第3話

文字数 2,470文字

 
 菊栄さんたちが戻ってこないので、様子を見に行くと、笑いながら談話室のテレビを見ています。
 
 次の病室に行くために談話室の前を通った城山院長と中尾師長を、町田さんが見つけました。

「あーー、院長先生、もうこっちまで来たの? 
まだもう少し時間かかると思ってたのに。すぐ病室戻るね」

「あーー、慌てなくていいよ」

 そう言いながら城山院長はテレビの真前のテーブルに陣取っていた町田さん、高山さん、菊栄さんの三人に近づいてきて同じテーブルに座りました。
 中尾師長もつられて座ります。
 大きな大学病院だとこうはいきませんが、城山病院はいつもこんな感じです。

「何見てるの?」城山院長が三人に聞きました。

「通販番組。菊栄さん、通販番組始まると真剣に見て商品の評価始めるの。昔、家で雑貨屋さんしてたんだって」
 
 テレビでは、野菜を細くしたり薄く切ったり出来る便利な道具を、赤いエプロンをした男性が早口で紹介しています。

「ーー大根だって人参だって、玉ねぎ、キュウリ、どんな野菜もこのスライサーを使えばあっという間に薄切りサラダの出来上がりーー」

「うちの店に、この野菜切る道具置いたらぎょうさん売れるやろなーー」

 画面を食い入るように見ていた菊栄さんは真剣な表情で言いました。

「そうだね、菊栄さんちの雑貨屋さんは何を売ってたの?」

「何でも売ってるよ、お鍋に包丁やらの台所道具から竹箒(たけぼうき)にちり取り、タワシなんかの掃除道具、特に包丁は堺の職人さんから特別に仕入れた商品で切れ味は抜群や。
うちの商品の中では結構値は張る類やけど、今やったら砥石(といし)をおまけしたるでーー」
 
 菊栄さんは生き生きと、以前商売していた雑貨屋の話を始めました。
 そのトーク力はテレビの通販番組のセールスマン顔負けです。

「そうなんだね。僕も菊栄さんのお店で買い物したいけど、でも、菊栄さん、まずは菊栄さんの病気をきちんと治さないとダメだよ。今日も午後から点滴するからね」

「先生、私どっこもしんどくないねんよ。
なんでこんなとこおるのか、不思議なん。
皆さん優しくしてくれるし、居心地もいいからゆっくりさせてもうてるけど、早く家に帰りたいし、店のことも気になるしな。
お父さん膝わるいよって、私が手伝いせんとーー」

「そうだね、早くここから出られるようにしないとね」
 
 城山院長はそう言うと、ちょっとごめんね、胸の音聞かせてねと言いながら菊栄さんの胸に聴診器を当てました。

「うん、だいぶ良くなってきてるよ、菊栄さん。あと少しで退院出来るからね」

「そうか、そりゃ良かった、いつまでもこんなとこで寝てたらボケるわーー」

 菊栄さんはそう言うと豪快にアハハハーーと笑いました。つられてその場にいた全員がアハハハーーと楽しそうに笑いました。
 
 菊栄さんは周りの人を時々困らせることもありますが、それ以上に私たちを幸せな気持ちにしてくれます。

「城山院長、お昼の配膳までに回診回らなきゃいけないので、そろそろ次に行きましょうか」

「ああ、そうだね」
 
 そう言うと城山院長は立ち上がって中尾師長と歩き出しましたが、ふと立ち止まると、振り返って私の方を見ました。いえ、私を見ました。しばらく目が合いました。そしてにっこりと笑いました。
 いや、きっと気のせいでしょう。政光(まさみつ)さん、いえ城山院長に私の姿が見えているはずはないと思います。
 でも、なぜか私には政光さんが私のことを感じているのではないかという気がしています。

「院長先生?」

 中尾師長が不思議そうに声をかけると、いや、何でもないよ、と言いながら二人は次の病室に向かいました。




「えーっと、河合さんは622だっけ?」

「はい! そうです!」
 
 ガラガラと、カートを押して廊下を歩いてくるのは、ノミ先生こと能見(のうみ)先生と、日向(ひな)さん、それに三久路(みくろ)君です。三人は、回診に向かう城山院長、中尾師長とすれ違いました。  
 お疲れ様です、と声をかけ会釈します。

「おっ、ミクロなアリ君じゃないか、どうだ、少しは慣れてきたかい?」

「院長、からかっちゃダメですよ」
 
 すかさず中尾師長が院長をたしなめます。

「いえ、大丈夫です。まだ何も出来ない自分は本当にミクロな存在ですのでーー」
 
 そう言いながら三久路君はユニフォームのポケットからハンカチを出して顔を拭きます。
 三久路君の下の名前は阿理人(ありと)といいます。

「アハハハーー、アリ君は真面目だな。今からノミ先生と一緒に患者さんのところかい?」

「はい! 能見先生が患者さんにCV挿入するのを介助します!」

「ほーー、初めてかい?」

「はい!」

「CV介助はとても清潔操作が大事だよ。
手順はきちんと頭に入ってる?」

「は、はい!」
 
 三久路君は直立不動の姿勢を変えないまま何度も頭や顔の汗を拭います。
 このままでは患者さんのところに到着する前に、三久路君のハンカチが汗でぐっしょりになってしまうことでしょう。  

「院長先生、そろそろーー」

「うん、あーーそうだね。
それじゃあ、ミクロなアリ君、頑張ってね」

「はい! ありがとうございます!」
 
 城山院長と中尾師長が歩いていく後ろ姿を見送っていた能見先生がボソッと言いました。

「雅子さん、今日も美しい……」

「オホン! 能見先生行きましょうか! 河合さん待ってますよ」

「あっ、うん」

 ノミ先生こと能見先生は、30代半ばの内科医です。
 180センチ近い身長にまとったヨレヨレの白衣は痩せ気味のせいかダボっと体が泳いで見えす。
 彫りの深い大きな目の上の太くて濃い眉を手入れし、自由な方向に飛び跳ねた寝癖だらけの髪を少し整えるだけでとても男前、今でいうイケメンっていうんですか、になると私は見抜いています。
 おっとりした性格で、手先が器用な方ではなく、緊迫した場面になると慌てて実力が発揮できなくなる時もありますが、どこか憎めない雰囲気を(まと)っています。そのせいか自然といつも周りが助けてくれます。
 
 ベテラン看護師さんたちが名前をもじって名付けたノミの心臓先生というニックネームから日向さんたちもいつからかノミ先生と呼ぶようになりました。
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