第2話

文字数 2,850文字

 
 日向(ひな)さんは廊下ですれ違う入院患者さんには明るく元気な声で、私のお仲間には小さな声で挨拶を交わしながら足早に歩きます。
 
 
 コンコン。
「失礼します。本日担当の富永です。よろしくお願いします」
 
 ここ615号室は4人部屋です。

「あらっ、今日は日向ちゃんが担当なの?」

「わーー、日向ちゃんだ! 嬉しい!」
 
 手前の左右のカーテンから出てきたのは、ここ615号室に入院している町田美佐子さんと高山綾さんです。
 お二人とも辛い治療を続けながらも明るくお喋り好きです。

「町田さん、高山さん、おはようございます。お熱測っておいてもらっていいですか?今からお一人づつ血圧測りますね」
 
 はい、と返事をした町田さんはお隣のカーテンを開けると、びっくりするほど大きな声を出しました。

「山下さん! 看護師さんが来ましたよ! お熱測ってくださいって!」

「は? 誰が来たって? 康弘か? 
もう学校から帰ってきたん? 
ご飯の用意がまだ出来てへんのにーー」

「あーー、違う違う、菊栄さん、ここ病院。看護師さんが、お熱測りにきてるの!」
 
 町田さんが何度も大きな声で説明していますが、菊栄さんはご飯の準備のことで頭がいっぱいの様子です。
 
 
 菊栄さんは肺炎治療のために、入所している施設から入院してきています。
 85歳と高齢で、認知症もあるため自分が病気だということをすぐに忘れてしまいます。
 点滴の針を抜いたり、病室からいなくなったりと、日向さんやスタッフを困らせることが何度もありました。
 普段の性格はおおらかですが曲がったことが大嫌いです。
 誰に対しても物怖じせず言いたいことをいう姿は、日向さん達スタッフからも一目置かれています。

「町田さん、ありがとうございます、私代わります」
 
 そういうと日向さんは、菊栄さんと正面に向かい合うようにひざまづくと、低めの少し大きな声で、ゆっくりとハキハキ話し出しました。

「菊栄さん、横になってください。お熱と血圧測ります」 
 
 すると、じっと日向さんの口元を見ながら言葉を聞いていた菊栄さんは、ようやく落ち着いた様子で

「そうなん、何やわからんけど、横になったらええんやな」と言うとベッドに横になりました。

「すごい、さすが日向ちゃん!」

「ちょっとしたコツがあるんですよ」
 
 日向さんはゆっくりした動作で血圧を測ったり、脈をとったりしながら菊栄さんの様子を観察します。
 
 測定が終わると、菊栄さんはすぐに起き上がりベッド脇の歩行器を掴みました。

「菊栄さん、どこに行くんですか?」

「康弘が帰ってくる前に買い物行かんと。
晩ご飯作っとかなあかん。
腹空かせて帰ってくるし」
 
 菊栄さんの様子を見ていた町田さんが声をかけます。

「菊栄さん、まだ朝ですよ。康弘さん帰ってくるまで、まだまだ時間ありますからそれまでちょっとブラブラしませか?」     

「あ、良いなあ、私も行くーー。
ついでに談話室でお茶しながら大きな画面でテレビ見よう。ね、菊栄さん」

「そうかあ、まだ朝か。そしたらそうしようかなあ」
 
 そう言うと三人は連れ立って楽しそうにぺちゃくちゃと話しながら病室を出ていきました。
 歳は離れていますが、その姿はまるで仲良しの友達のようです。


 病室を出る時、町田さんが振り向いて、この騒動の中閉まったままの窓際のカーテンを指差して、日向さんに向かって手を合わせました。
 日向さんは頷くと閉まったカーテンを開けました。


「立川さん、体調いかがですか?」

「ーー特に変わりないです」

 ベッドに座って日向さんを見た恵さんは表情なく答えました。
 入院してきた頃の恵さんは会う人を笑顔にするようなオーラの持ち主でした。
 先程のような会話のやり取りにはいつも間に入り、菊栄さんのことを気にかけてくれていました。
 
 以前、菊栄さんが病室からいなくなった時は真っ先に病棟中を探し回ってくれました。
 他人の病室のトイレで用を足していた菊栄さんをいち早く見つけてくれた恵さんが、菊栄さんと実の母娘のように手を繋いで病室に戻ってきた時の笑顔はとても素敵でした。
 日向さんやスタッフが手が回らない時も何度助けてくれたかわかりません。
 そんな恵さんの顔からここ数日笑顔が消えてしまっているのを心配しているのは日向さんだけではないようです。


「そうですか、今日は来週の手術に向けて検査がニつ入ってますので、また時間きたら呼びにきますね」
 
 そう言いながら日向さんはテキパキと恵さんの血圧や体温を測っていきます。
 日向さんが脈を診るために恵さんの手首に触れようとした時、丸い石を連ねたとても綺麗な物に目が留まりました。
 数珠(じゅず)のような物ですが、紫や淡い青、ピンクなどの綺麗な丸い石が連なっています。

「前から思ってたんですが、素敵なブレスレットですね」

「ええ。とっても大事な物なんです。とってもーー」
 
 そう言いながら恵さんはブレスレットを大事そうに触りました。

「何か不安に思っていることがあれば言って下さいね。手術のことや、これからの治療のことなんかも。先生や専門スタッフに、立川さんが納得するまで、何度でも説明してもらうことも出来るんですよ」
 
 手術の不安から天然石のブレスレットを身に付けているんだろうと思った日向さんは、恵さんが少しでも安心して手術が受けられるようサポートしなくてはと考えているようです。
 恵さんのように手術日が近づいてくると不安から口数が減ったりナーバスになる患者さんは実際多いのです。

「ありがとう」恵さんは少し考えて
「でも大丈夫です」そう言うと、少し寂しそうに笑いました。

「天然石ってそれぞれに効能があって持ってるだけで願いが叶ったり、エネルギーが宿(やど)るみたいな話聞いたことあります」

「そうね」

「立川さんのブレスレットの石はどんなパワーがあるんですか?」

「友情」

「えっ?」

「親友との絆を深める力」
 
 そう言うと、恵さんは寂しそうに少し笑いました。




「ただ今より、院長による回診を行います。患者様は病室にお戻りください。
付き添いのご家族、お見舞いの方は、談話室にてお待ちくださいーー」
 
 病棟に中尾師長の声で放送が流れました。
 今からこの病院の院長、城山先生の回診です。
 ドラマなどで若い医師を引き連れて廊下を歩く、院長回診のシーンを見たことがある方もいると思いますが、ここ城山病院6階の院長回診は、城山院長と中尾師長の二人だけで行います。
 廊下の向こうから、城山院長と中尾師長が、一部屋づつ回診しながらこちらに近づいてきます。
 城山院長は文字通り、ここ城山病院の院長先生です。ほとんど白くなった髪はこの年代にしては量が多く、若々しさを感じますが、お腹周りだけピンと張った白衣や歩き方からダイエットの必要性が感がじられますよ、院長先生。
 
 患者さんや看護師、スタッフ、誰にでも気軽に話しかけ、世間話をするような気さくな方です。困ってる人がいれば素通り出来ない、昔からそういう人でした。あの頃から彼は少しも変わっていません。
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