第53話 2022.11.13杵築市文化体育館~おかえりの唄コンサートin 杵築
文字数 2,614文字
第53話 2022年11月13日(日)杵築市文化体育館
南こうせつ おかえりの唄コンサート in 杵築
朝、別府の温泉付き貸別荘で目覚めると、めまいは消失して、絶好調でした。
夜更かしした仲間たちが、まだ夢のなかにいるうちに、貸別荘の温泉に入りました。
別府の温泉、とてもいい湯でした。
別府の市民の皆さんは、自宅に温泉を引いていらっしゃるとか?うらやましいです。
そのうち、目を覚ました仲間たちと朝食を食べました。
いつも朝は、そんなに食べないのですが・・・旅と仲間は、朝食を美味しくします。
昨日のカレーとおでんは、一晩たって、さらに美味しく。
熊本で田んぼをやっている友人の新米の炊きたてご飯は、箸が止まりません。
お昼は、そのお米のおにぎり。
貸別荘の大きな液晶画面で、つま恋サマピの映像をみてのんびりと過ごしました。
* * *
お昼すぎ、ぼちぼちと車に同乗させてもらい、杵築の城山の公園に。
すでに、何人かの仲間たちが、木陰ライブを決行していました。
ここも、こうせつファンには聖地です。
『君がいたから』の歌詞のとおり、♪城山の公園のベンチにかけて♪
仲間のギターに合わせて、歌い踊りました。
* * *
開演時間が近づき、会場の体育館へ。
体育館の前には、たくさんのファン友が。
さすが、こうせつの地元のスペシャルコンサートです。
思いがけずに、本当に久しぶりに合うことができた方がいました。
サマーピクニックドリームの香椎でのキャンプ生活で、テントをお借りした鹿児島のファン友です。
その方は、私のことをよく覚えていてくださいました。
* * *
夕方に「おかえりの唄」の防災放送のチャイムを楽しみにしていました。
でも、この日は休日のためか?時間が合わなかったのか?聴けなかったのが残念でした。
* * *
杵築文化体育館、体育館らしくパイプ椅子、雰囲気抜群です。
体育館は音響や照明が不十分で、足音などの騒音で好きじゃないというひともいますが、私はそこが好きです。
会場は満員でした。
* * *
オープニングは、地元大分県立杵築高校のブラスバンド部の演奏から始まりました。
ジャズナンバーや客層に合わせての昭和の歌謡曲のメドレー、こうせつの『おかえりの唄』の演奏で盛り上がりました。
続いて、杵築市長がご挨拶。
コンサートタイトルの「おかえりの唄」は、こうせつが杵築市に無償提供した曲です。
JR杵築駅の列車到着の時に流れる曲や、市内の防災放送の夕方のチャイム、市役所の電話の保留音として活用されているそうです。
杵築市のケーブルテレビが制作した市のプロモーションビデオが、「第15回ベストプロモーション大賞」で準グランプリを受賞しています。
杵築市長が、「是非、ミュージックビデオをみて、こうせつさんが何の役ででているか見て欲しい」とおっしゃっていました。
はい、もちろん見て知っています。駅員コスプレに萌え~です。
* * *
オープニング、ツアー定番曲が続きます。
「時は流れて風が吹く」レコードの原曲とはアレンジがかなり違います。
今のバンドメンバーに合わせて、また、今のこうせつの年齢に合わせてでしょうか。
優しい感じです。
「幼い日に」やっぱり、九州で聴くこの曲はたまりません。山あいの川沿いから広い田園風景に変わる。実際に、昨日見た景色です。
休憩のあとは「うちのお父さん」、大野川のミニライブでも感動でしたが、大勢の体育館での手拍子は最高です。声が出せないのがもどかしい。
「君がいたから」こうせつの娘さんの卒業式に父母として出席、その帰りに車を運転しながら浮かんできた曲と。♪城山の公園のベンチにかけて・・・♪コンサート前に、そこに訪れて、この唄をみんなで歌いました。
「神田川」「歌うたいのブルース」と、杵築在住のこうせつのこれまでの足跡をたどるようです。
ツアー後半の定番曲のあと、最後は「おもかげ色の空」からの「おかえりの歌」でした。
「おかえりの唄」で、拍手がさらに大きくなって、体育館に響き渡りました。
* * *
コンサートが終わり、大分駅近くのお店で打ち上げをしました。
とても美味しい料理とビール。
そして、再び別府の貸別荘に戻りました。九州最後の夜です。
久しぶりの再開で抱き合ったファン友と、日比谷野外大音楽堂のグリーンパラダイスで再び会うことを約束できました。
* * *
翌日は別府駅まで送ってもらい、皆と別れました。
時間があったので、海を見に行きました。
40年前、20歳のとき、私は芦屋の港から汽船に乗って、ここ大分港に着いたのでした。
生まれて初めてのひとり旅、そして、阿蘇坊中キャンプ場でのサマーピクニック・・・生まれて初めてのオールナイトの野外コンサート。
生きていることを実感し、新しい自分を発見して、生まれ変わった瞬間でした。
20歳の私は、この先もずっとひとりで生きていく決心をしていました。
それから40年経った今。
ありのままの私を、こんなにも無条件に受け入れてくれる仲間が、こんなにもたくさんできるとは・・・想像もしていませんでした。
「防中生まれのサマピ育ち」。
大分の海を見ながら、ここが自分の始まりの場所だったこと、を確認できました。
* * *
別府駅から高速バスで大分空港へ。
そして、東京に戻りました。
夏と秋は金沢で生活でしたが、冬と春は東京での自宅生活です。
この3日間は、金沢から大阪、大分、そして東京と長旅でした。
でも、疲れたということはなく、反対に力がみなぎるようでした。
「また明日から頑張れる」という確信が湧いていました。
* * *
こののちの12月は、第8波となりました。
私は、「コロナ禍」の禍中に踏み込む予定は全くなかったのに・・・
でも、その禍中に自ら踏み込み、乗り切れたのは、この九州の旅があったからです。
* * *
以下は新聞記事です。引用『今日新聞』
コンサート前に取材に応じた南さんは「ここは住んでいる場所なので、仕事をするのは、気恥ずかしい」と照れながらも「歌手生活50周年を超えて、年齢のこともあるし、声が出るうちに杵築でコンサートがしたかった」との熱い思いも。「『おかえりの唄』は、市民とのつながりをすごく感じる歌だと思う。市役所に小学生から『5時の時報でこの歌を聞くとホッとする』という手紙をもらったと聞いて、思いが届いたのを感じた。『おかえり』というのが、杵築のイメージ。コロナ禍で癒しになれば、こんなにうれしいことはない」と笑顔で話した。
南こうせつ おかえりの唄コンサート in 杵築
朝、別府の温泉付き貸別荘で目覚めると、めまいは消失して、絶好調でした。
夜更かしした仲間たちが、まだ夢のなかにいるうちに、貸別荘の温泉に入りました。
別府の温泉、とてもいい湯でした。
別府の市民の皆さんは、自宅に温泉を引いていらっしゃるとか?うらやましいです。
そのうち、目を覚ました仲間たちと朝食を食べました。
いつも朝は、そんなに食べないのですが・・・旅と仲間は、朝食を美味しくします。
昨日のカレーとおでんは、一晩たって、さらに美味しく。
熊本で田んぼをやっている友人の新米の炊きたてご飯は、箸が止まりません。
お昼は、そのお米のおにぎり。
貸別荘の大きな液晶画面で、つま恋サマピの映像をみてのんびりと過ごしました。
* * *
お昼すぎ、ぼちぼちと車に同乗させてもらい、杵築の城山の公園に。
すでに、何人かの仲間たちが、木陰ライブを決行していました。
ここも、こうせつファンには聖地です。
『君がいたから』の歌詞のとおり、♪城山の公園のベンチにかけて♪
仲間のギターに合わせて、歌い踊りました。
* * *
開演時間が近づき、会場の体育館へ。
体育館の前には、たくさんのファン友が。
さすが、こうせつの地元のスペシャルコンサートです。
思いがけずに、本当に久しぶりに合うことができた方がいました。
サマーピクニックドリームの香椎でのキャンプ生活で、テントをお借りした鹿児島のファン友です。
その方は、私のことをよく覚えていてくださいました。
* * *
夕方に「おかえりの唄」の防災放送のチャイムを楽しみにしていました。
でも、この日は休日のためか?時間が合わなかったのか?聴けなかったのが残念でした。
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杵築文化体育館、体育館らしくパイプ椅子、雰囲気抜群です。
体育館は音響や照明が不十分で、足音などの騒音で好きじゃないというひともいますが、私はそこが好きです。
会場は満員でした。
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オープニングは、地元大分県立杵築高校のブラスバンド部の演奏から始まりました。
ジャズナンバーや客層に合わせての昭和の歌謡曲のメドレー、こうせつの『おかえりの唄』の演奏で盛り上がりました。
続いて、杵築市長がご挨拶。
コンサートタイトルの「おかえりの唄」は、こうせつが杵築市に無償提供した曲です。
JR杵築駅の列車到着の時に流れる曲や、市内の防災放送の夕方のチャイム、市役所の電話の保留音として活用されているそうです。
杵築市のケーブルテレビが制作した市のプロモーションビデオが、「第15回ベストプロモーション大賞」で準グランプリを受賞しています。
杵築市長が、「是非、ミュージックビデオをみて、こうせつさんが何の役ででているか見て欲しい」とおっしゃっていました。
はい、もちろん見て知っています。駅員コスプレに萌え~です。
* * *
オープニング、ツアー定番曲が続きます。
「時は流れて風が吹く」レコードの原曲とはアレンジがかなり違います。
今のバンドメンバーに合わせて、また、今のこうせつの年齢に合わせてでしょうか。
優しい感じです。
「幼い日に」やっぱり、九州で聴くこの曲はたまりません。山あいの川沿いから広い田園風景に変わる。実際に、昨日見た景色です。
休憩のあとは「うちのお父さん」、大野川のミニライブでも感動でしたが、大勢の体育館での手拍子は最高です。声が出せないのがもどかしい。
「君がいたから」こうせつの娘さんの卒業式に父母として出席、その帰りに車を運転しながら浮かんできた曲と。♪城山の公園のベンチにかけて・・・♪コンサート前に、そこに訪れて、この唄をみんなで歌いました。
「神田川」「歌うたいのブルース」と、杵築在住のこうせつのこれまでの足跡をたどるようです。
ツアー後半の定番曲のあと、最後は「おもかげ色の空」からの「おかえりの歌」でした。
「おかえりの唄」で、拍手がさらに大きくなって、体育館に響き渡りました。
* * *
コンサートが終わり、大分駅近くのお店で打ち上げをしました。
とても美味しい料理とビール。
そして、再び別府の貸別荘に戻りました。九州最後の夜です。
久しぶりの再開で抱き合ったファン友と、日比谷野外大音楽堂のグリーンパラダイスで再び会うことを約束できました。
* * *
翌日は別府駅まで送ってもらい、皆と別れました。
時間があったので、海を見に行きました。
40年前、20歳のとき、私は芦屋の港から汽船に乗って、ここ大分港に着いたのでした。
生まれて初めてのひとり旅、そして、阿蘇坊中キャンプ場でのサマーピクニック・・・生まれて初めてのオールナイトの野外コンサート。
生きていることを実感し、新しい自分を発見して、生まれ変わった瞬間でした。
20歳の私は、この先もずっとひとりで生きていく決心をしていました。
それから40年経った今。
ありのままの私を、こんなにも無条件に受け入れてくれる仲間が、こんなにもたくさんできるとは・・・想像もしていませんでした。
「防中生まれのサマピ育ち」。
大分の海を見ながら、ここが自分の始まりの場所だったこと、を確認できました。
* * *
別府駅から高速バスで大分空港へ。
そして、東京に戻りました。
夏と秋は金沢で生活でしたが、冬と春は東京での自宅生活です。
この3日間は、金沢から大阪、大分、そして東京と長旅でした。
でも、疲れたということはなく、反対に力がみなぎるようでした。
「また明日から頑張れる」という確信が湧いていました。
* * *
こののちの12月は、第8波となりました。
私は、「コロナ禍」の禍中に踏み込む予定は全くなかったのに・・・
でも、その禍中に自ら踏み込み、乗り切れたのは、この九州の旅があったからです。
* * *
以下は新聞記事です。引用『今日新聞』
コンサート前に取材に応じた南さんは「ここは住んでいる場所なので、仕事をするのは、気恥ずかしい」と照れながらも「歌手生活50周年を超えて、年齢のこともあるし、声が出るうちに杵築でコンサートがしたかった」との熱い思いも。「『おかえりの唄』は、市民とのつながりをすごく感じる歌だと思う。市役所に小学生から『5時の時報でこの歌を聞くとホッとする』という手紙をもらったと聞いて、思いが届いたのを感じた。『おかえり』というのが、杵築のイメージ。コロナ禍で癒しになれば、こんなにうれしいことはない」と笑顔で話した。