第52話 2022.11.12大野川河川公園~大野川合戦まつり

文字数 4,485文字

第52話 2022年11月12日(土)大野川河川公園
大野川合戦まつり & 聖地巡礼

<行くぞ!大分!聖地巡礼!>

2022年夏ごろ、この秋11月に、大分で、こうせつのミニライブがあるらしい・・・との情報がありました。

ネットで検索してみると、こうせつの実家の勝光寺から徒歩20分ほどの河川敷でのイベントでした。

でも、11月には新潟県長岡での米フェス、12月には年末の東京に大阪が決定し、名古屋もあるかもしれません。

遠征が目白押しです。

すでに今年は、長崎、広島、岩国の3泊4日の遠征をしました。

財布と預金通帳と、相談しなければなりません。

大分のイベント目的に遠征?ミニライブ?ん~でも、勝光寺・・・久しぶりに行きたいけど、どうする?

* * *

こんなふうに悩んでいたこの夏の頃は、オミクロン株の7波のピークだと思われました。

一日の新規感染者数は6波の倍以上でした。

しかし、死者数は6波と同じくらいでした。

ワクチンの効果か?ウイルスの弱毒化か?何となく社会全体の警戒心が、薄らいでいるように感じました。

すでに諸外国は、制限をどんどん緩和していました。

そんなこともあって、秋には日本もピークアウトして、GOTOキャンペーンが再開するかもしれない・・・そんな気もしました。

* * *

私は11月までは無職で、比較的、自由に動くことができます。

11月の終わりから翌年3月までは、病院バイトが決まっていました。

病院バイトの時期は、行動を自粛せざるを得ません。

動けるうちに動いておきたい気持ちもしました。

* * *

迷っているところに、九州の仲間が、年末の東京と大阪は行かず11月の大分に行くと言い出しました。

「発表はまだだけど、大野川のイベントの翌日に、杵築でコンサートがある。そこに有給休暇を使う」と。

決心しました。散財覚悟。

大野川合戦まつりと杵築のコンサートの2Days、二泊三日、しかも、こうせつの地元・・・聖地巡礼です。

* * *

コロナ禍以来、会っていない九州の仲間たちも、参加することになりました。

宿泊はホテルで個室?・・・いやいや、修学旅行部屋がいい!!ということで、別府の温泉付き貸別荘を確保していただきました。

* * *

11月12日(土)は、実は、伊勢正三さんの誕生日です。

この日は、葛飾でバースディライブの予定で、チケットを購入していました。

チケジャムで、チケットのお嫁入り先がみつかったときは、ちょっと安心しました。

でも、正やんごめんなさい。

<令和4年11月の感染状況>

予想通り、10月には7波はピークアウトしました。

11月に入り、少しずつ新規感染者数は増えているようでした。

それでも、県民割りや旅行支援などが始まっていました。

今回の旅は、割引対象外でしたが、本当に待ちに待った九州遠征でした。

<前夜、火災報知器が鳴り響く>

私は、夏は、金沢で生活していました。

金沢→大阪泊→伊丹空港→大分空港→大分駅で、大分入りする予定にしました。

大分入りする前日の大阪泊の夜、あまり経験のないことが起こりました。

推し活、遠征歴、旅歴が長く、ホテル宿泊回数も多い私ですが、初めての出来事でした。

真夜中に、火災報知器が鳴ったのです。

「この機器は正常に作動しています」と女性の声が、ものすごい大音量で部屋に鳴り響きました。

ビックリ仰天で飛び起きました。

すぐに「誤報」と室内に放送が流れましたが・・・

* * *

私は、持病で頭位性めまい症、PPPD(持続性知覚性姿勢誘発めまい症)といった、いわゆる慢性めまいがあって、飛び起きるという急激な姿勢の変化が悪かった。

その後、横になるとぐるぐるめまい、起きるとふわふわ乗り物酔いという、めまいが誘発されてしまいました。

翌朝も、あまり状態は変わりませんでした。

せっかくの大分入り、こんな状態で大分入り大丈夫か?飛行機に電車、車と、めまいもちには苦手な乗り物が続きます。

このまま、東京の自宅に帰った方がいいんじゃ?

・・・トラベルミンを飲んで、行くことにしました。やっぱり、行きたかった。

* * *

伊丹空港7時半のフライトで、早朝のチェックアウト時、フロントの方からお詫びの言葉がありました。

「火災報知器が正常に作動していることがわかって、安心しましたよ」などと、笑顔で強がってみました。

で、飛行機と高速バスに、しこたま酔ってしまいました。

<勝光寺参り> 

JR大分駅に到着したのは、朝10時頃でした。

大分の地元の仲間の車に同乗させていただきました。

その足で、勝光寺さんに行きました。

こうせつのお姉様、現在の住職様(こうせつのお兄さんの息子さん)にご挨拶できました。

その後、東京の仲間のお迎えに、再び大分駅から勝光寺さんへ。

その時間には、日本全国の仲間が次々と勝光寺さんに現れました。

みんなで、本堂や納骨堂にお参りして、談笑して、鐘楼を見て。お庭には大きな柚がたわわに実っていました。

* * *

夕刻、一緒に泊まる仲間たちと合流しました。

久しぶりの再開!!思わずハグではなく、ギューッと抱きしめ合いました。

そして、勝光寺さんに車を止めさせていただき、徒歩で大野川合戦祭りの現地に行きました。

* * *

到着すると、舞台の前を、鎧姿の武士が馬で疾走していました。あまりの迫力でちょっとビックリしました。

大野川を背に、河川敷に舞台が設置されていました。

その舞台前に、馬が疾走したり合戦の隊列が通ったりする広い通路、その通路の後ろが客席ゾーンでした。

土手にもお客さんが座っていて、土手の上には、地元のお土産やグルメのお店が、出店していました。

客席ゾーンには、たくさんの地元の観客の皆さんがお祭りを楽しんでいました。

河川敷の後ろの方に開いているスペースがあって、そこに座りました。

土手のお店で、焼きそばと串焼きを買って、軽く腹ごしらえ。

騎馬の疾走の後は、足軽姿の地元の中学生が、着陣式、出陣式で名乗りを上げ、地元感満載でした。

<大野川合戦祭り>

400年あまり前の戦後国時代、島津と大友が大野川で激突。

大友方に甚大な死者が出ました。

その後、ここ大野川の地元では、鎮魂の行事が行われていました。

大野川合戦祭りは、この大野川の合戦の鎮魂とともに、歴史を後世に伝えるというお祭りだそうです。

資金集めから運営まで、市民主導で行われています。

クラウドファンディングがあり、私も少しですが、寄付させていただきました。

<大野川合戦祭り 南こうせつミニコンサート>
 
コンサートや本で、こうせつの幼い頃のエピソードをたくさん聞きました。

その河川敷でこうせつの歌を聴けるという貴重な体験です。

夕日の17時頃に、こうせつのミニコンサートがありました。

ちょうど、舞台の後方に夕日が沈む時間で、風景はとても美しく、風も吹いて、野外コンサートは、やっぱり止められないと思いました。

バックミュージシャンは、いつものメンバー。徹ちゃん、順平さん、泰ちゃんの3人です。

違うところは、ピアノではなく電子ピアノ?シンセサイザー?なところです。

オープニングは『おかえりの歌』、里山の河川敷にぴったりの歌です・・・ちょうど夕刻で、こうせつ少年の姿が、そこにいるようでした。

そして、『青春の傷み』。

さすが地元、こうせつは、合併の前の地区の名前を説明して、会場の心をわしづかみでした。

『ひとりきり』・・・♪トンネル越えれば竹中だ♪のところで、会場から拍手が・・・やっぱり、来て良かった!!

『神田川』野外のバイオリンは、ホールとは違う響きでした。

『マキシーのために』、最後は『夜明けの風』でした。

アンコール「この歌を歌いたかった」と、滝廉太郎の『荒城の月』を歌い始めたときに・・・

突然の雨が・・

雨男のこうせつらしいと言えばそうだけれど・・・こうせつが雨を見上げて言った。

「合戦で亡くなった、たくさんの御霊が涙を流しているような」確かにそんな雨でした。

合戦にはたくさんの死者が出ました。

それに「お祭り」といわれると、ちょっと葛藤と違和感があったけれど。

「お祭り騒ぎ」では終わらない、しっかりと「鎮魂」を伝える、それに自然が共鳴したような・・・

滝廉太郎は大分県竹田町の出身、その魂が振らせたような雨・・・やっぱ、こうせつ、もってるなあ・・・って実感でした。

そして、最後は、ここで絶対に聴きたかった『うちのお父さん』でした。

勝光寺さんを訪問させていただいた後の『うちのお父さん』、勝光寺さんのお庭を思い出しました。

こうせつのミニコンサートが終わり、この後もお祭りは続きました。

私たちは、早めに河川敷から去ることにしました。

雨で濡れたこともあるけれど、この先は、地元の皆さんに場所を譲った方が良いのだろうと。

徒歩で、勝光寺さんへ。地元の仲間の車で、別府の温泉付き貸別府の温泉付き貸別荘、修学旅行部屋に向かいました。

<別府の温泉付き貸別荘 修学旅行部屋>

アスペクタ音楽祭。

その時に知り合った九州の仲間たち。

アスペクタの時と同じ、おでん、カレー、馬刺し、新米、地酒と堪能しました。

ものすごく、楽しかったです。

そして、私を含めての昭和37年組、一周まわりの還暦です。

祝還暦!!赤いTシャツを着て、みんなで盛り上がりました。

でも、翌日は杵築のコンサート、めまいの症状が残っているので、少し早く寝させてもらいました。

<大野川と言えば・・・>

・「ひとりきり」、鳥が鳴いて、川が流れて、野山や今花が咲き乱れ・・・の川が大野川

・「幼い日に」の夏休み、大野川沿いの国道をバスに乗って、親戚のおばさんの家に

・暗くなるまで河川敷で遊んで、夕方になると煙突から薪の煙が出て、子どもたちがひとり一人、家に帰っていく

・野外コンサートで、汗だくになってパンツがずり落ちる・・・からの、小さい頃に川で泳いで、その頃、海水パンツはなくて、普通のパンツで泳いでいたら、パンツが下がってきたのを思い出す・・・

・正やんのMC・・高校生のころ、こうせつが鶏の羽をむしって疑似餌を作って、大野川で川釣りをしていた。自分は海沿い育ち。今は、自分が川釣りで、こうせつは海釣りをしている

・泣き声を真似た口笛で、本物のメジロをおびき寄せ、鳥もちで捕まえて、鳴き合わせをした。

そして・・・「春に想えば」

・・・峠越えれば風は優しく、友と遊んだ故郷の川、おぼろ月夜に歌を歌えば、兵どもの、夢の跡・・・(中略)・・・いつか安らかに、ここで死にたい(眠りたい)

そんなふうに歌った場所です。

これまでは、“兵どもの夢の跡”の歌詞を、抽象的な意味として理解していました。

でも、この旅で、大野川は、実際にたくさんの兵が亡くなった場所であることを知りました。

『春に想えば』は、春のライブでよく聞くことができます。

これから、この歌を聴くたびに、この大野川、そして竹中の風景を思い出すと思います。

<コンサートが終わって>

年が明けた1月中旬、クラウドファンディングの返礼品が届きました。

牛蒡飯の素(牛・鶏の各1個)、記念切手、クリアファイル(ちっちゃくこうせつの写真入り)

イベントは終わったけれど、二度楽しい。
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