第4話

文字数 2,371文字

日向(ひな)ありがとう。ミクロどうだった? 
ちゃんとノミ先生の介助出来てた?」

「あっ、ユッコ、それがさーー」
 
 日向さんが裕子さんを手招きして、廊下の隅に連れていきました。

「何? あいつ昨日ちゃんと予習してこいって言ったのに、全然出来てなかったんじゃないでしょうね!」

「そうじゃないの、事前に渡す物品の順序とかもきちんと予習してて、さっき私が質問した時も完璧に答えてた。
だけど、実際やるときになってノミ先生、1回目に失敗しちゃって」

「ウソーー! 
ノミ先生、1回失敗しちゃうと、もうどんどんテンパって、いつも入るもんも入らなくなるじゃん」

「そうなの! 
焦る空気感がミクロ君にも伝染して、そうでなくても彼、始める前から緊張してたのに、途中から鑷子(せっし)渡す手が震えるし、汗がもうどうにも止まらなくなって、清潔ゾーンにポタッて落ちちゃってーー」

「ひえーーーー」

「もう限界だと思って、そこから交代しちゃったーー」

「そっかーー」

「でもよくやったよ、三久路君!」

「そだね、私たちだって偉そうなこと言ってるけど、初めての時は手が震えたもんね」

「そうそう」

「日向も最初のCV介助についたの、確かノミ先生じゃなかった?」

「もうー、ユッコ思い出さなくていいから!」

「忘れるもんですか。
あの時もノミ先生何回も失敗して、おまけにドレープに血液いっぱいついたの見て、日向が気分悪くなっちゃって大変だったって後から東主任に聞いたもん」

「そう思うと三久路君、頑張ってるよ」

「うんうん、そうだよね」
 
 廊下の向こうから2人を見つけた三久路君が走らないように気をつけながらもとても素早い動きでやってきて言いました。

「富永さん、先程はすいませんでした!」

「いえいえ、手順はしっかり頭に入ってるようだったし、次はきっと大丈夫だよ」

「ありがとうございます!」

「うんうん、ミクロ、話は聞いたぞ。最初は皆そんなもんだ」

「はい、次は頑張ります!」

「今はこうして少し先輩づらしてる日向だって実はーー」

「もーーユッコ言わなくていいからーー!」


「楽しそうだね」

「あっ、白河さん、お疲れ様です」
 
 日向さんに続いて二人もお疲れ様です、と挨拶します。
 白河さんはリハビリを担当する理学療法士さんです。
 スラッとした身長で広い肩幅から伸びる細く長い両手でウォーカーと呼ばれるリハビリ訓練用のコマ付き歩行車を押しています。
 どうやらこれから入院中の患者さんのリハビリのために病室に向かうようですね。
 
 少しパーマがかったようにクルンとした髪は天然だそうですがクリっとした目と、笑った時の少しはにかんだ笑顔は昔見た少女マンガに出てくる白馬に乗った王子様の雰囲気です。
 人当たりも良く、男女問わず人気がありますが、特に女性スタッフや患者さんに人気が高いようですよ。

「お疲れ様です。ごめん、今日入院した吉田さんの病室ってどこかわかる? 
今ナースステーション行ったんだけどまだネームプレート貼られてなくてーー」

「あっ、吉田さんだったら確か621だったと思います」

「そう、ありがとう」

「いえ」

「三久路君すごい汗だね。ハンカチ持ってる? 僕ので良ければ二枚持ってるから貸してあげるよ」

「あっ、僕4枚持ってるので大丈夫です! ありがとうございます!」
 
 白河さんはにっこりと微笑んで621号室へ向かって歩いて行きました。
 日向さん、目がハートの形になってますよ。

「ーーって、ミクロ、ハンカチ4枚も持ってきてるのかーーい」
 
 裕子さんが笑いながら言いました。

「いえ、桜川さん。ロッカー戻れば予備があと6枚あるので毎日10枚持ってきています!」


 

 何やらナースステーションが騒がしいようです。

「ちゃんと探したの?」

 中尾師長が心配顔で日向さんに聞いています。

「はい。ロッカーの裏も引き出しもベッドの上も、考えられるところは全部見ました」

「それで、立川さんの様子は?」

「それがーー、すっかり落ち込んでしまってーー」

「そう、わかった。取り敢えず私、立川さんのとこに行ってくる。富永さんは他の業務もあるでしょうけど引き続き仕事の合間に探してくれる?」

「わかりました」
 
 どうやら恵さんの物が何か無くなったようですね。
 
 コンコンーー。

「失礼します。立川さん、大事な物が失くなったってお聞きしました」

「あーー、すいません。お忙しいのに師長さんにまで来ていただいてーー」

「いえ、それより確かにテーブルの上に置いたんですね? どこかになおしこんでしまっていることはないですか?」

「いえ、それはないです。いつも肌身離さず身に着けている大事なブレスレットなんです。
でもさっきの検査に行く前に外して下さいって言われたので、私、ハンカチに包んでこの台の上に置いて検査に行きました。
それで、帰ってきてすぐ着けようとすると、もう無かったんです」

 そう言うと恵さんは、今にも泣き出しそうな顔をしました。
 

 615号室は4人部屋ですが、それぞれカーテンで仕切きられていてプライベートスペースが確保されており、ベッドと、テレビが真ん中に配置されている縦長の物入れの棚が置かれています。
 テレビが置かれている棚の手前が小さな置時計や、ちょっとした物が置けるようになっていて、その下にスライド式の出し入れ出来る棚が収納されています。
 食事の時に、この棚を引き出してテーブル代わりに使うのですが、どうやら立川さんはこのスライド式のテーブルの上にブレスレットを置いたようなのです。

「わかりました、後で手の空いた者でもう一度探してみますね。
申し訳ないですが立川さんも、持っていらっしゃった荷物の中に紛れていないかもう一度見てもらえますか?」
 
 その時です。ずっと下を向いていた立川さんが顔を上げてはっきりした声で言いました。

「師長さん、私、手術受けるのやめようと思います」
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