第七曲 四羽の白鳥の踊り (2) ★BGM付
文字数 2,520文字
そして彼女。第一ヴァイオリン。なぜか今日は黒ずくめ、黒シャツに黒の大きなスカート。それに何、この、そっけない態度。
「オデットです」
えっ。「オデット?」
「そう」
クララとオーロラがくすくす、しのび笑いを始め、ファニイがたしなめるような目を向けました。「いいじゃない、白鳥姫、似合ってるんだから。いちいちからかわないの」
「父が趣味でつけた名前なので。あたしのせいじゃありません」なんでこんなにぶっきらぼうなんだろう。いや、訊きたいのはそこじゃない。オディールって言ったよね、こないだは——
ふと、背筋が寒くなりました。まさか、別人?
「さっさと始めません?」
ぼくが椅子から立ちあがって、本当に申し訳なかったと言ったら、オデット以外の三人に寄ってたかって座らされました。
弦楽
いいなあ。こういうふうに、人と合わせられるって。
いちばん心を揺さぶられたのは、例の、恋人同士が対話する第四曲でした。グラン・アダージオ。第一ヴァイオリンが上の声、チェロが下の声を受け持って、あとの二人がピチカートで支えて。正直に「ちょっと泣きそうになりました」と言ったら、わっと笑われてしまいました。
「とてもよかったですよ。胸が痛くなるようでした」
「こういう、切ない恋のご経験が?」クララがするどく突っこんできて、すかさずファニイに後ろからはたかれています。ぼくとしては、苦笑するしかなく。
「いえ、未知の領域ですけど」
「うそでしょー」
「本当です」
ただひとつ残念だったのは、第五曲まではすばらしく仕上がっていたのに、かんじんの第六曲が、こう言うと失礼だけど、あまりまとまっていなかったことでした。彼女たちもまだ手探り状態らしく、それぞれに不満そうでした。弾き終わった瞬間、いっせいにしゃべり始めたのです。
「だからこれは、やっぱり二人で死ぬんだと思うよ?」
「死なないって。ちゃんと結ばれたじゃない、なんでわかんないの」
「女のほうだけ死ぬんじゃない?」
「男が残るの? やだ、そんなのかわいそうすぎる。男の人のほうが弱いよ。うちのおじいちゃんなんか、おばあちゃんが死んだらすぐ死んじゃって」
「あんたのおじいちゃんおばあちゃん関係ない」
にぎやか。ロットバルトをふりむくと、肩をすくめています。やっぱりけっきょくそこなのですね。正解がない。ということは、どう解釈してもいいということなのだろうか。
しばらくくつろいで雑談していて、知ったのは。学校というものに通っていないぼくの認識不足だったのですが。本来なら今月は音大の期末試験がすんで、そろそろみんな帰省したいところを、この弦楽をぼくに聴かせるために、帰らないで待っていてくれたのだそうです。青くなりました。なんという申し訳ないことを! あらためて平謝り。いまさら仮病だったとは口が裂けても言えません。
もう一度それぞれと握手を交わして、また呼んでくださいね、などと言いながら彼女たちは出ていったわけですが、扉の向こう、廊下での会話が、まる
「ねーねーねーねーあれぜったい本物だよね!!」
「なんで、どうして? 先生どこで王室とつながってるの?」
「知らない」
「握手、握手してもらった! もうあたし手洗わないっ」
「ばか」
「なにあれ『未知の領域ですけど』ってかわいいいい」
恐るべし。
ロットバルトは聞こえないふりでもう仕事にかかっていて、でもその背中が笑いをかみころしているようでもあり、しまった、ぼくはこいつにも怒っていたんだったと思い出したけれど後の祭りで、だいたいぼくはこの二週間、怒っていたんだろうか。あれは怒りだったんだろうか。音楽を聞かせてもらったいまは、よけいなものが洗われたというか、あきらめたというか、痛みのようなものだけが残っています——もう、もとには戻れないんだという。こんなふうに他人とかかわりたくはなかったのに。彼女たち、四人とも女性の編成でよかったです。もしあのデュエットのチェロを、彼女の相手役を、男が弾いていたらと想像しただけで、こうして身が切られるようです。ぼくはもうだめかもしれない。白と黒。本当に同一人物だったのだろうか。でも、別人とも、思えませんでした。
★BGM:「四羽の白鳥の踊り」弦楽四重奏バージョン(まさかあるとは!笑)
https://www.youtube.com/watch?v=G7Lh1LlE0Cc