第67話 2023.5.3日比谷野外大音楽堂~31stグリーンパラダイス
文字数 5,022文字
第67話 2023年5月3日(水・祝)日比谷野外大音楽堂
祝・日比谷野音100周年 南こうせつ 31st グリーンパラダイス
8波は過ぎて、完全にピークアウト中です。
ゴールデンウィーク明けには、新型コロナが、5類、インフルエンザ相当になることが決まっています。
3月13日からは、マスクは自由になりました。
花粉症のシーズンも終わり、街にはノーマスクの人が増えているように思います。
* * *
友人が管理職をしている病院での私の仕事は、通常のリハビリテーション業務です。
職場には、患者・職員ともに陽性者はいません。
みんな、専門職たちが働きかければ、一定の成果が見込め回復していく患者さんたちです。
レッドゾーンの時、うつろな目をして元気のなかった患者さんたちが、モリモリ食べる姿が見られて、私もずいぶんと元気が出ました。
せっかく順調にリハビリが進んでいたのに、発熱や基礎疾患の悪化で、療養や看取りの対象になった患者さん。
虹の向こうへ行ってしまった患者さん。
レッドゾーンの時のことを思い出すと苦しくて。
ずっと昔、それこそ30年前、インフルエンザやノロウイルスの院内感染で数人の死者が出ると新聞ざたになったものでした。
インフルエンザやノロウイルスは、もはや院内感染の予防策が確立しています。
医療安全のマニュアルにも、しっかりと明記されて、少なくとも、私が働いた病院や施設では院内感染はわずかで、流行といえるものはありませんでした。
市井では、インフルエンザと同類ですが、病院や施設では、新型コロナは、まだまだ、厄介です。
とにかく、9波がこないことを、心から願っています。
* * *
4月18日(火)NHKの「うたコン」に、こうせつが出演しました。
日比谷野音100周年記念のNHKとのコラボ番組で、日比谷野外大音楽堂からの生中継です。
誰もいない客席の日比谷野音で、「妹」「夏の少女」を歌うこうせつ。
これが、奇跡を起こしました。
毎年、グリーンパラダイスの二次会の幹事を、仰せつかっているのですが。
はじめ9人で細々とやる予定が・・・・この放送から、少しずつ増えて・・・結局、25人になりました。
みんな誰かに呼ばれている。
呼ぶ声に、応えよう。
感染状況、休み、天気、立ち見復活、行かない条件がどんどん無くなるって奇跡が起きました。
♪みんなでもりあがろうぜ♬
* * *
当日朝、もう、いても立ってもいられず。朝9時過ぎに家を出ました。
日比谷公園には11時には到着しました。
毎年の集合場所に、ピクニックシートを敷いて、荷物を置いて。
公園にすでに陣取っている仲間にご挨拶しました。
おにぎりに唐揚げ、ビールをいただきました。
木陰ライブも始まっていて、次々にギターを持った仲間たちが集まってきて、たくさんのこうせつナンバーが、あちこちに聞こえました。
* * *
そのうちに、リハーサルが始まりました。
エレキ・ドラム、ピアノはシンセサイザー、サックスの音が聞こえました。
こうせつの力強い声が聞こえて、期待が高まります。
いえいえ、これまでもリハーサルでやって、本番では歌わないってことがありました。
「過度の期待は身体に悪い」です。
あちこちから聞こえる木陰ライブの歌声と、リハーサルの音漏れのコラボレーション。
新緑が美しく、青空は高く、春風は優しく、日差しはまぶしく、公園の石垣の上にひとり座って、長い時間、ぼーっとしていました。
* * *
新型コロナが5類に引き下げられるのは、5月8日(月)です。
公式HPでは、感染対策についての注意喚起がありました。
マスク着用と自分の席で見るように・・・とのお願いがありました。
なんで、座席指定のチケットはありましたが、立ち見席を購入しました。
なんの遠慮も無い、立ち見席でのグリパラです。
* * *
開場時間とともに入場しました。
久しぶりの立ち見席。
昨年は、立ち見席の発売はありませんでした。飲食のゾーンで、自分の席で見ました。
最後列を購入した友人の真後ろに、立ち見席購入の友人が陣地取り、私はその後ろあたりに立ちました。
ここで、終演までずっとスタンディング&ダンシングでした。
* * *
オープニングは、こうせつのMCから。
開催できた喜びが、会場の声援とのやりとりで、感じられました。
オープニングは、みんなの予想通り。うたコンで歌った「夏の少女」です。
ツアーとは違うバンド編成。
やはりエレキ・ドラムの音が、お腹に響きます。
サビでは、タテに飛びました。間奏の「ヘイ!」も大きな声で。おもいきりコブシを突き上げ。
* * *
日比谷の100周年のリーフレットに「野音には自由な気風があると、南こうせつが言った」という言葉があります。
その言葉を、もっと詳細に語られました。
様々なアーティストを受け入れてきた「日比谷野外大音楽堂に深く感謝申し上げます」とお辞儀されました。
* * *
その後は「ギターを鳴らせ」。で、次のイントロで絶叫しました「オハイオの月」です。
もはや、このライブが特別なものであることを確信できます。
そして、この時点で私は、息切れがひどい状態でした。
これまでは、ホールでの声援にスタンディング・飛びはねでした。
野外のセトリでそれをやると・・・とにかくマスクが苦しいってことがわかりました。
* * *
少しクールダウンで「幼い日に」。
ホールでの順平さんのバイオリンの間奏のソロもいいけれど・・・やはり、サマピ・野外世代は、エレキの音なんです。気持ちよかった。
♪向こうから手をふる・・・で、会場の皆の手をふる姿に感動し♪向こうから声がする・・・のあとの会場の皆さんの「こうせつー」が、これまでの「幼い日」で、一番大きかった気がしました。
「マキシーのために」も、バンド編成が違うと、気持ちがどんどん舞い上がるようでした。
前半1部の最後、魂のうた。これで、全員がノックアウトされました。「ナイスゲーム」。
つま恋サマピ以来、待ち望んだ曲でした。テナーサックスの音に泣かせられました。
* * *
この後のゲストの歌の途中、何人かの友だちが声をかけてきました。
みんな、放心状態で「オハイオのあとのナイスゲームにやられた」と。
私も怒濤の1部のセトリで、ほとんど放心状態に陥りました。
ゲストの曲が頭に入ってこず。
* * *
そういいつつも、夏川りみさんの美しい声を聴きながら、1部の余韻に浸りました。
「涙そうそう」を聴きながら、「ナイスゲーム」の歌詞、同じフィールドにいた、でも、もうあうことはできない何人かの仲間の顔が浮かんで、涙が止まりませんでした。
カチャーシーの指導「窓を開けて閉めて、シャッター開けて閉めて」があって、明るく「安里屋 ユンタ」沖縄の竹富島の民謡です。
* * *
「次のゲストは、フォーク界の3人組」とこうせつが紹介し、私はアルフィー!と叫んでしましましたが。アルフィーは、多分ツアー中。海援隊でした。
オーディエンスが温かいというところから、そうでなかった昔の話をしていました。
同じ時代を、日比谷野外大音楽堂で過ごしたふたりの会話です。
こうせつのリクエストで「Teach Your Children」(映画「小さな恋のメロディー」の挿入歌)
正やんもよく、海援隊の洋楽のコピーを褒めていました。博多でアマチュアだった海援隊の洋楽のコピーが素晴らしくて、聴きに博多に通っていたって。
海援隊に洋楽をリクエストできる人は、そうはいません。
そして、突然に「大学ボタン」という、パロディーソング。
鉄矢さんが後に共演することになる高倉健さんの「唐獅子牡丹」の替え歌です。
「ウケを狙って、こんな歌も歌っていた」とのことです。
突然にふられた千葉さんと中牟田さんは、ギターを持ち替えて大慌てしていました。
歌詞は全共闘と第4機動隊のコミックソングで、やっぱり鉄矢さんも団塊の世代なのだと思いました。
さては、オープニングのこうせつのMC、日比谷野外大音楽堂は、政治色が強すぎて放送禁止になるような歌をうたったグループをも受け入れてきた・・・に触発されたのかしら?
日比谷って場所が、この歌を歌わせたのかと思いました。
「贈る言葉」そして、稲作挿話(宮沢賢二)に続いて「声援」・・・というより「声援」の枕に宮沢賢治をもってきた?
金八先生の挿入歌だし、宮沢賢治も先生で、両方とも教え子を思った作品でした。
私も昔は、教職の末席を汚させてもらっていました。
♪頑張れ、頑張れ♪の連呼だけではなく♬頼む、頑張ってくれ…「頼む」という歌詞が身にしみて、何人かの教え子の顔がうかび、胸が痛む曲でした。
* * *
2部のはじまり。ツアーのバックメンバーが4人、横並びして。
「リーバイス501」久しぶりです。
この歌は、途中にオーディエンスがみんなで歌を歌います。
コロナ禍で、歌われなくなった曲です。
歌の最後に「うちのお父さん」に変わっていき、「あれ?ウチ父は歌わないのか?」って思いました。
声出しOKになって、ウチ父よりも「リーバイス501」を、こうせつは選曲したのか!!
* * *
「歌うたいのブルース」「最後の世界」と、ツアーコンサートモードの曲ですが。やはり、バンド編成のエレキ・ドラムにサックスと、胸熱でした。
* * *
夏川りみさんが再登場。「妹」。ハモるというよりも、こうせつよりもオクターブ高いりみさんの透明な高音が響いて、素晴らしかったです。
* * *
「夢一夜」と定番曲の後、かぐや姫の「そんな人ちがい」。一緒に、歌いました。
* * *
日が暮れて、もう辺りは暗く。
月に星が出てきました。野外で、一番良い時間帯です。
オーディエンスは、自由です。
客席で立って手をふる人、立ち見席で踊る人や旗を降る人、だいぶ酔っているようでもありました。
「神田川」で、みんなと肩を組んで歌いました。最高の「神田川」。
立ち見席に現れた面識のない男性が、「神田川」を歌いながら号泣していました。
一緒に肩を組んで、一緒に泣きました。
「男たちよ」夜の優しさに乾杯も、久しぶりです。
クライマックスに向けての呼び水みたいです。燃え尽きる覚悟です。
「あの人の手紙」、最後は「夜明けの風」でした。
この2曲を聴いて、少し複雑な気持ちになりました。
市井で生活していると、もう夜明けの風が吹いているのでしょうか?
闇って何だろう?医療の現場は夜明けの風はいつなんだろう?
* * *
そうしているうちに アンコール。こうせつコールが止まりませんでした。
もう誰も私を止められない・・・って勢いでした。
アンコール①は「満天の星」、♪見上げてごらん空を♫と見上げれば、本当の空です。
何百回も聴いた曲だけれど、野外で歌うと、特別です。
アンコール②が「歌って笑って」。
今日は、こうせつは絶対にこの歌を歌ってくれると信じていました。
♫君と出会った♫。そう、出会った君たちと一緒に歌って笑える。
コレが野外だ!!グリパラだ!!と叫びました。みんなで肩を組んで円陣を組みました。
最後、アンコール③は「Summer♪ angel」。圧巻でした。
* * *
終演直後、会場に流れていたのは「夏の少女」のオケでした。
サマーピクニックの終演後に必ず流れるオケの曲です。
「歌って笑って」「Summer♪ angel」・・・「夏の少女」のオケを聴きながら、きっと来年はサマーピクニックイヤーだと・・・
そう信じることしかできなくなりました。
* * *
計画退場と聞いていたのですが、アナウンスはなく?(あっても、頭から吹っ飛んでいました)三々五々、みんな出口に向かいました。
退場するファンたちは皆、若干の放心状態と充実感にあふれた表情でした。
口々に「よかった」と言っていました。
* * *
二次会は、毎年同じ店です。
人数が増えたので、飲み放題のコースをたのんでありました。
みんなが楽しそうに飲んで食べて話している様子を見て、私は胸がいっぱいになってしまいました。
お酒も食事も、あんまり入りませんでした。
* * *
みんなと別れても、最近はSNSでつながっていて、ラインの会話や写メ、動画、ネット記事など。
ラッキーなことに、この日から4連休だったので、その後数日は、グリパラに浸り続けました。
ただ、それに水を差したのは、5月5日こどもの日の、石川県能登の震度6強の地震でした。
実家や甥姪たちは無事でした。
一瞬で日常が変わる。それが今の現実です。
6月からは、また金沢生活の予定でいます。
祝・日比谷野音100周年 南こうせつ 31st グリーンパラダイス
8波は過ぎて、完全にピークアウト中です。
ゴールデンウィーク明けには、新型コロナが、5類、インフルエンザ相当になることが決まっています。
3月13日からは、マスクは自由になりました。
花粉症のシーズンも終わり、街にはノーマスクの人が増えているように思います。
* * *
友人が管理職をしている病院での私の仕事は、通常のリハビリテーション業務です。
職場には、患者・職員ともに陽性者はいません。
みんな、専門職たちが働きかければ、一定の成果が見込め回復していく患者さんたちです。
レッドゾーンの時、うつろな目をして元気のなかった患者さんたちが、モリモリ食べる姿が見られて、私もずいぶんと元気が出ました。
せっかく順調にリハビリが進んでいたのに、発熱や基礎疾患の悪化で、療養や看取りの対象になった患者さん。
虹の向こうへ行ってしまった患者さん。
レッドゾーンの時のことを思い出すと苦しくて。
ずっと昔、それこそ30年前、インフルエンザやノロウイルスの院内感染で数人の死者が出ると新聞ざたになったものでした。
インフルエンザやノロウイルスは、もはや院内感染の予防策が確立しています。
医療安全のマニュアルにも、しっかりと明記されて、少なくとも、私が働いた病院や施設では院内感染はわずかで、流行といえるものはありませんでした。
市井では、インフルエンザと同類ですが、病院や施設では、新型コロナは、まだまだ、厄介です。
とにかく、9波がこないことを、心から願っています。
* * *
4月18日(火)NHKの「うたコン」に、こうせつが出演しました。
日比谷野音100周年記念のNHKとのコラボ番組で、日比谷野外大音楽堂からの生中継です。
誰もいない客席の日比谷野音で、「妹」「夏の少女」を歌うこうせつ。
これが、奇跡を起こしました。
毎年、グリーンパラダイスの二次会の幹事を、仰せつかっているのですが。
はじめ9人で細々とやる予定が・・・・この放送から、少しずつ増えて・・・結局、25人になりました。
みんな誰かに呼ばれている。
呼ぶ声に、応えよう。
感染状況、休み、天気、立ち見復活、行かない条件がどんどん無くなるって奇跡が起きました。
♪みんなでもりあがろうぜ♬
* * *
当日朝、もう、いても立ってもいられず。朝9時過ぎに家を出ました。
日比谷公園には11時には到着しました。
毎年の集合場所に、ピクニックシートを敷いて、荷物を置いて。
公園にすでに陣取っている仲間にご挨拶しました。
おにぎりに唐揚げ、ビールをいただきました。
木陰ライブも始まっていて、次々にギターを持った仲間たちが集まってきて、たくさんのこうせつナンバーが、あちこちに聞こえました。
* * *
そのうちに、リハーサルが始まりました。
エレキ・ドラム、ピアノはシンセサイザー、サックスの音が聞こえました。
こうせつの力強い声が聞こえて、期待が高まります。
いえいえ、これまでもリハーサルでやって、本番では歌わないってことがありました。
「過度の期待は身体に悪い」です。
あちこちから聞こえる木陰ライブの歌声と、リハーサルの音漏れのコラボレーション。
新緑が美しく、青空は高く、春風は優しく、日差しはまぶしく、公園の石垣の上にひとり座って、長い時間、ぼーっとしていました。
* * *
新型コロナが5類に引き下げられるのは、5月8日(月)です。
公式HPでは、感染対策についての注意喚起がありました。
マスク着用と自分の席で見るように・・・とのお願いがありました。
なんで、座席指定のチケットはありましたが、立ち見席を購入しました。
なんの遠慮も無い、立ち見席でのグリパラです。
* * *
開場時間とともに入場しました。
久しぶりの立ち見席。
昨年は、立ち見席の発売はありませんでした。飲食のゾーンで、自分の席で見ました。
最後列を購入した友人の真後ろに、立ち見席購入の友人が陣地取り、私はその後ろあたりに立ちました。
ここで、終演までずっとスタンディング&ダンシングでした。
* * *
オープニングは、こうせつのMCから。
開催できた喜びが、会場の声援とのやりとりで、感じられました。
オープニングは、みんなの予想通り。うたコンで歌った「夏の少女」です。
ツアーとは違うバンド編成。
やはりエレキ・ドラムの音が、お腹に響きます。
サビでは、タテに飛びました。間奏の「ヘイ!」も大きな声で。おもいきりコブシを突き上げ。
* * *
日比谷の100周年のリーフレットに「野音には自由な気風があると、南こうせつが言った」という言葉があります。
その言葉を、もっと詳細に語られました。
様々なアーティストを受け入れてきた「日比谷野外大音楽堂に深く感謝申し上げます」とお辞儀されました。
* * *
その後は「ギターを鳴らせ」。で、次のイントロで絶叫しました「オハイオの月」です。
もはや、このライブが特別なものであることを確信できます。
そして、この時点で私は、息切れがひどい状態でした。
これまでは、ホールでの声援にスタンディング・飛びはねでした。
野外のセトリでそれをやると・・・とにかくマスクが苦しいってことがわかりました。
* * *
少しクールダウンで「幼い日に」。
ホールでの順平さんのバイオリンの間奏のソロもいいけれど・・・やはり、サマピ・野外世代は、エレキの音なんです。気持ちよかった。
♪向こうから手をふる・・・で、会場の皆の手をふる姿に感動し♪向こうから声がする・・・のあとの会場の皆さんの「こうせつー」が、これまでの「幼い日」で、一番大きかった気がしました。
「マキシーのために」も、バンド編成が違うと、気持ちがどんどん舞い上がるようでした。
前半1部の最後、魂のうた。これで、全員がノックアウトされました。「ナイスゲーム」。
つま恋サマピ以来、待ち望んだ曲でした。テナーサックスの音に泣かせられました。
* * *
この後のゲストの歌の途中、何人かの友だちが声をかけてきました。
みんな、放心状態で「オハイオのあとのナイスゲームにやられた」と。
私も怒濤の1部のセトリで、ほとんど放心状態に陥りました。
ゲストの曲が頭に入ってこず。
* * *
そういいつつも、夏川りみさんの美しい声を聴きながら、1部の余韻に浸りました。
「涙そうそう」を聴きながら、「ナイスゲーム」の歌詞、同じフィールドにいた、でも、もうあうことはできない何人かの仲間の顔が浮かんで、涙が止まりませんでした。
カチャーシーの指導「窓を開けて閉めて、シャッター開けて閉めて」があって、明るく「安里屋 ユンタ」沖縄の竹富島の民謡です。
* * *
「次のゲストは、フォーク界の3人組」とこうせつが紹介し、私はアルフィー!と叫んでしましましたが。アルフィーは、多分ツアー中。海援隊でした。
オーディエンスが温かいというところから、そうでなかった昔の話をしていました。
同じ時代を、日比谷野外大音楽堂で過ごしたふたりの会話です。
こうせつのリクエストで「Teach Your Children」(映画「小さな恋のメロディー」の挿入歌)
正やんもよく、海援隊の洋楽のコピーを褒めていました。博多でアマチュアだった海援隊の洋楽のコピーが素晴らしくて、聴きに博多に通っていたって。
海援隊に洋楽をリクエストできる人は、そうはいません。
そして、突然に「大学ボタン」という、パロディーソング。
鉄矢さんが後に共演することになる高倉健さんの「唐獅子牡丹」の替え歌です。
「ウケを狙って、こんな歌も歌っていた」とのことです。
突然にふられた千葉さんと中牟田さんは、ギターを持ち替えて大慌てしていました。
歌詞は全共闘と第4機動隊のコミックソングで、やっぱり鉄矢さんも団塊の世代なのだと思いました。
さては、オープニングのこうせつのMC、日比谷野外大音楽堂は、政治色が強すぎて放送禁止になるような歌をうたったグループをも受け入れてきた・・・に触発されたのかしら?
日比谷って場所が、この歌を歌わせたのかと思いました。
「贈る言葉」そして、稲作挿話(宮沢賢二)に続いて「声援」・・・というより「声援」の枕に宮沢賢治をもってきた?
金八先生の挿入歌だし、宮沢賢治も先生で、両方とも教え子を思った作品でした。
私も昔は、教職の末席を汚させてもらっていました。
♪頑張れ、頑張れ♪の連呼だけではなく♬頼む、頑張ってくれ…「頼む」という歌詞が身にしみて、何人かの教え子の顔がうかび、胸が痛む曲でした。
* * *
2部のはじまり。ツアーのバックメンバーが4人、横並びして。
「リーバイス501」久しぶりです。
この歌は、途中にオーディエンスがみんなで歌を歌います。
コロナ禍で、歌われなくなった曲です。
歌の最後に「うちのお父さん」に変わっていき、「あれ?ウチ父は歌わないのか?」って思いました。
声出しOKになって、ウチ父よりも「リーバイス501」を、こうせつは選曲したのか!!
* * *
「歌うたいのブルース」「最後の世界」と、ツアーコンサートモードの曲ですが。やはり、バンド編成のエレキ・ドラムにサックスと、胸熱でした。
* * *
夏川りみさんが再登場。「妹」。ハモるというよりも、こうせつよりもオクターブ高いりみさんの透明な高音が響いて、素晴らしかったです。
* * *
「夢一夜」と定番曲の後、かぐや姫の「そんな人ちがい」。一緒に、歌いました。
* * *
日が暮れて、もう辺りは暗く。
月に星が出てきました。野外で、一番良い時間帯です。
オーディエンスは、自由です。
客席で立って手をふる人、立ち見席で踊る人や旗を降る人、だいぶ酔っているようでもありました。
「神田川」で、みんなと肩を組んで歌いました。最高の「神田川」。
立ち見席に現れた面識のない男性が、「神田川」を歌いながら号泣していました。
一緒に肩を組んで、一緒に泣きました。
「男たちよ」夜の優しさに乾杯も、久しぶりです。
クライマックスに向けての呼び水みたいです。燃え尽きる覚悟です。
「あの人の手紙」、最後は「夜明けの風」でした。
この2曲を聴いて、少し複雑な気持ちになりました。
市井で生活していると、もう夜明けの風が吹いているのでしょうか?
闇って何だろう?医療の現場は夜明けの風はいつなんだろう?
* * *
そうしているうちに アンコール。こうせつコールが止まりませんでした。
もう誰も私を止められない・・・って勢いでした。
アンコール①は「満天の星」、♪見上げてごらん空を♫と見上げれば、本当の空です。
何百回も聴いた曲だけれど、野外で歌うと、特別です。
アンコール②が「歌って笑って」。
今日は、こうせつは絶対にこの歌を歌ってくれると信じていました。
♫君と出会った♫。そう、出会った君たちと一緒に歌って笑える。
コレが野外だ!!グリパラだ!!と叫びました。みんなで肩を組んで円陣を組みました。
最後、アンコール③は「Summer♪ angel」。圧巻でした。
* * *
終演直後、会場に流れていたのは「夏の少女」のオケでした。
サマーピクニックの終演後に必ず流れるオケの曲です。
「歌って笑って」「Summer♪ angel」・・・「夏の少女」のオケを聴きながら、きっと来年はサマーピクニックイヤーだと・・・
そう信じることしかできなくなりました。
* * *
計画退場と聞いていたのですが、アナウンスはなく?(あっても、頭から吹っ飛んでいました)三々五々、みんな出口に向かいました。
退場するファンたちは皆、若干の放心状態と充実感にあふれた表情でした。
口々に「よかった」と言っていました。
* * *
二次会は、毎年同じ店です。
人数が増えたので、飲み放題のコースをたのんでありました。
みんなが楽しそうに飲んで食べて話している様子を見て、私は胸がいっぱいになってしまいました。
お酒も食事も、あんまり入りませんでした。
* * *
みんなと別れても、最近はSNSでつながっていて、ラインの会話や写メ、動画、ネット記事など。
ラッキーなことに、この日から4連休だったので、その後数日は、グリパラに浸り続けました。
ただ、それに水を差したのは、5月5日こどもの日の、石川県能登の震度6強の地震でした。
実家や甥姪たちは無事でした。
一瞬で日常が変わる。それが今の現実です。
6月からは、また金沢生活の予定でいます。