第35話 2022.3.13越谷サンシティ~いつも歌があったツアー

文字数 4,145文字

第35話 2022年3月13日(日)サンシティ越谷市民ホール 大ホール 
南こうせつコンサートツアー2022~いつも歌があった

緊急事態宣言、まん防が解除されたのが、2021年10月1日(金)。

長い長い、ピークアウト。

昨年の年末、2021年12月は、私は無職だったこともあって、名古屋公会堂、東京国際フォーラム、大阪フェスティバルホールと遠征しました。

感染対策をしての友人との食事に二次会もできました。

2022年の年明けからは、病院バイトがはじまるので、一定の自粛生活が必要かと覚悟していました。

それでも、1月中は感染状況をみながら感染対策を万全にすれば、コンサートに行くことができるのでは?と、甘い予想をして、以下のチケットを購入していました。

2022年1月14日(金)スターダストレビュー かつしかシンフォニーヒルズ
2022年1月16日(日)僕のグラフィティコンサート 名古屋国際会議場センチュリーホール
2022年1月23日(日)イルカ50周年 青春のなごり雪コンサート 東京国際フォーラムA
2022年1月29日(土)南こうせつコンサートツアー2022~いつも歌があった 相模原市民会館
2022年2月26日(土)南こうせつコンサートツアー2022~いつも歌があった 羽生市産業文化ホール
2022年2月27日(日)南こうせつコンサートツアー2022~いつも歌があった 渋川市民会館

しかし、その甘い予想を反省せざるを得ない出来事が、年末に起こりました。

* * *

能登の実家の母(90歳)が入所している老人介護施設でPCR陽性者が出て、母も発熱しPCR陽性判定、肺炎で入院になりました。

母は、2回ワクチン接種を終了しているので、ブースター感染です。

何だって最もピークアウトしているこの時期に?一日の感染者数が2桁、100人を割っているというのに?すごい田舎の施設なのに?と、衝撃でした。

それに、この老人介護施設には、地元の親戚や知人が入所していたり働いていたりしている施設です。

とても心配しました。

幸いに、数人の陽性者だけでクラスターには至らず、すぐに収束しました。

母は、入院・隔離、カクテル療法ですぐに解熱して、1ヶ月ほどの入院で、年明けには退院できました。

退院はしたものの肺機能が落ちてしまい、今後は風邪も命取りだと。

面会外出外泊禁止の施設でのクラスターの感染経路は、職員経由?

ではなくて、病院から退院した入所者さんが運んできたそうです。

それでも、「みっこ、甘い考えは捨てて、ちゃんとしなさいよ」って、母が身をもって私に教えてくれたように思えました。

病院バイトが終わる3月まで、より慎重に自粛生活し、引きこもることに決めました。

このような時期なので、チケットは譲るには抵抗がありました。

なので、もったいないですが、欠席としました。

良席のチケットについては、参加する友人に「私の席に座って下さい」とお願いしました。

感染するときはするって言う人もいるけれど。実際に母のことを思うと。気持ちの問題です。

* * *

しかし、私が「自粛生活の決心」をせずとも、オミクロン株の拡大の速度は予想以上でした。

1月半ばには一日の感染者数が第5波ピークの2万人を上回り、その後、あっという間に10万人に達しました。

これだけの数字となると、私の身近なところ・・・職場、友人、その家族に、PCR陽性者や濃厚接触者がどんどん増えていきました。

濃厚接触に家庭内感染、保育園休園で、病院管理職の友人の、人手不足の嘆きのラインが入ってきました。

また、6波では、医療逼迫の様相が変わってきました。

オミクロン株では、感染者の持病の重症化になったのです。

ウイルス性肺炎による呼吸器疾患治療の医療資源の逼迫から、全ての診療科の医療逼迫という状況に変わっていったのです。

バイト先には、持病もちの高齢者がたくさんいて、新型コロナでなくとも、発熱しただけで天国に行ってしまいそうな患者さんばかりです。

そして、高い感染力。

こんな感染状況での病院バイトはプレッシャーでした。

* * *

バイト先の病院は、定期的に職員にPCR検査をしていました。

明日は我が身、明日は陽性と思いながらの生活でした。

ただ、定期的に職場でPCR検査をしているのだから、それが陰性証明になり、安心してコンサートに行けるんじゃ?

陽性になると過去数日の行動を報告する必要があるけど、そんなの黙って言わないでおけば良いんじゃ?

・・・なんというか、やはり医療従事者として長く働いていると、倫理というものに縛られていて、上記のように思うことは出来ず・・・

さすがの私も、自粛生活に徹しました。

* * *

そして2月半ば、バイト先の病院で大きなクラスターが発生しました。

私はマスク&フェイスシールドをしていたから、濃厚接触者にはならないはず。

しかし、昼休憩が一緒のスタッフさんの発熱・陽性で…もちろん黙食でしたが…私は、はじめて、濃厚接触者になりました。

顔が見える関係性の中で、実際に高熱で苦しむ知人の様子や、その家族には高齢者や病気もちがいて、何より患者さんたちが心配でした。

悲しく、涙がでてしまいました。

7日間は、トイレ、洗面、風呂以外は自室から出ず。お家マスクにお家ソーシャルディスタンス、自室から出るときは手指消毒、触れたところは拭き掃除に務めました。

私は、1月28日(金)に3クールのワクチン接種を終わっていました。

連れ合いはワクチン接種がまだで、申し訳なく複雑な気持ちでした。

でも、嫌な様子も見せずに、食事を部屋に運んでくれ、健康観察期間を支えてくれました。

* * *

自宅待機終了後は、病院ではない部署に配置換えになりました。

その部署から病院に出入りするスタッフも多いため、自粛生活は続けました。

病院バイトが終了する3月半ば、週の感染者数平均は5千人弱となり、ピークアウトしているように思えました。

3月半ば、ちょうど良いタイミングで派遣バイト終了しました。無職となり、感染対策をとっての越谷市民ホールのコンサートは行くことにしました。

* * *

2021年3月6日(土)サンシティ越谷市民ホール「コンサートツアー2021~いつも歌があった」のコンサートは、第3波による2回目の緊急事態宣言のために、中止となりました。

それから、ちょうど1年たった2022年3月13日(日)、サンシティ越谷市民ホールで、「コンサートツアー2022~いつも歌があった」が開催されました。

2022年3月19日(土)の仙台の「コンサートツアー2022~いつも歌があった」は3月16日(水)の地震のために中止となりました。

その後のツアータイトルは「夜明けの風」となっているので、結果的にサンシティ越谷市民ホールが、「いつも歌があった」の千秋楽でした。

* * *

前置き長くて、すみません。

でも、そんなこんなで、越谷までの道のりが色々あって、本当に長かったんです。

2022年3月13日(日)、サンシティ越谷市民ホール 大ホール 「コンサートツアー2022~いつも歌があった」は、私にとっては、3ヶ月ぶり、2022年初のコンサートでした。

会場で会ったファン友のみなさんに「明けましておめでとうございます」の新年のあいさつまわり。

しかも結構な良席で、終始、動悸が収まりませんでした。ドキドキ!!あ~嬉しい!!

オープニングは、「青春の傷み」でした。

良席で、舞台の照明がまぶしく感じました。

「青春の傷み」の照明は、はじめは暖色系で、サビでは寒色系に変わります。その変化が、この日はとても美しく感じました。

冬の定番のおでんに、日曜日の定番曲、ラブソングに、「いつも歌があった」のアルバム曲と、前半、あっという間に感じました。

休憩のあと、ギター弾き語りで、「花はどこへいった」。

日本語版フルカバーで歌われました。

歌った後に、「花はどこへ行った」はフォークの父といわれるピート・シーガーの曲で、ロシアのコサックの物語に影響を受けて作った・・・と説明がありました。私は、「花はどこへ行った」は、PPM(ピーター・ポール&マリー)の歌というイメージが強かったです。

今年はオリンピックイヤー。

オリンピック中、ロシアがウクライナに軍事侵攻するのではというニュースが流れていました。

北京オリンピックの閉会を迎えるのを待っていたように、2月24日(金)、戦争が起りました。

ギター弾き語りで、とても穏やかに歌われて、それが反対に心にしみて、こうせつの反戦への思いが伝わってきました。

「英語でも歌えるけど、今日は皆さんがわかりやい日本語で」と笑いもとっていました。
 
「花はどこへ行った」を聴いていて、広島の平和祈念聖堂のコンサートを思いだしました。

「花はどこへいった」「戦争は知らない」「死んだ男が残したものは」「拝啓大統領様」「愛する人に歌わせないで」「イムジン河」たくさんの反戦歌のカバーを聴きました。

「あわれジャクソン」「あの人の手紙」「いつまでも夏になれば」「心の虹」「ピースインハーモニー」「新しい夏」…これまでも私たちは、数えきれないこうせつのメッセージ、祈りの歌を聴いてきました。

そうだ!平和祈念カバーアルバムつくればいいのになあ・・・なんてことも考えました。

そのあと、弾き語り「加茂の流れに」で普段のコンサートの雰囲気に戻って、次はバンドが入って一転にぎやかに「うちのお父さん」。

「神田川」のあとの「歌うたいのブルース」を聴くと、華やかな拍手喝采の後の続きの人生、2曲まとめての長編の物語のように感じました。

そして、かぐや姫の反戦歌と「夜明けの風」。

疫病騒ぎはピークアウトしているとはいえ、一日の感染者数は5千人。

そのうえのウクライナの軍事侵攻。

「今をひたすら生きるだけ」・・・という歌詞が、これまでとまた違って聞こえて、不穏な社会を憂いているようにも思えました。

アンコールは賑やかに、コンサートは終わりました。

* * *

そういえば、私にとっては、ウクライナ侵攻後の、はじめてのコンサートでした。

こうせつのメッセージをしっか!とうけとめ、こうせつとともに祈りたい・・・

でも、ともに歌うことができない、このご時世が悔しいです。
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