第14話
文字数 2,194文字
翔太君を初めて見つけたのは津川さんという私と同じソウルさんです。
先週の中頃、1階の廊下で泣いている翔太君を見つけた津川さんでしたが、どうしていいかわからず、そのまま私のところに連れてきました。
いつまでも泣き止まない翔太君をどう扱っていいのか分からなかったようです。
申し遅れました。
私は太田なつと申します。
日向 さんと同じ歳の頃にソウルになって以来、四十数年この病院で過ごしています。
あっ、ソウルというのは、日向さんが私たちのことを呼ぶ時に使う呼び名です。
幽霊なんて呼び方をされるよりカッコ良くて私は気に入っています。
日向さんは私たちの姿は見えますが声は聞こえません。
日向さん以外にも、姿は見えないにしても、私たちの存在を感じることが出来る怖がり先生や、稀 に姿も声も生きている人間のように感じられる人もいるようです。
そして、病院に長くいてわかったことは、人は亡くなる少し前になると私たちの姿が見えるようになるということーー。
私には、子どもがいた経験はありませんが、人として肉体と共に生きていた頃は、歳の離れた弟がいました。
どこへ行くのも、ねえねえ、ねえねえ、とまとわりついてくる人懐 こい子でした。
冬になるとリンゴみたいに赤くなるほっぺにすりすりした記憶が昨日のことのように思い出されます。そんなこともあり、小さな子どもの扱いには慣れている方だと思います。
そして私は子どもが大好きです。
初めて会った時、翔太君は泣き続けていましたが、そっと抱きしめて背中をトントンすると段々と落ち着き、しばらくすると泣き止みました。それからも時々母親のことを思い出し、泣き出すことはありますが、抱きしめて翔太君の好きなお歌を唄ってあげると落ち着くのです。
そんな翔太君でしたが、最近はこの状況にも慣れて今では病院内を自由に動き回るようになりました。
私たちはソウルなので、生きている人たちにそんなに迷惑をかけることはありませんが、それでもちょっとした影響を与えてしまうことがあるので、やはり目が離せません。
ナースステーションから出て行った翔太君を追いかけると、休憩室に入ったようです。
どうやら翔太君も日向さんのことが好きみたいですね。
『あら、なつさんも。
こんばんは』
日向さんは私の声は聞こえませんが、姿ははっきりと見えているので、簡単な単語なら時間をかけて口の動きで伝えられます。
私の名前もそういった形でわかってくれています。
日向さんはちょうど遅い晩ご飯を食べ終わったところのようです。
休憩室には、患者さんやお見舞い客からの差し入れのお菓子が、テーブルの上に積まれています。
翔太君はお菓子の山を見つけると
『僕の大好きなチョコレートだ!
でもね、僕今は全然欲しくないの』
と、私の顔を見て言いました。
『そうだね。私も甘い物大好きだったんだよ。
でも今は何もいらない。不思議だね』
ソウルになると当たり前ですが、お腹が空かないし、食事をすることもありません。
でも、生きていた頃に好きだった食べ物を見ると、少しだけ心が動きます。
翔太君は5歳頃でしょうか。
生きていればそのくらいの子どもは甘い物を見ると欲しくなるでしょう。
日向さんはそんな私達の様子をニコニコしながら眺めています。
日向さんには私たちの姿は見えているものの、声までは聞こえていないはずです。それでも、先程、金田さんから言われたシュークリームを翔太君の目の前で食べないのは、日向さんの優しい気遣いでしょう。私たちソウルにまで、そんな気遣いが出来る日向さんを、私はとても優しくて素敵だと思います。
「日向、ちょっといい?」
ノックもせずに休憩室の扉を開けて入ってきた裕子 さんは、心なしか顔色が良くないようです。
「どうしたの?」
「休憩中悪いんだけど、ちょっと来て欲しいんだ」
明かりの消えた廊下を歩く、二人の後に私と翔太君も続きます。
615号室の前で立ち止まった裕子さんは振り返って言いました。
「さっきナースコールあって、この部屋来たの」
「うん、平田さんの病室だよね。
平田さん、またお茶飲みたいって?」
615号室は個室です。
平田キヨさんという88歳の女性が肺炎で入院してきています。
キヨさんは、肺炎の中でも誤嚥性肺炎という、ばい菌がご飯と一緒に間違って肺に入って肺炎をおこす病気です。そのため入院してからしばらく食事をとらず、点滴だけで栄養をとっていました。
入院した頃は熱もよく出て、寝てばかりだったキヨさんでしたが、最近少しづつ状態が良くなってきています。
少し前からリハビリの専門スタッフの訓練を受けながら食事を再開しました。
今は、食事量を少しづつ増やしているところで、足りない分は点滴で補っています。
食事も水分もまだ口からは充分には取れないせいか、とても喉が渇くようで、頻繁にナースコールを押しては、お茶お茶と訴えてきます。
そんな時は、濡らしたガーゼで口の中を拭いたり、ほんの小さな氷を口に含ませたりということを看護師さんたちはしていました。
今もきっとそんな内容のナースコールだろうと、私も日向さんも思いました。
「それが、ナースコールではあーー、あーー、って声しか聞こえないし、さっき、部屋入ったんだけどさーー」
「うん」
「どうやらいるらしいの」
「えっ?!」
「ソウルさん」
先週の中頃、1階の廊下で泣いている翔太君を見つけた津川さんでしたが、どうしていいかわからず、そのまま私のところに連れてきました。
いつまでも泣き止まない翔太君をどう扱っていいのか分からなかったようです。
申し遅れました。
私は太田なつと申します。
あっ、ソウルというのは、日向さんが私たちのことを呼ぶ時に使う呼び名です。
幽霊なんて呼び方をされるよりカッコ良くて私は気に入っています。
日向さんは私たちの姿は見えますが声は聞こえません。
日向さん以外にも、姿は見えないにしても、私たちの存在を感じることが出来る怖がり先生や、
そして、病院に長くいてわかったことは、人は亡くなる少し前になると私たちの姿が見えるようになるということーー。
私には、子どもがいた経験はありませんが、人として肉体と共に生きていた頃は、歳の離れた弟がいました。
どこへ行くのも、ねえねえ、ねえねえ、とまとわりついてくる
冬になるとリンゴみたいに赤くなるほっぺにすりすりした記憶が昨日のことのように思い出されます。そんなこともあり、小さな子どもの扱いには慣れている方だと思います。
そして私は子どもが大好きです。
初めて会った時、翔太君は泣き続けていましたが、そっと抱きしめて背中をトントンすると段々と落ち着き、しばらくすると泣き止みました。それからも時々母親のことを思い出し、泣き出すことはありますが、抱きしめて翔太君の好きなお歌を唄ってあげると落ち着くのです。
そんな翔太君でしたが、最近はこの状況にも慣れて今では病院内を自由に動き回るようになりました。
私たちはソウルなので、生きている人たちにそんなに迷惑をかけることはありませんが、それでもちょっとした影響を与えてしまうことがあるので、やはり目が離せません。
ナースステーションから出て行った翔太君を追いかけると、休憩室に入ったようです。
どうやら翔太君も日向さんのことが好きみたいですね。
『あら、なつさんも。
こんばんは』
日向さんは私の声は聞こえませんが、姿ははっきりと見えているので、簡単な単語なら時間をかけて口の動きで伝えられます。
私の名前もそういった形でわかってくれています。
日向さんはちょうど遅い晩ご飯を食べ終わったところのようです。
休憩室には、患者さんやお見舞い客からの差し入れのお菓子が、テーブルの上に積まれています。
翔太君はお菓子の山を見つけると
『僕の大好きなチョコレートだ!
でもね、僕今は全然欲しくないの』
と、私の顔を見て言いました。
『そうだね。私も甘い物大好きだったんだよ。
でも今は何もいらない。不思議だね』
ソウルになると当たり前ですが、お腹が空かないし、食事をすることもありません。
でも、生きていた頃に好きだった食べ物を見ると、少しだけ心が動きます。
翔太君は5歳頃でしょうか。
生きていればそのくらいの子どもは甘い物を見ると欲しくなるでしょう。
日向さんはそんな私達の様子をニコニコしながら眺めています。
日向さんには私たちの姿は見えているものの、声までは聞こえていないはずです。それでも、先程、金田さんから言われたシュークリームを翔太君の目の前で食べないのは、日向さんの優しい気遣いでしょう。私たちソウルにまで、そんな気遣いが出来る日向さんを、私はとても優しくて素敵だと思います。
「日向、ちょっといい?」
ノックもせずに休憩室の扉を開けて入ってきた
「どうしたの?」
「休憩中悪いんだけど、ちょっと来て欲しいんだ」
明かりの消えた廊下を歩く、二人の後に私と翔太君も続きます。
615号室の前で立ち止まった裕子さんは振り返って言いました。
「さっきナースコールあって、この部屋来たの」
「うん、平田さんの病室だよね。
平田さん、またお茶飲みたいって?」
615号室は個室です。
平田キヨさんという88歳の女性が肺炎で入院してきています。
キヨさんは、肺炎の中でも誤嚥性肺炎という、ばい菌がご飯と一緒に間違って肺に入って肺炎をおこす病気です。そのため入院してからしばらく食事をとらず、点滴だけで栄養をとっていました。
入院した頃は熱もよく出て、寝てばかりだったキヨさんでしたが、最近少しづつ状態が良くなってきています。
少し前からリハビリの専門スタッフの訓練を受けながら食事を再開しました。
今は、食事量を少しづつ増やしているところで、足りない分は点滴で補っています。
食事も水分もまだ口からは充分には取れないせいか、とても喉が渇くようで、頻繁にナースコールを押しては、お茶お茶と訴えてきます。
そんな時は、濡らしたガーゼで口の中を拭いたり、ほんの小さな氷を口に含ませたりということを看護師さんたちはしていました。
今もきっとそんな内容のナースコールだろうと、私も日向さんも思いました。
「それが、ナースコールではあーー、あーー、って声しか聞こえないし、さっき、部屋入ったんだけどさーー」
「うん」
「どうやらいるらしいの」
「えっ?!」
「ソウルさん」