第12話 2020.12.26名古屋市公会堂~いつも歌があったツアー
文字数 2,056文字
第12話 2020年12月26日(土):名古屋市公会堂
南こうせつコンサートツアー2020~いつも歌があった~
昨日の大阪フェスティバルホールでは、舞台の真ん中で小さく見えたギターの美術セットが、ここ名古屋公会堂では舞台いっぱいで,背景に収まりきっていませんでした。
楽器も照明も窮屈そう。
昨日は小さく見えた新しいスピーカーが、とても大きく見えました。
昨日とはうってかわり、歴史あるこじんまりしたホール。
大正ロマンな雰囲気の会場です。
* * *
一階のみオーディエンスが入り、2階は全て空席でした。
なんで、オーディエンスの手拍子がピッタリ合って、ソーシャルディスタンスとはいえ舞台が近く、舞台のメンバーの生の声も聞こえて、迫力ありました。
放送があるのか?地元テレビ局?テレビのカメラが数台入り、テレビクルーの方々がいらっしゃいました。(あとで、YouTubeでの無料配信がありました)
テレビカメラが入っていることもあるのか、歌も演奏も構成もMCも、エンターテイメントとしてまとまっていて、「いつも歌があった」コンサートツアーのひとつの完成形、円熟型を見たようでした。
このツアーと南こうせつの、今後のさらなる進化を期待させてくれました。強く頼もしい。
昨日の大阪でのアンコール「歌って笑って」で、年末の特別感が、さらに増しました。
名古屋は?何?
そして、名古屋の最後のアンコールは「愛する人へ」でした。
* * *
名古屋での「愛する人へ」には、個人的に特別な思いがありました。
東日本大震災のとき、東京で余震と放射線におびえ、計画停電と節電の寒さと暗さに耐えて、疲弊しきった毎日のなか、名古屋に遠征しました。
でも、名古屋では地面は揺れず、地下街は明るくコウコウと電気がついていて、暖房も温かく、放射線量のニュースもなく、みんな笑顔でショッピングしていて・・・全くの別世界で、愕然としました。
その名古屋で聴いた「愛する人へ」。
「毒が空をめぐってる」という歌詞を、私は重く重く聴いたけれど、全ての人が同じ気持ちでいるわけではないと,苦しく感じてしまったことを覚えています。
そんなことを思い出しました。
そして、今は世界中が疲弊しきっています。
* * *
最後、長い長い長い長いお辞儀のあと、涙で舞台を去るこうせつ。
歌うことの喜びと、今、ライブで歌いオーディエンスを集めることへの葛藤。重責。
「足跡残さず生きていけない」って、こういうことなんだ、なんて思いました。
* * *
オーディエンスにも葛藤があります。
コンサートに行きたい、こうせつに、仲間に会いたい。
でも、いいのか?
実際、来ないことを選択した仲間も大勢います。
「明日は違う街へとコンサートツアー」・・・そして私は、明日も違う街へと、追いかけ遠征。
でも、ステイホームだって、こうせつを愛するがゆえの立派な選択だと思います。
なんだかんだの2020年。最後のコンサートが終わりました。
こうせつ、お疲れ様。そして、ありがとう。来年もよろしくお願いします。
早く「夜明けの風」が吹いて、朝がきますように。
* * *
<大阪・名古屋2ディズのおまけの愚痴>
大阪フェスティバルホール後、大阪のホテルに宿泊しました。
GOTOをアテにして、東京の仲間と、ホテルで豪遊しようと計画しました。
駅近のちょっとお高めの名のあるホテルを予約したのに・・・大阪はGOTO除外に。
でも、いいや、予約を取り直すのは面倒だ、そのまま泊まっちゃえ。
でも、疫病騒ぎの禍中のホテル経営は厳しいようで・・・ルームサービスは休止、朝食もサービスも今ひとつで、ちょっと残念でした。
翌日、チェックアウトして名古屋に向かいました。
名古屋の街中もすごく混んでいました。
空いているであろうと予測した駅近のホテルのラウンジは、「宿泊者のみのご利用に制限させていただいております」と規制中で玉砕。
昼食は、駅ビルのパーラーに落ち着きました。
しかし、そこも満席でした。
席の間にはプラスチック板があるけれど。
他のお客さんはみんなマスクを外して会食、談笑しています。
ガイドラインを守っての営業なのでしょうが、こんな場所に来たのは、疫病騒ぎ以来、初めてのことでした。
こんなことなら割り増し料金を払ってでも、ギリギリまで大阪のホテルにいれば良かったと、後悔しました。
遠征となると、宿泊と外食がどうしても避けられません。
新規感染者数が増加している都市で、マスクをしないで会食している不特定多数の見知らぬ人たちと、同じ空間で長時間を過ごしてしまいました。
仕方ないので、遠征の後の2週間は、自宅でも24時間マスクをして黙食しました。
仕事が入っていなくて、幸いでした。
家族と自分、同行した友人も発熱することもなく、無事に2週間過ぎました。
* * *
年内の病院バイトは終了していますが、新規感染者数は日々増えています。
年明けから、週5日間は病院バイトなので、基本、コンサートは自粛になります。
外出時はマスクを外さず、同行同伴同乗会食はせずに、単独行動を貫きます。
南こうせつコンサートツアー2020~いつも歌があった~
昨日の大阪フェスティバルホールでは、舞台の真ん中で小さく見えたギターの美術セットが、ここ名古屋公会堂では舞台いっぱいで,背景に収まりきっていませんでした。
楽器も照明も窮屈そう。
昨日は小さく見えた新しいスピーカーが、とても大きく見えました。
昨日とはうってかわり、歴史あるこじんまりしたホール。
大正ロマンな雰囲気の会場です。
* * *
一階のみオーディエンスが入り、2階は全て空席でした。
なんで、オーディエンスの手拍子がピッタリ合って、ソーシャルディスタンスとはいえ舞台が近く、舞台のメンバーの生の声も聞こえて、迫力ありました。
放送があるのか?地元テレビ局?テレビのカメラが数台入り、テレビクルーの方々がいらっしゃいました。(あとで、YouTubeでの無料配信がありました)
テレビカメラが入っていることもあるのか、歌も演奏も構成もMCも、エンターテイメントとしてまとまっていて、「いつも歌があった」コンサートツアーのひとつの完成形、円熟型を見たようでした。
このツアーと南こうせつの、今後のさらなる進化を期待させてくれました。強く頼もしい。
昨日の大阪でのアンコール「歌って笑って」で、年末の特別感が、さらに増しました。
名古屋は?何?
そして、名古屋の最後のアンコールは「愛する人へ」でした。
* * *
名古屋での「愛する人へ」には、個人的に特別な思いがありました。
東日本大震災のとき、東京で余震と放射線におびえ、計画停電と節電の寒さと暗さに耐えて、疲弊しきった毎日のなか、名古屋に遠征しました。
でも、名古屋では地面は揺れず、地下街は明るくコウコウと電気がついていて、暖房も温かく、放射線量のニュースもなく、みんな笑顔でショッピングしていて・・・全くの別世界で、愕然としました。
その名古屋で聴いた「愛する人へ」。
「毒が空をめぐってる」という歌詞を、私は重く重く聴いたけれど、全ての人が同じ気持ちでいるわけではないと,苦しく感じてしまったことを覚えています。
そんなことを思い出しました。
そして、今は世界中が疲弊しきっています。
* * *
最後、長い長い長い長いお辞儀のあと、涙で舞台を去るこうせつ。
歌うことの喜びと、今、ライブで歌いオーディエンスを集めることへの葛藤。重責。
「足跡残さず生きていけない」って、こういうことなんだ、なんて思いました。
* * *
オーディエンスにも葛藤があります。
コンサートに行きたい、こうせつに、仲間に会いたい。
でも、いいのか?
実際、来ないことを選択した仲間も大勢います。
「明日は違う街へとコンサートツアー」・・・そして私は、明日も違う街へと、追いかけ遠征。
でも、ステイホームだって、こうせつを愛するがゆえの立派な選択だと思います。
なんだかんだの2020年。最後のコンサートが終わりました。
こうせつ、お疲れ様。そして、ありがとう。来年もよろしくお願いします。
早く「夜明けの風」が吹いて、朝がきますように。
* * *
<大阪・名古屋2ディズのおまけの愚痴>
大阪フェスティバルホール後、大阪のホテルに宿泊しました。
GOTOをアテにして、東京の仲間と、ホテルで豪遊しようと計画しました。
駅近のちょっとお高めの名のあるホテルを予約したのに・・・大阪はGOTO除外に。
でも、いいや、予約を取り直すのは面倒だ、そのまま泊まっちゃえ。
でも、疫病騒ぎの禍中のホテル経営は厳しいようで・・・ルームサービスは休止、朝食もサービスも今ひとつで、ちょっと残念でした。
翌日、チェックアウトして名古屋に向かいました。
名古屋の街中もすごく混んでいました。
空いているであろうと予測した駅近のホテルのラウンジは、「宿泊者のみのご利用に制限させていただいております」と規制中で玉砕。
昼食は、駅ビルのパーラーに落ち着きました。
しかし、そこも満席でした。
席の間にはプラスチック板があるけれど。
他のお客さんはみんなマスクを外して会食、談笑しています。
ガイドラインを守っての営業なのでしょうが、こんな場所に来たのは、疫病騒ぎ以来、初めてのことでした。
こんなことなら割り増し料金を払ってでも、ギリギリまで大阪のホテルにいれば良かったと、後悔しました。
遠征となると、宿泊と外食がどうしても避けられません。
新規感染者数が増加している都市で、マスクをしないで会食している不特定多数の見知らぬ人たちと、同じ空間で長時間を過ごしてしまいました。
仕方ないので、遠征の後の2週間は、自宅でも24時間マスクをして黙食しました。
仕事が入っていなくて、幸いでした。
家族と自分、同行した友人も発熱することもなく、無事に2週間過ぎました。
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年内の病院バイトは終了していますが、新規感染者数は日々増えています。
年明けから、週5日間は病院バイトなので、基本、コンサートは自粛になります。
外出時はマスクを外さず、同行同伴同乗会食はせずに、単独行動を貫きます。