第6話 2020年4月・5月:ステイホーム
文字数 1,586文字
第6話 2020年4月・5月:ステイホーム
4月7日(火)に、1回目の緊急事態宣言が首都圏に適応され、4月16日(木)には全国に拡大されました。
私は3月末に退職して、しばらく金沢で、家事手伝いをする予定でいました。
しかし、石川県は首都圏同様「特定警戒都道府県」に指定されました。
このタイミングで、私が県境をまたぎ移動して、金沢で発熱でもしたら、大変なことになります。
* * *
私の当初のもくろみ・・・
夏場は家事手伝いをしながら、夢を追い趣味三昧の金沢生活。
冬場は東京に戻って派遣バイトで稼ぐ(まだまだ年金支給は先ですから、日銭を稼がなくては暮らせません)。
常勤から離れての自由時間の増加で、コンサート、遠征、全部行く。
・・・は、完全に頓挫しました。
東京で過ごすにしても、先の見通しが全く立たず、仕事を探すこともままなりません。
* * *
4月、コンサートは全て中止です。
5~6月のコンサートが延期と中止も次々と決定していきます。
コンサートだけでなく、野球も相撲も中止です。
何もすることがなく、朝ドラ『エール』の再放送を見て、散歩をする毎日でした。
『エール』には、志村けんさんが出演していました。
亡くなったことが、本当に信じられませんでした。
* * *
医療従事者の友人の病院では、新型コロナ患者の受け入れが始まりました。
何人かの友人の病院で、実際に大規模クラスターが発生し、死者がでました。
テレビニュースの中継に、友人が感染予防フル装備(PPE)で映っているのをみて、本当に心配になりました。
発熱外来に配属になった友人もいました。
一番衝撃だったのは、県庁所在地ではない地方都市に住む友人の勤務先に、クラスターが発生したことでした。
そんな場所にも、飛び火するのか・・・驚きでした。
* * *
まだこの頃は、コロナウイルスの詳細がわからなかった頃です。
物資不足が著しく、n95マスクは不足し、ガウンも足りない状況でした。
一般病棟や訪問看護、介護施設でも物資が不足して、手洗いに石けんしかなく、マスクは週2枚配布のみと友人が愚痴っていました。
私にできることは、SNSやチャット、ZOOMでのリモート飲み会で、友人たちの愚痴を聞き、ねぎらうことぐらいです。
友人たちの無事を、ただ祈るしかありませんでした。
* * *
第一波は、4月後半からピークアウトし、5月中旬から地方の緊急事態宣言の解除が始まり、25日には全国で解除されました。
5月に入ると、物資不足が解消されてきました。
私は花粉症なので、不織布マスクが手に入り、有り難かったです。
あらためて「マスクって効果があったんだ」と、実感しました。
マスクも充足してきたのに、5月7日(木)にアベノマスクが届いたときは、ちょっと笑いました。
アベノマスクは、必要としている障がい者の施設に寄付しました。
* * *
5月1日(金)には、とてもうれしいことがありました。公式HPにこうせつの直筆のメッセージがアップされたのです。
これは、本当にうれしかった!!
コンサートのない日々の、こうせつの暮らしと思いを知ることができました。
こうせつの直筆の文字は見慣れているけれど、いつもの文字とは、少し違って、辛そうに見えました。
5月は、7月以降の夏のコンサートの延期や中止が決定しました。
なので、3月に予約した広島のホテルをキャンセルしました。
* * *
4月以降から続く、何もない散歩の日々。
5月も粛々と続きました。
散歩、ウォーキングには不思議な力があるようです。
思索を深め、瞑想のような効果もあるように思います。
5月は、歩きながら様々なことを感じ考え思い、自分と向き合いました。
そして、これまで保留していたことを書き出しました。
片付け、断捨離、クローゼット整理、アルバム整理、パソコンのデータの整理・・・。
5月の終わりには、そのリストの全てをやり終えました。
4月7日(火)に、1回目の緊急事態宣言が首都圏に適応され、4月16日(木)には全国に拡大されました。
私は3月末に退職して、しばらく金沢で、家事手伝いをする予定でいました。
しかし、石川県は首都圏同様「特定警戒都道府県」に指定されました。
このタイミングで、私が県境をまたぎ移動して、金沢で発熱でもしたら、大変なことになります。
* * *
私の当初のもくろみ・・・
夏場は家事手伝いをしながら、夢を追い趣味三昧の金沢生活。
冬場は東京に戻って派遣バイトで稼ぐ(まだまだ年金支給は先ですから、日銭を稼がなくては暮らせません)。
常勤から離れての自由時間の増加で、コンサート、遠征、全部行く。
・・・は、完全に頓挫しました。
東京で過ごすにしても、先の見通しが全く立たず、仕事を探すこともままなりません。
* * *
4月、コンサートは全て中止です。
5~6月のコンサートが延期と中止も次々と決定していきます。
コンサートだけでなく、野球も相撲も中止です。
何もすることがなく、朝ドラ『エール』の再放送を見て、散歩をする毎日でした。
『エール』には、志村けんさんが出演していました。
亡くなったことが、本当に信じられませんでした。
* * *
医療従事者の友人の病院では、新型コロナ患者の受け入れが始まりました。
何人かの友人の病院で、実際に大規模クラスターが発生し、死者がでました。
テレビニュースの中継に、友人が感染予防フル装備(PPE)で映っているのをみて、本当に心配になりました。
発熱外来に配属になった友人もいました。
一番衝撃だったのは、県庁所在地ではない地方都市に住む友人の勤務先に、クラスターが発生したことでした。
そんな場所にも、飛び火するのか・・・驚きでした。
* * *
まだこの頃は、コロナウイルスの詳細がわからなかった頃です。
物資不足が著しく、n95マスクは不足し、ガウンも足りない状況でした。
一般病棟や訪問看護、介護施設でも物資が不足して、手洗いに石けんしかなく、マスクは週2枚配布のみと友人が愚痴っていました。
私にできることは、SNSやチャット、ZOOMでのリモート飲み会で、友人たちの愚痴を聞き、ねぎらうことぐらいです。
友人たちの無事を、ただ祈るしかありませんでした。
* * *
第一波は、4月後半からピークアウトし、5月中旬から地方の緊急事態宣言の解除が始まり、25日には全国で解除されました。
5月に入ると、物資不足が解消されてきました。
私は花粉症なので、不織布マスクが手に入り、有り難かったです。
あらためて「マスクって効果があったんだ」と、実感しました。
マスクも充足してきたのに、5月7日(木)にアベノマスクが届いたときは、ちょっと笑いました。
アベノマスクは、必要としている障がい者の施設に寄付しました。
* * *
5月1日(金)には、とてもうれしいことがありました。公式HPにこうせつの直筆のメッセージがアップされたのです。
これは、本当にうれしかった!!
コンサートのない日々の、こうせつの暮らしと思いを知ることができました。
こうせつの直筆の文字は見慣れているけれど、いつもの文字とは、少し違って、辛そうに見えました。
5月は、7月以降の夏のコンサートの延期や中止が決定しました。
なので、3月に予約した広島のホテルをキャンセルしました。
* * *
4月以降から続く、何もない散歩の日々。
5月も粛々と続きました。
散歩、ウォーキングには不思議な力があるようです。
思索を深め、瞑想のような効果もあるように思います。
5月は、歩きながら様々なことを感じ考え思い、自分と向き合いました。
そして、これまで保留していたことを書き出しました。
片付け、断捨離、クローゼット整理、アルバム整理、パソコンのデータの整理・・・。
5月の終わりには、そのリストの全てをやり終えました。