第22話 2021.8.7東広島芸術文化ホールくらら~いつも歌があったツアー 

文字数 4,499文字

第22話 2021年8月7日(土)東広島芸術文化ホール くらら
南こうせつコンサートツアー2021~いつも歌があった

本人や家族に持病があったり、職場やご近所さまが厳しかったり、諸事情からワクチンを受けられなかったり、・・・そのために、ライブだけでなく、どこにも出かけていない友人、仲間たちがいます。

そんな仲間たちの何人かが、くららには参加するといいます。

それだけ、広島でのコンサートに、思いがあるのです。

* * *

1986年~1995年の10年間、こうせつは「平和がいいに決まっている!」を合い言葉に、山本コウタローさん、ハウンドドッグの大友康平さんとともに、広島ピースコンサートに、責任者として、また、ゲストとしても出演されていました。

総額2億円近くの寄付を集め、広島市に寄付し、原爆養護ホームの倉掛のぞみ園の立て替えの費用の一部となりました。

その園では、毎年、ピースコンサートが行われる8月に、ミニコンサートも行われていたそうです。

私は、第1回の広島修道大学のときに、参加しています。

2回目以降は、仕事の休みがとれず、行くことが出来ませんでした。

昭和の病院は、いまでいうブラック企業でした。実家の能登の祭りの帰省とサマーピクニックの休暇希望で、精一杯でした。

この頃の私は、奨学金の返済があり、経済的に苦しいときでした。

また、学費貸与の返済免除の就労期間でもありました。

卒業後、一定期間、指定された病院に就労することで、学生時代に貸与された学費が返済免除となります。しかし、その期間中に仕事を辞めれば、学費貸与100万円近くを一括返済する必要がありました。(当時は、分割返済は認められていませんでした)

当時、サマーピクニックに行くために、転職をする友人が多数いました。私にはそんな力はなくて、仕事を辞めることは出来ませんでした。

2000~2009年は、毎年8月7日に、広島平和祈念聖堂で、弾き語りのコンサートがありました。

私は、2000年に学費貸与の返済免除の就労期間を、何とか終了できました。また、奨学金の繰り上げ完済もできました。それで、まさに一文無しになってしまいましたが、金銭の縛りが無くなって、すごく気持ちが楽になっていました。

また、連れ合いと結婚して、生活に少し余裕ができた頃でもありました。

なので、広島記念聖堂には、何回か参加することができました。

2010年以降は、東広島芸術文化ホールくららに場所を移して、8月の上旬にツアーコンサートが行われていました。

私も、仕事がなく行けるときは、東広島に行っていました。

昨年の2020年8月8日(土)の東広島芸術文化ホールくららのコンサートは、新型コロナのために中止となりました。

今年もまた、広島の地で、こうせつとともに平和を祈りたい・・・がみんなの想いです。

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東京オリンピックは、7月23日~8月8日までの17日間でした。

7月12日(月)から、東京は、緊急事態宣言でした。

東京ではデルタ株と思われる感染者が、4千人を超える日が続いていました。

8月2日(火)には東京都と沖縄の緊急事態宣言が延長され、埼玉、神奈川、千葉、大阪が追加となり、石川、兵庫、京都、福岡にまん延防止等重点措置がとられました。

広島でも、多い日は、100人を超える感染者数となっていました。

* * *

私は、2クール目のワクチン接種を終えていました。

デルタ株に対しては、ワクチン接種後は、重症化を予防する効果はあるけれど、他に感染させる可能性は残っています。

知事たちは、越境をやめてほしいとも言っています。

東広島は、蔓延防止法重点措置地域にはなっていません。

行くのであれば、感染予防行動を徹底してと、遠征に臨みました。

東京から広島までの移動は密を避け、単独、早朝にして、高くつきますが思い切ってグリーン車にしました。

宿はシングルをとりました。

ただ、むやみやたらに感染予防ということではなく、久しぶりに会う友人たちとの交流も大切にしつつの、予防行動をと思いました。

2021年5月、インドでのデルタ株の猛威と、そのひどい結果を考えると、日本でのデルタ株のまん延への緊張もあります。

でも、多くの仲間はワクチン接種ずみ(ファン友は高齢者が多いのです)で、ちょっと複雑な、迷いの心もちでした。

* * *

コンサート前日から、グループラインには、東広島に向けての書き込みが増えてきます。

「今、××にいます」「ホテル到着」など。

当日朝には、さらに増えて「今、新幹線に乗りました」「広島駅に着きました」。

また、フェイスブックには、その道中の駅弁や車窓の写真などが、次々とアップされます。

同じ場所を目指し、みんなが少しずつ近づいているのが、よくわかります。

もうすぐみんなに会えるというワクワク感に、ライブへの期待感。

本当に久しぶりの感覚のような気がしました。

グリーンパラダイスが中止になって、特にそう感じました。

* * *

東広島、西条は小さな町なので、宿泊するホテルは3つほどに限られます。

知り合いのほとんどが、同じホテルでの宿泊です。

新幹線から在来線に乗り換え、西条駅のホームに降り立つと、そこにはキャリーバッグを引きながら歩く、見慣れたツアーTシャツの何人かが。再会を喜び、同じホテルに向かいました。

ホテルに荷物をあずけ、お昼過ぎ、会場の場所を確認しに行きました。

楽屋口では、スタッフに止められ、追い返されました。

入り待ちは禁止とのことでした。

それでもくららホールと西条駅の周囲には、こうせつTシャツを着たファンが、ウロウロしていました。

西日本方面の公演でしか会えない仲間との、再会がうれしかったです。

* * *

一昨年、二昨年に比べれば、東広島は暑さが和らいでいました。

でも、やっぱり暑いものは暑い。

そのままホテルに戻って、チェックインまでロビーで涼むことにしました。

ロビーの自動販売機のビールを・・・と思いましたが、ロビーは感染予防対策のため、飲食禁止でした。

ロビーで涼んでいると、次々に見慣れた顔がやってきました。

本当に久しぶり、2019年の海の中道サマーピクニック以来の仲間とも、会えました。

ディスタンスを保ちマスク着用で近況報告、楽しい時間を過ごしました。

チェックインを済ませ荷物を部屋に置いたら、もう開演の時間です。

* * *

ホテルからくららまで歩いて5分ほど。

仲間と一緒に、会場に向かうのも久しぶり。それもまた、幸せな時間なんだと再認識しました。

観客は半分ぐらいでしょうか。

くららの4階まで観客が入り、バルコニー席も埋まっていました。

グループ購入は隣同士で、グループの間の席をひとつ空けているようでした。

いわゆる、グループディスタンスです。

こうせつコールが無い手拍子だけの開演前の風景も、見慣れてきたけれど。

くららでは4階のオーディエンスまで手拍子があり、力強いオープニングだったと思います。

* * *

客席のライトが消え、さらに力強い手拍子となり、緞帳が上がります。

あの曲、「いつまでも夏になれば」で始まりました。「初恋は白鳥座」「幼い日に」「夏の少女」「Summer♪Angel」と、夏づくしのセットリスト。

前半に「幼い日に」と「Summer♪Angel」という、歌い上げる曲を2曲もってくる。

こうせつの声は伸びやかに澄んで、まだまだ健在です。

* * *

休憩時間は、こうせつの声と歌に酔いしれた仲間の、満足した声であふれていました。

そして、何人かの仲間が反応したのは、前半、かぐや姫の曲が無いってことでした。

後半も、4階までのオーディエンスの熱い手拍子で始まりました。

弾き語りでの「妹」は、久しぶりです。

「妹」は。いつもオーディエンスのこころを鷲づかみします。

* * *

バンドが入って、「ブラザー軒」。

キラキラ光る氷のかけらとガラスのれん、その向こうは闇。

高田渡さんは、その向こうの闇に行ってしまいました。

こうせつにとってこの歌を歌うことは、高田渡さんとの再開なのかもしれないと思いました。

高田渡さん同様、こうせつは、ただ、たんたんとこの歌を歌います。

「僕」が七夕の夜に、ブラザー軒で、死んだ妹と親父に再会するという歌。

いえ、死者ふたりには「僕」は見えないし、ふたりには声が無いから、「再会」というのとは、少し違うのかもしれません。

懐かしい思い出の場所に立つと、以前はそこに一緒にいた、今はいない人たちの気配が確かにする。

その時の年齢のままの自分が、亡霊となって歩いているような気がする。

でも、確かな気配は感じても、見えないし話しかけることもできない。

現実は、向こうの闇に行ってしまった人に、会うことはできないんだ。この歌を聴くと、ちょっと悲しくなります。

広島では、「ブラザー軒」は、反戦歌のようにも聞こえます。

* * *

「コンサートツアー」「神田川」。この歌から始まって、そして、ずっとコンサートツアーという旅をしてきたこうせつの人生です。

私の始まりは「神田川」ではないけれど、ツアーを追いかけてこうせつと一緒に旅をしてきたんだと、ひとりで勝手に熱くなり、サビで握り拳を天に突き上げました。

ここで、「緑の旅人」か?「マキシーのために」か?でも、やっぱり広島です。

「あの人の手紙」です。久しぶりに聴いた気がします。

やっぱり、広島です。

* * *

最後は「おもかげ色の空」。

かぐや姫の2000年再結成のとき、こうせつに降臨、「おもかげ色の空」で、「オヤジ!!もっと大きな声は出ないのか!!!」と、何度も叫んでいました。

いまは、それはできません。

心のなかで、一緒に歌いました。

アンコールは「夜明けの風」。そして「満天の星」、口花火で終演でした。

終演後は、もう慣れた整列計画退場です。

* * *

「8月」という言葉に、日本人であれば抱くイメージや思い。

海、恋、青空、お盆、広島・長崎、敗戦。

そして、今年は2回目のコロナ禍の夏。

こうせつはくららで、夏の全てを見事に表現しました。

今回のくららでは、こうせつは難しいことは、あまり語りませんでした。

ただ、曲の背景や歌詞への思いを、一曲ごとに丁寧に説明していました。

曲の世界に入れるようにという、心遣いのようにも思えました。

楽しい音楽会、癒しの時間であることを最優先に。

言葉少なく。自分の信念と平和のメッセージは歌に込めて。

そして、デルタ株に脅かされ疲弊する私たちを、力強く励ましてくださいました。 

くららは、本当に素晴らしい、夢の時間でした。

* * *

例年、くららの翌日は、広島平和祈念聖堂でキリスト像に祈り、お好み焼きを食べて帰るのですが。

今回は、デルタ株のこともあって、どこにも寄らずに東京に直帰しました。

* * *

そして、2週間経ち、周囲には感染者も出ず・・・これを確認しないと、コンサートが終わらない。

きっと、こうせつやコンサートスタッフ、関係者は、重責を感じているのではないかと思います。

コンサートの開催が減るなか、ひとつ一つのコンサートを大切に、これからもコンサートツアーという旅を、こうせつや仲間たちと一緒に続けたいです。
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