第15話

文字数 2,146文字

「あーーーー」

 あっ、裕子(ゆうこ)さんは日向(ひな)さんが私たちソウルのことが見えることは知っています。この病院でそのことを知っているのは日向さんの親友、裕子さんだけです。     

「わかった。
ユッコ、いいよ、あとは任せて。
休憩入っちゃって」

「ごめん」

「ううん、大丈夫」

 日向さんはコンコンとノックすると、615号室の扉を開けました。

「平田さん、失礼します」

 日向さんはベッドの側までくると、キヨさんの顔を覗き込みます。
 すると、日向さんに気づいたキヨさんは、あーー、あーーと声を出して、日向さんの頭のずっと上の方を指差し、あそこーー、あそこーーと、言っています。
 日向さんと私と翔太君がキヨさんの指差しす方に同時に振り向きました。と、そこには戦時中の兵隊の格好をした青年が、ロッカーの上で正座をしていたのです!

「キャーー!!」

『ヒャーー!!』

『わーー!!』

 三人同時に叫びました。と、言っても私と翔太君の声は日向さんには届いてないのですが。それでもとても驚いている様子は伝わっているはずです。

「あーー、ビックリした」

『本当に。
私でさえとても驚きましたよ。
あの、はじめまして。
私、太田なつという者ですが、そんなところで何をしておられるのですか?』

 私は兵隊さんに向かって話しかけましたが、兵隊さんは表情ひとつ変えず、じっとロッカーの上に正座をして黙ったままです。
 その時、救急車のサイレンの音が遠くから聞こえてきました。
 音が近づいてきたかと思うと、病院の敷地内に入るとピタッと止みました。
 どうやら救急患者さんが城山病院に運ばれたようです。

 翔太君はサイレンの音が聞こえると、バタバタと駆け出しました。
 私も慌てて後を追います。翔太君にとって、救急車はかっこいい車なんでしょう。パトカーや消防車、もちろん救急車など、大人になると、出来るだけ関わらないで生きていきたいものですが、子どもにとっては憧れの対象でもあるんですね。

 1階の救急外来室に到着すると、ちょうど救急車から患者さんが運ばれてきたところのようです。
 翔太君はキラキラした目でじっと救急車を見つめています。

「ベッド移りますよーー。
1、2、3、はい!」
 今晩の当直医師である怖がり先生と東主任が、救急救命士さんたちと力を合わせて、患者さんをベッドに移します。
 救急患者さんは、60代くらいの女性のようですが、意識がはっきりしていないようです。
 その時です。救急患者さんを、一目見た怖がり先生の顔色が変わりました。
 一瞬、私や翔太君のせいかと思いました。怖がり先生は、私たちソウルが近くにいると、気配を感じて気分が悪くなることがあるのです。
 たまに面白がっていたずらで、彼の側に寄ったりすることがありますが、仕事中は気を付けています。ましてや救急車で運ばれた患者さんを、診察しようとしている今は、特に怖がり先生とは充分に距離をとっています。
 翔太君は、まだ外で救急車を眺めているはずです。
 しかし、怖がり先生の顔色が変わったのはほんの一瞬で、すぐにいつもの調子で、診察が始まりました。一緒に診察を補助している東主任は、怖がり先生の様子には気がつかなかったようです。
 怖がり先生が何に対して顔色を変えたのか、気になりましたが、容態を伝えた救急救命士さんが救急車へと戻っていくようなので、翔太君の様子が気になる私もついていくことにしました。

 翔太君は、救急車専用入口と書かれた扉の前の石畳に座って、じっと救急車を見ています。私も翔太君と並んで座りました。
 今晩は綺麗な三日月です。

『もうすぐ帰っちゃうみたいよ、救急車』

『うん、そうみたいだね』
 
 救命士さんたちは、慣れた手つきで、救急患者さんを乗せてきたストレッチャーを、救急車の後ろの扉から収納すると、今度は、運転席と助手席に座って書類を書いたりしている様子です。

『なつさん、救急車ってどこの車屋さんが作ってるか知ってる?』

『えーー、どこだろ、わからないなあ』

『トヨタなんだよ。ハイエースって車を元にして作った救急車が日本で一番多く走ってるんだ』

『へーー、そうなんだ。おばさん、知らなかたよ』

『その次が日産の車なんだ。日産のはキャラバンっていうーー』

 翔太君は目をキラキラさせながら、車の話を続けます。きっと、家には沢山のミニカーのおもちゃがあったんでしょうね。
『へーー、そうなんだ』などと、翔太君の話を聞いているうちに救急車はサイレンを消して、静かに病院から帰って行きました。
 

『僕、もう一回車に乗りたいなあ』

 翔太君が言いました。
 私はなんて言えばいいのかわかりませんでした。

『なつさん、見て! 三日月さんが帽子かぶってる』

 翔太君が指差す方を見上げると、先ほどまでなかった雲が三日月の上方にかかり、なるほど、翔太君の言うようにまるで三日月が帽子をかぶっているように見えます。



「月が綺麗ですね」

 かつて、何度も私にそう言ってくれた人のことを思い出しました。
 雲が邪魔をして、全く月など見えない夜も、雨が降った夜も、そう、たとえ嵐の夜でも、あの人は私にこう言ってくれました。

「月が、なつさん、月が綺麗です」

 翔太君と一緒にかわいい帽子をかぶった上弦の月を見ていると、ふとそんなことを思い出しました。
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