第64話
文字数 2,042文字
いつもの日曜の病棟とは違って、今日は心なしか落ち着かない雰囲気です。
日勤者はいつもに増してテキパキと仕事をこなし、夜勤者に引き継ぎを行う夕方4時過ぎには、もうすっかりやるべき仕事を終えているようです。
今頃、駅前のホテルでは東主任と古和 先生の結婚式が終わり、披露宴が行われている頃でしょうか。
夜には病院関係者を集めた二次会が開始されるとあって、日勤出勤で出席予定のスタッフは気もそぞろといったところです。
「桜川 さん、ちょっと早いんだけど送りいいかな?」
病棟全体がフワフワした雰囲気の中、今晩の夜勤者、日向 さん、裕子 さん、三久路 君の三人だけは、いつもに増して引き締まった顔立ちです。
夜勤リーダーの裕子さんが大きな返事をして慌ててカウンターに駆け寄ります。
今日の日勤リーダー衣良 さんから夜勤リーダーの裕子さんに、病棟の引き継ぎが行われている間、日向さんと三久路君は夜勤の仕事の準備をテキパキとこなしていきます。
「今日は日勤の人たちに定時ピッタリに帰ってもらえるようにしなきゃね」
日向さんが三久路君に向かって声をかけました。
「了解です!
二次会6時半からですよね?」
残念ながら公正なくじ引きにより本日の夜勤勤務者となってしまった日向さん、裕子さん、三久路君の姉弟コンビですが、東主任と古和先生をお祝いする気持ちだけは病棟スタッフと同じです。
「寛人 くんーー」
引き継ぎをしていた裕子さんの声で出勤していたスタッフがナースステーションの入り口を見ました。
皆が手を止めて寛人くん、一緒に来ていた妹の敦子さん、二人の周りに集まります。
「皆さん、姉が入院中は本当にお世話になりましたーー」
敦子さんはそう言うと寛人くんと頭を下げました。
「良かったらこれーー、スタッフの皆さんでーー」と言いながらオシャレなデザインの紙袋を差し出しています。
「あらーー、お気遣いなくーー。
今日はあいにく中尾師長も東主任もお休みを頂いーー、あらっ、これ行列必至のアンフォラのチーズタルトじゃないですかーー」
衣良さんが嬉しそうに紙袋を受け取りながら敦子さんと話していると、寛人くんが日向さん近づいて声をかけました。
「あのーー富永さん、少しいいですか?」
真弓さんが亡くなってから三週間ほど経ちました。
敦子さんが寛人くんを引き取って、一緒に生活を始めたようです。
寛人くんは少しやつれたようにも見えますが、きちんとした服装で丁寧な話し方などは以前と変わりません。
ナースステーションから少し離れた談話室の椅子に二人で座ると、寛人くんは静かに話し出しました。
「お母さんーー、僕のせいで最期辛い思いしたんじゃないかーーって。
僕、自分の希望ばかり優先してたんじゃないかって思えてきたんです。
どうしてお母さんのこともっと考えてあげられなかったんだろうって。
お母さん、住み慣れた家で静かに死にたいって言ってたのにーー。
僕、すごくひどいことしたんじゃないかってずっと考えててーー。
お母さん、担当が富永 さんになってから、いつも何か相談したいこととか、気になることがあれば富永さんに相談しろって。
あの人は他人のことを自分のこととして考えられる人だからって言っててーー」
「ーーそうーー。
真弓さん、そんな風に言ってくれてたんだーー。
ーーこんなこと、寛人くんに言っていいかわからないけどーー。
真弓さんって厳しい人だったんだーー。
新人の頃、よく注意されたんだよ。
ちゃんと人の目を見て話しなさい、とか、入院時の説明でも、あなたにとっては何十回、何百回目かの説明でも、患者さんにとっては初めて聞く説明かもしれないのに、そんな早口でまくしたてられて理解できると思う? とかね。
他にも色々真弓さんに教えられたこといっぱいあるんだ。
自分にも他人にも厳しい人だったよね?
そんな真弓さんが、寛人くんの話しをする時だけは無条件に優しい顔されてた。
寛人くんのこと心から愛して大切に想っていることが誰にでもすぐにわかった。
私たちは患者さんのことを第一に考えて治療、看護しているけど、真弓さんが一番に考えていたのはいつも寛人くんのことだったんだよ。
寛人くんが納得できる形で最期を迎えたいって、それだけは何度面談を重ねても気持ちは変わらなかったの。
私も正直言うと、真弓さんにとってどんな形の最期がベストだったのかわからない。
ーーきっと誰にもわからないんだと思う。
ごめんね、こんな話してーー」
黙ってじっと話を聞いていた寛人くんは大きく首を振るとこぼれ落ちそうな涙を必死でこらえています。
『お兄ちゃんーー、泣かないでーー。
おばちゃんには菜那がついてるから大丈夫だよーー』
いつの間にか近くに来ていた悠花ちゃんは、寛人くんのそばに行くと、いつも菜那ちゃんにしていたように頭を優しく撫でました。
「寛人ーー、そろそろ帰るわよーー。
皆さん、お忙しいのにあまりお邪魔したらダメよーー」
ナースステーションを出たところから敦子さんが寛人くんを呼ぶ声が聞こえました。
日勤者はいつもに増してテキパキと仕事をこなし、夜勤者に引き継ぎを行う夕方4時過ぎには、もうすっかりやるべき仕事を終えているようです。
今頃、駅前のホテルでは東主任と
夜には病院関係者を集めた二次会が開始されるとあって、日勤出勤で出席予定のスタッフは気もそぞろといったところです。
「
病棟全体がフワフワした雰囲気の中、今晩の夜勤者、
夜勤リーダーの裕子さんが大きな返事をして慌ててカウンターに駆け寄ります。
今日の日勤リーダー
「今日は日勤の人たちに定時ピッタリに帰ってもらえるようにしなきゃね」
日向さんが三久路君に向かって声をかけました。
「了解です!
二次会6時半からですよね?」
残念ながら公正なくじ引きにより本日の夜勤勤務者となってしまった日向さん、裕子さん、三久路君の姉弟コンビですが、東主任と古和先生をお祝いする気持ちだけは病棟スタッフと同じです。
「
引き継ぎをしていた裕子さんの声で出勤していたスタッフがナースステーションの入り口を見ました。
皆が手を止めて寛人くん、一緒に来ていた妹の敦子さん、二人の周りに集まります。
「皆さん、姉が入院中は本当にお世話になりましたーー」
敦子さんはそう言うと寛人くんと頭を下げました。
「良かったらこれーー、スタッフの皆さんでーー」と言いながらオシャレなデザインの紙袋を差し出しています。
「あらーー、お気遣いなくーー。
今日はあいにく中尾師長も東主任もお休みを頂いーー、あらっ、これ行列必至のアンフォラのチーズタルトじゃないですかーー」
衣良さんが嬉しそうに紙袋を受け取りながら敦子さんと話していると、寛人くんが日向さん近づいて声をかけました。
「あのーー富永さん、少しいいですか?」
真弓さんが亡くなってから三週間ほど経ちました。
敦子さんが寛人くんを引き取って、一緒に生活を始めたようです。
寛人くんは少しやつれたようにも見えますが、きちんとした服装で丁寧な話し方などは以前と変わりません。
ナースステーションから少し離れた談話室の椅子に二人で座ると、寛人くんは静かに話し出しました。
「お母さんーー、僕のせいで最期辛い思いしたんじゃないかーーって。
僕、自分の希望ばかり優先してたんじゃないかって思えてきたんです。
どうしてお母さんのこともっと考えてあげられなかったんだろうって。
お母さん、住み慣れた家で静かに死にたいって言ってたのにーー。
僕、すごくひどいことしたんじゃないかってずっと考えててーー。
お母さん、担当が
あの人は他人のことを自分のこととして考えられる人だからって言っててーー」
「ーーそうーー。
真弓さん、そんな風に言ってくれてたんだーー。
ーーこんなこと、寛人くんに言っていいかわからないけどーー。
真弓さんって厳しい人だったんだーー。
新人の頃、よく注意されたんだよ。
ちゃんと人の目を見て話しなさい、とか、入院時の説明でも、あなたにとっては何十回、何百回目かの説明でも、患者さんにとっては初めて聞く説明かもしれないのに、そんな早口でまくしたてられて理解できると思う? とかね。
他にも色々真弓さんに教えられたこといっぱいあるんだ。
自分にも他人にも厳しい人だったよね?
そんな真弓さんが、寛人くんの話しをする時だけは無条件に優しい顔されてた。
寛人くんのこと心から愛して大切に想っていることが誰にでもすぐにわかった。
私たちは患者さんのことを第一に考えて治療、看護しているけど、真弓さんが一番に考えていたのはいつも寛人くんのことだったんだよ。
寛人くんが納得できる形で最期を迎えたいって、それだけは何度面談を重ねても気持ちは変わらなかったの。
私も正直言うと、真弓さんにとってどんな形の最期がベストだったのかわからない。
ーーきっと誰にもわからないんだと思う。
ごめんね、こんな話してーー」
黙ってじっと話を聞いていた寛人くんは大きく首を振るとこぼれ落ちそうな涙を必死でこらえています。
『お兄ちゃんーー、泣かないでーー。
おばちゃんには菜那がついてるから大丈夫だよーー』
いつの間にか近くに来ていた悠花ちゃんは、寛人くんのそばに行くと、いつも菜那ちゃんにしていたように頭を優しく撫でました。
「寛人ーー、そろそろ帰るわよーー。
皆さん、お忙しいのにあまりお邪魔したらダメよーー」
ナースステーションを出たところから敦子さんが寛人くんを呼ぶ声が聞こえました。