第42話 2022.7.10高崎芸術劇場 南こうせつ&森山良子

文字数 3,228文字

第41話 2022.7.10高崎芸術劇場 
南こうせつ&森山良子プレミアムコンサート2022

7月3日(日)の長岡でのフォークフェスタのあと、その足で金沢にいきました。

7月9日(土)の能登の実家での、父の33回忌の法事に合わせての帰省です。

オミクロン株の変異型は感染の拡散が速いらしく、爆発する前にと、早めに金沢に移動しました。

オミクロン株の発症までの中央値は2.8日ということで、3日(日)に金沢に入りして、法事の前日・当日に抗原検査してマイナスであれば、親戚の皆さんも安心するだろうと思いました。

7月9日(土)の法事の後、7月10日(日)には北陸新幹線を途中下車、高崎芸術劇場のコンサートを観て、東京の自宅に帰る予定にしました。

長岡芸術劇場→金沢グルメ三昧→能登の実家で法事→高崎芸術劇場→東京に帰宅という、スケジュール、法事にかこつけての旅です。

しかし、このスケジュールにはない、突然の衝撃の出来事が起りました。

* * *

7月3日(土)の真夜中に姉宅に到着、姉はいまだ施設なので、この1週間は金沢ひとり暮らしです。

翌朝は5時に目覚めなした。

手持ちの抗原検査キットでは、マイナスでした。

法事まで6日間あります。

金沢グルメ、何を食べようか・・・とのんびりプランを練っていると。

突然に、実家の兄からスマホに着信がありました。

とっさに、電話の内容がわかりました。

母が亡くなりました。

朝4時頃に亡くなったのですが、auの全国的な通信障害のために連絡が遅れたということです。

私はdocomoのスマホなので兄宅の家電で通じたけれど、兄宅はみんなauで、甥(母にとっては孫)たちに連絡がつかないと、困っていました。

auの全国的な通信障害、思わぬ影響がありました。

やはり家電(いえでん)は、もしものときのために、必要なのかもしれません。

母は昨夜の夕食を全量摂取して元気だったそうで、夜に具合が悪くなり救急車で入院しました。

命には別状ない、軽いイレウス(腸閉塞)ということで兄家族は帰宅。

朝方、血圧が下がったという知らせがあって、20分後には病院に駆けつけましたが、すでに心停止ということでした。

91歳でした。

母は60歳代の時にリビングウイルを明記していたので、母の希望通りに、蘇生はしませんでした。

* * *

7月5日(火)通夜、6日(水)葬儀。

私は、父の33回忌法事での帰省だったので、喪服も準備万端でした。

母の葬式になるとは思いませんでした。

ちょうどピークアウトしている時期でもあったので、親戚やご近所さんも通夜や葬儀に参列することができました。

残念ながら、姉は、施設の外出はできず、参列できませんでした。

兄のことが大好きだった母。兄は、にぎやかなことが大好きで、ピークアウトしているこの時期に旅立ったのは、その兄のことを思ってかもしれません。

コロナ禍としては、にぎやかな葬儀でした。

7月7日(火)には金沢の姉宅に戻りました。

さすがに疲れて、ダラダラと過ごしていました。

* * *

そして、7月8日(水)、大変な事件が起りました。

安倍晋三元総理が、参議院選挙の遊説中に銃撃されたというニュースでした。

NHKニュースをリアルタイムで見て、無事を祈っていましたが、かないませんでした。

撃たれた直後、拡声器で医療従事者を求めている映像が流れました。

医療従事者は人の命を救えるようになるために、難しい勉強をたくさんして、厳しい現場でトレーニングを積んで・・・あんな、小学生の工作みたいな火器で、簡単に人の命が奪われることに、悲しい思いでした。

安倍晋三元総理というと、2013年の日比谷野外大音楽堂グリーンパラダイスに飛び入り出演されています。

「妻には歌うなと釘を刺されましたが・・・」と言いつつ『あの素晴らしい愛をもう一度』を歌われたと思います。

グリーンパラダイスが開催される連休は、日比谷公園で国土交通省のイベントが行われていることがあります。

そのイベントに総理大臣が視察に来られることがあるようでした。

羽田総理を、以前に見かけたことがありました。

さすがに、現職の総理がコンサートに飛び入りして歌うとは想像もしていなかったので、びっくりしました。

それと同時に、政治信条的に、批判もされるのではと心配にもなりました。

こうせつの公式ホームページの「過去の活動」には、このコンサートに安倍晋三元総理が出演したことは書いてありません。

天気は「雨」、ゲストは「その他飛び入り多数」とあるだけです。

その後も、都心のコンサート会場で1回?ひめ風で一回?SPに囲まれてコンサートにいらっしゃったと思います。

さらにさかのぼると、総理大臣になられる前の2001年?赤坂BLITZ?のコンサートで、ロビーに阿倍さんのお花があったことがあったように思います。

その印象が強く残っていて、その後、グリパラだったか?お見かけしたようにも思いました。

政治信条や長期政権腐敗による様々な忖度事件などの陰性感情はさておいて。

元総理が銃撃されて亡くなったこと自体も衝撃ですが、同じ時に同じ歌を共有した人が、暴力によって亡くなったことは、さらにショックでした。

同じ舞台で歌ったこうせつは、もっとショックを受けているでしょう。

* * *

翌日の9日(土)は、坂戸市市民会館でツアーコンサートです。

疫病騒ぎで、再々公演でした。

私は1列目のチケットを持っていました。

父の33回忌の法事とブッキングして、泣く泣く友人に譲りました。

父の法事は母の49日の法要と一緒に、8月にすることになりました。

坂戸のコンサートには当日券がまだあるようでした。

一瞬、行くことを考えましたが、姉宅での掃除や買い物などが残っていて、疲れていることもあって止めました。

* * *

7月10日(日)少し早めの北陸新幹線で高崎に到着しました。

高崎芸術劇場は、駅から屋根付きの直通歩道があって、暑いなか助かりました。

1階のロビー&レストランに、ファン友たちが何人か涼んでいました。

昨日の坂戸のコンサートの様子を聴きました。

こうせつは、歌詞をとばしたり、演奏を途中止めたり、『妹』でウルウルしたりすることがあったそうです。

阿倍さんが『ひとりきり』が好きだったので歌うつもりでしたが「あまり暗くなっても」と、『幼い日に』に変更した。

また、6月の終わりに空港で阿倍さんに偶然会って、「また食事でも」と話したということです。

ウクライナ情勢や物価高、日々の感染者数の倍の増加など。明るい話題は少なくて。

なんだか私もこうせつと一緒に沈んでしまいそうな気がしました、

でも、高崎芸術劇場は良子さんと一緒のコンサートなので、何か安心感がありました。

良子さんと一緒なら、大丈夫・・・そんな根拠のない確信がありました。

会場は、長岡市のときとは打って変わって、2000席がほぼ満員でした。

* * *

こうせつ6曲、良子さん6曲、ふたりで2曲、こうせつのリクエストで『サニーサイドオン・ザ・ストリート』と曲目数は変わりませんが、良子さんは1曲が長くてパワフル。

すごい存在感で、この日は頼もしいお姉さんに見えました。

こういうときは女性の方が強いのかもしれません。

また、良子さんのステージの最後の方、こうせつバンドのベースの徹ちゃんが良子さんのバックミュージシャンに加わりました。

7月3日(日)の長岡芸術劇場で、良子さんはこうせつバンドでの歌唱でした。

徹ちゃんはウッドベースを弓で弾いたりと、ちょっと面白かったです。

こうせつと良子さん二人だけでなく、バックのバンド、ミュージシャンの化学反応も、これから楽しみです。

こうせつと良子さんの二人から元気をもらって、自宅に帰りました。

<最後に>

そして、さらに訃報がありました。

グリーンパラダイスで、ずっと一緒にこうせつコールをしていた北国の仲間が、ひとり天国に旅立ちました。

未だ声を出せないコンサートが続いています。

いつか、また、みんなでと思います。
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