第4話 2020年2月:普通の生活から全てが中止へ
文字数 2,675文字
第4話 2020年2月:普通の生活から全てが中止へ
<2月早々>
横浜に停泊のクルーズ船に、クラスター発生という大きなニュースがありました。
クラスターという単語が、メジャーになりました。
看護教育では、看護過程という科目で、「クラスター(情報を基準に基づいてグループ化する)分析」という言葉を使うので、おなじみな単語でした。
疫学では、「患者集団」という意味で使うことをはじめて知りました。
日本では、海外帰国者とその濃厚接触者を中心に、感染者が散発していました。
同じ頃、看護系学校の教職のカラオケ友だちから、看護師国家試験(2月16日)が終わったら集まろうという誘いがありました。
「×先生も呼ぼうよ」「場所は吉祥寺がいい」「新曲1曲ノルマにしよう!」と、ライン上で盛り上がりました。
このグループラインの教職仲間は、どちらかというと、仕事の意識高い系なのですが。
全く、感染症に対しての心配はしていませんでした。
<2月8日(土)>掛川市文化会館シオーネ 大ホールでの「いつも歌があったツアー」
掛川市文化会館シオーネ 大ホールでの「いつも歌があったツアー」コンサートは、普通に行われました。
感染予防対策の注意喚起もありませんでした。
こうせつファンにとって、伝説の聖地、つま恋のある掛川市。
しかも、2月13日(木)はこうせつの誕生日ということもあり、「ハッピーバースディ」を、会場のオーディエンスみんなで大合唱、歌いました。
私は、なんの抵抗なくこのコンサートに行っています。
ただ、職場は、看護学実習が始まっていて、看護師国家試験の直前ということもあり、例年に増してピリピリしていました。
インフルエンザ流行期であるため、コンサートに行っているということは、職場には内緒にしていました。
<2月10日(月)>
仕事はお休みをいただき、金沢の姉宅に、7日間、宿泊しました。
姉は病気療養中で、私は家事のお手伝いで、1週間、姉と過ごしました。
吉田拓郎ファンの姉と、毎晩、DVDを見て楽しく過ごしました。
一緒に、近所のスーパーに買い物して、ファミレスで外食をして、スーパー銭湯にも行きました。
女きょうだい、姉妹って、いいです。お互い年齢を重ねて、一日中しゃべくり。
すっかり新型コロナのことを忘れていました。
<2月11日(火)>
新型コロナウイルスに「COVID-19」と名付けられました。
<2月15日(土)>
「こうせつwith日本センチュリー交響楽団」、オーケストラとこうせつの共演。
行きたかったけれど、私は、金沢の姉宅にいたので、参加はしていません。
SNSで、友人のライブレポを読みました。
書き込みには、危機感は全くありません。
そして、この日、屋形船での宴会からの感染拡大が明らかになりました。
屋形船で行われた宴会は、一ヶ月前の1月18日(土)でした。
感染して時を経て、複数の離れた場所でクラスターが発生する。
そんな現実がわかりました。
また、クルーズ船乗客の下船が、本格化したのもこの頃です。
ヨーロッパやアメリカでパンデミックが始まったこともありました。
市中感染への恐怖心が、少しずつ現実として感じられるようになっていました。
<2月19日(水)>
金沢の姉宅から東京の自宅に帰宅し、仕事に復帰しました。
仕事に復帰し、状況が大きく変わっていることを実感しました。
多数の社内メールが届いていました。
不特定多数の集まる催しの参加に対する注意喚起(自粛という名目の禁止ですが)メールがありました。
友人に、「うちの業界はコロナ一色になった。卒業パーティ、送別会、全てが中止になりそう。3月1日の新宿のこうせつのコンサートは大丈夫かなあ」と、チャットで愚痴りました。
旅行業界で働いている友人からは、「ウチはキャンセルの嵐」と返信がありました。
<2月20日(木)>
この日に予定していた吉祥寺での教職仲間のカラオケ宴会は、延期にすることにしました。
中止ではなく、あくまでも延期ってところに、危機感がまだ薄かったことがうかがえます。
いえ、看護教育には古くから「新型インフルエンザのパンデミック・シミュレーション」という教材がありました。教職仲間は、皆、それを知っています。
危機感が薄いというより、その深刻さを感じていたからこそ、正常性バイアスが働いていたのかもしれません。異常事態が起っても、それを正常の範囲内として、心の平静を保っていたのでしょう。
『こうせつ・どっと・こむ』の掲示板に、私が書き込んだ「不要不急の集会はやめる?コンサートも無理っすかね?今やライブ中止が残念などというレベルではなく、国民が一致団結、封じ込めですよね」というスレッド。
奇しくも、私のこのカキコミが、『こうせつ・どっと・こむ』掲示板の、コロナ関連の、初めての書き込みになりました。
<2月21日(金)>
職場では、全ての学校行事の中止が決定となりました。
卒論の公聴会、自治会主催の送別会、国家試験合格の慰労会、卒業パーティ・・・全て中止です。
南こうせつ公式HPには、コンサート参加の注意喚起がアップされました。
<2月22日(土)>
加須市(埼玉)の「いつも歌があったツアー」コンサートは、チケットはありましたが、私は行くのをやめました。
社内メールでの注意喚起もありましたが、自発的に判断した結果です。
職場の同一敷地内には大学病院があります。
この敷地内に新興感染症を持ち込むことは、絶対に避けなくてはいけないからです。
SNSの加須市のライブレポには「中高年参加者はマスクをして、入り口で手指消毒をした」という書き込みがあります。
感染対策をしてのコンサート開催の最初だと思います。
<2月25日(火)>
3月1日(日)の新宿文化センターのツアーコンサートが中止になりました。
それを皮切りに、コンサート中止・延期の嘆きが延々と続くことになります。
<2月28日(金)>
職場では、全てのカリキュラムを中止して休校にするという決定がなされました。
同じ学校法人傘下の学校、学部、全てが休校です。
決定の社内メールがきて、半日で総括と終業しました。
この日の夕方、看護系学校の教職や保育士、幼稚園教諭、高校教諭の教職仲間たちと、チャットで話しました。
友人たちの職場も同様で、東京都内の多くの教育機関は、一斉にカリキュラムと卒業イベントの全てを中止し、休校にしたようです。
担任制をとっている学校で卒業学年を担任していた教職仲間は、慌ててクラス仕舞いをせねばならない心残りと、コロナ禍で卒業していく学生・生徒たちのことが、心配で心配でたまらないようでした。
<2月早々>
横浜に停泊のクルーズ船に、クラスター発生という大きなニュースがありました。
クラスターという単語が、メジャーになりました。
看護教育では、看護過程という科目で、「クラスター(情報を基準に基づいてグループ化する)分析」という言葉を使うので、おなじみな単語でした。
疫学では、「患者集団」という意味で使うことをはじめて知りました。
日本では、海外帰国者とその濃厚接触者を中心に、感染者が散発していました。
同じ頃、看護系学校の教職のカラオケ友だちから、看護師国家試験(2月16日)が終わったら集まろうという誘いがありました。
「×先生も呼ぼうよ」「場所は吉祥寺がいい」「新曲1曲ノルマにしよう!」と、ライン上で盛り上がりました。
このグループラインの教職仲間は、どちらかというと、仕事の意識高い系なのですが。
全く、感染症に対しての心配はしていませんでした。
<2月8日(土)>掛川市文化会館シオーネ 大ホールでの「いつも歌があったツアー」
掛川市文化会館シオーネ 大ホールでの「いつも歌があったツアー」コンサートは、普通に行われました。
感染予防対策の注意喚起もありませんでした。
こうせつファンにとって、伝説の聖地、つま恋のある掛川市。
しかも、2月13日(木)はこうせつの誕生日ということもあり、「ハッピーバースディ」を、会場のオーディエンスみんなで大合唱、歌いました。
私は、なんの抵抗なくこのコンサートに行っています。
ただ、職場は、看護学実習が始まっていて、看護師国家試験の直前ということもあり、例年に増してピリピリしていました。
インフルエンザ流行期であるため、コンサートに行っているということは、職場には内緒にしていました。
<2月10日(月)>
仕事はお休みをいただき、金沢の姉宅に、7日間、宿泊しました。
姉は病気療養中で、私は家事のお手伝いで、1週間、姉と過ごしました。
吉田拓郎ファンの姉と、毎晩、DVDを見て楽しく過ごしました。
一緒に、近所のスーパーに買い物して、ファミレスで外食をして、スーパー銭湯にも行きました。
女きょうだい、姉妹って、いいです。お互い年齢を重ねて、一日中しゃべくり。
すっかり新型コロナのことを忘れていました。
<2月11日(火)>
新型コロナウイルスに「COVID-19」と名付けられました。
<2月15日(土)>
「こうせつwith日本センチュリー交響楽団」、オーケストラとこうせつの共演。
行きたかったけれど、私は、金沢の姉宅にいたので、参加はしていません。
SNSで、友人のライブレポを読みました。
書き込みには、危機感は全くありません。
そして、この日、屋形船での宴会からの感染拡大が明らかになりました。
屋形船で行われた宴会は、一ヶ月前の1月18日(土)でした。
感染して時を経て、複数の離れた場所でクラスターが発生する。
そんな現実がわかりました。
また、クルーズ船乗客の下船が、本格化したのもこの頃です。
ヨーロッパやアメリカでパンデミックが始まったこともありました。
市中感染への恐怖心が、少しずつ現実として感じられるようになっていました。
<2月19日(水)>
金沢の姉宅から東京の自宅に帰宅し、仕事に復帰しました。
仕事に復帰し、状況が大きく変わっていることを実感しました。
多数の社内メールが届いていました。
不特定多数の集まる催しの参加に対する注意喚起(自粛という名目の禁止ですが)メールがありました。
友人に、「うちの業界はコロナ一色になった。卒業パーティ、送別会、全てが中止になりそう。3月1日の新宿のこうせつのコンサートは大丈夫かなあ」と、チャットで愚痴りました。
旅行業界で働いている友人からは、「ウチはキャンセルの嵐」と返信がありました。
<2月20日(木)>
この日に予定していた吉祥寺での教職仲間のカラオケ宴会は、延期にすることにしました。
中止ではなく、あくまでも延期ってところに、危機感がまだ薄かったことがうかがえます。
いえ、看護教育には古くから「新型インフルエンザのパンデミック・シミュレーション」という教材がありました。教職仲間は、皆、それを知っています。
危機感が薄いというより、その深刻さを感じていたからこそ、正常性バイアスが働いていたのかもしれません。異常事態が起っても、それを正常の範囲内として、心の平静を保っていたのでしょう。
『こうせつ・どっと・こむ』の掲示板に、私が書き込んだ「不要不急の集会はやめる?コンサートも無理っすかね?今やライブ中止が残念などというレベルではなく、国民が一致団結、封じ込めですよね」というスレッド。
奇しくも、私のこのカキコミが、『こうせつ・どっと・こむ』掲示板の、コロナ関連の、初めての書き込みになりました。
<2月21日(金)>
職場では、全ての学校行事の中止が決定となりました。
卒論の公聴会、自治会主催の送別会、国家試験合格の慰労会、卒業パーティ・・・全て中止です。
南こうせつ公式HPには、コンサート参加の注意喚起がアップされました。
<2月22日(土)>
加須市(埼玉)の「いつも歌があったツアー」コンサートは、チケットはありましたが、私は行くのをやめました。
社内メールでの注意喚起もありましたが、自発的に判断した結果です。
職場の同一敷地内には大学病院があります。
この敷地内に新興感染症を持ち込むことは、絶対に避けなくてはいけないからです。
SNSの加須市のライブレポには「中高年参加者はマスクをして、入り口で手指消毒をした」という書き込みがあります。
感染対策をしてのコンサート開催の最初だと思います。
<2月25日(火)>
3月1日(日)の新宿文化センターのツアーコンサートが中止になりました。
それを皮切りに、コンサート中止・延期の嘆きが延々と続くことになります。
<2月28日(金)>
職場では、全てのカリキュラムを中止して休校にするという決定がなされました。
同じ学校法人傘下の学校、学部、全てが休校です。
決定の社内メールがきて、半日で総括と終業しました。
この日の夕方、看護系学校の教職や保育士、幼稚園教諭、高校教諭の教職仲間たちと、チャットで話しました。
友人たちの職場も同様で、東京都内の多くの教育機関は、一斉にカリキュラムと卒業イベントの全てを中止し、休校にしたようです。
担任制をとっている学校で卒業学年を担任していた教職仲間は、慌ててクラス仕舞いをせねばならない心残りと、コロナ禍で卒業していく学生・生徒たちのことが、心配で心配でたまらないようでした。