第51話 2022.10.22松戸 森のホール~夜明けの風ツアー
文字数 3,439文字
第51話 2022年10月22日(土)松戸 森のホール21
南こうせつコンサートツアー2022~夜明けの風~
10月、国内の重傷者数は3桁、死者数は2桁と横ばい状態です。
インフルエンザとの同時流行や新しい変異型というニュースがありました。
しかし、日々のトップニュースは、街が賑わってきたこと、旅割(全国旅行支援)の再開、外国人渡航の規制緩和でした。
ピークアウトした安心感と自由な雰囲気が、日々、高まってゆくようでした。
* * *
松戸森のホール21は、これまで何度も、ツアーコンサートが催されてきた馴染みの会場です。
ずっと前、ちょうど順平さんの誕生日とツアーコンサートが重なって。楽屋口で、順平さんと入り待ち数十人で集合写真を撮ったことがありました。
例年、早く出かけて、会場のレストラン「アゼリア」で食事をしながら開場を待ちました。
でも、2020年3月31日をもって、レストランは閉店していました。
ここでの食事を、いつも楽しみにしていたので、とても残念でした。
なので、松戸の駅近くのイマドキの小洒落たカフェで友人と待ち合わせ、長々とおしゃべりを楽しみました。
* * *
会場は、最前列、2階、3階席は空席でした。
「コンサートツアー」で、始まりました。ちょっと予想外のオープニング曲に、期待が高まりました。
こうせつは、コロナ禍の直前、2020年1月17日(金)に、松戸・森のホールで、普通にコンサートが行われたこと。そして、その直後、2月にはクルーズ船の感染拡大から、次々とコンサートが延期や中止になったことを話しました。
そんなこともあって、前回から2年経ったこの日、2022年、松戸でコンサートができたことを、とても嬉しいと話していました。
そうでした。2年前、長い「闇」の始まりでした。♪最後に光を見たのはいつだったっけ?♪・・・こうせつにとって最後に見た光が、松戸だったのかもしれません。
オープニングの選曲から、なんだか、スペシャルなコンサートな予感がしました。
* * *
振り返ると・・・
2020年1月17日(金)に、松戸・森のホールのコンサートは、私は仕事のために行くことはできませんでした。
2月8日(土)、私たちの聖地、掛川では、何の感染対策もなく、みんなでHappy birthday 歌いましたっけ。(私の最後に見た光は、この掛川でした)
2月15日(土)の交響楽団のコラボは、私は金沢にいて行けませんでしたが、普通の開催のようでした。
2月21日(金)、公式ホムペにコンサート参加の注意喚起がはじめてあって。
2月22日(土)の加須(埼玉)のコンサート。マスクなどの感染対策をしての、始めてのコンサートが、加須だったんだと。私はチケットありましたが、社内メールの行動自粛要請(という名の禁止)に、職場の感染対策で多忙を極めていたため、行けませんでした。
2月25日(土)には、3月1日(日)の新宿のコンサートの中止の発表があり、それを皮切りに、次々と、全てが延期か中止になりました。
* * *
秋セトリの「葡萄の季節」
「時は流れて風が吹く」、以前のグリパラで聴いた、明るく軽やかなカントリー調のアレンジでした。♪あの日に燃えた希望と夢をもう一度こころに灯してみよう♪
そして、休憩前の一部で「赤ちょうちん」「妹」「夢一夜」の3曲を歌ってしまいました。
オープニングの選曲もあって、後半、特にアンコール①に期待が膨らみました。
休憩のあとは、ひとり弾き語りで、日本のフォークのさわりを何曲か。そして「ポカポカ日曜日」、久しぶりです・
「うちのお父さん」。オチもわかっているのに、何度聞いても笑ってしまう。定番のMCもありました。そして「神田川」も。
過度の期待は身体に悪い・・・といいつつ、私の中では、もう止められないほどに期待が膨らんだアンコール①。
「愛する人へ」でした。
こうせつは、「街は病気だね」を「時代は病気だね」と歌いました。
時代を憂いながら、何もできないから愛の歌を歌っていく。
私も時代を憂いながら、何もできないことが苦しくて、嫌なニュースがテレビに映るとチャンネルを変える日々で。
でも、自分ができることを普段の生活で普通にしていれば、それで良いんだよ・・・と、こうせつに言われ許された気がして。少し救われました。
今のにぎわい、街は病気なんだろうか?希望と夢なんだろうか?病気なのは、やっぱり時代なんだ。
そして、一部の「時は流れて風が吹く」の、明るく軽ろやかに歌った“希望と夢”。
それが、今をひたすら生きるだけの日々の向こうに見える何かに・・・繋がったように思えました。
「愛する人へ」の最後、順平さんの長いバイオリンソロが胸熱でした。
「順平さんのオリジナルソロ?ウクライナ関係?」現場では、私にはなんの曲か、わかりませんでした。
あとで、ファン友から「We shall over come」という曲だと教えてもらいました。
この曲は、「勝利を我らに」という和題で、黒人差別に対してのアメリカのプロテストソング。
フォークの父のピート・シガーが広めた曲だそうです。
最後、アンコール②、鳴り止まない拍手・手拍子に。
コンサートの途中でも歌った「フォーリンリーブス」(元歌不明)をアカペラで歌いました。
大昔の秋ツアーのライブ放送。
ラジオからカセットに落とした音源。
伊東のコンサートが中止になった直後の、エーデルワイスで終わるやつ。
何回聴いたかわからない1977年のテープ音源と、2022年の秋ツアーと繋がって。
ひとり、興奮して盛り上がりました。
* * *
終演後、ダッシュで大宮駅へ。
最終の新幹線に間に合い、金沢へ。
8月中旬からずっと金沢生活でしたが、この週は、連れ合いの誕生日週のため、東京で過ごしていました。
しばらく、11月中旬まで、また、金沢生活です。
コンサートのあと、金沢の秋の景色がとても美しく輝いて見えたのでした。
金沢生活で、江差(10/16)、秋田(11/5)のチケットは、ファン友に、お嫁にもらっていただけました。
次は、待望の九州大分県遠征!
大野川と杵築です。
* * *
<おまけ:群衆について>
松戸 森のホールでのコンサートから1週間後、2022年10月29日、ハロウィーン目前の夜。韓国で、とても悲しい事故(事件?)がありました。
新型コロナの警戒心が緩んでいるなか、ハロウィーンを楽しもうと集まった繁華街で、群衆事故が起こり、150人以上の人が亡くなられ、200人以上の人が負傷されました。
私の年代は、コンサートの制約が緩くてカオスだった時代を知る、ギリギリの世代ではないかと思います。
アンコールでは前方にかけていく、椅子の上に立つ、壁によじ登ぼる、舞台に向かってモノを投げる、ヤジとばす・・・等々、「自由だった」と、若干の懐かしさと楽しさで、その時代を思い出すことも多いです。
また、私は、野外コンサートで、入り口ゲートから客席まで、長く歩かされることにストレスを感じていました。「あんな近くに舞台のやぐらが見えるのに、なんでこんなに歩かされる?」と思っていました。
会場からの退場の時もそうでした。前方に陣取りことが多いので、退場は大体最後のほう。でも、それはそれで、ゴミ拾いをしたり、できましたが。
しかし、韓国の悲惨な事故をみて、考えを改めました。
群衆・・・というと、第2話で書いた、「不特定多数が集まるイベントでの群衆(モブ)からの世界的なパンデミック・シミュレーション」も思い出されました。
そう、私は群衆のひとりなのであり、それを自覚しなくてはいけない。
常に、群衆は「制御」されなければならないのです。
制御されないと何が起こるか。他人ごとではありませんでした。
こういう事故が起こると、何かと「自己責任」という人もいますが・・・群衆が集まる場所に行かなければ、確かに何も起こらず安全なのかもしれません。
不穏なご時世、テロや通り魔などもあり、また、新幹線のような乗り物、渋谷や新宿といった世界で有名な繁華街が標的になるかもしれません。
外国では郊外のショッピングモールだって、標的になっています。
でも、だれもどこにも行かないならば、そこには、文化も共感も連帯も、何も育たない。
被害に遭った皆さんとご家族には、心からのお悔やみを。
当事者やご家族を交えた第三者委員会で、原因の究明を。
そして、防げるはずの事故であったなら、責任者の厳罰を。
当事者や家族の皆さんへの謝罪と補償を。
望みます。
南こうせつコンサートツアー2022~夜明けの風~
10月、国内の重傷者数は3桁、死者数は2桁と横ばい状態です。
インフルエンザとの同時流行や新しい変異型というニュースがありました。
しかし、日々のトップニュースは、街が賑わってきたこと、旅割(全国旅行支援)の再開、外国人渡航の規制緩和でした。
ピークアウトした安心感と自由な雰囲気が、日々、高まってゆくようでした。
* * *
松戸森のホール21は、これまで何度も、ツアーコンサートが催されてきた馴染みの会場です。
ずっと前、ちょうど順平さんの誕生日とツアーコンサートが重なって。楽屋口で、順平さんと入り待ち数十人で集合写真を撮ったことがありました。
例年、早く出かけて、会場のレストラン「アゼリア」で食事をしながら開場を待ちました。
でも、2020年3月31日をもって、レストランは閉店していました。
ここでの食事を、いつも楽しみにしていたので、とても残念でした。
なので、松戸の駅近くのイマドキの小洒落たカフェで友人と待ち合わせ、長々とおしゃべりを楽しみました。
* * *
会場は、最前列、2階、3階席は空席でした。
「コンサートツアー」で、始まりました。ちょっと予想外のオープニング曲に、期待が高まりました。
こうせつは、コロナ禍の直前、2020年1月17日(金)に、松戸・森のホールで、普通にコンサートが行われたこと。そして、その直後、2月にはクルーズ船の感染拡大から、次々とコンサートが延期や中止になったことを話しました。
そんなこともあって、前回から2年経ったこの日、2022年、松戸でコンサートができたことを、とても嬉しいと話していました。
そうでした。2年前、長い「闇」の始まりでした。♪最後に光を見たのはいつだったっけ?♪・・・こうせつにとって最後に見た光が、松戸だったのかもしれません。
オープニングの選曲から、なんだか、スペシャルなコンサートな予感がしました。
* * *
振り返ると・・・
2020年1月17日(金)に、松戸・森のホールのコンサートは、私は仕事のために行くことはできませんでした。
2月8日(土)、私たちの聖地、掛川では、何の感染対策もなく、みんなでHappy birthday 歌いましたっけ。(私の最後に見た光は、この掛川でした)
2月15日(土)の交響楽団のコラボは、私は金沢にいて行けませんでしたが、普通の開催のようでした。
2月21日(金)、公式ホムペにコンサート参加の注意喚起がはじめてあって。
2月22日(土)の加須(埼玉)のコンサート。マスクなどの感染対策をしての、始めてのコンサートが、加須だったんだと。私はチケットありましたが、社内メールの行動自粛要請(という名の禁止)に、職場の感染対策で多忙を極めていたため、行けませんでした。
2月25日(土)には、3月1日(日)の新宿のコンサートの中止の発表があり、それを皮切りに、次々と、全てが延期か中止になりました。
* * *
秋セトリの「葡萄の季節」
「時は流れて風が吹く」、以前のグリパラで聴いた、明るく軽やかなカントリー調のアレンジでした。♪あの日に燃えた希望と夢をもう一度こころに灯してみよう♪
そして、休憩前の一部で「赤ちょうちん」「妹」「夢一夜」の3曲を歌ってしまいました。
オープニングの選曲もあって、後半、特にアンコール①に期待が膨らみました。
休憩のあとは、ひとり弾き語りで、日本のフォークのさわりを何曲か。そして「ポカポカ日曜日」、久しぶりです・
「うちのお父さん」。オチもわかっているのに、何度聞いても笑ってしまう。定番のMCもありました。そして「神田川」も。
過度の期待は身体に悪い・・・といいつつ、私の中では、もう止められないほどに期待が膨らんだアンコール①。
「愛する人へ」でした。
こうせつは、「街は病気だね」を「時代は病気だね」と歌いました。
時代を憂いながら、何もできないから愛の歌を歌っていく。
私も時代を憂いながら、何もできないことが苦しくて、嫌なニュースがテレビに映るとチャンネルを変える日々で。
でも、自分ができることを普段の生活で普通にしていれば、それで良いんだよ・・・と、こうせつに言われ許された気がして。少し救われました。
今のにぎわい、街は病気なんだろうか?希望と夢なんだろうか?病気なのは、やっぱり時代なんだ。
そして、一部の「時は流れて風が吹く」の、明るく軽ろやかに歌った“希望と夢”。
それが、今をひたすら生きるだけの日々の向こうに見える何かに・・・繋がったように思えました。
「愛する人へ」の最後、順平さんの長いバイオリンソロが胸熱でした。
「順平さんのオリジナルソロ?ウクライナ関係?」現場では、私にはなんの曲か、わかりませんでした。
あとで、ファン友から「We shall over come」という曲だと教えてもらいました。
この曲は、「勝利を我らに」という和題で、黒人差別に対してのアメリカのプロテストソング。
フォークの父のピート・シガーが広めた曲だそうです。
最後、アンコール②、鳴り止まない拍手・手拍子に。
コンサートの途中でも歌った「フォーリンリーブス」(元歌不明)をアカペラで歌いました。
大昔の秋ツアーのライブ放送。
ラジオからカセットに落とした音源。
伊東のコンサートが中止になった直後の、エーデルワイスで終わるやつ。
何回聴いたかわからない1977年のテープ音源と、2022年の秋ツアーと繋がって。
ひとり、興奮して盛り上がりました。
* * *
終演後、ダッシュで大宮駅へ。
最終の新幹線に間に合い、金沢へ。
8月中旬からずっと金沢生活でしたが、この週は、連れ合いの誕生日週のため、東京で過ごしていました。
しばらく、11月中旬まで、また、金沢生活です。
コンサートのあと、金沢の秋の景色がとても美しく輝いて見えたのでした。
金沢生活で、江差(10/16)、秋田(11/5)のチケットは、ファン友に、お嫁にもらっていただけました。
次は、待望の九州大分県遠征!
大野川と杵築です。
* * *
<おまけ:群衆について>
松戸 森のホールでのコンサートから1週間後、2022年10月29日、ハロウィーン目前の夜。韓国で、とても悲しい事故(事件?)がありました。
新型コロナの警戒心が緩んでいるなか、ハロウィーンを楽しもうと集まった繁華街で、群衆事故が起こり、150人以上の人が亡くなられ、200人以上の人が負傷されました。
私の年代は、コンサートの制約が緩くてカオスだった時代を知る、ギリギリの世代ではないかと思います。
アンコールでは前方にかけていく、椅子の上に立つ、壁によじ登ぼる、舞台に向かってモノを投げる、ヤジとばす・・・等々、「自由だった」と、若干の懐かしさと楽しさで、その時代を思い出すことも多いです。
また、私は、野外コンサートで、入り口ゲートから客席まで、長く歩かされることにストレスを感じていました。「あんな近くに舞台のやぐらが見えるのに、なんでこんなに歩かされる?」と思っていました。
会場からの退場の時もそうでした。前方に陣取りことが多いので、退場は大体最後のほう。でも、それはそれで、ゴミ拾いをしたり、できましたが。
しかし、韓国の悲惨な事故をみて、考えを改めました。
群衆・・・というと、第2話で書いた、「不特定多数が集まるイベントでの群衆(モブ)からの世界的なパンデミック・シミュレーション」も思い出されました。
そう、私は群衆のひとりなのであり、それを自覚しなくてはいけない。
常に、群衆は「制御」されなければならないのです。
制御されないと何が起こるか。他人ごとではありませんでした。
こういう事故が起こると、何かと「自己責任」という人もいますが・・・群衆が集まる場所に行かなければ、確かに何も起こらず安全なのかもしれません。
不穏なご時世、テロや通り魔などもあり、また、新幹線のような乗り物、渋谷や新宿といった世界で有名な繁華街が標的になるかもしれません。
外国では郊外のショッピングモールだって、標的になっています。
でも、だれもどこにも行かないならば、そこには、文化も共感も連帯も、何も育たない。
被害に遭った皆さんとご家族には、心からのお悔やみを。
当事者やご家族を交えた第三者委員会で、原因の究明を。
そして、防げるはずの事故であったなら、責任者の厳罰を。
当事者や家族の皆さんへの謝罪と補償を。
望みます。