第13話

文字数 2,096文字

 病棟の夜は驚くほどの静けさです。
 時折り聞こえるのはモニターのアラーム音と、日向(ひな)さんたち夜勤看護師さんがパソコンに書き込むカタカタという音。
 それらがナーススターションに響きます。
 
 こんなに静かな夜は久しぶりです。と言っても先ほどまでは三人とも走り回っていました。
 入院患者さんの点滴の交換に回ったり、必要な患者さんのオムツ交換をしたり、明日退院予定の患者さんの準備など、その他にもやることがいっぱいです。
 
 ここ6階病棟の夜勤は、看護師三人で勤務しています。
 たまに、上や下の階から看護助手さんがヘルプでオムツ交換を手伝いに来てくれることもありますが、今晩はないようです。
 夜勤と言えど、いえ、夜勤だからこそやることは山積みで、その山積み業務をたった三人でこなさなければならないのです。
 
 具合の悪い患者さんがいれば頻繁(ひんぱん)に様子を見に行き、必要ならば宿直の医師を呼び出し、患者を診てもらうよう上申しなければなりません。
 また夜通しあちこちの病室からナースコールが鳴り、対応しなければいけなかったり、寝ぼけた患者さんがトイレに行く途中転んだり、認知症患者さんがベッドから転落したりなんてことも起こります。
 緊急入院が入ることも多く、夜勤は緊張の連続です。

 落ち着いた夜こそ、突発的なことがいつ起こってもすぐに対応出来るように、準夜帯と呼ばれる夕方から夜中12時頃までに、出来る仕事は全て済ませるよう、日向さんたちは先輩看護師から教えられています。
  長年ここ城山病院で過ごす間に、私は夜勤の大変さが身に沁みてわかるようになりました。

 今晩は準夜帯こそナースコールがあちこちで鳴ったり、眠れないからお薬が欲しいなどと、ナースステーションを訪ねてくる患者さんなどが多かったようです。しかし、夜中1時を少し過ぎた深夜帯に入ると、先程の喧騒(けんそう)が嘘のように静かになりました。

「日向、先休憩入っちゃって。
 私この記録、先に書いてしまいたいからーー」

「了解。それじゃ、お先休憩入ります」

 今夜の夜勤は珍しく日向さんと、裕子(ゆうこ)さんの同期コンビです。

「はーーい。
あっ、冷蔵庫に今日退院した三井さんからいただいたシュークリームあるよ」

 もう一人の夜勤、金田さんは、20年目のベテラン看護師さんです。
 経験豊富で、技術面では日向さん、裕子さんより優れているところが沢山ありますが、お喋り好きで特に噂話に目がないところがたまにきずといったところです。
 ありがとうございます、と言って日向さんがナースステーションを出て休憩室のドアがバタンと閉まった途端、金田さんのお喋りスイッチが入りました。

「ねえねえ、富永(とみなが)さんって少し真面目すぎると思わない? 
なんか一緒の夜勤だと肩凝るって言うかさーー」

「うーーん、確かに仕事中はそうですね。
だけど、私同期で仲良いからプライベートでよく一緒に出掛けたりするんですけど、そん時はめちゃ面白い子ですよーー。
よくくだらない冗談とかも言うし」

「えーー、そうなの? 
二人仲いいんだ、意外。
桜川(さくらがわ)さんって私側の人だと思ってたけど」

「金田さん側ってどんなのですか?」

「仕事よりお喋り好きでしょ? 
仕事より美味しい物好きでしょ? 
それからーー」

「ちょっとーー先輩!」

「アハハハ、それより桜川さん、怖がり先生と東主任のことどう思う?」

「どう思うってどういうことですか?」

「私、あの二人怪しいと思うんだよねーー」

「えーー! 怪しいってまさかーー」

「そう、そのま、さ、か。
私、二人付き合ってるんじゃないかって思ってるんだ」

「ウソーー!!」

「ホントホント。こういう(たぐい)の私の勘って当たるんだよね」

 はい、金田さん大正解です。
 怖がり先生というのは内科の古和(こわ)医師のことです。繊細なと言えば聞こえはいいですが、些細なことに驚きやすい、要するに怖がりな先生なのです。
 それにしてもさすが金田さん。
 裏で城山病院のワイドショー部担当部長と言われているだけのことはあります。
 色恋事案は確実に(つか)んでいるようです。

「どうして、どうして? 
金田さん、何か見たんですか?」

「今夜の当直怖がり先生でしょ? 
救急外来の看護師は誰でしょう?」

 夜間の救急外来は急病で来院する人が多いので、的確な判断と処置が求められます。診察は当直医師が担当し、看護師は各病棟の主任以上、つまり、主任か師長が持ち回りで担当することになっているのです。

『東主任さんだよね。僕あの人好き』

『翔太君、よく知ってるね』

 えーーっと、と言いながら裕子さんはナースステーションの窓口の壁に張り出された外来看護師担当表を見ながら言いました。

「うちの主任じゃないですか?」

「そう! 
うまーーくシフト合わせてるのよ」

「えーー、ただの偶然じゃないですか?」

「それがーー、この前もさーー」

 お喋りはまだまだ続きそうだな、と思っていると翔太君がバタバタと駆け出しました。

 昼間の病棟は入院患者さんや医師、看護師などのスタッフ、お見舞いの人などで絶えず賑やかです。それに比べると夜の病棟は消灯時間の9時を過ぎるとひっそりとしています。5歳の翔太君にとっては退屈なのでしょう。





 
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