第34話 2021.12.26大阪フェスティバルホール ~夜明けの風ツアー
文字数 3,481文字
第34話 2021年12月26日(日)大阪フェスティバルホール
南こうせつコンサートツアー2021~夜明けの風
家を出て、家に着くまでがライブ・・・最近の私は、コンレポを書くまでがライブ・・・かな?
大阪の遠征の旅は、家を出てからなんで、ちょっと長めで、すみません。
<2001年12月25日(土)コンサート前日>
長岡在住のファン友の、東京から大阪への車移動に、同乗させていただきました。
ちょっと早起きして、池袋駅で待ち合わせ。
楽しく会話しつつ、大阪に向かいました。
* * *
途中、東名高速の掛川で降りました。
池袋では雨でしたが、掛川につく頃には晴れていました。
聖地、つま恋へ。
・・・こうせつの伝説の地であると同時に、私の世代にとっては、YAMAHAポプコン会場としての聖地、つま恋。
つま恋リゾートは、YAMAHAから別会社に引き継がれています。
駐車場の入口で300円を支払うと、リゾートの中を車で、自由に移動できました。
正面入口から、南ゲートへ。
そこで別の車移動の友人たちと落ち合い、ギター小僧の南ゲート野外ライブを決行しました。
セットリストは「人生は流行りステップ」「突然さよなら」「明日に向かって走れ」「旅するあなた」「ひとり旅にでて」「どうせ人生に迷うなら」「ナイスゲーム」「落陽」「外は白い雪の夜」「雪手紙」「旅だてばそこから男」「遥かなる想い」「おもかげ色の空」「あの日の空よ」。
寒かったけど、野外は感染のリスクも低くて、ちょっと安心できます。歌と共に、それぞれのつま恋伝説を語り合いました。
つわものどもが夢の跡、かぶとの下のキリギリス・・・はっぴを着て、旗を持って、拳を振り上げながら列を成して歩いている、若い頃の自分たちの亡霊が歩いている足音と気配がしました。
南ゲート、そして、つま恋リゾートの中を車で走っていると、いろいろと思い出すことも多かったです。
とくに、2009年サマーピクニックフォーエバー、つま恋サマピのことを。
* * *
つま恋から、大阪に向かいました。
車中は、ほとんどウトウトしてしまいました。
運転手さん、ごめんなさい。
大阪のホテル到着後、九州からの遠征の方と落ち合い、夕食へ。
大阪はイルミネーションがきれいで、人出も多かったです。
大阪は、オミクロン株の市中感染ということもあり、飲食店は閉店時間が早く、どこも閑散としていていました。
客のほとんどいない閉店間際のお店で、生ビールとともに大阪の粉物をいただきました。
翌日は開演時間までホテルでゴロゴロできるように、コンビニで飲み物やおやつを買い込みました。
天気予報は、大きな寒波が来ていて、九州、日本海側、北海道に多量の雪が降るとの降雪(こうせつ)予報が出ていました。
明日到着の友人が無事に大阪に到着しますように・・・。祈りつつ、休みました。
* * *
2001年12月26日(日)大阪フェスティバルホール。
日本を代表する素晴らしいホールのひとつです。
余談ながら、どこよりも早くオミクロン株市中感染が発生した大阪。
この日の新規感染者数は全国263人、大阪30人。
九州、日本海側、北海道は雪が激しく降って、とくに滋賀県は記録的な大雪でした。
セットリストは、東京国際フォーラムとほぼ同じです。
喜多条忠さんは、大阪出身でした。(Wikiでは喜多條となっていますが、喜多条の方が私は馴染みがあるんで、この表記で通します)
こうせつは、「恋はるか」で、喜多条さんのNHKラジオへの寄稿文を読みながら、二人の出会いを振り返りました。
「神田川」では感極まって。
ソロになって初めてのシングル盤「今日は雨」の一部を歌いつつ、思い出を笑いに変えて。
最後の「元気でね」で、山田雅人さんと三代澤アナウンサーを舞台上に呼んで、会場と舞台一体になって、元気に明るく振りを踊りながら。
* * *
こうせつらしく喜多条さんを追悼し、それをみんなで共有できたことが、このライブの一番でした。
年末コンサート3カ所では、こうせつの喜多条さんへの思いが、いかに強いのかということを思い知らされました。
何を歌っても、何を語っても、今は鎮魂歌、レクイエムになるのでしょう。
確かに、喜多条さんとの出会いが、こうせつの運命を変えました。
それだけに、今生の別れは、こたえるでしょう。
でも、そんな出会いがあった人生が、うらやましいです。
私がこうせつと出会うことができたのも、喜多条さんのおかげかな。
感謝したいです。
今年のライブ、全てが終わったあと、口花火でも無く、メリークリスマスでもなく、疫病騒ぎから初めて、こうせつからの全力の「おーい」に、私も全力で「おーい」と返事をしてしまいました。
来年もこうせつに期待です。
* * *
コンサート後は、大阪だから感染を気にして・・というわけではないのですが。
レンタルスペースを貸し切りして、打ち上げをしました。
まずは、コンビニでそれぞれが夕食と飲み物を買い込み。
一気に黙食。
そのあとにYouTubeのこうせつ画像を大画面に映しながらの、仲間内のギター小僧のこうせつナンバーの演奏を聴きました。
わけあって参加できない友人とは、リモートでむすびました。
参加者は全員、中高年のワクチン済み。
マスク着用での二次会でした。
車で遠方に帰る人もいるので、早めの終了。
そして、最後の最後に・・・みんなで、マスク下で「こうせつコール」をして、別れました。
早く、コンサートでのスタンディングとこうせつコールができる日が来るといいのに・・・と思いつつ、疫病の現場で頑張っている人たちもいるわけで。
きっと、何事も好転していますように。そう願わずにはいられません。
* * *
2001年12月27日(月)コンサート翌日
新幹線は定刻で出発しました。
しかし、京都~米原が雪のため徐行運転でした。
車体の雪を払うとかで、停車駅でない前橋に停車するなどして、1時間44分遅れで品川到着でした。
温かい新幹線の中からの雪景色は美しかったです。
しかし、雪すかし(除雪のことを石川県ではこういう)をしている方々を車窓から見て、冬の田舎での生活を思い出し、大変だなー、もう冬の田舎では暮らせないなあ・・・と。
遠征組は雪のために、それぞれ苦労しての帰宅だったようです。
その日の夕食は、新大阪駅で購入した自宅のお土産、蓬莱551の焼売、豚まん、ちまきをいただきました。
焼売の残りは冷凍し、後日、おでんの具にして美味しくいただきました。
2021年10月1日、緊急事態宣言にまん防の解除依頼、2ヶ月間の長い長いピークアウトが、もつちょっと続いて欲しい。
* * *
<おまけ:リフレクション>
今年1年を振り返ると、こんなにコンサートに行っていいのか?と自分で自分を突っ込みたくなります。
もちろん、感染対策しつつ、バイトの状況、自分の住んでいるところの状況、コンサート開催地の状況を考えてのコンサート参加でした。
感染状況が深刻な時期は、コンサート自体が中止や延期となっています。
なので、参加したほとんどは、感染状況が落ち着いている時期のコンサートです。
チケットはファンクラブ先行なので、開催エージェントや会館は、県境を越えてのファンクラブ会員の参加をOKしているという判断もできます。
それに、開催されるから何でもかんでも行った、というわけではありません。
その時々の感染状況をみて、どう判断して、どう行動したのかも、今年のライブレポでは書きました。
読み直して、“ゆるみ”につながらないように、翌年の行動につなげたいと思います。
今年の行動について、特に反省するところがあります。
8月30日の京都劇場は、デルタ株の流行が深刻な時期で、5波のピークでした。
確かに、京都のコンサートでは、観覧に際しての意喚起が一番厳しくて、空席も多かったと思います。
結果的に、感染はしなかったとはいえ、デルタ株の深刻さを思うと、京都は行くべきではなかったかもと思うのです。
そして、疫病騒ぎ前のコンサートは、友人たちとの会食や飲み会が付きものでした。
コロナ禍では、ピークアウト状況、限られた友人、場所を考えて、時には黙食で、数回の会食や飲み会がありました。
実際、コンサートにはたくさん行きましたが、基本、ほとんどが、同行同乗会食なしの単独行動でした。
それも、来年はどのように再開していくのか?避けるのか?も、引き続き考えていきたいです。
来年はグリパラが開催されることを、せつに祈って、こうせつに祈って。
そして、何より、コンサートでのスタンディングとこうせつコールが、解禁になる日を待ち望んでいます。
南こうせつコンサートツアー2021~夜明けの風
家を出て、家に着くまでがライブ・・・最近の私は、コンレポを書くまでがライブ・・・かな?
大阪の遠征の旅は、家を出てからなんで、ちょっと長めで、すみません。
<2001年12月25日(土)コンサート前日>
長岡在住のファン友の、東京から大阪への車移動に、同乗させていただきました。
ちょっと早起きして、池袋駅で待ち合わせ。
楽しく会話しつつ、大阪に向かいました。
* * *
途中、東名高速の掛川で降りました。
池袋では雨でしたが、掛川につく頃には晴れていました。
聖地、つま恋へ。
・・・こうせつの伝説の地であると同時に、私の世代にとっては、YAMAHAポプコン会場としての聖地、つま恋。
つま恋リゾートは、YAMAHAから別会社に引き継がれています。
駐車場の入口で300円を支払うと、リゾートの中を車で、自由に移動できました。
正面入口から、南ゲートへ。
そこで別の車移動の友人たちと落ち合い、ギター小僧の南ゲート野外ライブを決行しました。
セットリストは「人生は流行りステップ」「突然さよなら」「明日に向かって走れ」「旅するあなた」「ひとり旅にでて」「どうせ人生に迷うなら」「ナイスゲーム」「落陽」「外は白い雪の夜」「雪手紙」「旅だてばそこから男」「遥かなる想い」「おもかげ色の空」「あの日の空よ」。
寒かったけど、野外は感染のリスクも低くて、ちょっと安心できます。歌と共に、それぞれのつま恋伝説を語り合いました。
つわものどもが夢の跡、かぶとの下のキリギリス・・・はっぴを着て、旗を持って、拳を振り上げながら列を成して歩いている、若い頃の自分たちの亡霊が歩いている足音と気配がしました。
南ゲート、そして、つま恋リゾートの中を車で走っていると、いろいろと思い出すことも多かったです。
とくに、2009年サマーピクニックフォーエバー、つま恋サマピのことを。
* * *
つま恋から、大阪に向かいました。
車中は、ほとんどウトウトしてしまいました。
運転手さん、ごめんなさい。
大阪のホテル到着後、九州からの遠征の方と落ち合い、夕食へ。
大阪はイルミネーションがきれいで、人出も多かったです。
大阪は、オミクロン株の市中感染ということもあり、飲食店は閉店時間が早く、どこも閑散としていていました。
客のほとんどいない閉店間際のお店で、生ビールとともに大阪の粉物をいただきました。
翌日は開演時間までホテルでゴロゴロできるように、コンビニで飲み物やおやつを買い込みました。
天気予報は、大きな寒波が来ていて、九州、日本海側、北海道に多量の雪が降るとの降雪(こうせつ)予報が出ていました。
明日到着の友人が無事に大阪に到着しますように・・・。祈りつつ、休みました。
* * *
2001年12月26日(日)大阪フェスティバルホール。
日本を代表する素晴らしいホールのひとつです。
余談ながら、どこよりも早くオミクロン株市中感染が発生した大阪。
この日の新規感染者数は全国263人、大阪30人。
九州、日本海側、北海道は雪が激しく降って、とくに滋賀県は記録的な大雪でした。
セットリストは、東京国際フォーラムとほぼ同じです。
喜多条忠さんは、大阪出身でした。(Wikiでは喜多條となっていますが、喜多条の方が私は馴染みがあるんで、この表記で通します)
こうせつは、「恋はるか」で、喜多条さんのNHKラジオへの寄稿文を読みながら、二人の出会いを振り返りました。
「神田川」では感極まって。
ソロになって初めてのシングル盤「今日は雨」の一部を歌いつつ、思い出を笑いに変えて。
最後の「元気でね」で、山田雅人さんと三代澤アナウンサーを舞台上に呼んで、会場と舞台一体になって、元気に明るく振りを踊りながら。
* * *
こうせつらしく喜多条さんを追悼し、それをみんなで共有できたことが、このライブの一番でした。
年末コンサート3カ所では、こうせつの喜多条さんへの思いが、いかに強いのかということを思い知らされました。
何を歌っても、何を語っても、今は鎮魂歌、レクイエムになるのでしょう。
確かに、喜多条さんとの出会いが、こうせつの運命を変えました。
それだけに、今生の別れは、こたえるでしょう。
でも、そんな出会いがあった人生が、うらやましいです。
私がこうせつと出会うことができたのも、喜多条さんのおかげかな。
感謝したいです。
今年のライブ、全てが終わったあと、口花火でも無く、メリークリスマスでもなく、疫病騒ぎから初めて、こうせつからの全力の「おーい」に、私も全力で「おーい」と返事をしてしまいました。
来年もこうせつに期待です。
* * *
コンサート後は、大阪だから感染を気にして・・というわけではないのですが。
レンタルスペースを貸し切りして、打ち上げをしました。
まずは、コンビニでそれぞれが夕食と飲み物を買い込み。
一気に黙食。
そのあとにYouTubeのこうせつ画像を大画面に映しながらの、仲間内のギター小僧のこうせつナンバーの演奏を聴きました。
わけあって参加できない友人とは、リモートでむすびました。
参加者は全員、中高年のワクチン済み。
マスク着用での二次会でした。
車で遠方に帰る人もいるので、早めの終了。
そして、最後の最後に・・・みんなで、マスク下で「こうせつコール」をして、別れました。
早く、コンサートでのスタンディングとこうせつコールができる日が来るといいのに・・・と思いつつ、疫病の現場で頑張っている人たちもいるわけで。
きっと、何事も好転していますように。そう願わずにはいられません。
* * *
2001年12月27日(月)コンサート翌日
新幹線は定刻で出発しました。
しかし、京都~米原が雪のため徐行運転でした。
車体の雪を払うとかで、停車駅でない前橋に停車するなどして、1時間44分遅れで品川到着でした。
温かい新幹線の中からの雪景色は美しかったです。
しかし、雪すかし(除雪のことを石川県ではこういう)をしている方々を車窓から見て、冬の田舎での生活を思い出し、大変だなー、もう冬の田舎では暮らせないなあ・・・と。
遠征組は雪のために、それぞれ苦労しての帰宅だったようです。
その日の夕食は、新大阪駅で購入した自宅のお土産、蓬莱551の焼売、豚まん、ちまきをいただきました。
焼売の残りは冷凍し、後日、おでんの具にして美味しくいただきました。
2021年10月1日、緊急事態宣言にまん防の解除依頼、2ヶ月間の長い長いピークアウトが、もつちょっと続いて欲しい。
* * *
<おまけ:リフレクション>
今年1年を振り返ると、こんなにコンサートに行っていいのか?と自分で自分を突っ込みたくなります。
もちろん、感染対策しつつ、バイトの状況、自分の住んでいるところの状況、コンサート開催地の状況を考えてのコンサート参加でした。
感染状況が深刻な時期は、コンサート自体が中止や延期となっています。
なので、参加したほとんどは、感染状況が落ち着いている時期のコンサートです。
チケットはファンクラブ先行なので、開催エージェントや会館は、県境を越えてのファンクラブ会員の参加をOKしているという判断もできます。
それに、開催されるから何でもかんでも行った、というわけではありません。
その時々の感染状況をみて、どう判断して、どう行動したのかも、今年のライブレポでは書きました。
読み直して、“ゆるみ”につながらないように、翌年の行動につなげたいと思います。
今年の行動について、特に反省するところがあります。
8月30日の京都劇場は、デルタ株の流行が深刻な時期で、5波のピークでした。
確かに、京都のコンサートでは、観覧に際しての意喚起が一番厳しくて、空席も多かったと思います。
結果的に、感染はしなかったとはいえ、デルタ株の深刻さを思うと、京都は行くべきではなかったかもと思うのです。
そして、疫病騒ぎ前のコンサートは、友人たちとの会食や飲み会が付きものでした。
コロナ禍では、ピークアウト状況、限られた友人、場所を考えて、時には黙食で、数回の会食や飲み会がありました。
実際、コンサートにはたくさん行きましたが、基本、ほとんどが、同行同乗会食なしの単独行動でした。
それも、来年はどのように再開していくのか?避けるのか?も、引き続き考えていきたいです。
来年はグリパラが開催されることを、せつに祈って、こうせつに祈って。
そして、何より、コンサートでのスタンディングとこうせつコールが、解禁になる日を待ち望んでいます。