第十六曲 間奏曲 砂糖菓子の精の踊り (2) ★BGM付

文字数 2,956文字

 クララと寝てみましたが、うまく行きませんでした。
 クララのせいではありません。ぼくのせいです。クララはいい子です。とてもよかったと言ってくれました。うそでも嬉しかった。でも顔があげられませんでした。そんなことしてると記念写真撮っちゃいますよー。ふりかえると、優しい目をしていました。うそだよー。スマフォの画面は真っ暗で、電源が切ってありました。
「自分を責めすぎ、ペーチャ。オデットも怒りすぎ。ペーチャこんなに反省してるんだから、いいかげんゆるしてあげればいいのに」
「ありがとう」
「また泣くー。もうー。だって本当に何もなかったんだよね、黒王子(ブラック・プリンス)とは」
「なかった」
「じゃ、いいじゃない、堂々としてれば」
「あの……、これは?」
「え? あ、これはだってノーカンでしょ」
「ノーカンなの」それもある意味ショックだな。
「うん、まあ、ボランティア?」
 本当ショックだな、ある意味。
「正直あたしたちもみんなはらはらしてた」とクララ。「デジレどう見てもペーチャのこと好きすぎだったし」何それ。あんなのただの遊びだったんじゃないか、彼には。「まあね、あの彼にあんなぐいぐい来られたら誰だって抵抗できないよねー。でもさ、よかったよ、デジレ頭いいからちゃんと身を引いてくれて。つらかったと思うよ。偉いよ彼」何そのストーリー?! 意味わからない。「だからもう大丈夫。あとはオデットが帰ってくればいいだけ」
「帰ってこないよ」
「くる。ぜったい帰ってくるって。遅いか早いかの問題」
「それまで生きてる自信ない」本気でした。
「もうー。どこまで世話が焼けるかな、この子は。やっぱり世界ダメ王子ランキングワースト一位だね」
 クララははらばいになって頬づえをつき、ちょっと足をぱたぱたさせました。こうして見るとほんとオーロラと顔、似てる。髪が短いだけ。いさぎよいショートカット。
「あたしばかだからさ。こわれかけてる人を見るとつい、ぎゅっとしてあげたくなっちゃうんだ。いまはまだ若いからいいけど、このままおばさんになったらやばいよねー。まじでやばい、はは。でもさ、なんていうか、とにかく立ち直ってほしいんだ。だって資源の無駄っていうか」
「資源の無駄?」
「もったいないよ、もんもんとしてるだけなんて、そのエネルギー。たまには学校に顔出してよ。みんな待ってるよ、心配してる。さびしいよ、ペーチャがいないと」
 ありがとう。みんなも。
「いじる相手がいないと」
 そこ?!
「みんなペーチャのこと大好きなんだからわかって」髪の上からかるくキスされました。「愛されてるのに愛されてる自覚のない人って、迷惑。まじで。ぼくなんかいないほうがいいんだとかうじうじ言われて、そんなことないよーきみはすばらしいよーってずーっと励ますの疲れるんだよ、わかる?」ごめんなさい。「ちゃんと自家発電してよね。ペーチャめちゃくちゃいい男なんだから」
 でも。「さっきワースト一位って言った」
「うん、中味だめでも見た目特上だから」
「ほめてない」
「う・そ。あたしこれでもいちおう厳選してるから。見込みのない男は励まさない主義。そうだ」きゅうに、片耳にイヤホンを押しこまれました。「お姉ちゃん(オーロラ)が帰ってきちゃうまでまだ時間あるから、これ聴こうよ」
 ふたりでベッドに寝そべって、イヤホンを片耳ずつつけて、アイポッドを聴きました。
「ペーチャ? ったく、泣くなよ。男だろ?」
「泣いてない」
「泣いてるし」
 見ないで。はずかしいから。どうしよう、本当に涙がとまらない。
『くるみ割り人形』から、「砂糖菓子の精のアダージオ」。『白鳥』のアンサンブルのみんなは夏のコンサートが終わった後も別れがたく、解散できなくて、クリスマスに遊びで何かやろうということになり、それならやっぱり『くるみ割り』でしょうということになり、練習を続けているそうです。チャイコフスキーの生涯最後の年に、たしかに『悲愴』と「ふたたび私はひとり」は書かれているのだけど、その直前に作られた『くるみ割り人形』は、何だろう、最初から最後までおいしい匂いにあふれたごちそうのようで、幸せすぎて、かえって胸が痛くなります。
「あたしはさ」とクララ。「こう見えて」どう見えて?「百パーセント男の人が好きっていうか、なんならもう千パーセント好きっていうか」クララー。「だから正直、男どうし女どうしの恋愛は、わかんない。でもね、これって好きになっちゃいけないやつだよと思いながら好きになるのは、哀しいよね。それは、わかる。
「あたしあれ聞いたときすごく嫌だったんだ、チャイコフスキーがゲイだったから自殺に追いこまれたって説。てか彼、どう見ても同性愛者(ゲイ)じゃないけどね! 両性愛者(バイ)だよね。——たしかに真相は不明。生水を飲んで体をこわしたっていうけど、直前まで元気だった人にしては、あまりにあっけなく死にすぎてるし。でも彼、次の作品の構想も、打ち合わせの計画も書き残してたんだよね。絶望して自殺する人間がそんなことするかな? やっぱりほんとに生水で体こわしたんだと思うよ。弟のモデストさんがそう証言してるんだから、それ信じればいいじゃん、ふつうに。
「とにかく、みんなちゃんと音楽を聴こうよ!って言いたいよ。こんな夢みたいな、聴くだけで幸せにしてくれる、どんな傷ついた人も立ち直らせてくれる音楽だよ。人生を家族を友だちを、心から愛してた人間にしか創れないに決まってる。ゴシップとかどうでもいいじゃない。あたしは、チャイコさんを信じる。チャイコさんの音楽を信じる。チャイコさんは苦しんだけど、ぜったいに世界を呪いながら死んだりしなかったと思う。祝福してくれた、あたしたちを。だって聴けばわかる。そう思わない? ペーチャ」
 アダージオ。暖かいト長調(ゲードゥア)。チェロが力強く奏でるテーマは驚いたことに、じつはただの下降音階。ドーシラソファーミレドー。素敵な夢から醒めそうな、あの感じ。夢の中で会えて嬉し泣きしながら、ああこれ夢なんだ、と気づいてしまって、もう終わるんだとわかってしまって、それでも涙は、温かくて。幸福の絶頂というものを知っていて、それが長続きしないことも知っている。チャイコフスキー。でもこの夢は、何度でも見られる夢なんですね。ピョートル・イリイチ、あなたはもうこの世にいないのだけど、クリスマスのたびにおもちゃを腕いっぱいに抱えてやってくるドロッセルマイヤーおじさんは、あなた自身のような気がします。あなたの音楽はぼくに、死のう、と誘ってみたり、生きなさい、と励ましてくれたり、よくわからない。いまのぼくは、あごがはずれてこわれてしまった醜いくるみ割り人形で、こうしてクララが抱きしめてくれたくらいでは、もとに戻れそうにないです。だけど一つだけたしかなのは、ピョートル・イリイチ、ぼくは——あなたの音楽が好きです。もう少し、聴いていたい。


★BGM:『くるみ割り人形』より「砂糖菓子の精と騎士のアダージオ」
https://www.youtube.com/watch?v=qy6dlGpC3Ns
ディズニーの『くるみ割り人形と秘密の王国』は見てません。見たくないです。この砂糖菓子の精が悪役(ヴィラン)なんて、チャイコさんに失礼だと思う。あ、ネタバレしてしまった、いまのなし。
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登場人物紹介

ジークフリート(愛称シギイ、ペーチャ、ミーメ)   

・この物語の語り手。バイエルン(南ドイツ語圏)地方に位置する小国の王太子。ひとりっ子。
・長身。髪は赤みがかった金茶色(母似)。
・読書魔でハイパー記憶力の持ち主。
・父の死(14歳)以降、公務のため学校には通わず、家庭教師から授業を受けている。

・ピアノが得意。とくに即興と伴奏。

・趣味はバードウォッチング。とくに渓流の小鳥を偏愛。

・自己評価が極端に低く、本人はコミュ障だと思って悩んでいるが、じっさいは聞き上手で愛されキャラ。
・一方的に恋されることが多く、人間関係に対して臆病になっている。
・涙もろい。

オデット(愛称オディール)

 

・伯爵家の出身だが、8歳で母を亡くし、父ディートリヒに連れられて欧州各地を転々として育つ。ひとりっ子。

・黒髪、目は濃いブルー。

・ヴァイオリンの腕前はソリスト級。水泳も得意。
・叔父のテオドール※と仲がよく、彼所有のヴァイオリンの名器を借りて使用している。 ※番外編に登場

・服はほとんどが白か黒の二択。
・親しい人の前ではのびのびとふるまう反面、極端な人見知りで、外では別人のように不愛想。

・夢中になると前後を見失いがち(自覚あり)。

・初恋の相手は愛犬のティート※(ゴールデンレトリバー)だった。 ※番外編に登場

ロットバルト(本名ディートリヒ、愛称ディーディー)


・教会音楽家(キルヒェンムジカー)。音楽全般に天才的な才能。楽器はパイプオルガンとピアノ。指揮、編曲もこなし、歌も歌える(バリトン)。

・紫がかった黒髪と黒目。

・幻の名作『白鳥の湖』の復曲にとり憑かれている。

・伯爵家の当主だったが、妻に先立たれてから弟テオドール※に家督を譲り、欧州各地を気ままに転々として暮らす。音楽教師と調律の仕事で生計を立てている、ように見えるが、じつは経済観念にとぼしく家計はつねに赤字で、弟からの仕送りに頼っている。 ※番外編に登場
・ひとり娘のオデットを溺愛。ジークフリートにも父親的な愛情を抱き、二人の結婚を画策する。

・つねに他人の予想のななめ上を行く言動で周囲を驚かせる。

・女にもてすぎるため過去にいろいろやらかしてきているらしい。

・思わせぶりな発言が多いわりに、本人はストレート(ヘテロ)。とはいえ、性の多様性を当然のこととして受け入れている、いわゆる「アライ」。

ファニイ   


・オデットの友人。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はチェロ。

・大柄で色白、明るい茶の髪と目。

・服はピンクや花柄が好き。
・弟が一人いる(作中には登場せず)。
・おおらかで愛情深く、安定した性格。こまやかな気配りができる一方で、かばんの中でよく失くし物をする。

ベンノ


・ジークフリートの侍従で友人。

・事故に遭って失語症をわずらい発話ができないが、持ち前の明るく機敏な性格で、仕事も日常生活もふつうにこなしている。

・灰緑色がかった金髪(ドイツ系に多い)。
・姉が一人いる(作中には登場せず)。
・つねにジークフリートに付き添い支えるうち、その間に出会ったファニイにひと目惚れ(したらしい)。

オーロラ   


・オデットの友人。クララの姉。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はヴィオラ。

・ウェーブのかかった明るい栗色の髪。瞳に金の斑点がある。

・きれいな色が大好きでつい派手な服を選びがち。クラスメートたちから「せっかく美人なのに趣味が残念な子」と思われている。

・性格はおっとりしていて、ジークフリート以上の泣き虫。不器用でおひとよし。

・留学生としてやってきたデジレにひと目惚れ(したらしい)。

クララ    


・オデットの友人。オーロラの妹。音楽高等院(ムジークホッホシューレ)の学生。楽器はヴァイオリン。オデットたちと組んでいるカルテットでは第二ヴァイオリンを担当。

・黒に近い栗色の髪と目。ボーイッシュなショートカット。

・デニムを偏愛。冬でもショートパンツにブーツで、スカートは持っていない。
・姉のオーロラとは正反対の活発な性格。情にもろく、落ちこんでいる人(とくに男)を見ると放っておけない。

デジレ    


・アフリカ大陸に位置する小国の王子。兄が一人、姉が一人、妹が二人いる(作中には登場せず)。

・おしのびでオデットたちの音楽院に留学してきている。

・長身。ジークフリートより背が高い。

・ジークフリートをしのぐ音楽の才能の持ち主。アンサンブルでの担当はオーボエだが、鍵盤楽器も得意。

・美男美女か、または超絶美男美女のどちらかしか出てこないこの物語の中でも、主人公と並ぶ美貌の持ち主。肌は褐色。
・祖国の公用語はフランス語。その他、多言語に長け、ジークフリートと同じレベルで議論できる唯一のクラスメート。
・料理も得意。味付けは濃いめ(スパイスも多め)が好き。
・物欲がないように見えるが、じつはお洒落をしつくした末のミニマリスト。

・洗練された紳士である一方、激しいものを内面に秘めていて、ジークフリートを戸惑わせる。

マリウス


・国立バレエ学校の教師。ソリストの才能に恵まれるも、祖国に戻って子どもたちの指導に専念。とくに弟フリーディの教育に力を注いでいる。
・パリでの修行中に知り合ったピアニストのクローディアと恋愛結婚。まだ新婚で子どもはいない。
・髪と目はどちらもセピア色。

クローディア


・マリウスの妻。バレエの伴奏ピアニスト(コレペティートル)として夫を支える。
・マリウスが帰国する際、いったん別れるが、あきらめきれずに追いかけてきて結ばれる(作中には言及なし)。
・フランス系とドイツ系のハーフ。バイリンガル。
・赤毛でメガネ美人。

フリーディ(本名フリーデマン)


・フルネームはフリーデマン(=自由人)・フォーゲル(=鳥)。名前からして踊るために生まれてきたような少年。
・ダンスに類まれな才能を持つ、百光年に一人の逸材。
・兄マリウスとは十四歳違い。幼い頃、彼に憧れてスタジオに通ううち、自然とダンサーをめざすようになる。
・明るい金髪、灰緑色の目。実兄のマリウスより、血のつながりのないジークフリートに似ている。
・アイデアに富み、つぎつぎと斬新な提案を繰り出しては周囲を驚かせる。
・清浄無垢な風貌を持ちながら、中身はいたってふつうの元気な中二男子。
・現シュトゥットガルトバレエ団のプリンシパルである天才ダンサー、フリーデマン・フォーゲル氏に似てはいますが、別人です。あんな誠実でまじめな貴公子ではありません(笑)。

王妃(本名はそのうち出てきます)


・ジークフリートの母。王太子である息子を摂政として支える。息子を溺愛しているが、全体にも気配りのきく、バランスの取れた賢夫人。

・小柄で色白。赤みがかった金髪(息子と同じ)。中年になったいまも絶世の美女。

・チェロとピアノを少々たしなむ。

・兄と弟が一人ずついる(作中には登場せず)。

・天真爛漫で明るく、ひじょうに安定した性格で、周囲にとって「錨」のような存在。

・その一方、おちゃめで天然。つぎつぎと無邪気な発言を繰り出しては周囲(おもに息子)を驚かせる。

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