第59話 2023.2.19和光市民文化センター~夜明けの風ツアー

文字数 1,094文字

第59話 2023年2月19日(日)和光市民文化センター サンアゼリア 大ホール
南こうせつコンサートツアー2023~夜明けの風~

関東2デイズ。二日目。ちょっと、今回は、独り言で。

この地は、こうせつが高校を卒業直後に、短期だけど過ごした街だそうです。

その想い出を、静かに、でも少し多弁に、ときに声をつまらせながら語られました。

その時によく歌ったという「雨が空から降れば」を弾き語りで歌いました。

* * *

私は、東京に在住だけど、埼玉に隣接していることもあり、この日は会場まで、自転車でした。

朝霞の基地や平林寺、成増という地元感満載の地名が、こうせつの口から語られたことに少し興奮しました。

* * *

それと、私は、若きこうせつがアルバイトしていた病院と同じような場所で働いたことがあります。

なので、『いつも歌があった』の53ページのエピソードの印象が強く残っていました。

その場所が、和光なのかと驚き、20歳のこうせつ少年の体験に既視感を覚えて、少し不思議でした。

* * *

こうせつが和光で過ごしたのは20歳頃、計算すると1969〜1970年頃でしょうか。

日本でクロルプロマジンが認可されたのが1955年。

1958年は精神科特例が発出され、ライシャワー事件は1964年。

精神衛生法の改正が1965年です。

ちょうど精神の疾病・障害がある人々への精神科病院に囲い込みの時代です。

私が看護学生として、初めて閉鎖病棟に足を踏み入れたのは1981年頃です。

帚木蓬生著の「閉鎖病棟」の舞台と同じ、機能分化されていない時代の精神病棟。

このような病棟は、それから何十年も存続しました。

精神保険医療福祉の改革ビジョン(10カ年計画)が示されたのは2004年。

欧米から50年遅れているといわれる日本の精神科医療が動き始めました。

「精神病院」が「精神科病院」に、「閉鎖病棟」から「急性期病棟」「ストレスケア病棟」「アルコール病棟」というように機能分化した名称に変わりました。

* * *

精神科病棟に、看護学生を連れて行くという仕事をずいぶんしました。

精神科には「時間薬」「ひと薬」という言葉があります。

看護学生という無資格者が起こす奇跡を、たくさんと見てきました。

なんで、こうせつ少年のエピソードも、私には現実に近くて、既視感があったんだと思います。

* * *

こうせつは、その後、クラウンレコードのオーディションに受かり、和光を出ます。

そのまま和光にとどまれば、精神科の医師になっていたかも?それが嫌で、和光を出たということも『いつも歌があった』に書かれていました。

なんか、不思議なかんじがする和光のコンサートでした。
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