第8話 2020.9.12塩尻レザンホール~いつも歌があったツアー

文字数 3,490文字

第8話 2020年9月12日(土):塩尻市文化会館レザンホール 大ホール
南こうせつコンサートツアー2020~いつも歌があった~

2020年9月、第2波はピークアウトしました。
  
* * *

第2波(ピークは2020年8月初旬)では、緊急事態宣言は出ませんでした。

新規感染者数は第1波を越えたものの、重傷者や死者は増加しませんでした。

感染予防行動を取りながら社会生活を維持する方策が取られました。

感染リスクの高い飲食業、特に酒類の提供へのピンポイントの自粛要請が対策の中心でした。

また、重傷化リスクの高い高齢者の行動自粛とともに、高齢者との接触を減らすこと(お盆休みの帰省の取りやめ)が推奨されました。

ピークアウトに合わせ、GOTOキャンペーンが実施されるというニュースが賑わっていました。

ピークアウトといっても、新規感染者数は日々300人近くあったので、GOTOには強い反対意見もありました。

* * *

県境をまたいでの不要不急ではない移動は、問題はないように思われました。

ただ、県境をまたいだ移動は控えるようにという、百合子都知事からの注意喚起は続いていました。

大手を振って、というわけにはいかないように思いました。

* * *

塩尻レザンホールのチケットは、すでにファンクラブ先行予約で購入していました。

私にとっては、2020年2月8日(土)の掛川市文化会館シオーネ 大ホール「いつも歌があった」のツーコンサート以来です。

約7ヶ月間、こんなにも長く、こうせつのライブから離れたことは、ありませんでした。

5月の公式ホームページでの直筆コメント以降、テレビやラジオ、ユーチューブで、見聴きことができました。

でも、やはり、コンサートに行きたい気持ちが募っていました。

そして、私は3月末に退職していて、このときは無職でした。

仕事による制限はありませんでした。

金沢から、いったん、東京の自宅に戻りました。

9月になって季節が変わり、衣替えで、秋冬物を金沢に持っていく必要がありました。

* * *

もしかしたら直前に中止になるかもしれないと思いながら、半信半疑。

当日、JR中央線、あずさ号に乗り込みました。

第1波、第2波の経験から、どうやら公共交通機関の空調は優秀で、感染のリスクは低そうだと判断できました。

自分が東京都民であることや、念のためソーシャルディスタンスが保てるように、グリーン車にしました。

例年であれば、この時期の週末のあずさ号は、観光や登山の乗客でいっぱいです。

さすがに、空席が多かったです。ただ、ガラガラというわけではないので、やはり、県境をまたいで移動する人は増えていると思いました。

* * *

南こうせつ公式HPでは、入り待ちは禁止とあったので、開演時間に合わせて行きました。

レザンホールの入口付近には、久しぶりに会うファン友たちがいました。

再会を喜びあいました。

駐車場で車の中から、楽屋入りするこうせつやスタッフを見守ったという人もいました。

みんな、今日のライブをどのように観るのか、戸惑いがあるようでした。

戸惑いつつも、どんな状況でも楽しもうという心意気でしょうか。

それぞれのチームが、自作・特注品のこうせつロゴ入りマスクをしていました。

そのマスクは汚したくないので、不織布マスクの上に自作・特注品マスクで、みんなマスク2重です。

* * *

QRコードまたは用紙に住所、氏名、連絡先を登録してから会場に入りました。

開演前のアナウンスでは、大きな声を出しての応援やスタンディングはダメということでした。

こうせつコールのない、手拍子での開演でした。

私は、「TEAM 373」のサクラはっぴを、前後ろに着て舞台にアピール、応援することにしました。

* * *

コンサート自体は意外に普通、声出しがないだけの、これまでのツアーコンサートと同じでした。

いえ、声出しがないということじたいが、著しく普通ではない?そんな気もします。

やはり、はじめのうちはちょっとした工夫・・・「リンゴの唄好きな人拍手して」というように、拍手の数でオーディエンスとコミュニケーションを取ろうとしたり。

でも、そのうち、いつもの感じで?こうせつはオーディエンスに語りかけだして。

「神田川」のサビを皆で歌いました。

オーディエンスはマスクの下で、遠慮がちな声でした。

開演前のアナウンスでは「大きな声での声援」は禁止なのであって、普通の会話の声量ならOKなの?

私は、若干混乱してしまい、歌うことができませんでした。

休憩開けの第2部では、いつもなら「うちのお父さん」で、みんなでこうせつコールにサビを大合唱ですが、この日は歌いませんでした。

コロナ禍では、難しいのかなと思いました。

* * *

コロナ禍で作った歌という「夜明けの風」を弾き語り、ギター1本で歌いました。

新曲です。

イランイラク戦争開戦のあと、東日本大震災のあと、九州の地震のあと、そして、今日。

アーティストは、世界や人々の苦悩を、自分の傷みとして感じて、寄り添ってしまうんでしょう。

この歌を聴いて、今日、塩尻に来て良かったと思いました。

また、最後は、前方のファンたちが、いつものノリでした。

いつのノリでも、声はなし。会場の係の方やスタッフも、制止することはありませんでした。

そして、いつものコンサートではないことを実感したのは、最後、バックミュージシャンとともにオーディエンスに向かってするお辞儀です。

いつもなら、4人は肩を組んで、一緒にお辞儀ですが、この日は、それぞれが1メートルほど離れてのお辞儀でした。

最後に、こうせつが独り舞台に残り、オーディエンスに向かって、長い長い長いお辞儀。

終演後は、客席ごとの計画退場を、初めて体験しました。

* * *

全体の感想は・・・

久しぶりのライブに感動・・・というわけにはいきませんでした。

こうせつのライブが再開された安堵感

こうせつコールなしのライブへの戸惑い

仲間たちとの歓談や飲み会ができないことの再認識

この先、これまでのライブの楽しみ方ができないこと

・・・を実感させられ、複雑な感情が入り交じりました。

こうせつの歌もさることながら、コロナ禍でずっとSNSでやりとりしていたファン友人、九州から感染リスクを避けて自家用車で駆けつけた仲間、みんなと無事に再会できたことが、一番でした。

* * *

感染対策という名の、様々な制約のあるライブ。

ずっと昔、あるグループの日比谷野外音楽堂のライブで死者がでて。

それ以来、ライブ会場でいろんな制約が広がって、大人しくみているしかなくなった感じがして、不満だったことを思い出しました。

その時は、過剰な安全管理な感じがしていたけれど、今はそれが普通になっている(今でも全席自由が恋しくはなるし、アンコールで前に走って行きたくなるけど)。

こうせつが歌うのだから、どんな制約があっても聴きにいくのか?制約のあるライブはライブじゃない、嫌だ、行かないと思うのか?

意見は分かれるだろうとも感じました。

* * *

出待ちはできないということなので、終演後はすぐに塩尻駅に向かいました。

帰りもグリーン車をとっていました。

ホームであずさ号を待っていると、こうせつ一行と一緒になりました。

こうせつは、ホームで私と友人をみつけて、こうせつの方から駆け寄ってくれ、肘タッチをしてくださいました。

近くで見るこうせつは、とても疲れているように感じ、少し歳をとって見えました。

* * *

感染予防のガイドラインが出て、6月28日(日)、自粛を破り先陣をきってコンサートをやったのは、加藤登紀子さん、お登紀さんでした。

そのニュースをみて、こうせつもと思いながら、でも、あえて危険を冒して欲しくないという思いも同時にありました。

再び走り出す、新しい夜明け。でも・・・

ガイドラインを遵守しているとはいうものの・・・

こんな状況でのライブの開催は、ストレスだろうと心配になりました。

舞台から客席みると、重症化のリスクの高い、持病ありそうな中高年ばかりだろうし。

「とにかく、お疲れさま!ライブやれて良かった!」と、こうせつに言いたかったけれど。

だけど、本当に安全にやれたのか、結果は2週間後。

「お疲れさま!ライブやれて良かった!」は、2週間後かなと思うと、何も言えませんでした。

やっぱ、ストレスですよね。

人の生死に抵触するかもしれないこと。

ユーチューブの有料や投げ銭は、感染に対して安全な媒体だけど。

どんな状況でも、ライブ(生)を一番に大切にした、音楽活動をと。

向かい風に立つ「緑の旅人」であり続けるのは、本当に大変なことだと思いました。

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