第十七曲 小さな白鳥たちの踊り (4)
文字数 1,161文字
まっすぐ見つめられたので、ぼくも居ずまいを正しました。
「オデットは苦しんでた」
「うん」
「かわいそうだった」
「うん」ああファニイ、ありがとう。本当にありがとう。ぼくは、これを誰かに言ってほしかったんだ。ぼく以外の誰かの口から、ぼくに向けて。
「わたしが気がついただけでも、二回は過呼吸を起こしてた」過呼吸。「知ってる? 精神的なストレスだけで、呼吸困難になっちゃうの。しばらくすればおさまるんだけど、発作のあいだは何もしてあげられない、手を握っててあげるくらいしか。あの子は意地っぱりだから、ぜったい弱音を吐かなかったけど、一度だけ、泣きながら、小さな声で『助けて』って言ってた。
「ペーチャ、ペーチャ、やめて」ファニイの手がぼくの手をすばやく、優しく押さえていました。ぼくがぼく自身を傷つけてしまう前に。「あなたを苦しめたいわけじゃないの。逆なの。もう自分を責めるのはやめて。そうじゃなくて、自分のことじゃなくて、オデットのことを考えてあげてよ。連絡してないでしょう? してあげて。返事が来なくてもしてあげて。待ってる。ぜったい。
「わたしあなたたち二人とも大好きなの。ハッピーエンドになってほしいの。大丈夫、二人とも、相手のことすごく愛してる。足りないのは愛じゃない。信じればいいだけだと思うの、自分がこんなに愛されてるってこと。『こんな自分なんか』とかそういうの、やめればいいだけだと思うの。でもそれ、けっこう難しくて」ファニイはきゅうに、ふわっと頬を染めました。「えらそうなこと言っちゃって、わたしも自分では、できる自信、ないけど、やだ、何言ってるかわかんなくなっちゃった」
「ありがとう」
「ごめんなさい、やだなぁ、すごくえらそうなこと言っちゃった、はずかしい」
「ううん、本当に、本当にありがとう」
ファニイ。ずっと思っていた。なぜぼくは、きみの前だと、こんなに安心できるのだろうと。きみのスカートのすそにまつわりついて歩いた記憶が、ぼくにはある。「どうしてかみさまはぼくをつくったの?」と、きみに尋ねた記憶も。夜中に、まだ書いていない、書くことのできない音楽が自分の中で鳴りやまなくなって、怖くて泣いて、きみにずっと背中をなでていてもらったこともあった。もちろんこれはきみとぼくの思い出ではなくて、幼いペーチャ、ピョートル・イリイチの養育を八歳までまかされたファニイ・デュルバッハ嬢の物語なのだけど、それでも——ファニイ、この感謝は、借りものじゃない、ぼくの心からのものです。ありがとう。