・赤毛でメガネ美人。

フリーディ(本名フリーデマン)


・フルネームはフリーデマン(=自由人)・フォーゲル(=鳥)。名前からして踊るために生まれてきたような少年。
・ダンスに類まれな才能を持つ、百光年に一人の逸材。
・兄マリウスとは十四歳違い。幼い頃、彼に憧れてスタジオに通ううち、自然とダンサーをめざすようになる。
・明るい金髪、灰緑色の目。実兄のマリウスより、血のつながりのないジークフリートに似ている。
・アイデアに富み、つぎつぎと斬新な提案を繰り出しては周囲を驚かせる。
・清浄無垢な風貌を持ちながら、中身はいたってふつうの元気な中二男子。
・現シュトゥットガルトバレエ団のプリンシパルである天才ダンサー、フリーデマン・フォーゲル氏に似てはいますが、別人です。あんな誠実でまじめな貴公子ではありません(笑)。

王妃(本名はそのうち出てきます)


・ジークフリートの母。王太子である息子を摂政として支える。息子を溺愛しているが、全体にも気配りのきく、バランスの取れた賢夫人。

・小柄で色白。赤みがかった金髪(息子と同じ)。中年になったいまも絶世の美女。

・チェロとピアノを少々たしなむ。

・兄と弟が一人ずついる(作中には登場せず)。

・天真爛漫で明るく、ひじょうに安定した性格で、周囲にとって「錨」のような存在。

・その一方、おちゃめで天然。つぎつぎと無邪気な発言を繰り出しては周囲(おもに息子)を驚かせる。

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