第5話 2020年3月:市中感染 ライブは不要不急
文字数 2,112文字
第5話 2020年3月:市中感染 ライブは「不要不急」
3月になると、クルーズ船の乗客の下船が完了しました。
同時に、韓国やヨーロッパで感染が拡大してきました。
日本では様々な場所で海外渡航歴がない、また、渡航歴がある人との接触がない人たちの間に、クラスターが発生するようになりました。
ジム、カラオケといったクラスター感染が、次々と報道されるようになりました。
疫病騒ぎは、完全に市中感染に移行しました。
* * *
3月始め、ライブハウスでのクラスターの発生が明らかとなりました。
大阪のライブハウスでしたが、地方から遠征しているファンがいて、九州をはじめとして複数の遠く離れた場所でクラスターが発生しました。
2月中旬に行われたライブハウスでのライブが、2週間以上すぎて、複数の離れた場所でクラスター形成する。
屋形船のときと同じです。
医療安全講習の「不特定多数が集まるイベントでの群衆(モブ)からの世界的なパンデミック」が思い出されました。
味の素スタジアムのような大規模イベントではありませんが、小規模であっても、ライブハウスのクラスター発生は、私にとっては痛かったです。
もはや、ライブは「不要不急」であると同時に、感染拡大の元凶となってしまいました。
* * *
3月のコンサートは全て中止となりました。
それでも3月の初めは、まだ希望があったように思います。
疫病騒ぎは、6月頃には終息するという期待がありました。
武漢は都市封鎖で、3ヶ月で終息したように見えました。
日本は3ヶ月おくれの6月には終息するかもと、勝手に思っていたのです。
3月中のコンサートの中止は決定していましたが、その後のコンサートは、まだ中止にはなっていませんでした。
なので、こうせつの8月7日(金)広島国際会議場フェニックスホール、8月8日(土)東広島芸術文化ホールくらら大ホール、広島2Days遠征のホテルの予約をしました。
同時期に東京オリンピックがあるせいか、ホテルは予約がいっぱいでした。
空き室はほとんど無くて、予約はぎりぎりセーフでした。
また、ファンクラブの会誌で、10月にグリーンパラダイスコンサートが開催されるという告知がありました。
グリパラは、毎年5月に日比谷野外大音楽堂で行われています。
この年はオリンピックがあるため、10月開催になったのです。
期待が高まりました。
九州からの遠征組のぶんを含めたチケット4枚を、ファンクラブ先行で予約・振り込みしました。
* * *
3月末、医療安全講習の点数が1点不足したので、講習を受けました。
このときのテーマは、ズバリ「新型コロナウイルス感染症の速報」でした。
「帰国者やクルーズ船乗客の日本国内での重症患者の情報が少しずつ入ってきている」「強い倦怠感が、特徴的な症状のようだ」「数時間単位で急速に悪化する事例がある」
まず、昨年年末から現在までの感染状況、これまでの武漢の人の移動などの報告がありました。
そして、臨床症状、経過、治療、検査データ、胸のレントゲン写真、CT、MRI、たくさんのパワーポイントのスライドをみました。
持病の悪化やサイトカインストーム(過剰免疫反応)ではない、ウイルス性の肺炎・・・あまり聞いたことがなく、理解が難しかったです。
短時間で悪化する肺炎像のスライドに、会場はザワついていました。
特に深刻だと感じたのは、持病がない若年層にも重症肺炎例、急変例、死亡例があるということでした。
今まで漠然でぼんやりしていた疫病の姿が、はっきりと見えた瞬間でした。
* * *
職場では、上司たちが、4月からの学校運営をどうするか、話し合いがなされていました。
先のことがわからないので、色々な状況を想定していました。
私は、学生の健康状態把握と行動確認に追われました。
学校側の心配は不要で、卒業年度の学生たちは就職を控えていることもあり、卒業旅行や家族旅行を、自発的に中止にしていました。
* * *
学校は休校となっていましたが、3月中旬に卒業式が行われました。
例年、同じ学校法人傘下の全学校が合同で、都心の大きなホールで行われていました。
今年は各学校別、各学科学部別で行われました。
学生と教職員のみで、父母の参加はなし、学校の教室で、マスク着用で、30分以内での実施でした。
それでも、卒業生の晴れ姿をみられたことは、とても嬉しいことでした。
* * *
3月27日(金)は、私の最後の出勤でした。
疫病騒ぎとは関係のない、予定退職でした。
金沢で家事手伝いをしながら、自分の馬鹿げた夢にチャレンジすると決めていました。
でも、センチメンタルな気分に浸る時間もありませんでした。
若い学生たちの健康確認と行動確認をして自粛を要請するという、私にとって最も苦手な業務に追われました。
本当に疲れました。
当然ですが、送別会もなし。
* * *
3月30日(月)、大きなニュースがありました。
志村けんさんが、新型コロナ肺炎で亡くなったというのです。
ECMOという人工心肺装置が、全国に知られたきっかけにもなりました。
オリンピック・パラリンピックは、翌年に延期が決定しました。
東京の都市封鎖と緊急事態宣言発令の噂が、ネット上に流れていました。
3月になると、クルーズ船の乗客の下船が完了しました。
同時に、韓国やヨーロッパで感染が拡大してきました。
日本では様々な場所で海外渡航歴がない、また、渡航歴がある人との接触がない人たちの間に、クラスターが発生するようになりました。
ジム、カラオケといったクラスター感染が、次々と報道されるようになりました。
疫病騒ぎは、完全に市中感染に移行しました。
* * *
3月始め、ライブハウスでのクラスターの発生が明らかとなりました。
大阪のライブハウスでしたが、地方から遠征しているファンがいて、九州をはじめとして複数の遠く離れた場所でクラスターが発生しました。
2月中旬に行われたライブハウスでのライブが、2週間以上すぎて、複数の離れた場所でクラスター形成する。
屋形船のときと同じです。
医療安全講習の「不特定多数が集まるイベントでの群衆(モブ)からの世界的なパンデミック」が思い出されました。
味の素スタジアムのような大規模イベントではありませんが、小規模であっても、ライブハウスのクラスター発生は、私にとっては痛かったです。
もはや、ライブは「不要不急」であると同時に、感染拡大の元凶となってしまいました。
* * *
3月のコンサートは全て中止となりました。
それでも3月の初めは、まだ希望があったように思います。
疫病騒ぎは、6月頃には終息するという期待がありました。
武漢は都市封鎖で、3ヶ月で終息したように見えました。
日本は3ヶ月おくれの6月には終息するかもと、勝手に思っていたのです。
3月中のコンサートの中止は決定していましたが、その後のコンサートは、まだ中止にはなっていませんでした。
なので、こうせつの8月7日(金)広島国際会議場フェニックスホール、8月8日(土)東広島芸術文化ホールくらら大ホール、広島2Days遠征のホテルの予約をしました。
同時期に東京オリンピックがあるせいか、ホテルは予約がいっぱいでした。
空き室はほとんど無くて、予約はぎりぎりセーフでした。
また、ファンクラブの会誌で、10月にグリーンパラダイスコンサートが開催されるという告知がありました。
グリパラは、毎年5月に日比谷野外大音楽堂で行われています。
この年はオリンピックがあるため、10月開催になったのです。
期待が高まりました。
九州からの遠征組のぶんを含めたチケット4枚を、ファンクラブ先行で予約・振り込みしました。
* * *
3月末、医療安全講習の点数が1点不足したので、講習を受けました。
このときのテーマは、ズバリ「新型コロナウイルス感染症の速報」でした。
「帰国者やクルーズ船乗客の日本国内での重症患者の情報が少しずつ入ってきている」「強い倦怠感が、特徴的な症状のようだ」「数時間単位で急速に悪化する事例がある」
まず、昨年年末から現在までの感染状況、これまでの武漢の人の移動などの報告がありました。
そして、臨床症状、経過、治療、検査データ、胸のレントゲン写真、CT、MRI、たくさんのパワーポイントのスライドをみました。
持病の悪化やサイトカインストーム(過剰免疫反応)ではない、ウイルス性の肺炎・・・あまり聞いたことがなく、理解が難しかったです。
短時間で悪化する肺炎像のスライドに、会場はザワついていました。
特に深刻だと感じたのは、持病がない若年層にも重症肺炎例、急変例、死亡例があるということでした。
今まで漠然でぼんやりしていた疫病の姿が、はっきりと見えた瞬間でした。
* * *
職場では、上司たちが、4月からの学校運営をどうするか、話し合いがなされていました。
先のことがわからないので、色々な状況を想定していました。
私は、学生の健康状態把握と行動確認に追われました。
学校側の心配は不要で、卒業年度の学生たちは就職を控えていることもあり、卒業旅行や家族旅行を、自発的に中止にしていました。
* * *
学校は休校となっていましたが、3月中旬に卒業式が行われました。
例年、同じ学校法人傘下の全学校が合同で、都心の大きなホールで行われていました。
今年は各学校別、各学科学部別で行われました。
学生と教職員のみで、父母の参加はなし、学校の教室で、マスク着用で、30分以内での実施でした。
それでも、卒業生の晴れ姿をみられたことは、とても嬉しいことでした。
* * *
3月27日(金)は、私の最後の出勤でした。
疫病騒ぎとは関係のない、予定退職でした。
金沢で家事手伝いをしながら、自分の馬鹿げた夢にチャレンジすると決めていました。
でも、センチメンタルな気分に浸る時間もありませんでした。
若い学生たちの健康確認と行動確認をして自粛を要請するという、私にとって最も苦手な業務に追われました。
本当に疲れました。
当然ですが、送別会もなし。
* * *
3月30日(月)、大きなニュースがありました。
志村けんさんが、新型コロナ肺炎で亡くなったというのです。
ECMOという人工心肺装置が、全国に知られたきっかけにもなりました。
オリンピック・パラリンピックは、翌年に延期が決定しました。
東京の都市封鎖と緊急事態宣言発令の噂が、ネット上に流れていました。