第28話
文字数 2,363文字
「二人ともごめんね。
忙しい時に」
いえ、大丈夫です、と口にする二人ですが、話はきっと私も気になっているあのことでしょう。
「三久路 君のことなんだけどーー」
やはりそうです。
元気とやる気だけが取り柄の(いえ、それは言い過ぎですね。ごめんなさい)三久路君が、最近別人のようにおとなしくなり仕事も休みがちなのです。
今日は日勤シフトで出勤の予定だったのですが、先程体調が悪いから休みたいと連絡が入りました。
まだ新人で、一人前の仕事は出来ないとはいえ、急な休みは他のスタッフの仕事量が増え、こう度々 だと周りのスタッフから不満が出てきているのも事実です。
「はい、すいません」
日向 さんが頭を下げると、慌てて裕子 さんも、すいません、と頭を下げました。
「何で二人が謝るのよ」
「私、彼のプリセプですし」
プリセプというのは、プリセプターとよばれる先輩看護師が、新人看護師を指導しながら仕事を教える制度のことです。
どの職業も新人が先輩とペアを組んで仕事を覚えていくシステムはあると思いますが、人の命を預かる、ある種、特殊な看護師という職業は、仕事のやり方を学ぶことは勿論、精神面の支えがとても大切になります。
仕事とはいえ人の死に何度も立ち会うことは本人が感じている以上に精神面でのストレスが大きいのです。
日向さんは、今年初めてプリセプターを務めることになりました。
しかし病棟看護師はシフト制で、日向さんと三久路君のシフトが合わない時も多く、その場合は同期の裕子さんがその役目を担 うことになっています。
早い話、二人は三久路君の教育係なわけです。
「二人のせいじゃないわよ。
呼び出したのはちょっと最近の三久路君の様子聞こうと思って。
やっぱり平田さんのことが一番の原因かな」
平田さんというのは先日、病状が急変して亡くなった高齢の女性です。
肺炎で入院してきた平田さんはその後、一旦病状は回復したものの、入院前に比べ、身体能力が衰えてしまい、そのままの状態では自宅に戻るのは難しいというのが医師を含めた病棟スタッフの判断でした。
しかし、同居していた息子のお嫁さんが、どうしても家に連れて帰りたいといって聞かず、何とかリハビリを続けて少しでも全身の状態を良くして家に帰ってもらおうと、病棟の会議で決まった直後、病状が急変し、残念ながら亡くなってしまったのです。
会議の結果を本人に知らせに行くように言われた三久路君ですが、途中困っていた患者さんの手助けをして病室に行くと、急変した平田さんの姿を見つけたのでした。
三久路君には何の落ち度もなく、誰にもどうすることも出来ないことでした。
なのに、もう少し早く病室に駆けつけていたらーー、会議前に様子を見に行った時に、急変の前兆を見逃していたのではないかーー、など彼なりに平田さんの死に責任を感じているようでした。
看護師になって初めて間近で体感する患者の死は、三久路君に大きな影響を与えたのでしょう。
「多分そうだと思います。あれから元気ないですから」
裕子さんが答えました。
「そう、やっぱり。
ちょうど今頃、新人さんのリアリティーショックが出てくる時期でもあるしね」
「何ですか師長、そのリアリティー何とかって」
「新人看護師が仕事を始めて、それまでに抱いていた理想と、実際に働いて体験する現実とのギャップが原因でーー。
まあ、いいわ。
桜川さんには話してもあまりわからないと思うからーー。
ちょっと悪いんだけど、時間ある時でいいから三久路君の様子、見に行ってあげてくれないかしら?」
二人はわかりました、と答えると顔を見合わせながら深く頷き合いました。
「あっ、富永さん、さっきノミ先生からコールあってルート入んないって。
担当看護師さんに来てもらってーーって」
日向さんたちが面談室から出て点滴の準備をしていると、受け持ち患者さんの病室から戻ってきた衣良さんが日向さんを見つけて声をかけてきました。
衣良さんは金田さんと同期のベテラン看護師です。
とてもお喋り好きで噂話が大好きなところが金田さんと似ていて、そうそう、あと、とってもせっかちさんです。
「わ! そうなんですか?!
わかりました!
すぐ行きます」
日向さんが慌ててナースステーションを出ようとしたところで、金田さんが日向さんを呼び止めました。
「あっ、それならついさっき副院長が行ってくれたわよ」
「え!? 芽留副院長が!?」
「そうそう。
担当の看護師誰だって聞かれて、富永さんですけど今、中尾師長と話してるって言ったらメルヘン先生、師長さんの仕事の邪魔しちゃいけない、私が行こうって」
「メルヘン!? 何?」
側で聞いていた中尾師長が驚いた声で聞きました。
「あら中尾師長、副院長の胸ポケットに入ってたボールペン見ました?
あれだけ製薬会社からもらうノベルティーの文房具あるはずなのに、ぱんぷーちゃんのキャラクターボールペンでしたよ」
「副院長の子どもさんのじゃないの?」
金田さんはチェッ、チェッ、チェッと喉を鳴らし口の前で人差し指を左右に揺らしました。
「メルヘン先生は独身ですよーー。
結婚歴なし。
もう長ーーいこと婚活中です。
既に調査済みです」
へーー、そうなんだーー、さすが金田さん情報通、などという声がナースステーションのあちこちから上がりました。
「それに、朝礼の挨拶の時に顔の汗拭いてたハンカチはとろりんのでしたよね」
「えっ、そうだっけーー」
「そうですよ。
子どももいないのに、今流行りのぱんぷーちゃんやとろりんのキャラクターグッズを日々の生活の中に取り入れてるなんて副院長先生はズバリ!
メルヘン先生で間違いないでしょう!」
拍手とともに、おーー、さすが金田さん! 観察力もすごーい! という声があちこちから響きました。
忙しい時に」
いえ、大丈夫です、と口にする二人ですが、話はきっと私も気になっているあのことでしょう。
「
やはりそうです。
元気とやる気だけが取り柄の(いえ、それは言い過ぎですね。ごめんなさい)三久路君が、最近別人のようにおとなしくなり仕事も休みがちなのです。
今日は日勤シフトで出勤の予定だったのですが、先程体調が悪いから休みたいと連絡が入りました。
まだ新人で、一人前の仕事は出来ないとはいえ、急な休みは他のスタッフの仕事量が増え、こう
「はい、すいません」
「何で二人が謝るのよ」
「私、彼のプリセプですし」
プリセプというのは、プリセプターとよばれる先輩看護師が、新人看護師を指導しながら仕事を教える制度のことです。
どの職業も新人が先輩とペアを組んで仕事を覚えていくシステムはあると思いますが、人の命を預かる、ある種、特殊な看護師という職業は、仕事のやり方を学ぶことは勿論、精神面の支えがとても大切になります。
仕事とはいえ人の死に何度も立ち会うことは本人が感じている以上に精神面でのストレスが大きいのです。
日向さんは、今年初めてプリセプターを務めることになりました。
しかし病棟看護師はシフト制で、日向さんと三久路君のシフトが合わない時も多く、その場合は同期の裕子さんがその役目を
早い話、二人は三久路君の教育係なわけです。
「二人のせいじゃないわよ。
呼び出したのはちょっと最近の三久路君の様子聞こうと思って。
やっぱり平田さんのことが一番の原因かな」
平田さんというのは先日、病状が急変して亡くなった高齢の女性です。
肺炎で入院してきた平田さんはその後、一旦病状は回復したものの、入院前に比べ、身体能力が衰えてしまい、そのままの状態では自宅に戻るのは難しいというのが医師を含めた病棟スタッフの判断でした。
しかし、同居していた息子のお嫁さんが、どうしても家に連れて帰りたいといって聞かず、何とかリハビリを続けて少しでも全身の状態を良くして家に帰ってもらおうと、病棟の会議で決まった直後、病状が急変し、残念ながら亡くなってしまったのです。
会議の結果を本人に知らせに行くように言われた三久路君ですが、途中困っていた患者さんの手助けをして病室に行くと、急変した平田さんの姿を見つけたのでした。
三久路君には何の落ち度もなく、誰にもどうすることも出来ないことでした。
なのに、もう少し早く病室に駆けつけていたらーー、会議前に様子を見に行った時に、急変の前兆を見逃していたのではないかーー、など彼なりに平田さんの死に責任を感じているようでした。
看護師になって初めて間近で体感する患者の死は、三久路君に大きな影響を与えたのでしょう。
「多分そうだと思います。あれから元気ないですから」
裕子さんが答えました。
「そう、やっぱり。
ちょうど今頃、新人さんのリアリティーショックが出てくる時期でもあるしね」
「何ですか師長、そのリアリティー何とかって」
「新人看護師が仕事を始めて、それまでに抱いていた理想と、実際に働いて体験する現実とのギャップが原因でーー。
まあ、いいわ。
桜川さんには話してもあまりわからないと思うからーー。
ちょっと悪いんだけど、時間ある時でいいから三久路君の様子、見に行ってあげてくれないかしら?」
二人はわかりました、と答えると顔を見合わせながら深く頷き合いました。
「あっ、富永さん、さっきノミ先生からコールあってルート入んないって。
担当看護師さんに来てもらってーーって」
日向さんたちが面談室から出て点滴の準備をしていると、受け持ち患者さんの病室から戻ってきた衣良さんが日向さんを見つけて声をかけてきました。
衣良さんは金田さんと同期のベテラン看護師です。
とてもお喋り好きで噂話が大好きなところが金田さんと似ていて、そうそう、あと、とってもせっかちさんです。
「わ! そうなんですか?!
わかりました!
すぐ行きます」
日向さんが慌ててナースステーションを出ようとしたところで、金田さんが日向さんを呼び止めました。
「あっ、それならついさっき副院長が行ってくれたわよ」
「え!? 芽留副院長が!?」
「そうそう。
担当の看護師誰だって聞かれて、富永さんですけど今、中尾師長と話してるって言ったらメルヘン先生、師長さんの仕事の邪魔しちゃいけない、私が行こうって」
「メルヘン!? 何?」
側で聞いていた中尾師長が驚いた声で聞きました。
「あら中尾師長、副院長の胸ポケットに入ってたボールペン見ました?
あれだけ製薬会社からもらうノベルティーの文房具あるはずなのに、ぱんぷーちゃんのキャラクターボールペンでしたよ」
「副院長の子どもさんのじゃないの?」
金田さんはチェッ、チェッ、チェッと喉を鳴らし口の前で人差し指を左右に揺らしました。
「メルヘン先生は独身ですよーー。
結婚歴なし。
もう長ーーいこと婚活中です。
既に調査済みです」
へーー、そうなんだーー、さすが金田さん情報通、などという声がナースステーションのあちこちから上がりました。
「それに、朝礼の挨拶の時に顔の汗拭いてたハンカチはとろりんのでしたよね」
「えっ、そうだっけーー」
「そうですよ。
子どももいないのに、今流行りのぱんぷーちゃんやとろりんのキャラクターグッズを日々の生活の中に取り入れてるなんて副院長先生はズバリ!
メルヘン先生で間違いないでしょう!」
拍手とともに、おーー、さすが金田さん! 観察力もすごーい! という声があちこちから響きました。