第1話 はじめに(必ずお読みください)

文字数 4,041文字

第一話 はじめに(必ずお読みください)

「 1999年8月12日(木):こんにちははじめまして

最近インターネットはじめました。

パソコンにもなれてないため、操作もいまいちわからず、変な文をおくっているかも。

こうせつファン暦24年ですが、今まで地味に応援してました。

しかし、最近、中毒系の追っかけの楽しさにはまってしまいました。

自由広場でこうせつ中毒症の方々とお話を聞けるのがうれしいです。

よろしくおねがいします。 」

* * *

これが私、末っ子(みっこ)のネット上の初コメ、初カキコミ、インターネットデビューです。

カキコミしたのは、南こうせつ氏の非公式のファンサイト『ピクニック広場』です。(こうせつファンのNATSUさんが1997年9月27日に開設し、2006年10月31日に更新を停止しています)。

そのサイトの、“自由広場~こうせつさんのこと。サマーピクニックのこと。いろいろ語り合う広場”に投稿したのが、私のネットデビューでした。

このとき、私は、37歳。

* * *

この年、1999年4月から、私は、研修所に通っていました。

この頃、研修所でも、個人でパソコンを持っているのは数人でした。

「勤務時間内にパソコン研修にいくならいいけど、個人の時間を使って勉強するのは嫌」などという研修所同期が、多数いたと記憶しています。

で、私はというと、機械が嫌いで、仕事でも決して機械には触れず、勤務時間内での無料のパソコン研修をかたくなに拒否していました。

ビデオの予約録画は説明書を見てなんとかできましたが、デッキは常に00:00が点滅していました。ピーピー鳴るポケベルを、すぐに止めることさえできませんでした。

トラウマなのは学生のとき。

週番でスライドの機械を片付けていたら、私の手の中で火を噴いて爆発したのです。

機械は爆発するか、さもなければ感電するか。

私にとっては、とても恐ろしいモノでした。

特に、熱をもつ機械類には、近づきませんでした。

* * *

研修所は、最新の設備を整えていました。

研修生はPC室が無料で使え、メール、インターネットが使い放題でした。

研修所で親しくなった同期が機械好きで、同じ学習グループで同じ課題に取り組むなか、パソコンを使いレポートを仕上げ、プレゼンする様子を見ました。

できあがったものが、手作業のものとは、明らかに違いました。

研修の前期履修を終え、もうすぐ夏休みという7月中旬。

その機械好きの同期に熱心に誘われ、PC室にいきました。

慣れた手つきで操作する友人の横にすわり、画面を見て、最も驚いたのは検索機能です。

それまでの私は、パソコンを高度なワープロ、タイプライターぐらいにしか考えていませんでした。

そして、その友人に「“南こうせつ”と“サマーピクニック”を検索してみてー」と軽くたのんだところ・・・。

すぐに、瞬時に、まばたき1回する間に、検索結果が出ました。

びっくりでした。

こんな世界が広がっているなんて!!

まさに、釘付けでした。

NATSUさんの『ピクニック広場』は、最も衝撃でした。

* * *

私は、その日の夕方には、新宿の家電量販店にいました。

何としても、パソコンが欲しくなりました。

大枚はたいて、VAIOのノートパソコンを購入したのです。

とりあえず、日本製の一番高いモノなら大丈夫だろう・・・人生最大の衝動買いでした。

売り場の人はネットに、「簡単につながる」と言っていましたが、インターネットにつながるまで、3日かかりました。

何故つながらなかったのか、そして、3日目に何故つながったのか、いまだによくわかりません。

* * *

1999年8月8日(日)、福岡県東区香椎パークポート特設ステージで『南こうせつサマーピクニック・ドリーム』が行われる予定でした。

私は、VAIOを持って、コンサートの2週間前に、福岡入りしました。

香椎のキャンプ村で、はじめてテントを張りました。

レンタカーのライターソケットからコンセントをとって、時々はパソコンの電源を入れて、解説本を片手に苦戦していました。

8月8日(日)の野外コンサートが終わり、翌日の8月9日(月)にキャンプ村は解散しました。

私は、鹿児島のファン友から借りていたテントを返し、レンタカーに荷物を積み込み、帰りの飛行機の時間までの時間つぶしにノートパソコンのキーボードを、人差し指2本で打っていました。 

私のぎこちないキーボード操作をみたキャンプ村の中心人物Mさんが、声をかけてくれました。

どんな会話をしたのかは、はっきり覚えていないけれど。

「これからマスターするの?大変だね」と、かなり心配そうな表情をしていました。

このとき私は、まだMさんとMさんのお連れさんのことを、ちょっと怖い人と誤解をしていました。

挨拶もそこそこに、「それじゃ、またいつか」と、手を振って別れました。

* * *

8月9日(月)に東京の自宅に帰りました。

その翌日には、パソコンを広げました。

夏休みの膨大な課題レポートを、何とかパソコンで仕上げたいと思っていました。

夏休み明けには、課題レポートのプレゼンがあります。その後は、現場実習を控えていました。現場実習の報告会も予定されていました。

夏休みの8月中に、何とかパソコンをマスターしたい。

・・・と、課題レポートに焦りつつ、そのすぐの8月12日(木)には、『ピクニック広場』にカキコミをしてネットデビューしているのですから、たいしたものです。

好きなものに向かうときのエネルギーは違います。

* * *

その後、『ピクニック広場』に、こうせつへの想いや、参加したコンサートの感想をカキコミするようになりました。

キャンプ村の中心人物のM氏とは、遠征先で頻繁に顔を合わせるようになり、Mさんも、Mさんのお連れさんも、単なるシャイな人見知りで、実は気持ちのいい、気さくな面白い人物であることが判明しました。

そんなシャイで人見知りな人たち(私を含めて)を、自分のペースに巻き込む何人かの磁石のような仲間に、私も引き寄せられていきました。

いつの間にか、同じブルーシートの上で、同じはっぴを着て、野外フェスや遠征を楽しみ、同じ宿に泊まって、歌って笑って飲み明かすようになりました。

そのMさんが、非公式のファンサイト『こうせつ・どっと・こむ』掲示板を始め、ライブ仲間とメーリングリスト、ミクシイ、フェイスブック、ライン、ツイッター、インスタグラムと、SNSで繋がっていきました。

コンサートでの笑顔とハンドルネームが、少しずつ一致していきました。

* * *

そんな楽しい時間が過ぎた2018年、私が56歳のとき、私にとって価値観を大きく変える出来事が、いくつか起こりました。

これからの自分の残りの人生をどう生きるのか、突きつけられる出来事でした。

それから熟考を重ねて、還暦を前にして、私は、自分の馬鹿げた夢にチャレンジすることにしました。

2020年3月、58歳で、私は常勤を辞めました。

そして、皆さんもご存じの通り、2020年4月は、疫病騒ぎで緊急事態宣言が全国に発出された時期です。

自粛生活のなか、毎日黙々と散歩し、ひとり歩き。これまでの自分自身と向き合いました。

こうせつの歌と仲間と共に過ごしてきた長い時間と想い出、それが疫病騒ぎで絶たれ失われた現実を、どう受け入れたら良いのか、

戸惑う日々でした。

その戸惑いの日々を残そうと思い立ち、パソコンに向かうことにしました。

ネットデビューして四半世紀。

SNSがなければ、こうせつへの思い、コンサートの感動が記録され残ることはなかったと思います。

* * *

なお、この日記で書かれていることは、いちファンの個人的な体験と感想にすぎません。

オーディエンスの方々は、それぞれの思いをもちながら、それぞれの感性でライブ(生)に参加しています。

『ピクニック広場』や『こうせつ・どっと・こむ』掲示板に、それがよく表されています。

それぞれの想いを否定するものではなく、あくまでも、いちファンの感想としてお読みください。

* * *

常に私は、南こうせつ氏を、「こうせつ」と呼び捨てにしています。

13歳の中学1年生の頃から、ずっと、「こうせつ」そして「おいちゃん」としか、彼をよんだことがなく。

多分、私の人生のなかで、誰の名前よりも、どの単語よりも、口にして叫んだ言葉であり、大好きな言葉でもある「こうせつ」、呼び捨てにすることをお許しください。

コンサートレポは、極力、私の感想の記述にとどめる努力をいたしますが、一部、ネタバレがあるかと思います。

また、こうせつファンでない方には、意味がよくわからない単語・地名・固有名詞などあるかと思います。

その点に関して、この日記の中では説明してありません。

こうせつの公式ホームページやウィキペディア、グーグルで検索ください。

* * *

疫病騒ぎについては、その時々の私が得られる情報を元に書いています。

詳細な日時、情報などに、ずれや違いがあるかもしれません。

また、疫病騒ぎについては、様々な見解・解釈があると思います。

あくまでも、これも、私、いち個人の見解・解釈としてお読みください。

* * *

私は、医療従事者であり、教育機関の教職でもありました。

両者とも、職業倫理として、守秘義務があります。

なので、仕事についての記述は、盛ったり削ったり一般化したり特殊化したりして、元がわからないように、かなり脚色してあります。

そういう意味では、「この物語はフィクションであり、実在の人物、団体、名称は全て架空であり、実在のものとは一切関係ない」といえます。

* * *

また、

コロナ禍で大切な人を失った方々、

自分自身が死線をさまよい未だ癒えぬ方々、

最前線の医療現場で身を削って命を護ろうとしていた方々、

コロナ禍の不安な日々を想起したくない方々

そのような方々とって、この日記には、不愉快に思われる内容が含まれると思われます。

* * *

上記、ご納得いただいた方のみ、お読みください。
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